今回は割かしギャグ要素が何時もより強めかもしれません。
季節は流れ、気温は上がり日差しの厳しい夏となった。
湿度は高くなりねっとりと肌に張り付くような暑さが汗を噴き出させ、肌を焼くような日差しが体力を奪うこの季節。熱気を含んだ風が蝉の鳴き声を運ぶ中、熱さに喘ぎながらも千里達学生には楽しみな事があった。
そう、夏休みと夏の合宿である。彼ら学生は学校から出される大量の夏の課題から目を背けつつ、学業から解放されるこの特別な期間を心待ちにしていた。
尤もその夏休みの前に、彼ら学生は宿敵と言える存在と戦わなければならなかった。
期末試験と言う、逃れる事の出来ない宿敵と…………
「――――と言う訳で、期末試験に向けて勉強しようと言う事になった訳だけれど……」
修復の終わった屋敷の一室で千里がそんな事を呟く。事の発端は唯の一言であった。
「ねぇ南城君、今度の休みに南城君の家に行っていい?」
突然の来訪の発言に、千里は一瞬ドキリとしながらもその理由を訊ねた。
「別に構わないけれど、どうして?」
「だって南城君の家って、なんか周り静かで勉強し易そうじゃない?」
確かに、南城邸の周りは閑静な住宅街なので喧騒とは無縁だ。休日は勿論、平日の日中も車の走る音すら殆ど聞こえない。加えて南城邸は大きな屋敷であり、庭や家の周りには木が植えられている。その木々が余計な音を遮り、更に時折吹く風が枝葉を揺らす音が心を穏やかにさせてくれる。
この暑くて集中力が削がれる季節に、この環境は非常に過ごしやすいと言わざるを得なかった。
「あ、勿論ダメって言うなら……」
とは言え南城邸は先日のマンダラとドクロの襲撃により半壊してしまった。加えてそもそも彼の家は古くから続く万閃衆と言う忍者の家系の家。何も知らない一般人がおいそれと立ち入って良い場所ではないだろう。なので千里が渋るようであれば、唯はすんなりと引き下がるつもりであった。
(どうせなら、家に……)
「うん、いいよ」
「あ、本当?」
「うん。小鳥遊さんなら」
確かに何も知らない者が相手であれば千里も渋るだろうが、唯は既に立派な関係者。それに南城邸にも何度も足を運んだ事はあったし、何よりも彼女と千里は恋人同士。恋人を家に上がらせる事に否やは無かった。
唯が懸念している屋敷の修復も、贔屓にしている業者の頑張りもあって少し前に終わっている。だから問題は何もなかった。
寧ろ千里は、唯と過ごす休日に思いを馳せていた。目的は勿論期末試験の為の勉強だが、しかし丸一日恋人と共に過ごせる休日と言うのは千里にとっても唯にとっても特別な響きを持っていた。
2人がそれぞれ共に過ごす休日に思わず顔を綻ばせていると、それに横から顔を突っ込んできたのが学であった。
「お、南城の家で勉強会か? 俺も混ぜてくれよ!」
「えっ!?」
「良いだろ~? 南城も小鳥遊さんも頭良いし、いざって時は色々聞けるしさ~」
「いや、まぁそうだけどさ……」
折角の2人の時間に水を差されるのかと思い、千里も露骨に顔を顰めた。しかし名目は勉強会なので、ハッキリと来るなと言う訳にもいかない。ここで第三者の参入を拒絶すると言う事は、勉強そっちのけで唯とイチャイチャしようとしていると捉えられる危険もある。それは彼本人は勿論、唯にとっても嫌な事だろう。
だから結局は首を縦に振る以外に選択肢はなかったのだが、それはこの場では悪手であった。一度前例を作ると、それに乗っかって次々と手を上げるのが人と言う生き物なのだ。
「山崎も行くなら俺も!」
「俺も一緒させてくれ! 何気に南城の家って行った事無かったし」
「ちょ、ま、お前ら……!?」
学を皮切りに次々と勉強会への参加を要請してくるクラスメート達。最初は男子ばかりだったが、次第に女子からも手を上げる者が出始めた。
「私も、ご一緒させてもらおうかな?」
「間宮さんも!?」
「なら拙者も宜しいか」
「長谷部さん!?」
「私も私も!」
「面白そう、私も行く!」
次々と手を上げて勉強会への参加を表明するクラスメート達。気付けばクラスの半数が手を上げている状況に、千里は思わず頭を抱えてしまった。
「マジかよ……」
