S.B.C.T.から試作品の新型バイクを受け取った千里は、一路神奈川県小田原にある卍妖衆のアジトを目指して走り抜けた。最初、電車を乗り継いで向かうつもりだったのだが期せずして自前の移動手段が得られたのは大きく、予想よりも早くに目的地へと向かう事が出来ていた。
風を読んだ結果、卍妖衆のアジトは万閃衆の総本山と同じく自然の中に隠す様に作られていた。千里は小田原に到着し、アジトがある山の中に入るとそこでバイクから降り自然の中を進んでいく。唯を求めて、殆ど休息も取らずに進み続けた彼は疲労と空腹で時折覚束ない足取りになりながらも、遂に目的の卍妖衆アジト目前まで辿り着いた。
「つ、着いた……ここに……」
物陰に隠れた千里の前には、木々が生い茂る山の中にぽっかり空いた洞窟の入り口があった。まるで地獄へ続く穴が口を開けているかのような禍々しさを感じるその洞窟は、何も知らなくても迂闊に足を踏み入れるべきではないと本能が警鐘を発する。目には見えないが、恐らく周囲には罠や見張りが居る筈だ。ここはまだ相手側から見えない位置だが、ここから出れば即座に見張りの忍びが不意を打とうと動く筈。千里は一度物陰に引っ込み、気合を入れ直す為目を瞑り大きく深呼吸した。
「すぅ……はぁ…………よし、行くか……!」
意を決して物陰から飛び出し卍妖衆のアジトに飛び込もうとしたその時、横合いから何者かが首筋に苦無を当ててきた。冷たい刃が柔らかい首筋に触れる感触に、千里は目を見開き動きを止める。
「動くな……」
「ぁ……!?」
一体何時の間に直ぐ傍まで近づかれていたのか分からず、千里は金縛りにあったかのように動く事が出来ない。呼吸も一瞬止めた彼は、自身の不覚を恥じながらどうやってこの状況を切り抜けようかと思考を巡らせる。とりあえずこのまま固まっていては何も出来ないと、呼吸を整えこの場だけでも降参を示そうと両手を上げようとした。ここで捕まるのは予想外だが、アジトに入れるのであれば同じ事だ。後の事は労にでも放り込まれた後に考えればいい。
そう思っていたのだが、ここで更に予想外の事が起こった。体が全く動かないのだ。先程首筋に苦無を当てられた際に金縛りにあったかのように動けなくなったが、その実本当に体が動かなくなっていたのである。
「な、あ……!?」
体だけでなく口も動かない。驚きの声を上げそうになるも、喉が上手く動かず声を発する事が出来ない。自分が何をされたのか分からず困惑していると、徐に首筋に当てられていた苦無を下ろされ姿の見えない相手から声を掛けられる。
「だ~から動くなっての」
最初自分の動きを止めさせた時とは打って変わって気安い雰囲気で話し掛けてくる男と思しき相手。さっきは気付かなかったが、千里はその声に聞き覚えがあった。
「お、まえ……」
千里が相手の正体に気付いた時、全く意図せず彼の体が動いた。まるで誰かに操られているかのようだ。姿勢を正され、直立した状態になるとそこで漸く彼は何時の間にか自分の傍に立っていた相手の正体を目にする。
「よっ、無茶すんなお前」
「はや、ぶさ……!」
そこに居たのは隆司だった。一体何時からそこに居たのか、隆司が呆れたような顔で千里の前に立っていた。彼は大きく溜め息を吐くと、千里に指先で手招きしてその場を離れた。すると千里の意志に反して彼の体はその後について行ってしまう。
抵抗は無意味と悟った千里は、そのままされるがままに隆司に付いて行かされた。向かう先にあったのは卍妖衆のアジトとは別の洞窟だった。小さいが周囲からは目立たないそこは、よくよく探さないと周囲から見つかる事はないだろう。
