千里達が住んでいる街から電車を乗り継いで漸く辿り着く、郊外にある林の中。周囲を自然に囲まれたそこを、千里が新たな武器を手に駆け抜けていた。
「はぁ! はぁ! はぁ!」
ジャングルの中と言う程ではないが、それでも決して足場が良いとは言えない林の中。山の斜面にあるそこは地面が傾斜しており、更に土の下からは不規則に岩や木の根が顔を出し駆け回るには不適切な場所だが千里は片時も走る速度を緩めず木々の間を縫って駆けている。
その時、突如千里が足を止め近くの木の陰に身を隠した。すると直前まで彼が居た場所の傍にあった木に手裏剣が幾つか突き刺さる。
「ふぅ……」
あと一歩反応が遅れていたら手裏剣により切り裂かれていたと、千里は冷や汗を流しつつ気の影から半分ほど顔を出す。視線の先には、手裏剣を投擲してきた椿の姿が見える。
千里は隠れている木を盾にするようにしながら銃を構え引き金を引く。左手で銃身を押さえて引き金を引くと、銃身上部の銃口が火を噴き銃弾が椿に向け飛んでいった。
人気のない林の中、鋭い銃声が響き渡る。
林の中を反響してコダマになりながら林の奥から聞こえてきた銃声に、唯は作業の手を止めて林の中を見た。
「あ、また……」
「なかなか粘るでござるな~」
唯の傍には彼女の護衛も兼ねて椿が居た。そう、今千里の相手をしている椿は分身で、こちらが本物の椿であった。
今日は土曜日。千里と唯、椿の3人は、千里の新たな武器である”
最初は千里が1人でここに来る予定だったのだが、それだと唯が無防備になるからと椿に唯の護衛を頼もうとした。しかし唯は千里と離れる事を渋り、それならば皆で一緒に行こうとこうして3人で林に来ていた。
今唯は椿と共に、昼食の準備をしている最中であった。
持って来た携帯コンロの上にカレーの入った鍋を置き、火にかけてお玉を回している唯。その隣では椿が焚火の上で飯盒炊飯で米を炊いていた。
時折聞こえてくる銃声を聞きながら、唯は自然の匂いに混じるカレーの香りに顔を綻ばせる。思えばこんな風に自然に囲まれるなど何時以来だろうか。子供の頃は夏休みに家族でこんな場所に来て、キャンプやバーベキューを楽しんだ様な気がするがどんな感じだったかはもう忘れた。
自然の中での調理を唯が楽しんでいると、手持ち無沙汰になったのか椿が話し掛けてきた。
「そう言えば小鳥遊殿?」
「何?」
「小鳥遊殿は千里殿の事をどう思っているでござるか?」
「…………はい!?」
何気ない椿からの問い掛けに、一瞬唯は何を言われているのか分からず固まった。だが耳から入った言葉が脳まで浸透し、言葉の内容を理解した瞬間弾かれた様に椿の事を見た。見ると彼女は眠っているのかと言う程細めた目の端を下げて、口元は猫の様に中心と端が吊り上がる器用な形になっていた。
「いや前々から思っていたのでござる。小鳥遊殿、千里殿が関わると熱意の入り具合が尋常ではなくなる故、何やら特別な感情でもあるのではないかと」
「そ、それは……!? あ、えっと……」
改めて椿から問われ、唯は己の心と向き合った。自分は千里の事をどう思っているのか。
好いているのは間違いない。彼と共に居ると、心が安らぎ満たされる様な気になる。先日彼に抱きしめられた時などは、恥ずかしいと言う気持ち以上にこのままこの時間が続けばいいのにとすら思ってしまっていた。
だが椿が本当に聞きたいのはそれだけではないだろう。ズバリ、千里に対して恋慕の情を抱いているか否か、と言う事を聞きたいのだ。
千里に対して恋慕を抱いているか。自分の心と向き合って考えてみるが、唯にはその心を上手く言葉に出来る自信がなかった。
切っ掛けは間違いなく、初めて千里が変身するのを見た時だろう。あの時、彼は周囲を取り囲んでくる影忍を前に立ち塞がり、唯に正体がバレる事も覚悟の上で変身し影忍とクセジを蹴散らしてくれた。しかもその前には体操着を切り裂かれた際素早くジャージを掛けてくれたし、まだ彼の正体を知らない時にも下忍から守ってくれた。
