今回はうっかり何時もの時間に更新するのを忘れてしまい申し訳ありませんでした(汗)
千里が晴嵐の筆を守り抜き、持ち帰ることに成功した。徹はそれを評価し、そして彼に更なる任務を与えた。
曰く、『そのまま晴嵐の筆を千里の手で管理せよ』……との事だ。
千里は先の戦いで自前の忍筆を失っている。その補填を兼ねると共に、今回マンダラを退けた彼を評価して総本山から秘宝の管理を命じられたのだ。
危険がないとは言えないが、千里の傍には徹に椿も居る。この2人が目を光らせる上に、千里自身も決して侮れない実力を身に着けつつあるとあれば卍妖衆も手を出し辛くなるだろう……と言うのが総本山の判断であった。
しかしこうなるとより盤石の体勢とする為、千里自身の戦力アップも視野に入れる必要が出てきた。その手っ取り早い一つの方法が、千里に専用の装備を与えると言うものであった。椿が使う大十字手裏剣の様な、千里の戦いを有利に進める為の何かが。
「……それで、南城君はどんな武器を使うの?」
そんな話を放課後、唯は七篠庵で千里・椿の2人から聞かされた。この店は相変わらず他に客が居ない。店長のジェーンは謎が多く信用するのは難しいが、普段からこっちの話を聞いているのかどうかも怪しい。現に今も、窓の外をぽけ~っと眺めている。
因みに今日のジェーンは以前来た時と違いチャイナドレスを着ていた。どうやらその日の気分によって服を変えているらしい。
そんな彼女を横目で眺めつつ、千里は考えている事を口にした。
「ん~、とりあえずシンプルに剣が良いかなって。流石に長谷部さんみたいな奴は俺には使い辛そうだし」
「拙者とてあれを直ぐに使えるようになった訳ではござらん。慣熟させる為に努力したのでござるよ」
専用の武器は希望の形状や機能の要望を総本山に送り、専属の職人が作り上げる物であるらしい。なのでものによっては相応に時間が掛かるし、要望内容によっては実現不可能と言われる物も出てくるとか。
「どんな物が出来ないの?」
「それは言ってみないと分からないけど……そう言えば昔、納刀状態で銃、抜刀状態で剣になる武器を要望した人が居たって聞いた事が…………」
「それは千里殿の母親の南城 楓殿でござる。技術的に無理だからダメと言われて泣く泣く普通の剣にしたとか何とか聞いた事があるでござるよ」
「誰から?」
「ご本人から」
そう言えば椿は千里よりも先に楓に師事していたのだと言う事を思い出した。お陰で椿は同年代では並ぶ者がいないほどの実力者となれた訳だが、千里はその事を少し羨ましいと思っていた。千里も楓から指導を受けたことがない訳では無いが、任務で各地を転々とする事が多かった楓の代わりに徹が千里の面倒を見ていた為、指導も彼が行う事が殆どだった。
こういう時、千里はちょっぴり椿に対して嫉妬する。
千里からの嫉妬に気付かないまま、椿はコーヒーを飲み干しカップをソーサーの上に置いた。
「ま、何にしてもまずは要望を出すところからでござるよ。と言う事で千里殿? お主どんな武器を所望するつもりでござるか?」
「どんな……って言われてもな~……」
改めて考えて、千里は沈黙した。と言うのも、漠然とだが考えていたのが正に先程椿により要望を却下されたと言われた、納刀状態で銃になる剣だったのだ。理由は勿論、カッコいいからだ。
だが勿論カッコいいだけが理由ではない。彼ら忍びの戦いの上で最大の弱点と言えるのは、遠距離への攻撃手段。手裏剣や苦無など投擲武器はあるが、それらはあまり遠くに離れると威力が落ちる。狙撃などの攻撃手段を行える長距離対応の銃があれば、そしてそれが剣にもなれば、遠近の戦闘で隙は圧倒的に少なくなる。
そう思っての要望だったのだが、それは無理だと椿により聞かされ要望が千里の中で宙ぶらりんになってしまった。
(どうすっかな~……)
「何か悩み事かしら~?」
「うぉっ!?」
