私は、ずっと一人が好きだった。誰かと話すのが億劫で、親しい数人と少し話すくらいで満足する。それが私──
宿題をやったり、テキトーな本を手に取って読んだり。とにかく静かな場所が好きで、のんびりと毎日を過ごしていたんだ。そう……小学生最後の夏休み、あのお姉さんに出会うまで。
◇
始まりはそう、夏休み初日。いつも私が暇を過ごす図書館の自由席、大きなテーブルと八人分の椅子が置かれた場所に、その人は居た。窓際一番奥の席に座り、絵になるような綺麗な姿勢で文庫本を読む、黒髪のお姉さん。
多分、高校生くらいだろうか。落ち着いた雰囲気で、薄肌色のワンピースに腰まで伸びた艶のある髪が映える、神秘的な人だった。どこか浮世離れしてるというか、まるで物語の中から飛び出してきたような、そんな人。何気ない横髪を耳にかける仕草さえ、自分とは違う人種を思わせる。
きっと、この感覚は間違ってない。
お姉さんは、私とは違って優しくて友達にも困ってないだろうし、一人が好きだからなんて理由でコミュニケーションから逃げるなんてことはしないんだろう。そう、勝手に決めつけた私は、特に話しかけることもなく、お姉さんとは反対側──通路側の一番手前の席につき、せっせと宿題を始める。
これが、始まり。
来る日も来る日も図書館に来て、宿題を進める私とは対称的に、お姉さんはいつも本を読んでいた。タイトルもわからない同じ本を、飽きることなく読んでいた。だからだろうか、少しだけ……ほんの少しだけ親近感が湧いて、八月のある日、私はお姉さんに声をかけることにした。もちろん、図書館は静かにというルールがあるから、筆談だ。
宿題用とは別に持ってきた自由帳を片手に、いつもとは違うお姉さんの隣に座って、小さな交流が始まった。
『こんにちは。ずっと気になってたんですけど、いつも同じ本を読んでますよね? その本、好きなんですか?』
『えぇ、好きよ。大切な友達に、教えてもらったの』
些細な疑問をぶつける形で始まった声のないお喋りは、お姉さんの優しさからかトントン進み、会話は弾んだ。雰囲気から感じとっていた感覚は本物だったのか、お姉さんは優しい人で、会う度に筆談をするようになった。偶に小声で話すこともあったが、おっとりとした柔らかい話し方をする人で、お姉さんの知らない表情を見る度に私は惹かれていった。憧れ……だったんだと思う。
ただ一つ、モヤモヤと苦しくなることがあって、それは決まって、お姉さんが大切な友達のことを話してる時だった。微笑みを絶やさないこの人も、大切な友達の話になると、最初は幸せそうだったのに少しずつ暗い表情が目立つようになるからだ。
私にはわからない事情があるんだろう。けど、お姉さんにそんな表情をさせる『大切な友達』という人が、どうしても気にかかって、モヤモヤする。よく、教えてもらった本の話をするけど、お姉さんはずっとずっと同じ本以外を読んでいないから、もしかしたらそこに理由があるのかな、なんて意味のないことを考えて悩んだこともあった。
でも、それでも、私は──変わらないこの瞬間が好きなんだ。触れ合うことはないけど、静かに笑い合えるこの瞬間が……好きなんだ。
◇
時は過ぎ、夏休みも終わりが近くなった頃。図書館の入口付近で、誰かと話してるお姉さんを見つけた。一人は、お姉さんとは正反対な明るい茶髪をポニーテールにした、活気そうな女の人で。もう一人は、その女の人の彼氏さんらしき優しそうな男の人。
その三人の関係で、なんとなく察せることがあった。お姉さんの想いの行方も、『大切な友達』の正体も。けど、私はどこまで行っても他人でしかないから、三人のやり取りを見守ることしかできなくて。駐輪場の影から様子を眺めていると、少しずつ……お姉さんの笑顔が歪んでいくのが見えた。
零れ落ちそうになる涙を必死にこらえるような、そんな酷い顔で、お姉さんは必死に笑顔を取り繕っていて──それがすごく悲しそうに見えたから、私はいつの間にか走り出していた。
「こっち!」
「……ぁ」
お姉さんの手を引いて、私は走り続けた。走って、走って、辿り着いた人気のない公園でようやく手を離して後ろを見れば、お姉さんはポロポロと涙を流していて、何度も私に謝っていた。
「ごめんね……ごめんね……」
慰める言葉なんて、なにも思いつかなくて、ただお姉さんが消えてしまわないように、強く手を握った。
この涙を止められるなら、私は代わりでよかった。代わりになりたかった。なのに、お姉さんは私のわがままを許しはしなくて、自分の弱さも許しはしなくて。
「私じゃ、ダメなの?」
「……代わりなんて、いないから」
大切な友達の代わりはいない。
私の代わりもいない。
二つ合わせて、お姉さんはそう言ったんだと思う。辛いのは自分自身なのに、私のために微笑むお姉さんは本当に綺麗で──その優しさの一割でも自分に向けて欲しかった。
◇
あの日以来、お姉さんは図書館に来なくなって、一年の時が過ぎた。私は中学生になり、部活に入ることなく、今も図書館に通い続けている。身長はしょうがないから、体型や髪型だけでも変えないように気を使って、自由席の窓側一番奥の席の隣でお姉さんを待っている。
あれから、あの人に聞いた本をよく読むようになって、気づいたけど。本の内容のほとんどは悲恋の話だった。報われない恋、意味のなかった恋、冷めてしまった恋、色んなものを見て、最後に辿り着いたお姉さんがずっと読んでいた本は、ある意味恋の終わりだった。
既婚者に恋をした女性が、熱にうなされたような恋に振り回され、その果てに死を選び。その暴れ馬のような感情をぶつけられた男性も妻との関係が上手くいかなくなり破局し、後を追う。
そんな嫌なお話。
呆気ない恋の終わりの話。
禁断の恋をした方が悪いのか、された方が悪いのかなんてわかりはしない。男性は望まない結婚だったからこそ、その女性に惹かれてしまい。女性は恋に狂ったからこそ実らない思いに焦がれて落ちてしまった。
何度読んでも変わらない結末に、お姉さんは何を見たんだろう。何を思ったんだろう。……ねぇ、お姉さん──
「髪、切ったんですね」
「うん。……ちゃんとさよならしたくて。変、かな?」
「いえ、似合ってます。長くても短くても、お姉さんは綺麗ですから」
「……そっか」
声の会話はそれで終わり、私はあれ以来書かれることのなくなった自由帳をもう一度取りだし、お姉さんにペンを渡した。懐かしそうに微笑んだ彼女は、さらさらとペンを走らせて一言『待った?』と聞いてきた。
待ったよ。待ったとも。ずっと待ち続けたもの。でも、これは私の自分勝手な自己満足だ。私はあの夏の日にあったあなたを知りたかった。分かりたかった。だから、ここに来て跡を探し続けたんだ。
けど、それを言うのはなんだかダサい気がして、『全然です』と一言返す。
すると、お姉さんはあの日のようにまた微笑んで……
『もし、あの時の気持ちが……まだ変わってないのなら、わたしと一緒になってくれませんか?』
着飾る必要のないくらい真っ直ぐな言葉だった。──この言葉を出すために、お姉さんは色々がんばってここに来てくれたんだろう。恋を忘れて、新しい一歩を歩むために。私を必要以上に傷つけないよう、遠回りに歩いてきたんだろう。
なら、答えは決まっている。
『はい、喜んで!』
私は精一杯笑って、お姉さんに抱きついた。ぽかぽかと暖かい、お日様の匂いがした。