千里達が逸子の治療の為、万閃衆の総本山に向かう事が決まった。向かう場所は京都の鞍馬山。以前は日光の方に総本山があったらしいが、傘木 雄成により壊滅的打撃を受けた上に卍妖衆が発足すると、敵に知れ渡っていては総本山として意味がないと秘密裏に移転させたとの事だ。
鞍馬山への移動には新幹線を用い、3人は一路京都へと向かっていた。
「私、京都に行くのなんて初めてかも」
流れていく窓の外を眺めながら、唯がそんな事を呟く。彼女の呟きに、千里はお茶の入ったペットボトルから口を離して続けた。
「あぁ、実は俺もなんだ」
「えっ? だって千里君は……」
万閃衆の忍びである千里なら、何らかの形で総本山に顔を出した事もあるのではないか? そう思って意外そうな声を唯が上げると、千里は苦笑しながら答えた。
「昔の総本山なら行った事あるんだけどね。鞍馬山に移ってからは一度も行った事が無いんだ。元々機密を守る為に、総本山への出入りは必要最低限に抑えられてるから」
「傘木 雄成の襲撃の件で警戒してるんだ。あれ以来総本山は外界との接触をほぼほぼ断っちまった。政府とのやりとりも下忍を使者としての手紙になってるからな」
「下忍って……逆に危なくない?」
失礼な言い方になるかもしれないが、下忍は正直頼りないと言う印象が強い。これまでにも何度か秘宝の警備に下忍が当てられている現場を見たが、彼らは皆卍妖衆の中忍や上忍により無力化され秘宝を守り切れていたとは言い難い。何れも千里が居たからこそ秘宝が守り切る事が出来たと言う面が強く、そんな彼らが外界とのメッセンジャーとなっている事に唯は不安を感じずにはいられなかった。
「もし、手紙を運んでる下忍の人が途中で卍妖衆に見つかって、手紙を奪われたりしたら……」
「その点は心配いらないよ。手紙を運ぶ下忍は1人じゃない。複数人が別々の手段や方向から同時に行き来する。流石の卍妖衆も、同時に複数個所を一斉に見張る事は難しい。1人2人は捕捉されても誰かは必ず手紙を届ける事が出来る」
「中身を見られるのは? 大事な内容が卍妖衆に見られたら困るんじゃないの?」
「その点も問題無し。手紙の内容は万閃衆以外には分からない暗号や符丁で埋め尽くされてる。内容は卍妖衆にも分からない」
それは、手紙を受け取る政府側も分からないのではないか? そう思っていると隣の千里が補足してくれた。
「手紙を受け取る側も万閃衆から派遣された忍びなんだよ。所謂窓口ってやつ。その人達なら万閃衆の暗号も読めるし、返信の手紙も暗号で書ける」
「あ、なるほど、へ~……」
知らなかった万閃衆の内情を知る事が出来て、唯は感心したように声を上げる。彼女の様子に千里は微笑ましさを感じ笑みを浮かべつつ、学が運んでいる逸子の方に意識を向ける。
「それより、先生は大丈夫かな?」
今逸子は大型のスーツケースの中に収められている。皮と内臓だけとなった彼女を、担いだりして運べるわけがない。そんな状態の彼女を見えるような形で運んだりすれば、卍妖衆に見つかり易いと言うだけでなく警察の厄介になってしまう。
スーツケースに入れるとは言うが、決して雑にぶち込んでいる訳ではない。前述した通り今の彼女は骨の無い肉と皮だけの状態。乱暴に扱えば脳や内臓が損傷してしまう。そんな彼女を出来る限り安全に運ぶ為、逸子は特殊な構造に改造したスーツケースの中に収められていた。
ケースの中は二重構造になっていて、内部は水で満たされている。勿論そのままでは逸子が溺れてしまうので中には小型の酸素ボンベも備え付けられており、吸入器は逸子の口に繋がれ新鮮な空気を彼女の肺に送り込んでいた。
「電気信号は今のところ安定してる。大丈夫だ」
「先生……」