武器の要望をどうするかで悩んでいると、一体何時の間に近付いて来たのかジェーンがすぐ傍に居て話し掛けてきた。自分の世界に没頭しかけていた千里は、強制的に現実世界に引き戻され飛び上がるほど驚いた。
「あ、いや、別に何でも……」
突然声を掛けられた。それも一応忍者である自分が、全く気配を察知する事も出来ずにだ。その事に彼は警戒する意味も込めて言葉をはぐらかした。それに対しジェーンは何を思ったのか、ニコリと笑みを浮かべるとコーヒーのお代わりを淹れて離れていった。
カウンターの裏に戻っていくジェーンの後ろ姿に、千里は大きく溜め息をつく。
「だは~~~~……」
「南城君?」
「ん? あぁ、大丈夫」
明らかに疲れた様子を見せる千里に、唯が心配する様に声をかけてくる。どうやらまだ先日のマンダラとの戦いで一度敗北した姿を見せてしまった事で、色々と不安にさせてしまったらしい。千里は何でもないように笑顔を作るが、唯の顔はまだ晴れなかった。
このままこの話題を続ける訳にはいかないと、千里は多少強引にでも話題を変えた。
そもそもここに椿と唯を呼んだのは、今後の戦力アップの事を考え千里の新装備を考える為なのだ。忍びとして格上であり既に専用装備持ちの椿に、忍びとは全く関係の無い唯。全く視点の異なる2人から案を得て、何かいい要望が浮かばないかと思っていたのである。
その場所としてここを選んだのは、やはり何だかんだで他の目や耳が無い事が理由だった。今も店には千里達3人しかいない。
「で、話題戻すけど武器どうするか……」
「南城君はどう言う武器が良いの?」
「一応ほしい物は大体決まってるんだよな~」
「それは?」
「遠距離武器」
千里が考えるのはやはりそこだ。もし仮に敵が飛行能力を持っていて、手裏剣や苦無が届かない上空から一方的に攻撃してきた場合千里に抗う術は無くなる。せめて上空や米粒にしか見えない距離に居る敵が狙える程度の遠距離を正確に射抜く武器は何か欲しかった。
しかしその為に接近戦を疎かにする訳にはいかない。忍者刀は標準装備なので何時でも使えるが、咄嗟の事態に即座に対応する事を考えたら銃と剣が一体化となった武器の方が好ましい。
だから千里は納刀状態で銃になる剣を所望しようとしていたのだが…………
「う~ん、それだとやっぱり銃って事になるけれど……長谷部さん、今までの忍者で銃を使った人っている?」
「居ない事は無かったと記憶しているでござるが……」
唯と椿が話し合う。案を纏める為か、唯は紙とボールペンを取り出し色々と書き込もうとしている。が、そもそも書ける事があまり見つからないのかボールペンは紙の上を走ることなく彼女の手の中でクルクルと回っていた。
千里はそれを何気なく眺めていた。唯の傷一つない白魚の様な指が、シンプルなボールペンをくるくる回す。
「…………あ」
「「あ?」」
突然千里が声を上げ、それを聞いた2人が議論を中断し彼の方を見る。二つの視線を受けても彼は気にすることなく、目を真っ直ぐ唯の手の中のボールペンに向けていた。
「ど、どうしたの南城君?」
「小鳥遊さん……ごめん、ちょっとそれ貸して?」
「貸すって、これ?」
何故か分からないが千里はボールペンを求めている。この何の変哲もないボールペンの何が彼の感心を引いたのかは分からないが、何か必要な事があるのだろうと唯は大人しく彼に持っていたボールペンを渡した。
ボールペンを受け取った千里は、まるで初めてボールペンを見た人の様に色々な角度から眺め、そして何度かペン先を出し入れした。
すると彼は何か納得したように頷いた。
「そうか……これだ!」
「南城君、何がこれなの?」
訳が分からず唯が問うが、彼はそれには答えずペンを唯に返すと荷物を持って立ち上がった。
「ゴメン、俺もう帰るから!」
「あ、南城君ッ!」
「ジェーンさん、これ御代!」
「は~い、ありがとうございました~」