そこに入らされ、地べたに腰を下ろさせられるとそこで漸く千里は体の自由が利くようになった。体を縛っていた何かが無くなったような感覚に、千里は自分の手を見て何度も拳を握っては開くを繰り返した。
隆司はそんな彼に背負っていたリュックから携帯コンロを取り出し火を付けてポットを火にかけた。
「ったく、1人で突っ走りやがって。そんなヘロヘロヨロヨロの状態で乗り込んだってな、女助ける前にぶっ倒れて牢屋に放り込まれるのが目に見えてるぞ?」
そう言って隆司は巾着袋から丸薬を取り出し親指で弾く様にして千里に放って渡した。放物線を描いて飛んできた丸薬を慌てて両手でキャッチし、手の中にあるそれを一瞥してから千里は漸く口を開いた。
「お前、何で……? てか、何時の間に?」
千里からの質問に隆司はそちらを見ず沸いた湯で茶を淹れながら答えた。
「お前が親父さんぶっ飛ばして、ここに行こうとした時にな。急いで必要そうなもん用意してお前について行こうとしたんだよ。そしたらお前、バイクなんて手に入れちまってよ。仕方ねえから、お前の影に失礼してここまで一緒について来たって訳だ」
そう言えばこの男は影の中に入り込んで移動する事が出来る。あの時間帯、夜と言う世界が影に包まれたと言っても過言ではない時間は隆司にとって音もなく好きな場所へと行ける訳だ。得意の影潜りの術で音もなく千里の影に入り込み、そのまま彼の影の中で過ごして一緒にここまでやって来たのだ。
その抜け目の無さに千里は呆れを含んだ笑みを浮かべた。
「ほんっと、抜け目のない奴だなお前?」
「それが忍びってもんだろ?」
そう言いながら隆司は淹れたての茶を千里に差し出した。普通の茶とは違う。色と匂いが独特で、口を付けるのに少し勇気の要るものだった。受け取ったコップを口に付けようとして、思わず顔を仰け反らせてしまった千里は恐る恐る中身をもう一度見て隆司に中身について訊ねた。
「なぁ……これ、何?」
「俺特製の薬茶だ。毒なんて入ってねぇし、見た目よりは飲み易い。その丸薬と一緒に飲んどけ、疲れが取れる」
彼の作る薬は確かな効能がある事を千里自身理解していた。以前隆司に渡された丸薬であっという間に体が回復した事は記憶に新しい。それを考慮すれば、唯を助ける為にも丸薬と薬茶はここで飲んでおくべきなのだろう。
千里はもう一度コップに顔を近付け、立ち上る独特な香りを嗅ぎちょっと顔を離すと、丸薬を口に放り込み噛み砕いて嚥下すると続き薬茶を流し込んだ。熱い薬茶が舌の上を滑り喉を通って胃へと落ちていく。色と香りは独特だが、隆司の言う通り見た目よりはずっと飲み易く気付けばあっという間に飲み干していた。
「んく、んく……ふぅ」
「どうだった?」
「あぁ、思ってたよりは悪くなかったよ」
「そいつは良かった。んじゃ、少し寝てな。流石に即効性はねえからな」
寝ろと言われて寝袋を渡された千里だが、寝ることに対しては少し抵抗があった。別に寝込みを襲われる事等を警戒している訳ではなく、一刻も早く唯を助けに行きたいのに暢気に寝ている訳にはいかないと言う焦りからだ。渡された寝袋を見て、千里は眉間に皺を寄せた。
「ん~……でも、こんなことしてる場合じゃ……」
「ば~か。お前がこれから行こうとしてるところは卍妖衆の本部だぞ? 当然抵抗も激しいし、場合に寄っちゃオボロとの戦いだって考えられる。少なくとも椿とドクロは確実に出てくる。アイツら相手に疲れ切った体で戦って女助けられると思ってんのか?」