「もう少しだけ、待っててください。必ず助けますから」
千里達は逸子を助ける事を胸に、一路万閃衆総本山の鞍馬山へと向かっていった。
***
それから少しして、3人は京都の鞍馬山に到着していた。山の麓に到着した千里達は、前方に聳え立つ雄々しくも自然豊かな鞍馬山を見上げていた。特に唯はこういう所に旅行に来ること自体も稀だったので、普段滅多にお目に掛かれない雄大な自然に圧倒されていた。
「ふわぁ~……ここが鞍馬山……」
良く言えば単純に圧倒、悪く言えば暢気に山を見上げる唯に対して千里と学の2人は周囲を警戒していた。鞍馬山も京都の観光スポットの一つ。当然周囲には3人以外にも観光目的で訪れた人々が多数おり、その中には高校生3人だけでこの場に来ている千里達に物珍しそうな目を向けている者も少なくはない。特に学は大きなスーツケースを持っているのだ。山に入るのにスーツケースなど違和感のある組み合わせに、疑問を抱かれない訳がない。
「南城、周囲の警戒頼む」
「言われずとも。安心しろ、ざっと確認した限りこっちを狙ってるっぽい奴は居なさそうだ」
千里の答えに学は満足そうに頷くと、警戒を怠らないようにしながらスーツケースを引き摺り山へと入る。音もなく山に入る学に千里も続き、千里に手招きされて唯も慌ててその後に続いた。
入山して暫くは、他の観光客と同じルートを進んだ。3人は私服なので当然一目で学生とは分からない筈なのだが、それでも溢れる若々しさと言うか特に唯から学生オーラを感じるのか時折視線を集めた。まぁやはりこんな所にスーツケースを持ってくる事も十分異常だろうから、そこら辺も注目される理由ではあるのだろうが。
だがそれもそう長くは続かなかった。暫く千里に手を引かれて学について行っていた唯は、何時の間にか周囲から他の観光客の姿が見当たらなくなっている事に気付いた。というより、今歩いている場所が本来の観光ルートではない事に気付いた。獣道とまでは言わないし、足元には歩きやすいようにと石畳が敷かれてはいるが、それでも頻繁に人が歩き回る道と言うには何処か不気味で薄暗い。恐らく知らなければ立ち入る者など誰も居ないだろう。
時々顔に掛かりそうになる木の枝をかき分けるようにして歩き続けていた3人は、比較的広い道に入った。その瞬間先頭を進む学の足元に苦無が1本突き刺さる。
「おっと……」
「お出迎え、か」
「えっ?」
千里と学の呟きに唯が首を傾げていると、唐突に周囲の木の上や木陰から人影が飛び出してきた。現れたのは忍び装束の者達……万閃衆の下忍達である。各々手に忍者刀や苦無を持ち、千里達を取り囲んで警戒した様子を見せた。
「えっ? えっ!?」
突然敵意剥き出しの忍者達に取り囲まれ、唯は何が何だか分からないと言った様子で狼狽える。それを千里が優しく宥めるように肩を抱き、周囲の敵意から守る様に自分の影に彼女を隠す。一方学はと言うと、こちらは取り囲まれているのに特に気負った様子を見せない。努めて自然体で下忍達の姿を眺めていた。
それどころか彼は、下忍達の事を品定めすらしていた。
「ふむ……流石に総本山の連中はしっかり鍛えられてるな。佇まいに隙が無い」
武器を向けられた状態で取り囲まれていると言うのにそんな事を宣う学に、下忍達が訝し気に互いの顔を見る。
取り合えず今すぐどうこうしようと言う気は無いのは何となく分かったが、それはそれとしてこのままでは話が進まない。一体どうするのかと唯が2人に問おうとした時、新たな忍びが3人と下忍達の間に降り立った。
「そこまでだ。その3人は敵ではない、武器を収めろ」
「ッ! ハッ、ホムラ殿」