慌てて店を出て行く千里の後ろ姿を、唯と椿は見送るしか出来なかった。店に残された2人は、ボールペンで彼が何を思い付いたのかが分からず互いに顔を見合わせて首を傾げるのだった。
***
翌日、学校で顔を合わせた千里と唯。唯は先日、何を思い付いたのかと千里に問い掛けた。
「南城君、昨日はいきなり帰ってどうしたの?」
「ちょっと案が浮かんでね。急いで要望を出してきた」
「ふ~ん……ボールペンから?」
「まぁね」
「どんなの?」
「それはまだ秘密」
茶目っ気を感じさせながら口を紡ぐ千里に、唯は納得いかないと言いたげに見ていた。が、その顔は普段の風紀委員としての厳しい顔ではなく、可愛らしさを感じさせる膨れっ面だった為迫力など皆無。それどころか寧ろ可愛さが際立つ顔だった為、千里は思わず笑ってしまった。
「ぷふっ!」
「え、ちょ、何で笑うのよッ!?」
「あ、や、ゴメンゴメン。ちょっと……ね」
思わず可愛くて笑ってしまったと言いそうになってしまったが、面と向かってそんな事を言うのは恥ずかしかったので千里は言葉をぼかしてしまった。そんな答えで唯が納得できる訳もなく、彼女は更に千里に詰め寄った。
「ちょっとって何よ、ちょっとって!」
唯が詰め寄り、千里がそれを宥める。その2人の光景は周囲からはとても目立った。何しろあの唯が、あんな風に感情豊かに誰かと話している光景など滅多に見られるものではないのだ。普段仏頂面で、笑っている顔よりも風紀を乱すものに対して怒る顔の方が印象に残っている唯が、あんな風に楽しそうに話している。元々見た目は整っている唯が、歳相応の少女として振る舞っている姿はそれだけでインパクトがあった。
しかもその相手は普段あまり目立つ方ではない千里なのだ。これで目立つなと言う方が無理がある。
周囲から注目を受けている事に気付かぬまま、2人は話しながら廊下の角を曲がろうとした。すると過度の向こうから誰かが出てきて2人とぶつかってしまった。
「うわっ!?」
「きゃっ!?」
「あ、ゴメンなさい!?」
ぶつかった相手は2人分の衝撃を受けて尻餅をつき、唯も反動で倒れそうになったがそれは千里が支えたことで事なきを得た。そして千里は、唯を支えながらぶつかってしまった相手に自分の非を認めて即座に謝りながらぶつかった相手を見た。
「あいたた……あぁ、大丈夫大丈夫。君達は? 怪我はないかい?」
2人がぶつかった相手は担任の加藤孝蔵先生だった。孝蔵は自分が尻餅をついているにも拘らず、ぶつかってしまった2人に怪我がない事を訊ねた。
「俺は平気です。小鳥遊さんは?」
「私も。ごめんなさい先生、大丈夫ですか?」
「いやいや、私も不注意だったよ」
そう言って孝蔵が立ち上がろうとしたのを見て、千里は彼に手を貸した。差し出された手を孝蔵は素直に取り、顔を顰めながら立ち上がった。
その際に千里は違和感を感じ、思わず首を傾げた。
「ん……?」
「南城君? どうかしたのかい?」
「……加藤先生、どこか怪我してます?」
「ッ!? な、何の事かな?」
「いや……何か、尻餅ついただけには見えなくて……」
まるでもっと大きな怪我を堪えているような顔の顰め方。握られた手に込められた力も、手に浮かんだ汗もどこか普通ではない事に千里は違和感を感じずにはいられなかった。
違和感の正体が分からず思わず問い掛けてしまった千里だが、孝蔵はそれには答える事はせず立ち上がると何時もの爽やかな笑みを浮かべて手を放した。
「すまないね、少し考え事をしていたんだ。私は大丈夫だから、気にしないでくれ。それじゃ」
孝蔵はそう言うとそそくさと2人から離れていった。何処か違和感を感じるその姿に、千里だけでなく唯も思わず首を傾げるのだった。
***
2人の元を離れた孝蔵は、足早に廊下を歩き校内で人気のない場所へと向かう。途中何度か女子生徒が黄色い声を上げ、それに適当に答えながら校舎の端のこの時間なら人の居ない場所へと辿り着いた。
