仮面ライダーコガラシ   作:黒井福

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第四十一筆:海原に散る

 海都から本州へと向かう船。その甲板上ではコガラシが卍妖衆の下忍を相手に果敢に戦っていた。

 

「くっ! コイツ等何処から入って来たッ!」

【忍法、風遁の術ッ! 速筆ッ!】

 

 引っ切り無しに襲い掛かって来る下忍やクセジに対し、コガラシは愚痴りながらも忍術などを駆使して追い払う。突風が力を以て下忍やクセジを薙ぎ払っていくが、奴らは次から次へと襲い掛かって来るので休む暇がない。数の暴力とは、単純だがそれだけに厄介な攻撃手段である。質より量とはよく言ったものだ。

 

「きゃあっ!?」

「ッ!? 唯ちゃんッ!」

 

 突然背後から唯の悲鳴が聞こえてきたかと思えば、そこにはコガラシの迎撃を切り抜けて彼の後ろに居る唯に迫った下忍の姿があった。下忍は唯の事を人質にでも取ろうと言うのか、彼女の腕を掴み引っ張ろうとしている。骨猪がそれを必死に防ごうとしているが、下忍とは言え常人の力を超えているので骨猪はあっさりと振りほどかれてしまった。

 

「うわっ!?」

「先生ッ!?」

「オォォォォッ!」

 

 唯の危機にコガラシは背後からの追撃も気にせず唯の元へと向かう。途中背後の下忍が投げてきた手裏剣が彼の背を切り裂くが、そんな痛みよりも唯の身に迫っている危機の方が余程重要だったコガラシは背中の痛みを無視して唯の腕を掴んでいる下忍を轟雷で切り裂いた。

 

「その手を離せッ!」

「ッ!? グッ!?」

 

 コガラシにより切り裂かれた下忍はその場に倒れ、解放された唯はその勢いのまま彼の腕の中に納まった。

 

「唯ちゃんッ!」

「千里君ッ!」

「怪我は?」

「私は平気。でも千里君がッ!?」

 

 下忍に腕を引かれながらも、自分を助ける為に向かって来ていたコガラシの背中に敵の攻撃が集中していたのを唯は見ていた。向き合っている為唯からは見えないが、幾つも投げられた手裏剣によりコガラシの背には血が滲んでいるのが手に取るように分かる。

 不安そうな声を上げる彼女を安心させるように、コガラシは空いてる方の手で彼女の頭を優しく撫でた。

 

「こんなの、どうってことないよ。それより、危ないから俺から離れないで」

 

 この状況、どこから下忍やクセジが出てくるか分からない。そんな状況では、迂闊に離れると不意に出現した下忍やクセジにより唯の身に危機が迫るかもしれない。そんなリスクを犯すくらいなら、彼女は自分の直ぐ傍に居てくれた方がずっと守り易い。コガラシはそう考えていた。

 

 唯一の懸念があるとすれば、卍妖衆を迎え撃つ攻撃に唯達を巻き込んでしまわないかと言う事だったが、事彼ら忍びであればその事を気にする必要はあまりない。

 何しろ彼ら忍びには、”これ”があるのだから。

 

「執筆忍法、分身の術ッ!」

【忍法、分身の術ッ! 速筆ッ!】

 

 晴嵐の筆を使って、暁の硯で墨を付け、深緑の画仙紙に文字を書く。そうする事でコガラシの分身の術は通常よりも早く、長く、そして強力に発動する。あっという間に甲板上を埋め尽くす勢いで数を増やしたコガラシの分身は、下忍やクセジをあっという間に制圧していった。その乱戦の中をコガラシが唯と骨猪を守りながら移動していく。

 

「これでとりあえずここは大丈夫だろ」

「うん。でも、ゲッコウは?」

「アイツなら大丈夫だろ。そもそもアイツ、一応は卍妖衆だし」

 

 心なしか”一応”の部分をコガラシは強調した。彼は卍妖衆にあるまじき気持ちのいい男ではあるが、曲がりなりにも卍妖衆。間違っても味方から攻撃される様な事はないだろうと思っていた。

 

 しかし…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オォォォォッ!」

「ハッ!」

 