前述した通り南城邸は古くから続く忍者の家系の家だ。それはつまり彼の家は忍者屋敷と言う事を意味しており、即ち屋敷の中には侵入者対策の罠が幾つも存在する。唯1人であれば予め立ち入ってはいけないエリアを指定しておけば済む話なのだが、この人数が相手となるとそれも難しい。物珍しさに単独行動をして変な所に入っていく奴も居るだろう。そんな奴が迂闊に立ち入ってはいけない場所に入って罠にかかってしまったら大事になる。
だったらここで断ってしまえばいいのだが、千里の家が大きな屋敷と言う事は気付けばクラス中に広まってしまっていた。この状況で迂闊に断ってしまっては、何か裏があるのではと逆に怪しまれる。
結局、千里に出来る事は彼らの参加を認め、当日彼らが罠に掛からないよう対策を練る事だけであった。
いや、それだけではない。流石にこれは徹に報告しなくてはならないだろう。その時父が一体どんな顔をするか…………考えただけで胃が痛くなる。
頭を抱える千里を他所に、クラスメート達は期末試験前のちょっとしたイベントに湧きたっていた。思わず彼らに対し恨めしそうな目を向けてしまう千里の頭を、唯が慰める様に優しく撫でるのだった。
***
数日後、週末の休みの日。
この日、閑静な住宅街の一角に存在する南城邸の前には千里のクラスの学友達が集まっていた。
「うへぇ~、これ南城の家か?」
「噂にゃ聞いてたけど、マジで屋敷なんだ……」
「アイツって意外と金持ち?」
「小鳥遊さん、羨まし~」
皆思い思いの感想を抱きながら閉じられた門を見上げる。そんな中で、話の流れ弾が彼と付き合っている唯に飛んでいった。意味合い的には玉の輿に乗れた事を羨む感じだったが、兎に角女子からは羨む目が唯に向けられる。
「ちょ、そう言うんじゃ……あぁ、もう! ほら皆! 今日は遊びに来た訳じゃないんだからね!」
唯は彼らに一括して宥めると、代表として門の柱に取り付けられたインターホンを押した。純和風な屋敷の柱に取り付けられた近代的インターホンと言う、何ともアンバランスなそれを押すと暫くしてマイク越しに千里の声が響いた。
『はい、南城です』
「南城君、小鳥遊です」
『あ、いらっしゃい。ちょっと待ってて』
そこで千里の声が途切れ、暫く静かな時間が続いた。黙っていると夏の風物詩である蝉の鳴き声が、日が高くなるにつれて強くなってきた日差しの向こうから響いてくる。
蝉の鳴き声に耳を傾けながら待っていると、門の向こうから閂を外す音が聞こえた。そして向こう側から押し開けられると、開かれた門の影から千里が顔を出した。
「皆、いらっしゃい。まぁとりあえず入って入って」
「お邪魔します、南城君」
千里に招かれ、唯を先頭に門をくぐっていく。
因みに千里と唯は互いを以前と同じく名字で呼び合っていた。学外では名前で呼び合うようになった2人だが、これだけクラスメートが居る中だとやはり少し気恥ずかしい。なので唯は思わず彼の事を名字で呼んでしまい、それに気付いた彼は合わせて彼女の事を名字呼びに変えていた。
2人が学外では名前呼びしている事を知らないクラスメート達は、その事に特に違和感を抱く事無く屋敷の敷地へと入っていく。そしてその先に広がる庭の景色に思わず目を奪われていた。
「おぉ~!」
「スッゲ、マジ日本の屋敷って感じ」
「何だか京都に居るみたい」
「ちょっと、近くで見ていいか」
石畳で出来た道を外れ、芝生に足を踏み入れようとする者が数名出始める。それを見た千里は慌てて彼らを引き留めた。
「だだっ!? たったった、ちょ、待って待って!?」
「え、なになに?」
慌てた様子でそれ以上先へは行かせないようにする千里にクラスメート達は不思議そうな顔をする。彼らの視線に千里は冷や汗を流し、目を泳がせながら彼らの疑問に答えた。
「え、あ、その……こ、この芝生とか父さんが結構拘っててさ、あんまり踏み荒らすと不味いんだよね。だから写真撮るのは良いけど、これ以上先には行かないでほしいなって……」
千里が彼らを慌てて引き留めたのは、勿論そんな理由からではない。