周りに誰も居ない事をしっかり確認する。この時間ならここに来るものなど居ないと分かってはいても、不良の馬鹿どもが来ないとは限らない。
誰も居ない事は確実だと確信した瞬間、孝蔵はそれまで浮かべていた穏やかな表情から一転、怒りと憎しみで歪んだ顔で壁に手をついた。
「くそ……!? コガラシめぇ…………!?」
憎々し気にコガラシ……千里への怒りを露にする孝蔵。その様子には普段の生徒に見せている爽やかな教師としての面影は微塵も無かった。
「このマンダラが、あんな小僧に後れを取るなど……!?」
孝蔵……否、卍妖衆の忍者マンダラは、先日コガラシとの戦いで付けられた傷がまだ完全には癒えていなかった。日常では気合で不調を見せないように隠しているが、それでも時折こうして隠し切れなくなることがある。そういう時は決まって人気のない場所に来て、痛みが去るのを待った。
そんな彼に、物陰から声が掛けられる。
「よぉ、辛そうだな?」
「誰だッ!?」
孝蔵が鬼気迫る顔で声のした方を睨めば、影から浮き上がる様にゲッコウが姿を現した。声を掛けてきたのが彼だと分かると、孝蔵は殺気を納めて小さく息を吐く。
「お前か……驚かすな」
「悪いな。で? コガラシにやられたって傷はまだ痛むのか?」
「見れば分かるだろうが……!?」
「辛いなら休んで傷癒せよ。休まなきゃ治るものも治らないぜ?」
ゲッコウが孝蔵を気遣う様に言うが、孝蔵は鼻を鳴らして顔を背けた。お前の指示など聞かん、とでも言いたげだ。
その様子にゲッコウは大きく溜め息をつくと、懐から傷薬を取り出し放って渡した。彼特製の傷薬だ。徹も認めた効力の傷薬を、孝蔵は難なく片手でキャッチした。
「んん?」
「俺の手製の傷薬だ。それ使って少しでも早くに傷治しな」
これ以上ここに居ても仕方ないと、ゲッコウは影の中に潜りその場から去ろうとする。しかしそれに孝蔵が待ったをかけた。
「待て」
「あ?」
「コイツに写経の術で色々と教え込んでおけ。使える」
そう言って孝蔵が1枚の写真を放ると、ゲッコウはそれをキャッチし写真に写った人物をしげしげと眺めた。暫くして、ゲッコウは興味なさそうに写真を孝蔵の足元に放り投げた。
自分の足元に戻ってきた写真を一瞥し、孝蔵はゲッコウを睨み付ける。
「何のつもりだ?」
「興味ねぇ。大体俺は写経の術とかが嫌いなんだよ。それに頼る軟弱な連中もな」
言いながらゲッコウは水に入る様に影の中に潜っていく。
「やりたいなら勝手にやってろ。俺は俺で好きに動く」
その言葉を最後にゲッコウは影の中に入り込み、そして影を伝って何処かへと消えてしまった。孝蔵は暫し彼が消えた影を睨み付け、そして苛立ちを発散する様にそこに向けて苦無を投げつけた。
***
先日のマンダラとの戦いが嘘の様に、千里と唯は平和な日常を過ごしていた。と言っても彼らの身分は学生なので、勉強は忙しいしテストもある。
唯は優等生なので常に学年のトップを争っているが、千里は極力目立たないようにと上過ぎず下過ぎない、中の上辺りをフラフラとしていた。
そんな彼でも、隠し切れない優れた分野はある。
「南城君……やっぱり字、上手だね」
「え?」
学がノートを見せてほしいと言うので千里がノートを開いていると、後ろから唯が声を掛けてきた。思わぬところから唯に話題を振られ、千里は束の間言葉を失う。
一方ノートを見せてもらっている学は、自分の物ではないのに自慢する様に胸を張った。
「だろぉ? 南城の字ってめっちゃ見やすくて、黒板写すよりもやり易いんだよ」
「うん、分かる」
実際、千里のノートに書かれた文字は達筆で非常に見やすい。しかもうまい具合に纏められているので、ただ文字が綺麗と言うだけでなく内容が頭に入り易いのだ。
学は決して授業をサボる方の人間ではないが、黒板を写すよりも千里のノートの内容を見た方が授業の内容が頭に入ってくる為こうして彼からノートを見せてもらう事が多かった。
(これってやっぱり忍者だからかな?)