 ゲッコウは眼前に立ち塞がるフブキに迫り忍者刀を振り下ろす。この狭い廊下では、大型の武器である三日月は使えない。

 

 何故同じ卍妖衆であるゲッコウとフブキが戦っているのかと言えば、それはフブキがゲッコウの始末をしに来たからに他ならない。海に落ちそうだった子供をゲッコウが救出し船の中に戻した時、彼の前に姿を現したフブキは有無を言わさず両手に持った氷鱗で斬りかかって来たのだ。

 

 面識はなくとも本来味方である筈の相手からの突然の攻撃。しかしゲッコウは目の前に現れた彼女の放つ刺す様な敵意からこうなる事を予想し、慌てる事無く彼女からの攻撃を防ぎそのまま戦いに突入した。

 

「ったく、とうとうオボロは俺が邪魔になったらしいな? ま、分からなくもねえけどよ」

「お前は好き放題に動き過ぎた。言う事を聞かない奴を、オボロ様は必要としていない」

「あぁ、だろうな! ま、尤も? 俺もこれ以上お前らに付き合うつもりは無かったからもうどうでもいいけどなッ!」

 

 フブキの舞うような攻撃を巧みに捌きながら、ゲッコウは一瞬の隙を突きフブキを蹴り飛ばす。三日月程ではないが、マンホールほどの大きさを持つ氷鱗はこの場ではどちらかと言うと取り回しに難がある。周囲を切り裂きながらゲッコウを攻撃する事も可能ではあるが、無理にそれをすると彼に攻撃が届く頃には威力が大幅に軽減されてしまう。それを嫌って壁などに当たらないように攻撃すると、当然動きに制限が出来る。ゲッコウはその隙を狙っていたのだ。

 

「ぐぅっ!?」

「……ふむ」

 

 フブキを蹴りで引き剥がし、体勢を立て直しながらゲッコウは思案する。この戦いが始まってから、彼はどうも違和感を感じずにはいられなかったのだ。

 どうにも既視感の様な物が拭えない。こうして顔を合わせるのは初めての筈なのに、何故だかゲッコウにはフブキの動きの癖が分かってしまうのである。まるで既に何度か手合わせをした事がある様な感覚だ。

 

「お前……一体誰だ?」

「……」

「どうもおかしい。俺はお前の事をブローカーの野郎からチラッと聞いただけの筈なのに、お前の動きを何処かで見た気がしてならねえ。何処かで会った事あるか?」

 

 改めてゲッコウが問い掛けるが、フブキは何も答えない。だがよく見て見れば、氷鱗を持つ彼女の手が微かに震えている。心の動揺が表面に現れている証拠だ。

 それはゲッコウの言葉が正しい事を何よりも雄弁に物語っていた。

 

(やっぱりそうか。だが、コイツの動きは……)

 

 フブキの正体を探ろうと、ゲッコウは彼女を頭のてっぺんから爪先までじっくりと眺める。その視線に気付いたからか、それともこれ以上の追及を避ける為か、フブキは氷鱗を手にゲッコウに躍りかかる。蹴りと斬撃の乱舞が彼を襲うが、動揺が動きにも表れているからか先程に比べて動きに精細さを欠いていた。ゲッコウは先程に比べて楽にフブキの攻撃を捌き、その最中に彼女の動きを具に観察していた。

 

(コイツは……コイツのこの動きは…………ッ!?)

 

 本来であれば投擲で使う武器を近距離での攻撃手段とし、しなやかな動きで相手を翻弄しながら戦うそのスタイル。そして攻撃の最中に放たれる氷属性の忍術は、彼の中で1人の少女と結びついた。

 

「お前……お前はまさかッ!?」

「くっ! ハァッ!」

 

 フブキの正体に気付いたゲッコウがその名を口にしようとした時、彼女は手に持った氷鱗を彼に投げつけた。回転しながら飛んでくる氷鱗は冷気を纏い、触れた物を氷漬けにして砕きながらゲッコウへと迫っていった。

 迫る氷鱗を、ゲッコウは床に倒れるようにして回避する。結果、フブキが投げた二つのチャクラムは彼の背後を凍らせて砕きながらあらぬ方向へと飛んでいってしまった。

 