新たに姿を現した忍びは千里の父・徹が変身したホムラであった。降り立って早々に彼は周囲の下忍に指示を出し、武器を収めさせるとそのまま下がらせた。あっという間にその場には千里達3人の他にはホムラしかいない状況になり、同時に辺りに漂っていた緊張感も消え去った。その事に唯は心の底から安堵しホッと一息つき肩から力を抜いた。
「ふぅ……」
「すまないな、小鳥遊さん。以前の事もあって、万閃衆は来訪者に対しては特に警戒心が強くなっているんだ」
「あっ! い、いえ、大丈夫です」
申し訳なさそうに頭を下げてくるホムラに唯は慌てて手を振って答えた。確かに驚きはしたし、これからどうなるのだろうと不安になりもしたが、あちらにもあちらなりの事情がある事は分かっている。だから本当に気にしてはいなかった。
「ゴメン、父さん。手間を掛けさせて」
「気にするな。お前達が来ることは事前に聞いていた。今回はそちらも大変だったようだな?」
そう言ってホムラは学が持っているスーツケースに目を向ける。彼の視線に学は頷き、それを見て彼も頷き返して変身を解いた。
「こちらの方は準備できている。東雲女史も待っている。こっちだ」
徹に先導され、3人はそのまま道なりに進んだ。少し進んでいくとそれまでの薄暗い雰囲気は何処へ行ったのか、しっかりと整備された石畳の道へと入った。その道をそのまま歩いていくと、出し抜けに目の前に驚きの光景が飛び込んできた。
「う、わぁ……!」
そこに広がっていたのは新しくも古風な街並みであった。真新しい木造の建物が幾つも周囲に並び、ここが観光地であると言われても納得できてしまう光景が広がっている。
驚きと共に感動を覚えた様子の唯が口を半開きにしながら周囲を見渡しているのを見て、千里が小さく笑みを浮かべるとこう口にした。
「唯ちゃん……ようこそ、万閃衆総本山へ」
3人はそのまま奥へと連れていかれ、総本山の中でも特に大きな屋敷へと入っていった。千里の家とはまた違う造りの日本家屋の玄関で靴を脱ぎ、徹の後に続いて廊下を進み客間と思しき部屋へと通される。
その道中、唯は迂闊なものに触れたりはしない様に気を付けた。千里の屋敷ですら何処に罠が仕掛けられているか分からない忍者屋敷だったのだ。万閃衆総本山ともなれば、周囲は罠に囲まれたトラップハウスである事は容易に想像がつく。下手なものに触れれば文字通り命取りとなりかねない。千里や徹が何も言わなかったのでもしかしたら大丈夫なのかもしれないが、唯は警戒して客間の座布団に座るまで緊張感を持って歩いていた。
何が自分の命を脅かすか分からない忍者屋敷の中で、唯一安心できるテリトリーと言える座布団の上に腰を下ろしたところで漸く唯は肩から力を抜き腹の底から息を吐く事が出来た。
「はふぅ~……」
「唯ちゃん、大丈夫?」
「え? うん、ちょっと緊張しただけだから」
「楽にしてくれていい。小鳥遊さんの予想通りここも忍者屋敷だが、少なくともこの客間には何の罠も無い」
唯が何を警戒していたのかを察した徹が来客用の茶を湯呑に注いで差し出しながら安心させるようにそう言う。彼の言葉に唯は心底安心し、渡された茶の温かさに緊張が解れていく。
唯が寛ぎ出したのを見計らい、徹は彼らがここに来た理由に話を移した。
「それで、今日ここに来たのは……」
「先輩がどうなったのかってのと、泥伯先生を治してほしいって事」
「それと、報告ですね。長谷部 椿が万閃衆を裏切って卍妖衆に寝返りました」
学の言葉に徹が目を見開いた。彼の中でも椿は優秀な万閃衆の忍びだったので、その彼女が裏切って卍妖衆に付くと言う事実は、彼にとっても予想外にも程がある内容だったのである。
徹は暫し目を瞑り、腕を組んで額に指先を当て心を落ち着けつつ情報を整理した。そして内心の動揺を抑えるとゆっくりと目を開き口を開いた。