そう言われると千里としても言葉に詰まる。熱い薬茶を飲んで緊張が解れたからか、ここに来たばかりの頃に比べて体が重くなっている事を自覚した。思っていた以上に体が疲れ切っていた事に気付き、隆司の言う事が事実である事を嫌でも理解させられる。確かにこんなコンディションで乗り込んでも、返り討ちに遭って最悪殺されるのが目に見えていた。
それに気付かせてくれた隆司に千里は感謝し、大人しく寝袋に入り疲れを癒す為眠りについた。
「悪い。それじゃ、少し休ませてもらうよ」
「おぅ。見張りは任せとけ」
コンロの火を小さくし、卍妖衆の警備に見つからないよう配慮しつつ周囲を警戒する隆司の姿に頼もしさを覚えつつ千里は寝袋の中で目を瞑った。するとあっという間に眠気が襲ってきて、瞼が重くなり気付いた頃にはあっという間に眠りに落ちていた。
隆司は静かに寝息を立てる千里を一瞥すると、残った薬茶を自分のコップに注いで飲みながら絶えず周囲を警戒するのだった。
***
千里が再び目を覚ましたのは、それから数時間が経過してからだった。ここに付いた時はまだ日が高かったのに、目を覚ませば周囲はすっかり暗くなっている事に千里は改めて自分の体が疲れ切っていた事を思い知らされた。
「ふぁ……ふぅ」
「おう、起きたか。気分はどうだ?」
目覚めた千里の前で、隆司はコンロの火にかけた鍋の中身をお玉で掻き回している。立ち上る食欲をそそる香りに口の中に涎が溢れ、腹が空腹を訴えるのを感じながら寝袋から出た。
「あぁ、おかげさんでスッキリだ」
「そいつは良かった。ほれ、コイツを食って精を付けとけ。大変なのはここからだからな」
寝袋から這い出た千里に隆司は鍋の中で掻き回していた粥を器に入れ匙と共に渡した。以前椿にも食べさせた、あの粥である。相変わらず見た目はあまり良くはないが、彼の作る物が見た目以上に効果と味がいい事を既に理解している千里は泥の様な粥に対し特に警戒心を抱く事も無く匙に掬い口に入れた。
「ん、くぅ~! うまっ! お前、ホント料理とか上手いよな」
「つっても薬草使った奴限定だけどな」
「薬草ねぇ……いろいろ出来るんだな」
見た目はともかく、これが本当に薬草で作られているとは思えない位薬っぽさが無い。美味しい健康食品と言われても違和感がない出来栄えだった。感心しながら次々と粥を口に運んでいると、隆司がニヤリと笑みを浮かべながら口を開いた。
「薬草使わせりゃ右に出る奴は居ねえって自負してる。何なら女との夜のお供に必要な奴も出来るぜ」
「……それってもしかして……?」
「あぁ……媚薬や精力剤の類だよ」
正直ちょっと……否、かなり興味があった。若い自覚はある千里だが、唯との一夜はなかなかに体力を必要とする。そんな所に、隆司手製の媚薬や精力剤があったら果たしてどんな事になってしまうか。
途中まで考えて、今はそんな事を夢想している場合ではないと慌てて頭を振って脳内に浮かんだ妄想を吹き飛ばした。
「~~~~ッ、馬鹿ッ! 変な事言うんじゃねえッ!」
「はっはっはっ! ま、あの子を助けられたらもう一度考えようや」
「そう言う問題じゃ……」
「でも興味はあるんだろ?」
まぁ、あるかないかで言えば、ある。だから千里は思わず顔を背けながらも無言で頷き、それを見て隆司は口角を上げ笑みを浮かべた。
「んじゃ、絶対助けねえとな」
「あぁ」
しっかり休んだ。腹も膨れた。気合は十分。動き出すなら今だ。
千里と隆司は忍びとして鍛えられた動きで音もなく潜んでいた洞窟から出て、卍妖衆の本部がある洞窟が見える木陰の裏へ隠れた。日が落ち街灯も無い為常人であれば真っ暗闇で一歩も進む事は出来ないだろうが、夜目を鍛えている2人は日中と同じとまではいかなくとも洞窟とその周辺の様子を伺える程度には視界を確保できていた。