恩義を感じると言う意味でも、千里に対して特別な感情を抱いている事を唯は自覚していた。
だがそれが純粋な恋愛感情かと言われると、唯はそれを言葉にする事が出来なかった。彼に好意を出会う切っ掛けが、危険が傍に迫っていた時だからだ。それはつまりただの吊り橋効果で、その場の雰囲気と興奮で流されただけなのではと思えなくもないからである。
(南城君は純粋に人助けの為に、危険を冒してくれてる。そんな彼に、不純な感情を向けたくない……)
唯は恋愛と言うものに対してとても慎重だった。普段から風紀委員として、如何わしい本は勿論男女の交際に対しても厳しい目を周囲に向けている。そんな自分が、不純異性交遊に耽るなどと言う愚は許せない。何よりもそんな不純な気持ちで彼の覚悟を穢す事が我慢ならなかった。
押し黙る唯の姿を椿は薄っすらと目を開けて眺めていた。まるで品定めするような目。それは唯の中に渦巻く感情を見極める目であった。
(ふ~む……小鳥遊殿は身持ちが固いと思っていたが、これ程とは……。いや、これは度を超えて初心なだけか……)
唯の様子を見て居れば分かる。彼女は間違いなく千里に対して恋慕の感情を抱いている。だが彼女はその自分の気持ちを理解する事を恐れているように感じられた。
それはきっと、普段風紀委員として厳しくあろうと自分を律する気持ちの裏返し。自分にも他人にも厳しい唯は、他人の不純異性交遊に常に厳しい目を向けている自分が不純異性交遊にのめり込む事を恐れているのだろう。
何とも難儀な性分である。
(ま、拙者には関係の無い事。第三者が横から口を挟むのも野暮でござろう)
別に椿としては、千里と唯が付き合う様な事になろうと何も気にする事は無い。付き合うなら勝手に付き合えばいい。
そんな事を考えていると、気付けば銃声は止んでいた。そして林の奥から、千里が腕で汗を拭いながら出てくるのが見えた。
それを見て唯はそれまで神妙に悩んでいたのが嘘の様な笑みを浮かべて手を振った。
「あ、南城君!」
「お待たせ」
「納得いく出来でござったか?」
「あぁ、申し分ないよ」
千里は満足そうに頷き、背中に背負った轟雷を見やる。その目には確かな自信が見て取れた。
色々と納得した様子の千里に、唯は荷物からタオルとスポーツドリンクを取り出し彼に手渡した。
「南城君、はいこれ」
「あ、ありがとう」
「うん……!」
唯からタオルを受け取り汗を拭いつつ、ドリンクのキャップを開け中身を喉に流し込む。たっぷり動き回って汗をかいた体に、スポーツドリンクの清涼感が心地いい。乾いた砂に水が沁み込む様な感覚に、千里はボトルの中身を一気に飲み干してしまっていた。
そして喉の渇きが癒されると今度は空腹が訴え始める。千里の腹から空腹を告げる音が唯の耳に届いた。
「あ、ごめん……」
「ううん。ちょっと待ってて、もうすぐ出来るから」
唯は仕上げの為鍋に向かい、千里は適当な所に腰掛け皿に白米とカレーを盛りつけていく唯の姿を眺めていた。その彼の目にも、隠し切れない恋慕の情が見て取れた。
先程、椿は千里と唯が付き合うなら勝手にしろと思った。だがこの光景を見せられると、その考えに少し訂正を加える必要性を感じずにはいられなかった。
(お互い想い合っているのだから、さっさと付き合ってしまえばいいのに……)
椿の内心など知る由もなく、戻ってきた千里を交えての昼食となった。
鍛錬でたっぷり体を動かした千里は、空腹と言う事も手伝って唯手製のカレーの味に感激した。美味くて美味くて、スプーンを動かす手が止まらない。
「うんめぇっ! これ、小鳥遊さんが作ったの?」
「うん! 口に合ったみたいで良かった」
「うん、メチャメチャ美味いよ! サイコー!」