「そうか……長谷部さんがな……」
「父さん、長谷部さんは何だって卍妖衆に? 母さんからの教えを守るって普段から自分にも厳しくしてたあの人が裏切ったなんて、俺未だに信じられないよ」
「その疑問には、私が答えられるかもしれません」
明らかに落胆した様子の徹に思わず千里が詰め寄りそうになると、障子の向こうから声が掛けられた。鈴を転がしたような女性の声に全員の視線が廊下に続く障子の方に向くと、音もなく障子が開かれ和服姿の妙齢の女性が姿を現した。
そこに居たのは、目を剥くような美しさの女性だった。濡れ羽色の黒髪は背中の中程まで伸び、対照的な白い肌は白磁の様。首元から足元まで覆い隠す和服により体型はハッキリとしないが、そんなの気にもならない位の美しさを女性は備えていた。海都で出会った瑠璃も女性の美を集約したような美しさがあったが、こちらの女性は瑠璃とはまた別ベクトルで女性の美しさを極めた様な何かを感じさせた。
千里と唯が思わず女性に見惚れている中、徹と学は至って普通に女性に声を掛けた。
「東雲女史。何度も呼び出して済まないな」
「お久し振りです、東雲さん。お変わり無い様で」
「お気になさらず、南城さん。これが私の仕事ですから。山崎さんは相変わらずの様で、安心しましたよ」
女性……東雲
「あッ! こ、この人がッ!」
「万閃衆で禁術を使えるって言う?」
「はい。東雲 沙苗と申します。よろしくお願いしますね、南城 千里さんに小鳥遊 唯さん」
その場に膝をつき、床に手をつき流れるような動きで頭を下げてくる沙苗に千里と唯も慌てて同じように床に手をつき頭を下げた。
「あっ! こ、こちらこそッ!」
「よ、よろしくお願いしますッ!」
慌てて畏まり頭を下げてくる2人に、沙苗は微笑ましい物を見る目を向けながらクスクスと笑みを浮かべた。その姿、正に大和撫子を絵に描いたような女性であり、唯は同じ女性として圧倒されずにはいられなかった。
(う、うわ~、こんな人がこの世に居るんだ……)
瑠璃もまた常識離れした美しさだったが、沙苗はそれともまた違う。今や架空の存在でしかないと思っていた大和撫子をこの目で見るとは思っていなかったので、信じられないという言葉が頭の中を満たしていた。
一頻り挨拶を済ませると、沙苗は室内に入り徹が敷いた座布団の上に腰を下ろした。その仕草がまた堂に入って美しく、彼女の一挙手一投足全てがまるで物語の中の出来事の様に洗練されたものとなっていた。
沙苗は腰を下ろすと、早速先程の千里の疑問に対する答えを口にした。
「それで、先程の南城君の疑問ですが……」
「さっきの? あぁ、長谷部さんが裏切った事?」
「はい。結論から申し上げますと、恐らく禁術を使われた可能性が高いかと思われます」
「禁術をッ!?」
驚きのあまり腰を浮かせる千里に、沙苗は真剣な表情で頷いた。
「はい。禁術の一つに他者の心を操る事を可能とする心遁の術と言うものがあります。この忍術は相手の心のみならず、記憶までをも操り偽りの記憶を植え付けそれにより相手の心を揺さぶる事も可能としています。恐らく長谷部さんも、本来あり得ない記憶を植え付けられそれを元に心を乱され、それによって生まれた心の隙を突かれて洗脳されたのではないかと思われます」
「じゃあ、やっぱり長谷部さんは心から裏切った訳じゃないんですねッ!」
沙苗の言葉に千里は希望を抱いた。やはり椿は自ら裏切った訳ではなく、裏切らされたのだ。オボロにより洗脳され、望まぬ裏切りをさせられた。それならば、彼女に掛けられた洗脳を解く事が出来れば再び万閃衆に戻ってくる。
「どうすれば? どうすればその洗脳は解けるんですか?」