「さぁて、これからあそこに入る訳だが……お前元卍妖衆だろ? 何か情報ねえの?」
こういう時、敵方に居た者が味方に居ると心強い。千里だけでは見つけられない罠も、彼なら何か知っているかもしれないと期待出来た。
その期待は正しかった。
「まず隠れ身の術を使って近付くのは止めた方が良い。現代科学の粋を結集した罠が待ち受けてるからな」
「科学?」
隆司も詳しくは知らないらしいが、あの入り口周辺には様々な方法で侵入者を探知する設備が敷き詰められているらしい。隠れ身の術なども完全に透明になっている訳ではなく、赤外線センサーなどにはどうしても引っ掛かる。だからそう言う施設に潜入する際にはシステムを切るか、センサーに触れないよう気を付けながら移動する動きを求められていた。
千里は険しい顔になる。罠がある事はまだいい。寧ろ罠が無いと逆にここが本当に卍妖衆の本部なのか疑わしくなる。問題なのは、その罠が隆司曰く科学の粋を結集した最先端の物であると言う事だ。千里の家だって罠だらけの所謂忍者屋敷だったが、その内容は言ってしまえば昔ながらのアナログな罠ばかり。間違っても最先端とは言えない物ばかりである。
だが卍妖衆は最先端の設備を取り揃えていると言う。それが意味するところは、つまり…………
「……連中にはそれなりに大きいスポンサーが居るって事か?」
「多分、ブローカーだな。アイツ以外に考えられねえ」
「ブローカー? 誰だそれ?」
どう頑張っても忍びに関係しているような名前には思えない。初めて聞くその名に首を傾げる千里に、隆司が自分の知る限りの情報を口にした。
「何とも得体の知れねえ野郎だ。トレンチコートと帽子を何時も被ってやがる。直接戦ってるところは一度も見た事ねえが」
ある意味で一番警戒すべき相手と言う事は彼の話でよく分かった。得体が知れないと言う事は、力を隠しているかもしれないと言う事。加えて先端技術の機器を惜しげもなく提供できる財力も持つ。厄介だが同時に納得も出来た。万閃衆から出奔したオボロ達が何故万閃衆に引けを取らない組織を長く維持し続ける事が出来たのか、その疑問がやっと氷解した。
とは言え今問題なのはそこではない。どうやってその罠を潜り抜けてあの中へ入るか…………
「う~ん……」
入口があるのに入れない、という事はないだろう。きっとあそこにも正規の入り口の様な物がある筈だ。そう、地雷原に味方が移動できるように道を用意してあるように。
風を読んで罠の中にある穴を見つけられないかと精神を集中させようと千里が忍筆を取り出したその時、隆司は徐に彼の肩を掴んだ。
「んじゃ、さっさと行くか」
「え?」
【忍法、影潜りの術ッ! 達筆ッ!】
「ちょ、ま――――」
次の瞬間千里と隆司の体が水に沈むように足元の影の中へと入り込んだ。影に紛れた2人はそのまま洞窟へと向かい、張り巡らされた全てのセンサーを掻い潜って内部への侵入を成し遂げた。
洞窟内に入って少しして隆司は千里を引っ張り上げるようにして影から出る。いきなり影の中に引き摺り込まれた千里は、驚きのあまり口に手を当てて止めていた息を吐き出し隆司に抗議した。
「おっま、何かするなら先に言えッ! びっくりするだろうがッ!」
「んだよ、小せえ事気にすんなよ。こうするのが一番手っ取り早かったんだ」
「だからってな……ってかその術、自分以外も影の中に入れられるんだな」
「結構便利だぜ。影の中に物隠したりできるしな」
また随分と悪い事に利用できそうなことだと、千里は呆れの混じった目で隆司の事を見た。その視線に彼は小さく肩を竦める。