千里はあっという間に皿に盛られたカレーを平らげ、二杯目を要求した。そんな彼に苦笑しながら、椿が米を盛り唯がカレーを掛けていく。
暫くは自然の中での食事を楽しんでいた千里達だが、和気藹々としてばかりではいられない。今日ここに集まったのは、千里の新武器の慣熟もそうだがそれと同時に先日逃がしたクモクセジ……里香に関する調査内容を報告し合う事も目的としていたからだ。
「それで、千里殿? 間宮殿はあれからお主に対して何か動いたでござるか?」
「長谷部さんも知ってるでしょ?」
唯のカレーに幸せそうな顔をしていた千里だが、里香の事を話題に出されてげんなりした顔になる。それと言うのも、先日のクモクセジとの戦いの後から里香が更に千里にアプローチしてくるようになったのだ。
具体的には、曲がり角などで偶然を装って千里にぶつかって抱き着いたり、授業の合間に千里にノートを見せてもらおうとしたりだ。
その際の唯に対する敵愾心は今まで以上に露骨で、授業の合間など千里の近くに唯が居ると彼女を押し退けて千里に迫るほどだった。そんな事されて当然唯も面白い訳がなく、日に日に里香に対する嫌悪感が増していった。
「な~んで俺、間宮さんにあんな迫られてるんだろ……。俺あの人とは数える程度にしか話した覚えないぞ?」
「その数える程度の中に、間宮殿が千里殿に惚れる切っ掛けがあったのではござらんか?」
「惚れ……!?」
「どうだろ? 俺の視点からじゃ、そんな大した事があった気はしないけどな~?」
椿が何気なく口にした惚れると言う言葉に唯が反応するが、千里の興味は里香が自分に迫る切っ掛けに向いていたので気付いていない。その事に唯は安心したような残念なようなと言う複雑な心境になり、彼に気付かれない所で溜め息をついた。
しかし、唯も確かに気になった。里香は一体千里の何処に惹かれたのだろうか? 現在進行形で彼に惹かれている自分が言うのもおかしいと思わないではなかったが、それにしたって唯が千里に惹かれる切っ掛けとなったのは危険から身を守ってくれたからだ。千里の口ぶりから察するに、里香に対してそんな事をした事実は存在しない。
こうなると何が里香をそこまで突き動かしているのか分からなかった。少し前までの千里に対する印象は、地味で目立たないごく普通の男子と言う程度。彼が忍者であると言う事を知らなければ、ここまで興味を持つ事も無かった筈だ。
そこまで考えて、唯はある事を思い出した。
「ぁ……そう言えば……」
「何? どうかした?」
「あの、間宮さんが南城君にノートを見せてもらってる時だけど……」
「うん?」
「何と言うか、あの時の間宮さんの目が普段と違ったような気が……」
そう、前述した唯を押し退けてでも千里にノートを見せてもらっていた時、里香の目が不自然な位輝いていた事を思い出したのだ。その目は憧れの俳優や美しい宝石を前にした時の様な、心を奪われたようなうっとりとした感じの目をしていたような気がする。
もしやそこに里香が千里に惹かれる要因があるのだろうか。
「ねぇ南城君、もっと前に間宮さんにノート見せた事ある?」
「ん~~……流石にそこまでは覚えてない、かなぁ? 別にノート位は何時でも誰にでも見せてきたし……」
そりゃそうだろう。同じクラスメート同士でノートを見せあう事等至って普通。特別な事など何もない。流石にそんな事をいちいち覚えているほど、彼もマメな性格はしていなかった。
そもそもの話、里香が本当にクモクセジの正体なのかと言う疑問もあった。誰も彼女がクモクセジに変異した瞬間は見ていないし、証拠の類も見つかっていない。そんな状況で彼女が犯人であると決めつけるかのような事は流石に気が引けた。
「間宮さんがクモクセジなのかな……? 長谷部さん、何か分かった?」
「……残念ながら。ここ最近間宮殿を見張っていたが、怪しい動きは見られなかったでござる」