忍者の家系の屋敷である南城邸は、言うまでもないが所謂忍者屋敷と呼ぶべきもの。つまり中にはあちこちに侵入者対策のトラップが張り巡らされている。しかも中には侵入者を確実に殺めるレベルの危険な罠も存在する為、迂闊にうろつかれると取り返しのつかない事になるのだ。
先日クラスメート達がこの屋敷にやって来ると千里が徹に告げると、彼は息子に対して物凄く冷たい目を向けた。ここには危険な罠もあると分かっているのかと言いたげな視線に、千里は慌てて事情を説明した。
何とか徹には納得してもらった千里なのだが、その際に彼は父からとんでもない事を告げられた。
曰く、罠を解除することなくクラスメート達に忍びの事を悟らせるなとの事。
これから先様々な形で千里は忍びである事を隠す必要性に駆られる事があるだろう。その中にはこうして屋敷に上がった者に忍びである事をひた隠しにしなければならない事もある。徹は今回の一件を利用し、千里に課題を課してきたのだ。
それは恐らく徹なりの息子への罰の意味合いもあるのだろう。迂闊に何も知らない者を屋敷に上げると言う愚を犯した我が子への。
そんな事もあってか、千里はクラスメート達の動向に関してはかなり気を遣わざるを得なくなっていた。
異様に慌てた様子の千里に、唯も大まかに事情を察した。兎に角クラスメート達を好き勝手させてはいけないと、唯は彼らを屋敷の中へと誘導した。
「皆、遊びに来た訳じゃないって言ったでしょ。お庭の写真なら縁側からの方が近く撮れるから、早く入った入った!」
「はーい」
「委員長以上に委員長してるな、小鳥遊さん」
千里と唯に促され、彼らはぞろぞろと屋敷へと入っていく。
扉から入り、靴を脱いで玄関に上がる。ここまで立派な日本家屋の屋敷に入るのは初めてな者が殆どなのか、椿などを除いた全員が辺りを物珍しそうに見ていた。
「さ、こっち」
千里も玄関に上がると、クラスメートを客間へと案内する。ここから客間までは一般人が入る事も考慮して罠も無い為、千里としても気が楽だ。
と思っていたのだが…………
「お~、こっちも広いな~」
「あ、ちょっ!?」
徐に1人が客間に向かうのとは別の方向へと向かおうとした。罠が無いのは客の活動できる圏内、つまり玄関から客間、トイレ辺りまでしかない。その範囲を少しでも外れれば、そこは何も知らぬ者が立ち入ればどうなるか分かったものではない危険地帯。千里だって、下手に気を抜けばただでは済まない事になる可能性があった。
そんな所に足を踏み入られては大変な事になると、千里は慌ててそちらに行こうとする学友の前に立ち塞がった。
「待った待った待った!? こっちは待って!?」
「え、何で?」
「こっちは、その……ちゃんと片付いてないからさ。あんまり見られたくないな~、なんて……」
盛大に目を泳がせながら必死に言い訳を考える。忍びとして時には他人に嘘を口にして誤魔化し状況をやり過ごす訓練はしてきたし、平時であれば何とかなった。だがこれだけの人数を一度に家に上げた挙句、忍びである事を悟らせないようにしつつ家の罠からも守らなければならないと言う状況は初めての経験だ。反応が怪しくなるのも仕方がない。
そして焦りの中、千里は徹の思惑を理解した。この好き放題動く学友達を前に、忍びである事を隠し続けることで情報を秘匿する手段を学ばせようと言うのだ。相変わらずスパルタな父の教育方針に千里は頭を悩ませた。
「大丈夫大丈夫、部屋には入らないからさ」
「いや、そう言う事じゃなくて、その……」
軽い気持ちで尚もその先に向かおうとする学友に冷や汗を流す千里。するとそこで学が助け舟を出した。
「ほ~れ、南城困ってるだろ? 止めてやれよ」
「そ、そうよ! それに私達は遊びに来た訳じゃないんだからね!」
「うへ、小鳥遊さんまで……へ~い」
学に続き唯にまで諭されては引き下がらざるを得ないと、彼は大人しく諦め客間へと向かう道に戻った。何とか上手く誤魔化せた事に千里はホッと胸を撫で下ろし、口添えをしてくれた2人に感謝した。
「あ、ありがとう2人共」
「気にすんなって。流石に人様の家を勝手に探検するのは失礼だもんな」
「うんうん」
その後、一行は無事に客間へと辿り着いた。広めの客間に入ったクラスメート達は、写真でしか見た事がないような和室の内装に興奮が隠せない様子だ。中には縁側に出て庭の景色をスマホで写真に収めている者も居る。