 少しでも掠ればどうなっていたか分からない攻撃を何とか凌ぎホッと一息つく間もなく、ゲッコウは立ち上がると彼女の正体を口にした。

 

「椿ッ! お前、椿だなッ! そうだ、そうに違いねえッ!」

 

 ゲッコウの指摘にフブキは沈黙で答えた。しかしそれこそが彼の指摘が正しい事の証明となる。肯定も否定もしないが、先程に比べ動きに明らかに動揺が乗っていた。精細さを欠いた動きに、ゲッコウはいとも容易く対抗し紙一重で攻撃を躱し反撃の蹴りを放つ。

 

「ぐぅっ!?」

 

 蹴り飛ばされて壁に叩き付けられるフブキの前に、ゲッコウが忍者刀を手に立ちはだかる。フブキは荒く呼吸をしながら、自分を見下ろしてくるゲッコウを下から見上げて睨み付ける。

 

「何でだ? 何でお前、卍妖衆に入った? 前に俺を万閃衆に呼んだのは、一体何だったんだ?」

「うるさい……うるさいうるさいッ!?」

 

 何故卍妖衆に加わったのか? ゲッコウはそれが分からなかった。彼女は生粋の万閃衆と言った少女であり、ふざけた喋り方をするがその心意気と実力は本物だと思っていたのだ。その彼女が卍妖衆に属し、多くの無関係な人々を巻き込んで船に襲撃を掛けてきたと言うのが彼には信じられなかった。一瞬これは彼女に課せられた何らかの任務か何かかと思ってしまったほどだ。

 

 だが彼の問い掛けに対し、フブキはまるで子供が癇癪を起こしたように叫びながら立ち上がり忍者刀を抜いて斬りかかって来た。技術もへったくれも無い我武者羅な攻撃を捌くのは容易く、ゲッコウはそれを軽くいなして距離を取った。

 

「何がお前を卍妖衆に属させた? お前は、自分が万閃衆だった事を誇ってたんじゃないのかよ?」

「五月蠅いッ!!」

【忍法、氷遁 射剣(さすつるぎ)の術ッ! 達筆ッ!】

 

 床から噴き出す様に付きだしてきた氷の刃。ゲッコウは迫る氷の刃をバックステップを踏みながら軽やかに躱していく。そしてお返しにと忍筆を取り出し術を発動しようとした時、伸びきったと思っていた氷の刃が突然弾けるように射出され襲い掛かった。

 

「何ッ!? ぐぁぁっ!?」

 

 まさかあそこからさらに追撃があるとは思っていなかったゲッコウは、回避も間に合わず無数の氷の刃をその身に受けた。幾つもの氷柱が彼の体を切り裂き、突き刺さっていく。そして刺さった氷柱からは絵の具が広がる様に氷が広がり彼の体を覆っていく。

 

「く、そぉ……!? 執筆忍法、影砕きの術ッ!」

【忍法、影砕きの術ッ! 達筆ッ!】

 

 影砕きの術とは書いて字の如く、本来干渉できない影を砕いたり裂いたりする事が出来る術である。そして、影が変化すればその元となっている本体にも影響が出る。ゲッコウは足元の影に映る氷の影を砕き、自分に突き刺さり体を凍てつかせる氷を砕き散らした。刺さった氷が無くなった事でそれ以上体が凍る事は防がれたが、しかし体を氷結させられそうになった事で体力を大幅に奪われた。

 正直な話、これ以上の戦闘は厳しいと言わざるを得ない。特にフブキの様な本当の実力者を相手には…………

 

「はぁ、はぁ……へへっ。とは言え、そう簡単に諦めて――」

 

 体はボロボロでも心は奮い立っている。ゲッコウは気合を入れ直しフブキとの戦いに臨もうとしたが、その刹那何かが彼の背を大きく切り裂いた。

 

「がぁぁぁぁっ?!」

「お前は……!」

 

 ゲッコウの背を切り裂いたのはドクロであった。その傍らにはヤンマクセジの姿もあり、何が何でもゲッコウを始末すると言う意思が感じられる。

 

「何を遊んでいる?」

「そんなつもりは無い。ただ、コイツがしぶとかっただけよ」

 