椿の忍者としての腕は千里を超える。その椿が尻尾を掴めなかったとなると、里香は無関係でクモクセジは別に居るか、里香が2人の目を欺けるほどの手練れと言う事になってしまう。
これまで普通のクラスメートとして接してきた相手なので、千里としては前者であってくれと思わずにはいられない。
だが悲しいかな。里香から積極的にアプローチを受けている千里は、彼女の行動から前者と決めつける事はどうにもできなかった。
「南城君は、どうなの?」
「……怪しい動き自体は見た覚えないよ。ただ…………」
「ただ?」
「曲がり角から飛び出してくる時…………俺、間宮さんの気配に全然気付かなかったんだよ。特に気を抜いてた訳じゃないのに……」
千里からの情報に椿も唯も真剣な表情になる。忍びである千里ですら気配に気付けなかった。それは同業者やそれに連なる技術を身に着けた者、即ち写経の術で隠密に長けた術を手に入れたと取る事が出来るからだ。
しかし気付けなかったからと言って、それが即里香を黒判定するに足る材料かと言われるとそれも微妙なところだ。その程度であれば――ちょっと失礼だが――存在感が希薄と言う見方も出来るからである。
だから現時点では、里香はやや黒よりの灰色と言うのが妥当な判定であった。
他に里香を卍妖衆と繋がりがあると断定する材料がない為、議論は行き詰る。
「ん~~~~…………だぁっ! ダ~メだ~、これだけだとどうにも…………」
「白黒はっきりさせたいところだけど……」
「これだけだと、難しいでござるな」
3人は額を突き付け合う様にしてうんうん唸りを上げる。いっその事直接問い質してしまえれば楽なのだろうが、それでもし白だった場合大問題だ。何より無実の人間を疑って掛かるのは結構精神的に来る。
川のせせらぎと風に木々が揺れる音を聞きながら、満腹感を感じつつ悩む千里達。
暫く悩んでいた3人だったが、唐突に千里が膝を叩いた。
「よしっ! もうこうなったら、これで行くしかないか」
「これって?」
「千里殿、何か妙案が?」
「正直、気は進まないんだけどさ……」
名案が浮かんだと言うより、やりたくはなかった案を出さざるを得ないとでも言うかのように力無く笑う千里に唯と椿が首を傾げる。
頭にハテナマークを浮かべる2人に、千里は簡単に自分の考えた案を説明する。それを聞いた2人の反応は対照的だった。
「そんなの……!?」
「ふむ、まぁそれがある意味一番ではござるか」
唯は否定的なのか顔を顰め、椿は肯定的なのかなるほどと顎に手を当てている。
2人の反応……とりわけ唯の反応を予想していた千里は、頬をかきながら力のない笑みを浮かべていた。
「小鳥遊さんの言いたい事も分かるけどね。ただ直接聞けない以上、もうこうするのが手っ取り早いんだよ」
「それは……そうかもしれないけど……」
頭では理解できるが心が納得していないと言いたげな唯の様子に、千里はどうしたものかと頭を悩ませる。ここは何とか唯に納得してもらわなければならないのだが、どんな言葉を掛ければ良いのか思いつかなかった。
悩む千里に、見兼ねた椿が助け舟を出した。
「心配せずとも、間宮殿は恐らく黒。黒である事を確定し問い質す証拠が手に入ればそれで終わりでござる。小鳥遊殿が心配するようなことは何もないでござるよ」
椿の言葉に唯はそれでも面白くなさそうな顔をし、頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。それは表面上だけでも納得はしたと言う意思表示であり、同時に自分はその案を認めた訳では無いと言う意思表示でもあった。
今の千里にはそれだけで十分なのか、肩の力を抜き小さく溜め息をつく。
そして、休日が明けた翌週から千里の作戦が実行に移された。
それは…………
「あ、間宮さん、大丈夫?」
「南城君……! うん!」