ここまで来ればとりあえず大丈夫かと安堵した千里は、少し肩から力を抜くと台所へと茶を淹れに向かった。
「楽にしてて。今お茶用意するから」
障子を閉め、罠に気を付けながら台所へと向かう。冷蔵庫を開ければ麦茶が入っていたので、ピッチャー毎取り出し人数分のコップと一緒にお盆に乗せて客間へと戻っていく。
この時、千里は完全に油断していた。客間に押し込んでしまえば、もう大丈夫だろうと思っていたのだ。だがそれは非常に甘い考えであった。
「おまたせ~……ん?」
客間に戻ると、千里は違和感を感じた。何だか人数が減っている気がする。お盆を机の上に置きながら室内を見渡し、そして彼はある事に気付いた。唯を始め数人の女子の姿が見当たらない。
「あれ? 小鳥遊さんは?」
「あぁ、小鳥遊さんならトイレ行きたいって女子連れて出て行ったぞ」
1人にコップに注いだ麦茶を渡しながら聞くとそんな答えが返って来た。最初それに特に危機感を感じる事はなかった。唯は何度かこの屋敷に来ているし、トイレの場所も知っている。トイレへの案内程度なら何も問題ない。
だが何かが引っ掛かる。首を傾げながら他のクラスメートにも麦茶を渡していると、千里はある事に気付いた。
この部屋から一番近いトイレは1つしかなく、一度に使える人数は1人しかいない。にも拘らず、減っている人数は唯を除いてもトイレに行ったにしては多過ぎるのだ。
勿論、順番待ちをしていると言う可能性もあるが…………千里は何だか嫌な予感を感じた。
「そんな大人数で行ったの?」
「んにゃ、トイレに連れていかれたのは1人。ただその後、もう少し色々と見てみたいって部屋出て行ったよ」
「…………はいぃっ!?」
千里は一気に焦り出した。ここから台所に行くまでの道中で出会わなかったと言う事は、それ以外の場所にその女子達は行ってしまったと言う事になる。彼女達がもし侵入者対策の罠に掛かってしまったらと思うと、千里は顔から血の気が引くのを感じた。
「ちょっと待ったぁぁぁぁぁッ!!」
居なくなった女子を千里は慌てて探しに行く。幸いな事に女子数人は直ぐに見つかった。先程別の男子が行こうとしていた廊下の先へと向かい、縁側からの景色を背景に写真を撮っていたのだ。
それはまだいい。だが問題だったのは、自撮りで写真を撮ろうとしている女子が縁側の縁に近付き過ぎていることだ。後ろを満足に確認できない状態でそんな事をすればどうなるかは想像に難くない。
「――――あッ!?」
案の定自撮りをしようとしていた女子はバランスを崩して足を踏み外し、背中から縁側の外に落ちそうになった。
あの位置は何か罠がある筈……そう思った瞬間千里は全力で駆け、縁側の外の足を踏み入れても大丈夫な場所に立ちながら女子を受け止めた。
「わ、あ……ぁ? あれ?」
「だ……大丈夫……?」
ギリギリのところで受け止める事ができ、千里は安堵と全力疾走の疲労で大きく息を吐いた。落ちそうになっていた女子と彼女を助けようと咄嗟に手を伸ばした女子は、物凄いスピードで縁側の下に滑り込んできた千里に目を白黒させる。
「え? え?……な、南城君? 今――」
「怪我はない?」
「あ、うん……」
何処か現実味の無い状況に受け止められた女子は呆然としている。千里は安堵するが、直後に常人離れした速度で滑り込んでしまった事に今更ながら冷や汗を浮かべた。帰宅部の自分が、陸上部顔負けのスプリントを見せたのは明らかな失敗だ。とは言えあそこで受け止めなければ普通に危なかったし…………
「南城君? 今なんかすっごく速く走ってなかった?」
ほれ見ろ、やっぱり違和感を持たれた。
「そんな事ないよ。ただ急いだだけだから」
「いやでも明らかに今……」
「ナニモ問題ナカッタヨ。イイネ?」
「ア、ハイ……」
この場で言い訳をすると逆に怪しまれるし、何かもう面倒なのでとりあえず千里はゴリ押す事で難を逃れた。逃れられたかは別だが、考えるとドツボに嵌りそうだから考えない。
「……よい、しょっと」