興奮のあまり沙苗に詰め寄ろうとする千里だったが、そんな彼を徹と学が宥めた。気持ちは分からなくも無いが、そんなに勢いをつけては答えられるものも答えられない。
「落ち着け千里」
「南城、どうどう」
「っとと、すみません……」
「いえ、大事なお仲間ですものね。気持ちは分かりますよ」
2人に宥められ自分が興奮しすぎていた事を自覚した千里は、申し訳なさそうに頭を下げ座り直す。沙苗はそんな彼に優しく笑い掛けながら軽く手を振ると、真剣な表情になって彼の質問に対する答えを口にした。
「先程の質問の答えですが、結論を言えば解く事は出来ます」
「よしッ!「ただし……」、ッ!」
沙苗の答えを聞いて思わずガッツポーズをとる千里ではあったが、世の中そんなに旨い話ばかりな訳がない。やはりそこには苦難が存在した。
そもそもの話、例え忍術が絡んでいなくても洗脳とは解くのが難しい。薬品などで判断力を鈍らせマインドコントロールをされた相手を正気に戻すのに、治療の為の薬を使えばハイ元通り、とはいかないのだ。相手を正気に戻す為には相当な根気を必要とする。
椿の場合も元に戻すのはやはり困難が待ち受けていた。
「ただし、簡単な道ではありません。一度歪められた心を元に戻すのは、忍術を使っても治すのに時間が掛かります」
そう言うと沙苗は立ち上がり、千里達を手招きした。向かうのは屋敷から出て少し離れた所にある別の屋敷。彼女についていくと、そこに居たのは先の戦いで千里が倒し治療の為に総本山に運び込まれた人志であった。清潔に保たれた和室の中で、彼は敷かれた布団の上に横になり茫洋とした目を天井に向けていた。
一見すると生気を感じさせない彼の姿に、千里と唯は思わず息を呑み学も顔を顰めた。
「東雲さん、先輩は……?」
「ここに運び込まれた時に比べれば、あれでも大分マシになりました。何分彼は元々忍びとは何の関係も無いただの青年。心もそこまで強くはありませんから、無理矢理心を元に戻そうとすれば当然その歪みは大きくなります。今はこうして、ゆっくりと治療をしているところです」
沙苗は静かに人志の傍によると、腰を下ろし彼に着せている浴衣の胸元を開き取り出した忍筆で文字を書く。
「執筆忍法、心遁
【忍法、心遁 養心の術ッ! 達筆ッ!】
書かれた文字は静かに人志の体の中に吸い込まれ、全身に染み渡る様に吸い込まれると人志の目に僅かだが理性の光が灯った。沙苗は僅かに心が本来の形を取り戻した彼の頭を優しく撫で、彼女の手から体温が伝わった彼の目からは一筋の涙が流れ落ちた。
「……こうして、ゆっくりと心を治しています。ですがこれは彼が元は一般人だからできる事。相手が長谷部さんの様な元は鍛えていた強い心の持ち主となると、そう簡単にはいかないでしょう。何しろ歪められた心も強いでしょうから」
「……どうすれば?」
それでも何か方法がある筈だ。そう期待を込めて千里が問えば、沙苗はその白魚の様な指を一本ピンと立てた。
「方法は1つ。長谷部さんの心を強く揺さぶり、本来の彼女の心を彼女自身に思い出させる事です」
「思い出させる……って?」
「人間誰しも、心の奥には決して揺らがぬ想いを抱いている物です。掛け替えのない想い出、強い信念、そう言ったものは例え忍術を用いようとも歪める事は出来ません。元々強い心の持ち主であれば尚の事です。それを思い出させ、心を覆い隠している殻を自らに破らせる事が出来れば……」
「長谷部さんは元に戻る……! でも…………」
一瞬希望に頬を綻ばせる千里だったが、ここで一つ問題となるのは何をすれば椿は元に戻るかである。恥ずかしい話だが、今まで千里は椿の背を追ってばかりで彼女に並び立てたと言う実感を抱けたことは無かった。そんな彼女を、一体どうやって正気に戻せばいいと言うのか?
