今回はコガラシとゲッコウの真っ向勝負。その勝負の行方や如何に…………
突如放課後の教室で奇襲を仕掛けてきたゲッコウを相手に、コガラシは仮面の奥で渋い顔をせずにはいられなかった。
これまでの彼との邂逅で分かった事だが、ゲッコウは影を操る忍術に長けている。影遁、とでも言えばいいのだろうか。それはコガラシも知らない忍術であった。
影遁の術は影の中に潜り、相手の奇襲を狙う忍術。それを考えると今のこの状況は非常にマズイと考えざるを得ない。何しろここは奴の狩場にも等しい場所だからだ。
ただでさえ日が落ちつつあり影が濃くなった室内。しかも室内には椅子や机と言った影を作るものが多数存在する。例え夕日が差していなくとも、この場所は全てがゲッコウの味方となるだろう。
厳しい戦いになる事を想像し、コガラシは顔を顰めつつゲッコウに対抗した。
「このぉッ!!」
忍者刀を振るい、ゲッコウを引き剥がす。ゲッコウはコガラシの攻撃をあっさり受け流すと、僅かに距離を取りつつ自分も忍者刀を構え直した。
「ヒュ~ッ! やるねぇ? 前はあっさり奇襲に引っ掛かってたから大した事ないと思ってたけど、これはなかなか……へっ! いいじゃないか、気に入ったぞッ!」
「楽しそうにしやがって……こっちは気分最悪だよ、クソ」
連日の修行の負担が残っている今、コイツの相手は御免被りたかったがそうもいかない。コイツを放置すれば何をしでかすか分かったものではないのだ。何しろこいつも卍妖衆、自分達の目的の為になら手段を択ばない。
ゲッコウと睨み合いながら、コガラシは少しでも影から離れようと日の差す場所へと摺り足で動いた。影の中に居るのは、鮫の居る海の中に飛び込むのも同然の行為。安全で堅実な戦いをするなら、光のある場所に陣取った方がいい。
尤も時刻は夕方、こうしている間にも徐々に日は傾き、影の面積が増えている。時間が着実に相手に味方している状況にコガラシは焦りを感じていた。
「いいねぇ、お前」
「あ?」
「我武者羅に挑まずこっちの特性をよく理解してる。会った回数は多くないってのに、俺が影を操る術の使い手だって事を考えて立ち位置を考えてるだろ」
読まれている。少しでも不利にならない場所に動き、不測の事態を減らそうと考えて行動している事が。あのゲッコウ、所謂戦馬鹿の様な振る舞いをしているくせに頭の回転も速いのだ。厄介な相手と対峙している現状に、コガラシはツララが来てくれないかなどと考えずにはいられない。
とは言え何時までもこうして睨み合ていては何れ日が沈み教室が夜の闇で閉ざされる。そうなればこのフィールドはゲッコウの天下だ。コガラシに勝ち目は無くなる。
状況を動かすべく、コガラシは牽制の意味も込めて近くの机を蹴り飛ばした。派手な音を立てて蹴り飛ばされた机がゲッコウに向け飛んでいく。
飛んできた机をゲッコウは裏拳で殴り飛ばした。軌道を変えられた机は教室の扉へと飛んでいき、扉のガラスを粉砕して床に落ちた。
その瞬間、コガラシは次の手を打っていた。飛んでくる机でゲッコウの視界が塞がれている間に、コガラシは数枚の手裏剣を投擲していた。飛んでくる机を裏拳で殴り飛ばす瞬間、僅かな時間だがゲッコウの視界は閉ざされコガラシの動きが見えなくなっていた。彼はその瞬間を狙って手裏剣を投げていたのだ。
「チィッ!?」
これは防御が間に合わない。ゲッコウは転がる様にして回避し、そのまま勢いに乗って忍者刀で切りかかる。
「しゃぁぁっ!」
「執筆忍法、風遁の術ッ!」
【忍法、風遁の術ッ! 達筆ッ!】
目にも留まらぬほどの素早いゲッコウの動き。だがコガラシはゲッコウが近付いてくるまでの僅かな間に術を発動。全身に風を纏い、攻撃の範囲を広げて迎え撃った。
「ハァッ!」
「フッ!」