話を聞く限りだと、千里達忍者が術を使うには字を素早くかつ綺麗に書かなければならない。目にも留まらぬほどの速度で書いてあの達筆さなのだ。普通の速度で書けばそりゃ見やすい綺麗な文字になるに決まっていた。
飽きもせず千里の字で書かれたノートを眺めている唯を、学は暫し眺めそして千里と彼女を交互に見比べるととんでもない事を口にした。
「なぁ、南城と小鳥遊さんって付き合ってるの?」
「「えっ!!」」
突然の爆弾発言は、千里と唯だけでなくクラス全体に波及した。美少女だが厳しく近づき難い雰囲気の唯と、特に話題に上がる事の無い地味な千里の組み合わせはそれだけで衝撃的だったのだ。
「な、何言ってるの山崎君ッ!」
「そ、そうだよっ! 何を根拠に俺と小鳥遊さんが……!」
「いやだって、ここんところ2人一緒に居る事多いじゃん? 帰りなんて南城、部活やってないのに態々小鳥遊さんが終わるまで待ってるし」
「それは、えと、その……」
確かにここ最近、千里は唯に帰りの時間を合わせていた。それは彼の修行に彼女が付き合ってくれているからであり、同時に彼女を守る為でもあるのだが、それを正直に言う訳にもいかないので口を噤むしか出来る事は無かった。
それが却って周囲の興味をそそり、気付けば2人の周りにはその関係に興味を抱いた生徒達の輪が出来上がっていた。
「なになに? 南城君と小鳥遊さんってやっぱりそう言う関係なの?」
「マジか~!? まさか南城に先越されるなんてッ!?」
「高嶺の花の風紀委員に地味で大人しいメガネ男子……アリね!」
「いや分かんねえぞ? 普段大人しいだけでメガネ取ったら化けの皮剥がすかも……」
教室の中は千里と唯の関係で大いに沸き立っていた。ここに居るのは年頃の少年少女達、その手の色恋の話題には特に敏感な世代だ。その中心に居る人物が普段他人に対して好意など欠片も抱かない唯と、何を考えているのか分からない千里ともなれば猶更だった。
こんな所で術を使う訳にもいかず、周囲を取り囲まれている為逃げ場も無い。そもそも今は休憩時間でありまだ授業は控えている。結果千里と唯の2人は、周囲からの好奇の目と質問攻めにタジタジとなっていた。
その様子を椿が集団から離れた位置で眺めていた。彼女は特に2人を助けるような素振りも無く、姿の見えない2人に小さく溜め息をついている。
(やれやれ、千里殿も小鳥遊殿も大変でござるな……)
椿にとってはこの状況は完全に対岸の火事。特別興味も無ければ、助けに入るつもりも毛頭ない。精々勝手にやっててくれと言った感じで、欠伸をする余裕すらあった。
(…………おや?)