「んな目で見んなよ。別にヤクの売買とかに使ってる訳じゃねえんだから」
「まぁ、お前がそう言う事をしそうなやつじゃない事は分かってるけどさ。それより、ここから先はどうなってるんだ?」
一見すると何処までも洞窟が続きそうな雰囲気だが、卍妖衆とは穴倉をそのまま利用しただけのアジトで普段過ごしているのだろうか? 以前街中に誂えていたアジトの方が余程過ごしやすそうに思えるが。
そんな事を考えていると、千里の思考を読み取ったのか隆司が口の端を上げて笑みを浮かべた。
「安心しろ、直ぐお前にも馴染みのある景色になる」
「馴染みのある?……!」
隆司の言葉に首を傾げていると、徐に前方に光が見えた。穴倉の出口が見えてきた事に、千里が警戒しながら歩みを進めていくとそこには予想外の光景が広がっていた。
「――――えぇっ!?」
そこにあったのはちょっとした大きさのある城だった。見上げれば夜空に月と星々が浮かび、その下に城が建っていたのだ。一瞬山に掘られたトンネルを抜けて外に出たのかと思ったが、風を読んで周囲の状況を知る事が出来る千里は分かった。ここは変わらず洞窟の中だ。この城は、山の中をくりぬいて作られた空間に建てられているのである。
万閃衆でもこんな手の込んだ施設持っていない。意外とかそんな言葉が安っぽく感じられるほどの光景に、千里は暫し言葉を失ってしまっていた。
呆けた様子で城を見上げる千里に隆司はニヤニヤと笑っている。
「どうだ、ビビったか?」
「あ、あぁ……いや、こんなの予想出来るかよ」
これもそのブローカーとやらが支援しているからなのだろうか。だとすればその男は相当な力を持っている事になる。これは下手をするとオボロよりも危険かもしれない。千里の中でブローカーと言う男に対する警戒心が高まった。
暫く城を見上げていた千里だったが、何時までもこうしている訳にはいかないだろうと隆司に肩を叩かれて我に返る。
「おい、起きろ」
「あっ! おっと、そうだそうだ。こんなぼんやりしてる場合じゃねえ」
今は唯、そして沙苗を助けなければ。気を取り直した千里は隆司に案内されて城の中へと入る。
城がある空間はあちこちに下忍が居て、侵入者を警戒して見回りをしている。2人はその目を掻い潜りながら城へと近付き、気付かれない様に窓から侵入を果たした。
千里が安全を確認しながら侵入し、隆司がその後に続く。城の中の一室に入り込み物陰に隠れながら廊下を覗くと、内部の光景に隆司が思わず顔を顰めた。
「ちっ……誰だか分からねえが、俺の事を滅茶苦茶警戒してるらしいな」
「え?」
「よく見ろ。廊下に影が出来ねえ。これじゃあ影潜りの術で移動できねえ」
言われて改めて物陰から廊下を眺めてみると、なるほど照明の配置で足元や天井に影が出来ないようになっていた。隆司の影潜りの術は影さえ繋がっていれば音もなく移動できる。隆司の裏切りを知ったからか、それとも彼の裏切りを前から予想していたのかは分からないが、城の中は隆司の影潜りによる侵入を殊更に警戒した造りになっていた。
2人が睨むようにして廊下を見ていると、前方から白衣姿の男が2人やって来た。その姿に千里が場違い感を感じて首を傾げる。
「何で白衣?」
「あぁ、ありゃブローカーの仲間だ。何やってんのかは知らねえが、この城の中にはああいう恰好した連中があちこちうろついてやがる」
「戦えるのか?」
「戦うような連中に見えるか?」
どうやらブローカーの仲間だと言う白衣の男達は、見た目通りの連中らしい。ここで何かの研究をしているのだろうか。だが一体何の研究を?