接近してきたゲッコウがコガラシを叩き割る勢いで忍者刀を振り下ろしてきた。コガラシはそれを忍者刀で薙ぎ払う。薙ぎ払いの際に突風が発生し、その風に煽られゲッコウの体勢が崩れる。
「おぉっ!?」
「そこだッ!」
「ぐぅっ!?」
体勢が崩れたゲッコウにコガラシは追い打ちで蹴りを放つ。見た目はただの蹴りでも、風遁の術により風を纏って強化された蹴りだ。喰らった方はただでは済まず、抉られる様な一撃を喰らい後方へと吹き飛ばされていく。
この機を逃す手は無い。コガラシは更に追撃を喰らわせようとゲッコウに追いすがり…………
「……へっ」
【忍法、影潜りの術ッ! 達筆ッ!】
「はっ!?」
ゲッコウが蹴り飛ばされていった先は影に覆われた教室の奥。どこでも好きなように飛び込み放題と言う、相手にとって最高のフィールドだった。
影の中にゲッコウの姿が消えた瞬間、コガラシは自分が誘い込まれたのを悟った。勢いに任せて追いかけて、影に覆われた場所に飛び込んでしまった。自分は今、腹を空かせた鮫が彷徨う海の中に自ら飛び込んでしまったのだ。
ここに居てはまずい。コガラシは急いで影から出ようとしたが、その彼の前にゲッコウが飛び出し忍者刀で切りつけ彼を影のある場所に押しとどめた。
「ぐあっ?!」
「逃がさねぇよ。今度はこっちの番だ!」
ゲッコウは再び影の中に潜り込んだ。コガラシは何処から出てきても対抗できるようにと身構えるのだが、影がある所ならどこからでも出られるのかゲッコウは床だけでなく壁や天井から飛び出しては一撃加えて影の中に入ると言う一撃離脱戦法でコガラシを追い詰めていった。
「ガハッ!? ぐぅ、うわっ?! うぅ……」
度重なるダメージにより、コガラシは壁に寄りかかって立つのがやっとと言う状態になっていた。意識が途切れそうになる中、気力で意識を保ち対峙するゲッコウの姿を睨み付ける。
「……いい目だ。まだ諦めてない男の目だな。お前みたいな奴は嫌いじゃない」
「はっ……そりゃ、どうも……」
だったら少しは手加減してくれと言いたかったが、もうそんな軽口を叩く余裕もない。今彼に出来る事は、せめてもの抵抗で無数の手裏剣を投擲する事だけであった。
「喰らいやがれ……!」
ゲッコウに向けて放たれる無数の手裏剣。一度に投げるにしては些か量が多く防ぐのは億劫になる量のそれを、彼は影の中に入る事で避けそのまま影の中を進んでコガラシに肉薄する。
(なかなか楽しめたぜ、コガラシッ!!)
そろそろこの戦いも終わらせようと、影の中を進みコガラシの目前で姿を出し忍者刀を振り下ろそうと考えた。
その時、突如室内を眩い光が照らした。光の正体は教室の照明。降り注ぐ光が、それまで影になっていた場所を明るく照らした。
それはゲッコウが潜んでいる影も同様であり、その瞬間彼は近くで爆弾が爆発したような勢いで影の外に放り出された。
「がぁぁぁぁぁっ?!」
影潜りの術は攻撃力こそないが、それでも強力な術である。何しろ光ある所には必ず影がある。そして影が繋がってさえいれば、ゲッコウは何処までも影を伝って行くことが出来るのだ。しかも無音で、気配すら悟らせる事無く。
そんな影潜りの術にも弱点はある。それは潜んでいる影を消されると強制的に外に弾き出される事だ。しかもただ弾き出されるだけではなく、その際に術者はダメージを受ける。
ゲッコウは今正に、予想外のダメージを受けのたうち回っていた。
「うぐが、げぇぇぇっ……!? な、何だ……何が……?」
「はぁ、はぁ……影の中に隠れてるんなら、その影消されたらどうなるのか……ずぅっと気になってたんだよ。今回思い切って試してみたけど、へへっ……予想を上回ってくれたな」