欠伸をしながら何気なく視線を巡らせれば、自分と同様に集団の輪に混じっていない女子生徒の姿があった。教室内には他にも喧騒が苦手だからか興味ないからか、輪には混ざらず思い思いの時間を過ごしている生徒が他にもいる。それは別にいいのだが、椿が気になるのはその女子生徒の目であった。
まるで親の仇を見るかのような、憎悪を感じさせる視線。自分に向けられている訳でもないのに、椿は背筋が冷えるのを感じた。
再び欠伸をして背筋を伸ばす振りをして、立ち上がり集団の中心の千里を見れば彼も向けられる邪な感情を含んだ視線に気付いているのか警戒する様にキョロキョロとしている。それを見て椿は再び女子生徒を見ると、その生徒は既に視線を集団から外していた。
(確か彼女は…………あぁ、
丸い眼鏡を掛けた、如何にもガリ勉女子と言った風貌の里香はまるで集団には興味がないと言いたげに手元の参考書に目を通していた。
椿は椅子に座り直しながら、里香に関する情報を引き出していく。
間宮 里香……決して怪しい背景のある生徒ではない。両親は普通、彼女自身も特に悪い噂の無い、良くも悪くも何処にでもいる少女だ。少なくとも卍妖衆と接点を持つような少女ではない。
強いて言える事があるとすれば、彼女は常に学年上位の成績を狙っていると言う事だろうか。テストの成績では常に上の中に位置し、クラスでも上位に入る成績優秀者であったはずだ。
そんな彼女が、千里か、唯か、それとも両方に対して憎悪を感じさせる目を一時とは言え向けていた。椿は解せないものを感じずにはいられず、里香を見る目を薄っすらと開いた。
そうこうしていると、授業開始のチャイムと共に教師が教室に入って来た。騒ぎはそれを合図に終わりとなり、解放された2人は精神的な疲労と安堵で溜め息をついていた。
椿はそんな2人にやれやれと言いたげな視線を向けていたのだった。
***
その日の放課後、千里と唯は何時も通り2人で下校していた。一応一目を気にして、校門で待ち合わせる事はせず千里は一足先に校舎を出て姿をくらまし、唯が下校し始めるとそれとなく彼女に合流して帰路に就いた。
千里が音もなく隣にやってきた事に気付くと、唯はやっと解放されたと言いたげに大きく溜め息を吐いた。
「はぁ~……何か今日は大変だったな~……」
「変に勘繰られちゃたからね。何かゴメン、付き合わせちゃった所為で迷惑掛けちゃったみたいで」
「あっ!? ゴメン、そんなつもりじゃないの! ただ今なら本音言えるし、付き合ってるのは私の意思なんだし……」
千里が謝ると唯が慌てて言葉を補足した。唯は別に千里を責めるつもりは微塵もなく、ただ騒がれた事が疲れただけであった。と言うよりむしろ、千里とそう言う関係だと思われた事自体は好ましいと思っていると言うかなんというか…………
(……って! 何考えてるの私ッ!? 私は、そんな……)
唯は視線を隣の千里に向け彼の横顔を眺めた。彼もまた唯との関係を変に勘繰られ、騒がれた事に疲れたのか中空を見ながらふぅと息を吐いている。
そんな彼の姿に唯は胸が温かくなるのを感じた。彼を見ていると、近くに居ると意味もなく心が安らぐ。それが心地良くて、もっと彼を見ていたくなる。
先程の事があって、千里は今日は待ち合わせはしないと言ってきた。最初それを聞いた時唯の心は露骨に落ち込んだが、直後に道中で合流すると言われその気持ちも消え去った。何時もの様に待ち合わせていると更に勘繰りが加速しそうだし、さっきの事もあって待ち伏せる奴も居るだろう。それを避ける為、千里は道中で合流する事を選んだのだ。
全ては唯を気遣うが故の事。彼女がこれ以上不快な思いをしないようにと、千里は少し面倒だが一足先に校舎を出て唯が下校するタイミングで道中の彼女と合流したのである。
自分を気遣う千里の心配り、思い遣りが嬉しくて唯は胸にほっこりした温かさが広がるのを感じずにはいられなかった。
その温かさの正体が何なのか、はっきりと言い表す事が出来ず困惑した。
(な、何だろう、これ? 私、南城君……”千里”君の事……)
胸の中で千里の事を苗字ではなく名前で呼んでみると胸の温かさが増した。温かさはどんどん心に広がり、堪えきれず口を突いて出ようとした。
「ぁ……千r――」
千里の事を名前で呼ぼうとした唯だったが、その瞬間彼が足を止め腕で彼女の行く手を阻んだ。無言の止まれと言う指示に、唯は言葉を飲み込み困惑した。
「ッ、え? 何?」
突然歩みを止めさせられ困惑しキョロキョロとする唯だったが、怪しい人物は見当たらない。だが千里の様子は明らかに何かを警戒していた。鍛えた千里だけが気付ける違和感…………それが意味するものに気付いた唯は、一気に緊張しゴクリと唾を飲んだ。
その音を合図にしたように、茂みの中から何かが飛び出した。飛び出した何かは一直線に2人に向け飛んでいき、それに気付いた千里は唯を抱きかかえて飛び退いた。
「くっ!」
「きゃっ!?」
千里は唯を抱きしめて倒れ込むように飛び退き飛んできた物を回避した。一緒に倒れ込みその衝撃に一瞬顔を顰める千里だったが、一方の唯は今の状況に激しく動揺していた。それは攻撃を受けたからではなく、千里に抱きしめられたと言う状況に対してだ。
(あわわわわっ!? せ、千里君、顔が近い……!?)