 心外だと言う様にドクロに反論するフブキだったが、しかし彼女がゲッコウ相手に全力を出し切れていなかったのは紛れもない事実であった。ゲッコウに正体がバレそうになっていた時に動揺が隠せず、正体を明かされてからは明らかに動きに精細さを欠いていた。それでも不意打ちに近い形で彼に大ダメージを与えられた事は流石と言う他無いが。

 

「ならばさっさと始末しろ。あまり時間を掛けているとコガラシがここに来る」

「今し方、上に向かわせた下忍とクセジが全滅しました。どうします? コガラシ1人なら足止め出来なくも……」

「いや、最近のコガラシの成長度合いは異常だ。欲をかいて藪を突くような真似をする必要は無い。ここは確実にこの裏切り者を始末する」

 

 迫るドクロとヤンマクセジを見て、ゲッコウは意を決しフブキに向け突撃する。当然フブキは彼に向け手裏剣を投げて迎撃するが、彼は飛んでくる手裏剣を避けるどころか防ぎもせずその身に受けながらも歩みを止めない。自爆覚悟とすら思えるその行動に、フブキは一瞬呆気に取られてしまった。

 

「なっ!?」

「おぉぉぉぉっ!」

「あぐっ!?」

 

 驚きのあまり唖然としている間に、接近してきたゲッコウは彼女に抱き着く様にして押し倒した。寝技か絞め技でもかけてくるのかと彼女は警戒したが、予想に反して彼がしてきたのは彼女への説得であった。

 

「目を覚ませ椿ッ! お前は、俺と肩を並べて戦いたかったんだろッ! 俺だってそうだッ! そのお前が、そんな簡単にオボロなんかに下ってんじゃねえッ!」

「わ、私……私は…………!?」

 

 ゲッコウの説得の言葉がフブキの心に突き刺さる。抱き着いて来たゲッコウを振り払う事も忘れて、声を震わせながら視線を彷徨わせていた。その姿を見て彼は確信した。彼女には……椿にはまだ、引き返せるだけの余地がある。問題はここからどうやって彼女を引き戻すかという事であるが…………

 

(クソッ! コガラシの野郎は何処で油売ってやがるッ!)

 

 もし今この場にコガラシも居れば、彼を説得に加わらせる事も出来た筈。甲板からここまでなら、そう時間は掛からない筈なのに未だに降りてこない事にゲッコウは内心で悪態をついた。

 とは言え、今何が起きているかは分かる。大方下忍やクセジが彼の行動を邪魔しているのだろう。流石にオボロが直接赴いているとは思わないが…………

 

「クソ、どうする……」

「女に何時までも抱き着くのは感心しないなッ!」

「ぐぁっ!?」

 

 どうやって椿を正気に戻そうかと考えていたゲッコウだが、ドクロは彼が長考する時間を与えてはくれなかった。床にフブキを押し倒しているゲッコウに近付くと、無防備なそのわき腹を思いっ切り蹴り飛ばした。脇腹を蹴られた瞬間、肋骨がミシリと音を立てる。

 

 そのままフブキから引き離されたゲッコウは、床を数回バウンドして手摺に叩き付けられる。戦闘の余波でボロボロになっていた手摺はその衝撃で大きく歪み、次に何か刺激を受けたらそれだけで崩れてしまうだろう事が予想出来た。

 

 手摺に叩き付けられたゲッコウは、ドクロに蹴られた脇腹を押さえながら立ち上がる。立ち上がろうと体に力を籠めると、肋骨の辺りを中心に激痛が走る。恐らく今の一撃で何本か折れたのかもしれない。

 

「ぐぅぅ……!? いつ、かはっ。はぁ、はぁ……チクショウ」

 

 満身創痍と言った有様のゲッコウを前に、ドクロはフブキに顎をしゃくりトドメを刺す様に告げた。

 

「フブキ、お前がトドメを刺せ」

「え?」

「裏切り者には死を……お前もオボロ様に忠誠を誓ったのなら、これ位の事は出来るだろ?」

 

 ドクロの言葉にフブキはゆらりと立ち上がると、忍者刀を手にゆっくりとゲッコウに近付いていく。傷付いたゲッコウは、近付いてくるフブキを前に傷を押さえて手摺に寄りかかったまま動かない。

 