照明がついたのはコガラシの仕業である。彼は先程投擲した手裏剣の内、何枚かは照明のスイッチを狙って放っていた。普通に戦っていれば手裏剣程度なら忍者刀や蹴りで弾き飛ばすが、コガラシは効果が残っている風遁の術を使って普通に投げる時以上の量を高速で飛ばしていた。その速度と数の手裏剣を、防ぐのは少々面倒だ。となれば、普通は何らかの方法で回避する。少なくともコガラシが同じ立場であれば、防御ではなく回避の方を選ぶ自信があった。
特にゲッコウには、影潜りの術と言う素早く攻撃を無力化できる術がある。そんな彼なら、確実に影の中に潜って回避するだろうと言う確信があった。そしてそれは正しかった。
「ぐぅぅ……く、くくく……へへへ、ははははは……!!」
「あぁ?」
暫しのたうち回っていたゲッコウの口から、唐突に笑い声が零れだした。コガラシが訝し気に見つめ忍者刀を構える前で、ゲッコウは今度は痛みではなく笑いで転げ回り始めた。
「はははははははははっ! ひひひひひひひっ! やるじゃねえか、コガラシ! はははははっ! いいな、気に入ったぜ!」
自分の得意技を攻略されたと言うのに楽しそうに笑い転げるゲッコウに、コガラシは不気味なものを感じずにはいられない。思わず後ろに後退ると、ゲッコウは跳ねるように飛び起き立ち上がった。
その顔は仮面に隠れて見えないが、それでも雰囲気から好物を前に爛々と目を輝かせる子供の様な顔をしている事は察する事が出来た。
「今日はここまでだ! お前とはもっと、お前が元気な時に戦いたい!」
「何……?」
まさか、ゲッコウはコガラシの体調が万全ではない事に気付いていたのか? まさかと思いながらコガラシが見ていると、ゲッコウは懐から小さな巾着袋を取り出し放り投げてきた。
「俺特性の丸薬だ。疲れは立ちどころに無くなる。勿論デメリットはなしだ。怪しい薬なんか使っちゃいねぇ」
「は? え?」
「そいつ食って、しっかり英気養って俺との再戦に備えな! あばよっ!」
【忍法、隠れ身の術ッ! 達筆ッ!】
ゲッコウは一方的に丸薬を押し付けて言いたい事を言い終えると、コガラシの言葉も聞かず隠れ身の術で姿を消してしまった。まるで嵐のような男だと思ったが、ともあれ向こうから引き下がってくれたのは素直に助かった。流石にこれ以上の戦闘は厳しい。やられていた可能性もあっただろう。
今回は何とか相手の意表と言うか弱点を上手く突けたから退ける事が出来たが、次もこう上手くいくとは限らない。やはりコガラシ自身のパワーアップは必須だった。
「とは言え……今日は流石に、疲れたな…………」
「南城君ッ!?」
コガラシが変身を解いて荒れた教室の中で腰を下ろそうとした時、教室に唯が入って来た。部活が終わって何時もの時間になってもやってこない千里を心配して教室に来てみたら、中は台風があったのかと言う程荒れていたのだ。唯でなくても慌てる。しかもその中で千里が今にも倒れそうな姿でいるのだから、彼女は肝を冷やした。
唯は立つのもやっとと言う様子の千里を見て、慌てて駆け寄り彼を支えた。
「どうしたの、大丈夫ッ!?」
「あ、あぁ……ゲッコウの奴に絡まれて……」
話しながら唯はとりあえず千里を保健室に連れていこうとした。目に見えて大きな怪我は見られないが、立つのもやっとな程消耗している彼をこのままでいさせることはできない。例え忍者の隠匿云々に関わろうが、唯は千里を保健室に連れていこうとした。
だがその唯と千里の前に、音もなく椿が現れた。
「何処へ向かわれる?」
「長谷部さんッ! 南城君が、ゲッコウに襲われたって……!」
「それは知っているでござる。ゲッコウが千里殿に襲い掛かった瞬間を、拙者は見ていた故」
椿の言葉に唯は言葉を失った。見ていたのなら何故助けなかったのか。同じ万閃衆の仲間であるのなら、千里よりも強いのであれば何故助けようとせず見ているだけだったのか。唯の頭は椿への怒りで染まった。
「何で南城君を助けなかったのッ!?」