抱きしめられた結果、千里と唯の顔が急激に近付く。目の前に迫った千里の顔に唯は思わず頬を赤く染めたが、千里はそんな彼女に気付かず手を放すと忍筆を構えながら飛んできた物を見た。
その際唯は一瞬残念そうな顔をする。
「ぁ……」
「くっ! 今のはッ!」
千里が見るとそこにあったのは茂みから伸びた白い糸に繋がった網だった。網はまるで蜘蛛の巣の様な形で、敵が何なのか千里は直ぐに分かった。
「卍妖衆、クセジか……」
その予想が正しいと言う様に、糸が巻き取られ茂みから下手人が姿を現した。
果たして現れたのは、蜘蛛人間と言うべき見た目の怪人・クモクセジであった。短い毛に覆われ、顔に幾つもの複眼を持ったその姿に唯は嫌悪感から引き攣った悲鳴を上げる。
「ヒッ!?」
「小鳥遊さん、下がって。執筆忍法、変身の術ッ! コガラシ、変身ッ!」
【忍法、変身の術ッ! 夜の声、しのぎ削りし、忍ぶ者……コガラシッ! 達筆ッ!!】
唯を下がらせた千里はコガラシに変身すると、腰から忍者刀を抜き斬りかかった。迫るコガラシを、クモクセジは両手を広げて迎え撃つ。
「ゼヤァッ!」
コガラシの鋭い斬撃がクモクセジに炸裂する。不気味な事にクモクセジはコガラシの攻撃を回避も防御もせず、何度も体を切り裂かれていた。その様子に傍から見ていた唯は違和感を覚える。
「何だろう? あのクセジ、何か…………」
一見するとコガラシが一方的にクモクセジを攻撃しているように見えるが、何かがおかしい。唯は両者の戦いをジッと見つめていると、傾いた夕日が戦うコガラシの姿を照らし出す。
その瞬間、唯はコガラシの周りに何かが煌めいたのを確かに見た。それを見た彼女は、クモクセジの狙いに気付き警告を口にした。
「ッ!? 南城君、逃げてッ! そこはダメッ!?」
「ッ!」
【忍法、空蝉の術ッ! 速筆ッ!】
唯の警告はコガラシに届いた。それを聞いた彼は何故と問う間も惜しいと言わんばかりに、急いでその場を離れるべく空蝉の術を使った。彼の体を見辛い極細の糸が捉えたのはその直後。戦いの最中クモクセジが伸ばしていた極細の糸が、四方八方からコガラシの体を捉えようとしてきた。しかしそれらの糸が彼の体を拘束しようとした瞬間、彼は煙となって消えクモクセジから離れた場所に姿を現した。
「ひぇぇ~、見辛い糸の結界か。気付くのが遅れたら雁字搦めだったな」
コガラシは危険にいち早く気付き教えてくれた唯にサムズアップで感謝を示した。それを見て唯も嬉しくなり、笑顔でサムズアップを返す。
その2人のやり取りに、クモクセジが殺気を発した。まるで2人に嫉妬したかのようだ。どうやら仲が良さそうなコガラシと唯が羨ましいらしい。随分と人間臭いクセジだ。まぁ元は人間だから当然なのだが。
「さて、接近戦は危ないな。かと言って手裏剣や苦無だと力不足だし……」
今までだったら風遁の術で力技で切り開いたのだろうが、今の彼には秘宝の筆がある。この筆の力を借りれば、この状況を打破する一撃をお見舞いする事も可能だ。
「見えない糸の結界が何処まで広がってるのかは分からないが、これならどうだ!」
【忍法、火遁の術ッ! 速筆ッ!】
コガラシが選んだのは火遁の術。劫火で糸の結界を焼き払おうと言うのだろう。しかし蜘蛛の糸は耐熱性にも優れている為、火遁の術一つ程度で焼き払うのは難しい。