気になる事は多いが、そう言うのは全部後だ。今は連中をやり過ごし、唯の元へ向かう手立てを考えなければならない。
取り合えずこの部屋に用事が無い事を願って室内でやり過ごそうと息を潜めていると、徐に隆司が立ち上がった。
「お、おい……!?」
自慢の影潜りも封じられているのに何をやっているのかと千里が袖を引っ張り伏せるよう言うが、隆司はそれを逆に宥めて自身たっぷりな様子でサムズアップした。
「まぁ待てって。上手い事やるからよ」
そう言うと隆司は呼吸を整え始めた。すると一瞬、千里は目の前に居る筈の隆司の姿を見失った。
「え……?」
よく目を凝らすとちゃんと隆司はそこに居るが、まるで気配が希薄になったかのように気を抜くと姿を見失ってしまいそうになる。目を瞬かせる千里の姿に隆司は満足そうな笑みを浮かべると、そのまま廊下に出ていった。普通であればそんな事をすれば近付いて来た男達に見つかりすぐさま騒ぎになりそうなものだが、そうはならずそれどころか彼は白衣の男達と軽い会釈をして横を普通に通り過ぎていった。
「おっと」
「失礼」
まるでそこに居るのが当たり前という様な様子に、千里は素直に感心した。あれは隠形の一種だ。
隆司がやった事は自分の気配を消す事では無く、気配を周囲に溶け込ませたのである。千里も気配を消す事は出来るが、その状態で人前に出れば違和感を感じられて逆にバレる。気配を消すとは、言ってしまえばあるべき場所にぽっかりと穴が空いた状態になる事。視界に映っている筈の”もの”が見えなくなると言う事に、人間は意外と敏感に反応する。気配を殺したら隠れなければ、どれだけ綺麗に気配を消しても素人相手にも見つかってしまう。
だが隆司は前述したように気配を消すのではなく、周囲に溶け込ませた。それがどう言う事かと言えば、端的に言えば『居て当たり前』『ただの背景』という形で相手の意識に入り込むのである。そうする事で堂々と人前に出ても、意識しなければ警戒される事はない。
千里は執筆忍法と言う術ではなく、呼吸や体捌きなどの純粋な技術による隠形でそれを為した隆司を素直に尊敬した。
(スゲェな……こうしてあいつが居る事を確信して見てなけりゃ確実に見失ってた。隼の影遁はただでさえ隠密に長けた技術だけど、素の隠形も上忍に匹敵するかもしれない)
猪武者みたいな性格してるくせして、ああいう繊細な技術を身に着けている。同じ忍びとしてああいう所は素直に参考にすべきと千里は隆司を観察した。
(どれ……こうか?)
不意に隆司は、先程まで感じていた千里の気配が感じ取れなくなった事に違和感を感じた。
(あ……?)
何が起きたのかと振り返ってみると、そこで彼が目にしたのは肩がぶつかりそうになりながらも白衣の男達の横を通り過ぎて自分に近付いてくる千里の姿があった。
「あ、失礼」
「いや、こちらこそ」
(うぉぉ……!)
隆司は素直に驚いた。千里は見ただけで隆司の隠形を自分の物にしてしまったのだ。
彼に戦いのセンスがある事は分かっていた。何しろほぼ初見であるにもかかわらず、彼は影潜りの術を真っ向から破ってしまったのだ。それ故に隆司は千里の事を注目していたのだが、ここにきて彼は本当の意味で千里の持つ忍びとしての素養と言うかセンスを感じ取った。見ただけで相手の技術を盗めるなど、相応の才能が無いと不可能だ。特に隆司が今行った隠形の様な繊細な技術は。
(この野郎、俺の技を見ただけで盗みやがって。まだまだ忍びとしての成長は留まるところを知らねえか、面白れぇ)
ちょっぴり嫉妬を感じながらも、隆司は同時に頼もしさを覚え城の中を進んだ。
隆司の隠形を覚えた事で、千里も順調に唯を探す為あちこちへ向かう。その最中、彼は地下に違和感を感じた。
「違和感? ハッキリしねえな。お得意の風読みはどうした?」
「それが分かんねえんだよ。なんつーか、雑音が混じってるみたいな感じで分かり辛いって言うか」
「地下だけか?」
「いや、他にもあちこちに多様な所がある」
考えられるとすれば、この城全体に何かしらの仕掛けが施してある可能性だ。術自体は問題なく使えるので、察するに千里の風読み対策で風通しを悪くするとかそんな感じに彼の索敵を妨害しているのだろう。すっかり有名人となり対策まで練られている事は、喜ぶべきか嘆くべきか悩むところである。