今は取り合えず彼女らを客間に戻さなければ。このまま好き放題に屋敷の中を歩き回られては何時か本当に罠に掛かってしまう危険があるし、こうしている間に他のクラスメートが勝手な行動をしないとも限らない。一応今回は椿も来てくれている事だし、最悪の場合は彼女がフォローしてくれるかもしれないが、何処まで期待できるかは微妙なところだ。
「さぁ、戻ろう。この屋敷結構広くて入り組んでるから、何も知らずに動き回ると迷子になるよ」
「分かった……ゴメンね?」
「いいよいいよ。さ、早く」
さり気無く勝手に出歩くなとやんわり釘を刺しつつ、千里は女子達を客間へと引き返させた。
途中、廊下に仕掛けられているトラップに引っ掛かるのではとヒヤヒヤした場面はあったが、幸いな事に何事も無く客間へと戻る事ができた。
「お待たせ~……」
「あ、南城君」
まだ何もしていないのに何だか既にドッと疲れた千里が障子を開けて客間に入ると、トイレが済んだのか唯が戻ってきていた。肩が重かった千里だが、彼女の顔を見ればその疲れも少しはましになる。
とは言えこれはまだほんの序の口。これから半日ほど、彼はこの場に居る多数のクラスメート達に忍びである事がバレないようにしつつ屋敷に仕掛けられた罠から守らなければならないのだ。果たしてそれを成し遂げる事ができるのか……千里は一抹の不安を感じずにはいられなかった。
「なぁ南城、ちょっと庭に出てみてもいいか?」
取り合えずまずは、ある意味一番の危険地帯である庭に出ようとする連中を何とか宥める事から始めなければ…………
***
その頃、椿はクラスメートは勿論千里にすら悟らせず1人屋敷の中を進んでいた。罠が多く、千里ですら油断していると引っ掛かって大変な目に遭う事もある屋敷の奥に続く廊下を、彼女は危なげなく進んでいく。時折何かを避ける様に蛇行しているのは、足元に仕掛けられた罠を回避する為の動きだった。
程無くして椿が辿り着いたのは、屋敷の奥にある徹の部屋。障子を開けて部屋へと入ると、そこには片付けが行き届いた綺麗な和室が広がっている。部屋の主である徹は現在外出中だからか、室内には人の姿はない。
不躾と理解しながらも椿は徹の部屋に入ると、一画に鎮座する立派な仏壇へと近付いていく。その仏壇には、今は亡き徹の妻であり千里の母でもある女性の楓の遺影が飾られていた。
遺影の中の楓は椿の記憶の中にある彼女と同じ笑顔を浮かべている。それを見て椿は感極まった様に涙を浮かべ、気付けば仏壇の前で膝をつき手を合わせていた。
「楓殿……母上殿……! 拙者…………拙者は…………!?」
今回椿がこの勉強会に参加したのは、別に期末試験の対策の為ではない。そもそも忍びとして生きる事を第一に考えている彼女にとて、学校の成績の優先順位は低かった。事実彼女の学業の順位は下から数えた方が早い位だ。
では何故今回参加したのかと言えば、それは偏にこの為であった。千里の家……南城邸の中にある、楓の仏壇の前に来る為の口実として参加したのである。
その程度であれば千里に言えば快く通してくれそうな気もするのだが、何と言うか今は彼に頭を下げると言う事をしたくなかった。プライドが邪魔をして、素直に楓の仏壇に手を合わさせてくれと頼む事ができなかったのだ。
それなら徹に……と言う気もするが、徹は普段万閃衆の任務で居ない場合も多くなかなか捉まえられない。だからと言って勝手に侵入するのは両親が咎める。
それでも椿は一度楓の仏壇の前に行きたいと考えていた、そんな時に彼の家を訪れる大義名分が降って湧いた。これ幸いと椿はそれに参加し、人目を盗んでこうして仏壇の前まで辿り着いたのである。
そして今、椿は楓の仏壇の前で膝をつき手を合わせた。1人静かに故人に祈りをささげた瞬間、椿の心の中には様々な想いが渦巻いた。
未来の万閃衆を担う者としてのプライド……未だ尾を引く楓を失った悲しみ……自身の中に生きる楓からの教え……楓と血を分けた千里に対する嫉妬……ここ最近失敗が続く己への不甲斐無さ…………他にも色々だ。
こんな事、普段はいちいち考えない。弱さは弱点となる。決して忘れるのではなく、そっと蓋をして心を苛む事が無いようにしていた。