先生から頼まれたプリントの山を運んでいた里香を、気付いた千里が咄嗟に支える。千里からの手助けに、里香の顔には花が咲いた様な笑みが浮かんだ。そのまま2人は並び立ち、プリントを運んでいった。
これが千里の考えた案。即ち、今まで敬遠していた里香に対して、今度は千里の方から近付いてやろうと言うのだ。
里香の千里に対する色目は明らか。そしてクモクセジの出現と里香の変化は同時期。どう考えても無関係ではない。
そんな彼女に千里から近付き、油断させて尻尾を掴もうと言うのが彼の考えた案であった。早い話が囮作戦だ。
この作戦の為千里は、里香からの熱の籠った視線を笑顔で受け止めなければならない。千里は表情筋が引き攣らないようにする為かなり精神を削っていた。
精神を削っているのは千里だけではない。2人からは見えない所に居る唯も同様であった。
「フン…………」
唯は壁に寄りかかり、憮然とした顔で明後日の方を見ていた。足元ではやりようのない感情を発散させる為か、無意味に小さく踵で何度も廊下を踏んでいる。普段からあまり笑わず仏頂面だったり険しい顔をしている彼女だが、ここまで不機嫌さを露にした様子を見たことのある者は誰も居ないだろう。
その隣に居る椿は、千里と里香の様子を気にしながら唯の事も気に掛けた。
「小鳥遊殿……何をそんなにむくれているのでござるか? こんな所でそんな顔をしていては、周りから変に思われるでござるよ?」
「そんなの……分かってる。分かってるけど…………」
椿の言いたい事も分かる。あまり目立つようなことをして、千里の邪魔をする訳にはいかないのだ。そうしなければ、体を張っている彼に申し訳ない。
それは分かっているのだが、一見すると仲良さげに隣り合っている2人の姿を見ていると心がざわつく。あれが里香から情報を引き出す為で、表面上だけの薄っぺらい触れ合いだ分かっていても、それを見せつけられる唯は面白くないのだ。
不機嫌を隠そうとしない……否、隠せない唯の姿に椿は溜め息をつくと思っていた事をハッキリと口にした。
「認めてしまっては? 小鳥遊殿は千里殿が好きだと」
「んなっ!?」
椿の言葉に唯は一瞬間を置いてから一気に顔を赤くして言葉を失う。それは椿の言葉が間違っているからではない。
これまで正直に向き合っていなかった自分の感情を、第三者である椿から眼前に突き付けられたからだ。
唯は先程まで感じていた苛立ちもどこへやら、顔をリンゴの様に真っ赤にして椿を凝視する。顔には変な汗が浮かび、目は盛大に泳ぎ口は何かを言おうとしているのだろうが言葉が纏まらないのか開いた状態で唇が震えていた。
(これは……予想以上でござるな)
傍から見ていて、唯が千里に好意以上の感情を抱いている事は明らかだった。ただ初心だからその気持ちを表に出せていないだけだと思っていたのだが、この様子を見るとそう単純な話でもなさそうだ。
椿が内心で分析していると、漸く言葉が話せる程度には思考が安定してきた唯の口が言葉を紡いだ。
「わ、わた、私……べ、別にそんな……」
訂正、まだ安定していなかった。色々な感情が脳内でミキサーに掛けられた状態になっているのか、口から出る言葉が今一纏まりに欠く。このままだと会話にならないので、椿の方でリードしてやることにした。
「先日山崎殿も申していたでござろう? 千里殿と小鳥遊殿、傍から見ても分かる程仲が良いのでござるよ」
「それは……友達としては、普通じゃ……」
「では何故小鳥遊殿は千里殿が他の女子と仲良くしていると機嫌が悪くなるのでござるか? ただの友達なら、友の恋路を応援してやるものでは?」
熱い鉄をハンマーで叩いて形を成形するような椿の言葉。唯は今まで直視してこなかった自分の気持ちを、椿の言葉により鮮明に理解し始める。
椿の言う通り、ただの友達と言うのであれば千里に好意を抱く女子が現れたら応援してやるべきなのだ。いや、別に応援せずとも見守ってやるだけで良い。他人の恋路に口や手を出すのは無粋と言うものだ。