 歩みは遅かったが、それでもそう長く時間を掛けずゲッコウの前にフブキが立った。そして動けない彼の前で、手にした忍者刀を大きく振り被った。

 

 次の瞬間、これを振り下ろせばそれで終わる。ゲッコウは大きく切り裂かれ、その衝撃で海に落ちるだろう。ただでさえ傷付いている今、胴を大きく切り裂かれては助からない。よしんば傷が浅かったとしても、この状態で海に落ちればどの道同じだろう。ここは太平洋のど真ん中。大きく体力を消耗した状態では、何処かに流れ着く頃にはくたばっている。

 

 もう、ゲッコウは完全に詰みだ。それを理解できているフブキは、振り上げた忍者刀を未だ振り下ろせずにいた。

 

「どうした? 出来ないのか? これはオボロ様からの命令だぞ?」

「わ、分かっている……」

「君が出来ないなら、僕が代わりにやってあげてもいいよ?」

「五月蠅いっ! 分かっていると言ったッ! 黙ってッ!!」

 

 挑発するようなドクロとヤンマクセジの言葉に、フブキも遂に決心がついたのだろう。改めて忍者刀を振り上げると、それを思いっ切り振り下ろした。

 

 その刹那、2人の目が合った。互いに仮面で顔を隠しているが、ゲッコウには今の彼女がどんな顔をしているかが分かったような気がした。

 フブキ……椿の目からは、一筋の涙が零れ落ちていた。だがそれは他の誰にも分からない。仮面で顔を隠しているから。

 

 フブキが忍者刀を振り下ろしたのと時を同じくして、上を片付け終えたコガラシが漸くここに辿り着いた。

 

「ゲッコウ、ここかッ!」

 

 階段から降りてきたコガラシが廊下に顔を出す。それと同時に、フブキが振り下ろした刃がゲッコウの胴を切り裂いた。

 

「…………え?」

 

 その光景はコガラシには酷くゆっくりとしているように見えた。まるでビデオをスロー再生しているかのように、ゲッコウがフブキに切り裂かれ大きく仰け反る様子が鮮明に脳裏に刻まれる。

 

 コガラシが来た事に気付く事無く、ゲッコウを切り裂いたフブキはダメ押しにと彼を外へと向け蹴り飛ばした。

 その際、彼女は誰にも聞こえない位の小さな声で呟いた。

 

「さようなら、私の――――――」

 

 最後の部分は本人にも聞き取れないほど小さかった。だが、その言葉をつぶやいた瞬間目から涙が零れ落ちたのを彼女自身確かに感じていた。

 

 一方切り裂かれて蹴り飛ばされたゲッコウは、声も挙げずに壊れた手摺から飛び出し海へと落下していく。それを見てコガラシは漸く我に返り、フブキを突き飛ばして退かせると壊れた手摺から身を乗り出し落ちていくゲッコウに向け手を伸ばした。

 

「隆司ぃぃぃぃぃぃっ!?」

 

 コガラシが手を伸ばすが全てが遅かった。彼が壊れた手摺から身を乗り出した時には、ゲッコウの姿は既にどこにも見当たらない。無情にも広がる大海原が広がるだけの光景に、コガラシは意味も無く手を伸ばし続けていた。

 

 揺れる波間と、船体が波を切って飛び散る飛沫。その中にゲッコウの姿が見えない事に、コガラシは己の無力さに体が震えた。

 

「あ……あぁ、ぁ……」

 

 仲間になれるかもしれなかった。いや、心は既に仲間だった。そんな男が、目の前で無情にも海の藻屑となった事実を認めたくなくて、だが目の前の現実は彼の死をまざまざと実感させて……

 

 胸の内に湧き上がるやるせない気持ち、己の無力さへの怒り。それらが渦巻き、次第に彼は海に伸ばしていた手を握り締めた。

 その怒りの矛先は、当然と言うか自分からゲッコウを海へと落としたフブキ達へと向いた。

 

「お前……お前ら……! お前がぁぁぁぁッ!!」

 

 振り向き様に轟雷を振り回し、怒りを力にフブキに斬りかかった。フブキは咄嗟に氷鱗で振るわれた刃を防ごうとするが、彼の力は予想を超え左手の氷鱗が一撃で弾かれ彼女の手を離れて壁に突き刺さってしまう。相手の武器が片方失われたのを見て、コガラシはこれでもかと畳み掛ける。