この城の造りを考えると、捕らえた捕虜を拘置するのに使うなら地下――尤もこの城自体が山の中という地下に造られた施設なので、この表現に違和感を感じないでもないが――が怪しいと言えば怪しい。他にも気になる所はあるが、まずは地下へと向かうべきだろう。
城の地下は近付くにつれて呼吸が苦しくなるような重苦しさを感じるようになった。それはただの錯覚か、それともこの地かで悍ましい何かが行われている事を本能的に察しているのかは分からない。だが2人は忍びとしての直感で、この先でロクでもない光景を目の当たりにするだろう事を確信していた。
地下は上と違い、徹底した照明管理は行われておらず所々が薄暗い。これなら隆司の影遁も力を発揮する。
警戒しながらも地下にある部屋を一つ一つ慎重に確認していると、2人は他に比べて重厚な扉の部屋を見つけた。扉には鍵が掛けられており、入るのは容易ではない。
「南城、中の様子分かるか?」
「……ダメだ、風が遮断されててどうなってるのか分からない」
「どうする?」
唯と沙苗がどこに居るか分からない以上、こういった部屋も見過ごすべきではない。怪しいが、虎穴に入らずんば虎子を得ずの心構えで千里はこの扉を開ける事を選択した。
「開けるぞ。ちょっと集中したいから周りを警戒しててくれ」
幸いな事にこの鍵は電子ロックの類ではない。アナログな鍵であれば鍵開けの技術で侵入できる。
隆司が周囲を警戒する中、千里は針金を使って少し時間を掛けながらも扉の鍵を開けることに成功した。カチャリと言う音と共に鍵が開くと、千里は警戒していた隆司に目配せする。千里の視線に彼は顎をしゃくって促し、それに千里は小さく頷くとゆっくりと扉を開けた。
瞬間、中からは血やその他さまざまな臭いが混じった異臭が漂い彼の鼻を衝いた。
「ッ!?」
思わず息を呑んだ千里の視線の先には、天井から伸びた鎖で両手を広げた状態で吊るされ膝立ちの体勢でぐったりしたほぼ全裸の沙苗の姿があった。彼女は全身傷だらけで、血だけでなく様々な体液で汚れていた。
その汚れの中には男の欲望の痕も見て取れ、彼女がここでどんな目に遭ったのかを想像する事は難しい事では無かった。
「東雲さんッ!?」
千里は急いで部屋に入り、彼女を拘束している鎖を切り裂き解放すると虫の息な彼女をその場に優しく横たえた。ボロボロの彼女を気遣っていると、彼女の方も千里に気付いたのか光の感じられない目で彼の事を見た。
「ぁ……ぁ……南城、君……?」
「そうです、俺です。東雲さん、大丈夫ですか?」
今にも意識を失ってしまいそうな彼女に優しく声を掛けながら、千里は隆司から受け取った丸薬を砕き水と共に彼女の口に流し込んだ。気休めにしかならないだろうが、何もしないよりはマシである。
冷たい水を口の中に流し込まれ、一瞬沙苗の体がビクンと跳ねた。が、流石彼女も忍びなだけあってか口の中に流し込まれた水を自力で砕いた丸薬と共に嚥下した。場合によっては口移しで飲ませる事も考えていたが、その必要は無さそうだ。
「ん……ん……ぁ、はぁ……ありがとう、ございます。私はもう大丈夫ですので、早く……早く、小鳥遊さんを……」
沙苗はそう言って千里に先を促した。だがこんな状態の彼女を放置する事は流石に出来ない。千里にとて最優先なのは言うまでも無く唯だが、こんな状態の沙苗を放っておけるほど彼は冷血漢ではなかった。
「そんな、東雲さんをここに置いてなんて……それも、こんな状態の……」
「そんな事を、言ってる場合じゃないでしょう……! 何の為に、君はここに来たのですか……!」
沙苗は察していた。千里が万閃衆の作戦の一環としてではなく、個人的感情でここに乗り込んできた事を。そうでなければ場内はもっと騒がしい筈だ。であるならば、彼は一刻も早く唯の元へ向かうべきだと沙苗は自分の状態を鑑みず彼を唯の元へと行かせようと説得した。
傷だらけで息も絶え絶えになりながら、先に行けと力強く訴える彼女の言葉に千里も迷い視線を彷徨わせる。
その時、見張りをしていた隆司が彼の名を呼んだ。
「おい南城、あんまり悠長にしてる場合じゃなくなった」
「えッ!?」
「お客さんだ」
千里は沙苗を優しくその場に寝かせると、音もなく扉の外を覗き見る。するとそこには、多数の下忍を従えたドクロとフブキの姿があった。
と言う訳で第55話でした。
執筆の糧となりますので、感想評価その他よろしくお願いします!
次回の更新もお楽しみに!それでは。