だが唯が抱いたのは嫉妬の感情。里香が千里に、自分を押し退けてまで触れ合う事が面白くなかった。それはまるで自分の居場所を奪い取られたような気になるからで、唯としてはそれがどうしても許せなかったのである。
では何故それが許せなくなるのかと言えば、その答えは1つしかない。
「私……私は、南城君――」
「下の名前で呼んでみては?」
「ッ、…………千里君」
名字で呼ぶと言う他人行儀ではなく、親しみを込める名前呼び。たったそれだけの事なのに、唯の心は春の日差しに当たった時の様な温かさに包まれた。さっきまでささくれ立っていたのが嘘のようだ。だがその温かさが、余計に先程感じていた胸の痛みを浮かび上がらせる。
(やっぱり……私、千里君の事……)
「認める気になったようでござるな?」
「うん……私、南城君…………千里君が、好き……」
風紀委員だとか不純異性交遊だとか、そんなのもうどうでもいい。自分は千里が好きだ。それは認めよう。
だがもう少し……もう少し時間が欲しい。気持ちは認めても、それを千里に告げるのはかなり勇気がいる。だって今まで恋なんてした事無いのだ。訳も分からず、ぶっつけ本番で動いて玉砕しようものなら立ち直れるか分からない。
それに何より、今気にするべきなのは里香が白か黒かだ。千里と向き合うのはその後からでも遅くはない。そう思って顔を上げた時、そこに2人の姿はなかった。
「……あれ!?」
「おっと、これはマズイでござるな。話に夢中で完全に見失ってしまったでござる」
「ど、どうしよう!? わ、私がモタモタしてるから……」
「いやいや、心配ご無用。こんな事もあろうかと、外から式神で見張らせていた故」
そう言って椿が指笛を吹くと、雀が飛んできた。椿の指に止まって来たその雀が彼女の言う式神だろう。椿はその雀に先導を命じた。
「さ、千里殿達の所へ案内するでござる」
雀は返事をするように一声鳴くと、廊下の中を飛んでいく。2人はその雀の後を追い、見失ってしまった千里と里香を追いかけた。
一方、2人からはぐれてしまった千里は里香により人気のない教室に連れてこられていた。何でもこの教室にプリントを持ってくる必要があったとの事だが…………
「あの、間宮さん? 本当にここで合ってるの?」
この教室は普段使われる事は無く、鍵こそ掛けられてはいないが出入りする生徒は基本皆無であった。校舎の隅の方で日当たりも悪く、基本使われていないから埃っぽい。不良生徒が授業をサボったりするのに使う事もあるようだが、少なくとも数日から数週間単位で誰かがここに立ち入った形跡は見られなかった。
だが里香はここで良いと言う。その様子に千里は違和感を感じ、適当な机の上にプリントを置くと悟られない程度に警戒した。
そんな千里の様子に気付いているのかいないのか、里香は適当な机の上にプリントを置くと彼の方に振り返った。
その時の彼女の目には、狂気を感じさせるほどの熱が感じられた。思わず千里は後退る。
「南城君……今日は私に優しいね。嬉しいよ、凄く……」
「そりゃ、良かったよ」
里香と話しながら、千里は何時でも教室から逃げれるように徐々にだが扉の方へと近付いていく。里香がクセジであったとして、戦闘になった場合狭い教室の中は不利になる。
警戒心を次第に隠さなくなった千里が逃げる算段を立てている間に、里香はスマホを取り出しながらゆっくりと近付いてくる。にじり寄って来る里香に不気味なものを感じて徐々に彼女から離れようとする千里だったが、その歩みが不意に何かに阻まれた。
「? 何だ……?」
何事かと背後を振り返ろうとした千里だったが、彼の顔は直ぐに驚愕に染まった。足だけでなく、体全体が動かないのだ。まるで何かに絡めとられ、縛り付けられたかのように動けない。
「なっ!? こ、これは……!?」