 

「あぁぁぁぁっ!!」

「くっ!?」

 

 怒涛の勢いで行われる攻撃を片手の氷鱗だけで何とか防ぎ、受け流そうとする。だがまるで暴風の様なコガラシの攻撃は、彼女を防御毎吹き飛ばそうとしているかのような勢いで襲い掛かった。一撃一撃が重く、こちらは弾かれ飛ばされて行かないようにするだけで精一杯である。

 

「こ、こんな……!? 馬鹿なッ!?」

 

 攻撃を何度か防いでいて、フブキはある事に気付く。コガラシの攻撃が密度の高い風を纏っている。風の忍者であるコガラシが攻撃に風を乗せる事自体は珍しくない。だがここで奇妙なのは、彼は筆を使って難の忍術も使っていないにも拘らず風を纏っている事だ。全ての忍術を執筆忍法で駆使する彼ら万閃衆・卍妖衆が、忍筆を使わず術を使うなど本来あり得ない。

 

 その動揺が動きに現れたのだろう。残っていた氷鱗もコガラシの一撃で弾かれ海へと落ちていく。そして武器が二つ失われた事で、フブキの身を守る物は何もなくなり、返す刃で放たれたコガラシの斬撃に彼女は体を大きく切り裂かれた。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!?」

 

 圧縮した風を纏っての斬撃は一撃でフブキの全身をズタズタに切り裂いた。それだけでなくその威力は至近距離で爆弾が爆発したに等しく、フブキは大きく吹き飛ばされ壁に叩き付けられてしまった。

 

「うぐぁっ!? がはっ!? ぐぅ、ぅぅ……」

 

 壁を凹ませるほどの威力で叩きつけられ、そのまま重力に引かれズルズルと床に滑り落ちていく。変身こそ解除されなかったが、今の一撃で彼女は腕一本上げるのが難しくなるほどのダメージを受けてしまった。

 

「はぁ、はぁ……くっ!? こ、こんな……私が……コイツ、なんかにぃ……!」

 

 それでも彼女には彼女の意地があった。コガラシへの、千里への嫉妬と憎悪を糧に、痛みを無視して立ち上がる。その際に切り裂かれた部位から血が噴き出るが、その程度の事彼女にとっては最早些末事であった。

 体の痛みなど関係ない。フブキにとってコガラシは不倶戴天の敵。例え腕一本足一本を犠牲にしようと、彼を仕留めなければ彼女は前へは進めない。今の彼女はそう思っていた。

 

 差し違える事になろうと構わないと戦う姿勢を見せようとしたフブキだったが、それを何時までも許すドクロでは無かった。オボロからはフブキが失われる事はない様にしろと言い含められている。ゲッコウに代わり、従順で優秀な忍びを手放したくないのだろう。

 

 ドクロは素早くフブキの元へと向かうと、弱った彼女の腹を殴りつけ無理矢理彼女の意識を刈り取った。

 

「あ゛っ!? ぐ、ぅ……な、なに、を…………」

「目的は達した。ここまでで十分だ」

 

 意識を失い、崩れ落ちるフブキ。その最中に彼女の変身が解け素顔がコガラシに晒されそうになるが、それよりも早くにドクロが床に煙玉を叩き付け噴き出る白煙によりドクロとフブキの姿が覆い隠される。

 

「逃がすかッ!」

 

 まだ完全に逃げるまで僅かながら時間が掛かる。せめてフブキの正体だけは確認しようと風を放って白煙を吹き飛ばそうとした。

 

 が、ヤンマクセジがそれを妨害する。彼はコガラシが忍筆を取り出そうとしたのを見た瞬間、翅を高速で羽搏かせ一気に接近し両手の爪で斬りかかった。

 

「させないッ!」

「くっ!? 邪魔だッ!」

 

 ヤンマクセジの攻撃によりコガラシはドクロとフブキを追撃する機会を失った。次の瞬間には煙が晴れ、そこに2人の姿は影も形も無くなっていた。

 その事に彼は奥歯を噛みしめ、胸の内で荒れ狂う怒りを目の前のヤンマクセジにぶつける。

 