千里が悩んでいると、徹が彼の肩を叩いた。顔を上げると、徹は無言で頷き手招きをしてその場から連れ出した。突然席を外した千里と徹に、唯が思わず声を上げる。
「千里君?」
「ゴメン、ちょっと待ってて」
困惑した声を上げる唯を宥めてその場に残し部屋から消える千里と徹。2人が部屋から出ていくと、学はやっとと言った様子でここに来たもう一つの目的を沙苗に話した。
「それと、東雲さん。今回はもう一つお願いしたい事があって……」
「聞いています。骨遁の術で骨を抜かれた女性の治療ですね。こちらへ」
沙苗曰く、デリケートな心の治療に比べれば骨を元通りにすればいい逸子の治療は余程楽だと言う。彼女に案内された部屋では、既に治療の準備がされており何時でも開始できる状態が整えられていた。
尤もその治療の準備と言うのが、人骨を集めると言うちょっとしたホラーなものだったのでなし崩し的にこちらについて来てしまった唯はその光景に小さく悲鳴を上げてしまったが。
「ひうっ!?」
「ゴメンなさい、気持ちの悪い物を見せてしまいましたね?」
「あ、い、いえ……すみません」
「禁術はそれぞれの術で必ず代償を求められるからな。仕方がない事と言えば仕方が無いが……」
血遁は血、骨遁は骨をそれぞれ術の代償に求められる。だからこそマンダラは他者の血を奪ったし、ドクロも墓を掘り返して遺骨などをかき集めた。ここにある人骨も、この為に何処からか集めてきた物なのだろう。何処からどうやって集めてきたのかはあまり考えたくはないが。
ここで唯の中にある疑問が生まれた。では、椿が掛けられたと言う心遁はどうなのだろう? あれも禁術と言うのなら、その行使には代償が求められる筈。それぞれの禁術で、操る物をそのまま代償として求められるのであれば、心遁の術で求められる代償とは…………
(心? 心を代償にするって、どう言う……)
唯が1人思考の海に入り込んでいる間に、沙苗は学と共にスーツケースから逸子を取り出し肉と皮だけになった彼女を布団の上に慎重に寝かせた。無いのは骨だけなので、時折逸子の体がピクピクと痙攣する様に震えている。
「それでは、いきます」
横たえた逸子と集められた人骨を前に、沙苗は軽く腕まくりをすると忍筆を構え素早く文字を書き術を発動させた。
「執筆忍法、骨遁
【忍法、骨遁 湧骨の術ッ! 達筆ッ!】
術が発動すると、空中に書かれた文字が詰まれた人骨へと吸い込まれていき3人が見ている前で見る見るうちに溶けるように無くなっていく。そしてそれに合わせて萎んでいた逸子の体が膨らんでいき、人骨が殆ど無くなるころには彼女の体はすっかり元通りになっていた。
唯もよく知る姿を取り戻した逸子は、先程までの見るも無残な萎んでいた姿が嘘の様に布団の上で穏やかな顔で寝息を立てていた。その姿に唯だけでなく学も安堵したように溜め息を吐いた。
「先生……良かった」
「お見事です。流石、東雲さん」
「東雲さん、ありがとうございます!」
2人からの称賛と感謝に、沙苗は少し寂しそうな顔をしながら首を横に振った。
「いえ、所詮これは禁じられた術を使っての事。こんな物に頼らず、誰かを救う事が出来ればと常に思います」
そう言って沙苗が見るのは、先程まで人骨が積まれていた場所。その視線だけで先程の骨がどうやって集められたのかが容易に想像でき、唯はどんな顔をして何と声を掛ければいいのか分からなくなった。学も少し居心地が悪そうに視線を逸らし、気を取り直す様に軽く咳払いをした。それは或いは、多少強引でも話題を変えようと言う彼なりの気遣いだったのかもしれない。
「んんっ! ともかく、これで先生の方は問題ない訳ですね?」
「そうですね。恐らく骨を抜かれていた間の事もあって心のケアは必要でしょうけど、そちらも私が何とかします。健康状態自体は良好と言えるので、何も心配はいりませんよ」
これで骨猪に対しても良い報告が出来る。彼の喜ぶ顔が見られると、唯は心から安堵の溜め息を吐いた。