だがそれが一つでは無かったらどうだろう? 二つ、三つ……いやもっと沢山の火球を一度に放ち、周囲を焼き払う勢いでお見舞いすれば? きっと糸の結界だろうと何だろうと構わず焼き払う事が出来る。
晴嵐の筆の力で執筆速度が上がった事で、コガラシは同時に幾つもの火遁の術を描けた。10を超える火遁の文字が一斉に高温の火球をクモクセジに向け放ち、道中に存在する糸の結界を焼き払って突き進んだ。
「ッ!? くっ!」
これは防げないとクモクセジは地面をひっくり返して地面の下に潜って逃げた。その直後コガラシの火遁の術が着弾し、張られていた糸の結界を焼き払う。
術を放ったコガラシは、クモクセジの気配が消えていくことに逃げた事を察し、構えと変身を解いた。
「逃げられたか……逃げるだけの判断力があるって事は、アイツ乱心の術は使われてないな? 一体誰が……」
戦いの最中、千里はクモクセジから妙な気配と言うか視線の様な物を感じていた。敵意や殺意とは違うが、しかし全身にねっとりと絡みつくような不愉快な視線。戦いにそんな視線や感情を持ち込むとは、変異前は一体どんな人物だったのか?
1人考え事をしている千里に、戦いが終わった事で安堵した唯が近付いてきた。
「南城君、大丈夫?」
「ん? あぁ、小鳥遊さん。うん、俺は何ともないよ。それよりさっきはありがとう。お陰で助かったよ」
あの時、唯が警告してくれなければ千里はクモクセジの糸の罠に嵌ってしまっていただろう。彼は己の未熟を恥じると共に、彼女の的確な支援に感謝していた。
「ぁ……えへへ、良かった……!」
自分が彼の役に立つ事が出来、そして彼から素直に感謝される。その心地良さに唯は頬を赤く染め顔を自然と綻ばせた。普段の唯なら絶対に見せないだろうはにかむ様な笑みがとても可愛らしくて、千里は束の間彼女の浮かべる笑みに見惚れてしまっていた。頬が赤いのは、きっと赤い夕陽に照らされたからだけではないだろう。
互いに顔を赤くしながらも視線をあちらこちらに彷徨わせる2人の間に、何とも言えぬ甘酸っぱい雰囲気が漂っていた。お互い相手に何と言えばいいか分からず沈黙してしまうが、決して居心地が悪い訳では無い。寧ろ共に相手がここに居る事が心地良くて、この時間が続けばとすら思ってしまう。
そんな時間は遠くから聞こえてきたサイレンの音で唐突に破られた。考えてみれば先程の戦いでコガラシは派手に炎を使った。その炎か煙を見て、周辺の住人が消防か警察を呼んだのだろう。
何時までもここに居ては無用な厄介事に巻き込まれてしまう。それを察した千里は急いで家へと向かうべく唯の手を引いた。
「行こう、小鳥遊さん!」
「うん!」
千里に手を引かれて、唯は彼の家へと向かって行った。その道中、彼女の視線は自分の手を掴む千里の手に向けられていた。
急いでその場を離れていく千里と唯の2人。その様子を物陰からジッと見つめている者がいた。
「~~~~ッ!?」
薄暗がりの中から2人の様子を見るその人物は、嫉妬と憎悪を孕んだ目をし、右手の親指の爪を割れるくらいの力で噛んでいるのだった。
と言う訳で第11話でした。
マンダラの正体あっさりと判明です。千里達の担任教師がマンダラでした。ただ千里は勿論椿もその事には気付いていません。
執筆の糧となりますので感想評価その他よろしくお願いします!
次回の更新もお楽しみに!それでは。