「このぉぉぉっ!」

「フッ、そんな攻撃……!」

 

 怒りに身を任せた勢いだけの攻撃など見切るのは容易いと、ヤンマクセジは超高周波を発しながら高速で移動する。拘束で翅を羽搏かせたことで発生する高周波が周囲を震わせ、近くの窓ガラスが罅割れ砕け散る。

 

 超高周波は周囲の物体だけでなく対峙するコガラシにも襲い掛かる。鼓膜を震わせる強烈な振動は、彼の聴覚を奪い三半規管すら狂わせた。

 その筈なのだが、肝心のコガラシは全く堪えた様子を見せない。耳を押さえて苦悶する事も無ければ、酔っぱらったようにふら付く事も無い。全く変わらぬ歩みでヤンマクセジに近付いていったのだ。

 

 微動だにせず轟雷を手に歩み寄って来るコガラシの姿に、本能的な恐怖を感じてヤンマクセジは迷彩能力を使用して姿を消した。

 

 ヤンマクセジが見えなくなると、コガラシは軽く左右を見渡して何かを探す仕草を見せた後深く息を吐いて心を落ち着けると轟雷を顔近くに上げ横に水平に構えた。

 

「ふぅぅぅぅ…………」

 

 空気が張り詰め、聴覚が奪われるほどの超音波が響く中、ここにきてコガラシは仮面の下で目を瞑った。ただでさえ耳が聞こえない状況なのに、この上更に視界まで塞ぐのは常軌を逸しているとしか思えない。勿論対峙しているヤンマクセジには彼が目を瞑っている事等分からない。もしコガラシが仮面をしていなかったら、ヤンマクセジも思わずその異様な光景に慄いていた事だろう。

 

 構えを取り、動きを止めたコガラシにヤンマクセジは違和感を感じながらも今が好機かと姿を消したまま高速で接近し襲い掛かった。

 

(貰ったぁぁぁッ!!)

 

 ただでさえ高速で動き回る上に更に迷彩能力で姿を消しているヤンマクセジを前に、しかしコガラシの心は驚くほど凪いでいた。視界を閉じ、耳も聞こえないにも拘らず、彼の心には微塵も動揺が無かった。

 

 いや、それは間違った表現だろう。正確には彼の心は落ち着いているのではない。これ以上ない程に猛り狂ってしまい、この程度の痛痒が全く気にならなくなったのだ。耳が聞こえなかろうが、目が見えなかろうが、今の彼にとっては恐れる程の事では無い。

 

 今彼が考えているのは、敵を確実に屠ると言う漆黒の決意のみ。目を瞑ったのは、余計な情報を入れず心に湧き上がった怒りを煮詰めて一気に爆発させる為。

 

 その最中、迫ったヤンマクセジの爪がコガラシに襲い掛かる。鋭い爪がコガラシの体を切り裂こうと振り下ろされ、その先端が僅かに彼の体に触れた瞬間――――

 

「ッ! そこだッ!!」

「がっ?!」

 

 ヤンマクセジの爪がコガラシを切り裂くよりも早く、コガラシが振るった刃が相手の体を切り裂いた。目にも留まらぬ一撃がヤンマクセジの体を大きく切り裂き、その衝撃で奴は大きく吹き飛ばされ床に叩き付けられた。

 

「ぐ、ぁ……!? な、何だ、今のは……?」

 

 今の瞬間、ヤンマクセジの攻撃の方が明らかに早かった。実際彼の爪はコガラシの体を小さくだが傷付けている。しかし現実に、攻撃され地に倒れているのはヤンマクセジの方。訳が分からず混乱しながらヤンマクセジがコガラシの事を見ると、彼の体は僅かに雷光を帯びていた。

 

「あれは……」

「これで終わりだ、先輩」

 

 ヤンマクセジが目を見張っていると、コガラシがゆっくりと近付いて来た。その歩みは先程に比べて何処か覚束ない様子で、今頃思い出したかのように平衡感覚に影響を受けた様子だった。

 とは言えこの状況、軍配が上がっているのは明らかにコガラシの方だった。もうヤンマクセジに反撃するだけの体力はない。超高周波と迷彩能力のコラボで放つ筈だった一撃をいとも簡単に打ち破られ、精神的なショックも大きかった。