「逆に聞くでござるが、何故拙者が助けねばならなかったでござるか? 千里殿も万閃衆の忍びとして認められた者の1人。であるならば、例え苦難に見舞われようとも己の力だけで乗り越えられぬようでは意味がない」
「だからって――――」
「何より、ここで拙者までがゲッコウの相手をしては、誰が小鳥遊殿の周囲を見張るでござる? 小鳥遊殿はご自分が守られているという自覚がないのでござるか?」
そう言われると唯としては黙るしかない。実際椿の言う通りであり、唯は今千里達に守られている立場なのだ。卍妖衆は千里達の正体を知っている一般人である唯に目を付けつつある。今はまだ大きな行動に出ていないが、これからもそうだと言う保証はない。
そんな状況で、離れた場所で襲撃が起こればそちらが陽動で守りが薄くなった隙に唯に襲撃をかけてきてもおかしくはなかった。
千里がゲッコウから襲撃を受けた際、現場を見た椿はその可能性に思い至り急いで唯を何時でも守れる場所に移動したのである。自分が気付かぬ内に守られていた事を知り、唯は自分がどれだけ狭い視野で物を見て身勝手な怒りを椿に向けていたのかを知った。
「……ごめん、なさい」
申し訳なくなり、顔を伏せるようにして椿に頭を下げた。対する椿は別に気分を悪くしていた訳では無かったので、唯からの謝罪を肩を竦めて流し唯と共に千里を支えた。このまま校門から出ては騒ぎになる。忍術を使って他の生徒に気付かれぬように出なければ。
「このまま千里殿の家に向かうでござる。それで構わぬな?」
「あぁ、それでいい。世話を掛けて悪いな、2人共……」
「そんなの気にしないで」
「しかし、よくあのゲッコウを相手に生き残れたでござるな。拙者も一度手合わせしたが、あれは間違いなく中忍として上位の実力者。千里殿がこうして五体満足でいられた事が驚きでござる」
以前ゲッコウと対峙した時は、互いに本気を出していなかった。つまり互いに手加減した状態で互角の戦いになるほど、椿から見てゲッコウは強い相手だったのだ。その相手と、千里が戦ってこうして消耗しただけで済んでいる事に椿は素直に感心していた。
「はは、引き分けに持っていくのが精一杯だったよ。……それに、相手はまだ余裕残してた感じだから、実質俺の負けかな」
「……なに?」
椿は思わず聞き返した。千里がゲッコウと引き分けたと言うのが最初信じられなかったのだ。千里は世俗に染まり、忍者にしては軟弱な面を持っているが下らぬ見栄や嘘を吐くようなタイプではない。彼の人となりを、幼少期から遠目に見ていたからこそ知っている。その彼が引き分けたと言うのであれば、戦いの結果は引き分けに近いものだったのだろう。少なくともゲッコウに何か効果的な一撃は入れた筈だ。
互いに手加減した状態とは言え、戦いを中断させる決着だった自分と違い一定の成果を残した千里に椿は知れず拳を握り締めていた。
椿が自分に嫉妬している事に気付かず、千里は唯とこの後の事を考えていた。
「あ~、にしてもこの後は修行なんだよな~。父さん、少しは手加減してくれると良いけど……」
「いやいや、流石にこの状態で修行なんてしないでしょッ! 南城君のお父さんだって、流石に見逃してくれるわよ」
もしもと言う時は自分が口添えして今日の修行は止めさせるつもりで唯はそのまま千里の家へとついて行った。
そこで徹は、千里の予想通りこの状態でも修行を課そうとした。とは言え徹もこの状態の千里に何時もの修行をさせるほど鬼ではなく、当初は軽いストレッチ程度の修行だけさせて終わらせる予定であった。だが結局は修行をさせると言う徹の判断に、唯が恐れず食って掛かった。
「駄目ですよそんなのッ!? 南城君は普段の修行で疲れ切ってるんです! 今日ぐらいは休ませてあげてくださいッ!」