彼女が安堵していると、それを合図にしていたように席を外していた千里が部屋にやって来た。障子を開け中を覗き込んだ彼は、布団の中で穏やかな寝息を立てる逸子の姿に安心した様子で笑みを浮かべた。
「あ、先生治ったんだ?」
「えぇ。もう大丈夫ですよ」
「ありがとうございます」
その後、千里の口から今日はこのまま総本山で一夜を過ごす事になったと唯は伝えられた。気付けば大分日も傾いている。今から下山して新幹線に乗っても帰りつくのは夜になってしまうだろう。千里と学はともかく、唯にまでそんなハードな行動を強いるのは徹も心苦しく思ったのだろう。
その話を聞かされ、唯は逆に申し訳なく思ってしまった。
「い、良いのかな? 私、一応部外者だし……」
「良いの良いの。唯ちゃん、もう全くの無関係じゃないんだしさ」
「受け取れる厚意は受けておくのも礼儀だぜ、小鳥遊さん?」
「気にする事はありませんよ、小鳥遊さん。今のあなたはお客様の様なものですから」
千里・学・沙苗の3人からそうまで言われては、断るのも悪いと言うもの。ここは素直に厚意を受け取ろうと、納得して頷いた。彼女が頷いたのを見て、千里は頷き彼女が滞在する部屋を用意しようとその場を去り学は報告の為に部屋から出ていった。
残されたのは唯と沙苗、そして眠る逸子の3人のみ。逸子は寝ているので実質沙苗と2人きりの状況に、唯は思い切って先程抱いた疑問を問い掛けてみた。
「あの、東雲さん。少し気になった事があるんですけど……」
「はい、何でしょう?」
「えっと……心遁の術って、やっぱり心を代償にしてるんですか?」
そう問い掛けると、その瞬間沙苗の表情が固まった。目に見える程に固まった彼女の表情に、これは聞いてはいけない質問だったかと唯が内心で焦り始めると沙苗は一つ息を吐き、手を上げると唯の頭を優しく撫でた。それは唯を宥めていると言うより、自分の心を落ち着かせようとしているような撫で方だった。
「そう、ですね……確かに、心遁の術は心を代償にしています。より正確に言えば、昂った感情や思い出などですね」
「感情や、思い出……? それ、は……」
それはどういう意味かと問おうとしたところで、沙苗の綺麗な人差し指が唯の唇に触れ彼女の口を噤ませた。
「これ以上は、ご勘弁ください。あまり、他人に話したい内容では無いので」
「……はい、すみません」
「理解していただき、ありがとうございます。さ、南城君が来ましたよ」
沙苗がそう言って障子の方に顔を向けると、その瞬間千里が戻ってきて唯に声を掛けてきた。
「唯ちゃん、お待たせ。部屋の用意が出来たよ。こっち」
「あ、うん! それじゃあ東雲さん、失礼しました」
一つ頭を下げて去っていく唯の後ろ姿を見送り、2人の気配が遠くになったのを見計らって沙苗は愁いを帯びた溜め息を吐いた。
「こんな事、流石に言える訳がありませんよね。このような事……」
沙苗の寂しい独り言は誰の耳にも入ることなく消えていった。そしてそのタイミングで、今度は1人の下忍が部屋に入って来た。
「お疲れさまです、東雲女史。準備は出来ています」
「では、行きましょうか」
「はい。こちらです」
下忍に案内され、沙苗が部屋を出た。愁いを帯びたその後ろ姿は、薄暗い屋敷の奥に溶けるように消えていった。
その事を唯達が知る由は無かった。その先で何が行われているかも…………
と言う訳で第50話でした。
人志の治療はゆっくりとですが確実に進んでいます。何分心と言うデリケートな分野ですので、術を掛けてはいお終い、とはいきません。
一方で逸子はすんなり治療完了です。とは言え心のケアとかやるべきことはまだまだ残っていますが、一先ずこれで大事ない状態まで持って行けた感じです。
その治療を行った東雲 沙苗。万閃衆で唯一禁術を使う事を許された彼女は、言うまでも無くここから先のキーパーソン。今後の物語にも大いに関わってきます。
執筆の糧となりますので、感想評価その他よろしくお願いします!
次回の更新もお楽しみに!それでは。