 

 どう考えても勝ち目などないこの状況、しかしまだ逃げるだけの余裕はある。ヤンマクセジは爪を壁に引っ掛けるようにして立ち上がった。

 

「はぁ、はぁ……今日はここまでにしておくよ」

「逃げる気か?」

 

 一見すると会話が繋がっているように見えるが、今のコガラシの耳は機能していない。先程のヤンマクセジの超高周波により奪われた聴覚はまだ戻ってきていないのだ。今彼が口にした言葉は、この状況で出来る事を予想して言葉にしただけの事だった。

 

 とは言え両者の意見は一致していた。ヤンマクセジは逃げる気だし、コガラシもそれを見抜いた。そして、コガラシにはヤンマクセジを逃がすつもりは毛頭ない。

 

 甲高い耳鳴り以外何も聞こえない世界の中、コガラシは近くの壁を切り裂きながら轟雷をヤンマクセジに振り下ろす。ヤンマクセジはそれを紙一重で回避すると、手摺を乗り越え翅を羽搏かせて空中へと躍り出た。

 

 そのまま空を飛んで逃げようとするヤンマクセジを、逃がすまいとコガラシは轟雷を納刀して銃口を向けた。

 

「逃がすかよ……!」

 

 ヤンマクセジの高速移動能力は確かに厄介だが、弱点が一つある。ノーモーションから高速移動には移れないと言う点だ。ヤンマクセジが高速移動する為には、エネルギーを溜めるかのように翅を数秒高速で動かさなければならない。

 

 それだけの時間があれば狙いを定めて引き金を引くくらいどうという事無い。

 

 この時、コガラシの中には敵に対する怒りしかなかった。だから彼は気付かない。ここでヤンマクセジを撃ち抜けば、今度は彼の方が海の藻屑と化してしまう事に。

 

「これでッ!」

 

 狙いを定め、コガラシが引き金を引こうとした。その刹那、聴覚を一時的に奪われた筈の彼の耳が1人の少女の声を受け止めた。

 

「千里君、ダメェッ!?」

「ッ!?!?」

 

 脳裏に響く唯の声に、コガラシは一瞬で激情を霧散させる。そしてその直後、ヤンマクセジは高速でその場から姿を消した。

 

 ヤンマクセジが姿を消してからも、コガラシは暫しその場で呆然としていた。茫洋と海原を眺めながら、轟雷をゆっくりと下ろしていく。

 そんな彼に唯が駆け寄り、彼の腕を掴んで揺らした。

 

「千里君? 千里君大丈夫ッ!?」

「ぇ、あ……唯ちゃん」

「千里君、どうしたの?」

 

 不安そうな顔で唯が訊ねるが、コガラシに彼女の言葉は聞こえてこない。

 

 その状態でコガラシは変身を解き、唯に仮面の下の素顔を晒した。露わになった彼の顔は明らかに消沈しており、目にはいつもの力が感じられなかった。

 明らかに今し方何かあった。そう感じた唯がもう一度何かを訊ねようとするが、その言葉が口から出るより先に千里が彼女の体を強く抱きしめた。

 

「わっ! せ、千里君……?」

 

 痛い位の力で抱きしめられ、何があったのかと聞こうとした。が、耳元で千里のすすり泣くような声が聞こえてそれを止めた。今の彼に必要なのは、訊ねる事では無く受け止める事。唯は抱きしめてくる千里の背中を優しく撫でた。

 

「大丈夫、大丈夫よ」

「う、うぅ…………!?」

 

 周囲には波のさざめき以外何も聞こえない。そんな中で大きく傷付いた船の中ですすり泣く千里を、唯は優しく受け止め彼が落ち着くまで子供をあやすように彼の背中を撫でながら声を掛け続けたのだった。




と言う訳で第41話でした。

予想されてはいたでしょうが、今まで好き勝手してきたのが仇となり隆司が遂に処されました。とは言え、まだ死亡確定演出が無いので復活フラグは折れてはいません。今後首から上だけになってたり、死んだ後に利用される事は無いとは言い切れませんけれども。

執筆の糧となりますので、感想評価その他よろしくお願いします!

次回の更新もお楽しみに!それでは。
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