しかし今、故人とは言え楓を前に椿は珍しく弱気と言うかナイーブになっていた。恐らく彼女にしては珍しく、この時ばかりは親に甘えたいこの気持ちになっているからだろう。椿が弱さを見せるのは何時だって、血は繋がっていなくとも自分を育ててくれた楓の前でだけだ。
「拙者は……未熟者でござる。千里殿に負けないようにと思っていても、力み過ぎて失態を繰り返してしまう」
思い出すのは些細な感情の爆発からS.B.C.T.に攻撃してしまった事。謹慎はそう長く続かなかったが、あの出来事は椿の中で消えない傷として残り続けていた。
それ以外にも、ここぞと言うところで敵を逃してしまったり、敵からの攻撃で動けなくなってしまった事も少なくない。
それに比べて千里はどうだろう。自分が未熟未熟と散々言ってきた彼は、その評価に反して戦果を挙げ成果を残している。あの上忍マンダラを秘宝の力と手助けがあったとは言え討伐してみせた。その事に椿は強い嫉妬と、同時に流石楓の息子だと言う感心を感じていた。
「千里殿は強い御仁でござる。流石母上殿の息子、これからもまだまだ伸びるでござろうな。それに比べて、拙者は…………」
果たして自分は楓の様な立派な忍びになれるのだろうかと言う不安が椿の脳裏を過る。彼女の中には恐れがあった。何時か千里に追い抜かされ、彼から見下される日が来るのではないかと。今まで未熟と見下してきた彼に、反撃の様に見下されるのではないかと言う恐怖がここ最近彼女の胸中で渦巻いていた。
千里がそんな風に他人を見下すような人間ではない事は分かっているつもりだ。だがそれでも、いざ追い抜かされてしまった時どう接すればいいのか…………最近の椿はそんな事も考えてしまい、それが動きから精細さを欠いて結果的に失敗を招くと言う悪循環に陥っていた。
「楓殿……母上殿……教えてほしい。拙者は……拙者は、一体どうすればよろしいか?」
捨てられた子犬のような目で仏壇の遺影を見る。教えを、助けを求めて遺影の中の楓を見るが、言うまでも無く故人は何も語らない。ただ静かに迷い悩む椿を見ているだけだ。
暫し無言で遺影の楓と見つめ合った椿だが、徐に溜め息を吐くと肩から力を抜き自嘲的な笑みを浮かべた。
「はは……ダメでござるなぁ。こんな時ばかり他人を頼って。安らかに眠る楓殿に迷惑をかけるなど、拙者もまだまだ未熟」
一頻り笑うと、椿は静かに立ち上がり仏壇に背を向け部屋の外へと向かって行く。障子を開け廊下に出て、振り返り障子を閉めようとした時ふと顔を上げると視線の先にある仏壇の遺影と目が合った。
優しい笑みを浮かべる遺影の中の楓に、椿は思わず俯き涙ぐむ。が、それを堪えて顔を上げると、情けない姿を見せたことを詫びる様に頭を下げた。
「それでは、これにて……。願わくは、天国から拙者の事も見守ってくだされ」
そう言ってそっと障子を閉めると、そのまま誰に気付かれる事も無く客間に戻った。
千里にすら気付かれる事無く合流し、持参した勉強道具で試験に向けた勉強に臨む。だが勉学に勤しむその顔は、何かを堪える様に険しいのだがそれに気付いてくれる者は誰も居なかった。
tips
・万閃衆:日本の世間の裏で暗躍する忍びの集団。古くは江戸時代から続くと言われ、当時から幕府の影の存在として悪を討ってきた。資料によると怪異を相手にしたという記述もあるがそこに関しては定かではない。
日本政府の中で彼らの事を知るのはごく少数。警察ですら彼らの事は知らないので、それ故に行動には高い秘匿性が求められていた。謂わば日本政府の影の切り札的存在であったが、数年前傘木 雄成との戦いで大打撃を負い、今は規模を縮小させている。
組織の運営資金は日本政府から出ている為、徹を始めとした忍び達は政府から給料をもらう(尤も表の顔として別の職業に就いている者も居るが)形で生活している。
と言う訳で第27話でした。
今回は世間に紛れて隠れ潜む忍者ものでは定番の、何も知らない人をお家にご招待イベントみたいな感じです。本当はもっとギャグ寄りの話にしたかったのですが、性分な所為か完全にギャグに偏らせ切る事ができませんでした。
執筆の糧となりますので、感想評価その他よろしくお願いします!
次回の更新もお楽しみに!それでは。