唯の言葉に徹はチラリと千里を見る。確かにここ最近、徹は千里に隠しきれていない疲れが見え隠れしている事に気付いていた。まだ隠せるしリカバリー出来る範囲の疲れの溜まり具合ではあったからこれからの修行内容で調整するつもりだったのだが…………
「(まぁ……こういうのも良いだろう)そうだな、今回は敵の中忍を退けるほどの活躍をした訳だし、英気を養うのも重要だ。千里、お前はとりあえず部屋に戻っておけ」
「分かった。……小鳥遊さん、ありがとう」
「いいのよ。南城君はしっかり休んで」
「そう言う訳だ。長谷部さん、すまないが千里の代わりに小鳥遊さんを家まで送ってあげてくれ」
「心得たでござる」
徹が千里を部屋に連れて行き、唯は椿と共に帰路に就く。
その道中、唯は椿から感じる雰囲気に違和感を感じていた。何というか、苛立っていると言うか兎に角機嫌が悪そうだと感じた。話し掛けるなと言うオーラが、素人目にも見て取れていた。
これが他の女子であれば、恐れ戦き、或いは触らぬ神に祟りなしと、沈黙を貫き嵐が過ぎ去るのを待つのだろう。
だが唯はこういう時、肝の据わり具合を見せた。居心地の悪さが椿に原因があると気付き、唯は躊躇わず問い掛けた。
「長谷部さん? どうかしたの?」
「どうかしたとは?」
「さっきから変よ? 何か嫌な事でもあったの?」
唯からの指摘を受け、椿は口元を引き攣らせた。まさか唯に感付かれるとは思っていなかったのだ。己もまだ未熟かと自省し、そうすると成長している千里が脳裏に浮かび嫉妬の炎が燃え上がる。その炎の熱さが椿の心を苛み、しかし忍びたるもの忍耐強くあれと己を律しようとして拳を握り締めた。
「……小鳥遊殿には関係のない事でござる。心配も気遣いも無用」
「そうもいかないでしょ。友達とは言えないかもしれないけど、クラスメートで仲間でしょ? 心配する、気にする理由としては十分だと思うけど……?」
そう告げる唯の目の奥には強い意志の光が見えた。椿でも唸るほどの強い光。それを見ると、椿は己の未熟さ、至らなさ、何よりも弱さが露呈したような気がして、堪らず唯の手を振りほどいて彼女から離れる。
「……余計な世話でござる。小鳥遊殿は自分の事だけを考えていれば良い。自分が何時狙われてもおかしくないと言う自覚はおありか?」
「むぅ……」
干渉を許さぬと言う椿の雰囲気に、唯はこれ以上踏み込むのは無理だと感じた。彼女との間には分厚い壁がある。それを感じ、唯は何とも言えぬ顔になりながら椿の後に続いて歩くのを再開した。
そのまま居心地の悪い沈黙の中、歩みを進める2人。先頭を行く椿と後ろに続く唯の間には距離が開き、その距離がそのまま2人の心の距離を示しているような気がした。手を伸ばしても届かない、背中に触らせる事すら許さないと言う椿。忍者か否かと言う事がここまで他人との距離に繋がるのかと思うと、何だか唯は寂しくなった。
「……む?」
と、突然椿が足を止めた。まだ唯の家までは距離がある。椿が足を止めた理由が分からず、唯は距離を詰め彼女に何があったのかを問い掛けた。
「長谷部さん? どうかしたの?」
「……小鳥遊殿、少し離れられよ」
「え?」
表情では分かり辛いが、椿の声色に緊張が混じっている事に唯は気付いた。そして椿が前方の一点を見つめている事に気付くと、唯は首を傾げながらどうしたのかと同じ方を見た。
するとそこには、街灯の下に浮かび上がる人影があるのを見つけた。人影はまるで酔っぱらったようにフラフラ歩き、ゆっくりとした歩みではあるが確実にこちらに近付いてきていた。
素人の唯でも分かる。あれは何だか危ない。危険なニオイを感じた唯は、椿の後ろに隠れるようにしながら相手の様子を窺った。
暫く観察していると、人影が街灯に照らされ姿が鮮明になる。浮かび上がったのは1人の浮浪者であった。手入れのされていない髪にみすぼらしい恰好。そんな人物が覚束ない足取りでこちらに寄って来るのだから、怪しく思わない訳がない。