その理由に千里はすぐ気付いた。糸だ。見辛い程に細い糸が何時の間にか背後に張られていて、千里はその中に気付かぬ内に追いやられていたのである。
身動きが取れなくなり藻掻く千里に、里香はうっとりした表情でゆっくりと近付いていく。そして近付きながらスマホを操作し、画面に何かを映し出し千里に見せつけた。
「南城君、これ……何だか分かる?」
スマホに映し出されていたのは、一体何時撮ったのか学にノートを見せている所であった。後ろの離れたところから撮ったのか、ノートは小さかったがそれでも書かれている文字は読める。
千里がスマホに映っているものに気付いたのを理解した里香は、恍惚とした顔でスマホに映る千里のノートを見た。
「南城君、本当に文字綺麗だよね~。文字が綺麗な人は心が綺麗な人、私、南城君以上に文字が綺麗な人なんて見た事ないよ」
「俺なんてまだまだだよ……それより、やっぱり間宮さん……」
気付かぬ内に張られていた糸の結界、そして自分に対する異常な執着から、千里は里香がクモクセジで間違いないと言う結論に達した。だがこの状況は些か予想外だ。虎穴に入らずんば虎子を得ずと言うが、どうやら虎穴に入って虎の尾を踏んでしまったらしい。
千里が自分の正体に気付いたと見て、里香はスマホを下ろして彼の事を笑顔で見た。その笑みは普段の彼女からは想像できない程不気味で、見る人が見ればゾッとする程の色気を感じさせるものがあった。心なしか彼女の呼吸も、興奮で荒くなっているように見える。
「一目、南城君の文字を見た時からね? 私、南城君しか目に入らなくなっちゃったの……多分私、南城君の事が好きになっちゃったんだ。だって、こんなに綺麗な文字書ける人なんだもん! きっと素敵な人なんだって思ったら、私、もう……!」
話しながら里香は制服のボタンをゆっくり外していく。彼女は着痩せするタイプだったのか、ボタンを全て外すとそれまで分からなかった胸の大きさが露わになる。これが並の男であれば、生唾を飲んで理性を失うだろう。
だが千里は心身ともに鍛えられた万閃衆の忍びだ。未熟なところは多々あれど、この程度の色仕掛けに引っ掛かる程愚かではない。
「くっ!?」
このままではマズイと千里は拘束を外そうとしたが、腕や足、胴体に絡みつく糸は切れる気配を見せない。変身していればともかく、生身でこれを外すのは不可能に近かった。せめて筆があればなんとかなったかもしれないが、この状況では筆をとることも難しい。
そうこうしている内に里香が千里の目の前に近付いてきた。動けない彼に抱き着くと、舌を伸ばして千里の頬をゆっくり舐め上げる。頬の上を舌が這う感触に、千里は何よりも悍ましさを感じ思わず顔を背けた。
「うぅ……!?」
「はぁ! はぁ! 南城君……! 私、南城君の事が好き! ねぇお願い、私の物になって……!」
言いながら里香は千里を床に押し倒す。押し倒されても糸による拘束は緩まず、寧ろ床に磔にされたように動けなくなってしまった。
「ぐっ!? ま、間宮さん、止め……!?」
「大丈夫……南城君は何も心配しないで? 直ぐに終わらせるから……」
そう言って里香はゆっくりと千里の制服を脱がしに掛かる。阻止しようにも動きが縛られている為どうしようもない。
これ以上は流石にマズイと焦る千里。彼が焦り慌てる姿を愛おしく見ながら、里香の手が彼のズボンにまで伸びそうになった。
瞬間、教室の扉が勢い良く開かれた。
tips
・火遁の術:五行相克の火属性の遁術。遁術の基本中の基本として、どの忍者も必ずこれを学ぶ。攻撃用の忍術として扱いやすく、また拡張性が高く様々な改良を施す忍者も多い。
という訳で第13話でした。
今回は椿が大分大人しかったですね。今回と次回は椿が普通に大人しい話になる予定です。
執筆の糧となりますので、感想評価その他よろしくお願いします!
次回の更新もお楽しみに!それでは。