「は、長谷部さん……あの人……」
「小鳥遊殿、少し離れているでござる」
不安のあまり椿に声を掛ければ、椿は再度唯に離れるように言う。これだけで唯はあれがただの浮浪者ではない事を完全に理解し、指示に従って椿から離れ近くの電柱の陰に隠れた。
唯が電柱の陰に隠れたのと、浮浪者が椿の前で足を止めたのはほぼ同時であった。
「お主、何か用でござるか? 生憎と拙者、お主に恵んでやれるほど余裕は無いのでござるが……」
「う、うぅ、うぉぉぁぁぁぁあああああああっ!!?」
椿が問い掛けると、浮浪者の男は突如雄叫びを上げ体の内側から滲み出た墨汁の様な物で姿を塗りつぶされた。墨汁が形を作っていき、あっと言う間に浮浪者の男は背中から4本の足を生やした怪人・クモクセジとなった。
浮浪者の変異を見て、唯はその姿に小さく悲鳴を上げ椿は忍筆を構える。
「ヒッ!?」
「卍妖衆め、この様な浮浪者にまで乱心の術と写経の術を……執筆忍法、変身の術ッ!」
椿が空中に描いた”変身”の文字が変形しながら巻物に吸い込まれていき、変化したベルトが腰に巻かれる。
「ツララ、変身ッ!」
【忍法、変身の術ッ! 微かな音無く、鋭く冷たく、忍ぶ者……ツララッ! 達筆ッ!!】
空中に描かれた”氷柱”の文字がベルトの水晶に吸い込まれるとベルトを起点に水の様な物が広がり椿の豊満な体を包んでいく。衣服である程度隠されていた起伏も浮き上がり、束の間グラマラスな肢体が露わとなる。
次の瞬間水はボディースーツとなり、次に水色の布が体に纏わりつき二の腕と太腿を露出した忍び装束となった。最後に肩と両手足に装甲が付き、胸にも小さく動きを阻害しない程度の胸当てが装着されて椿は忍者ツララに変身した。
「いざッ!」
ツララは腰の後ろから忍者刀を抜き、クモクセジに肉薄する。乱心の術で正気を失わされたクセジ程度、大十字手裏剣を使わなくとも問題ない。
唯から見ても目で追う事も出来ない程の速度でクモクセジに接近したツララ。クモクセジはツララの接近には気付けたが、体は反応せず彼女からの攻撃を許してしまう。
「ハァッ!」
「グギィィィィィッ?!」
胴を鋭く切り裂かれ、クモクセジの口から悲鳴が上がる。ツララはその後も素早く忍者刀を振り、クモクセジを滅多切りにする勢いで切り裂いていく。見る見るうちに全身ボロボロになっていくクモクセジ。背中の脚の先端にある爪で反撃を試みるも、ツララには通用せず逆に脚の一本を切り落とされた。
これは勝負あったかと、唯が戦いを見て楽観し始めた。その時、突如ツララが攻撃直前の姿勢で動きを止めた。
「え?」
「な……!? こ、これは……!?」
唯からは見えないが、動きを止めたツララは自分の身に何が起こっているのかがよくわかった。
糸だ。蜘蛛の糸。クモクセジは戦いの最中、ツララにバレない程度に周囲に極細の意図を張り、ツララを捕らえる為の罠を作っていたのだ。攻撃に集中していたツララは、クモクセジの張った糸の結界に気付かず飛び込み、絡め取られてしまった。
「カッカッカッ!」
クモクセジが囚われたツララを見て笑った。正気を失っているくせに、相手を嬲り楽しむ心は持ち合わせているらしい。いや、これはクセジに変異させられている浮浪者の本性が表に出ているのか。
どちらにしても、ツララが窮地に立たされている事に変わりはない。今の彼女は文字通りクモに囚われた蝶。
もしこの時、ツララがもっと平常であれば或いはクモクセジの糸にも気付けたかもしれないが、今となっては後の祭りだ。ツララは感情の乱れで注意力が乱れた己の未熟を恥じた。
「く、ぬぅぅぅ……!?」
何とか拘束から抜け出そうとするツララだが、蜘蛛の糸は伸縮性に優れている為力で抜け出す事は不可能。
動けぬツララに、クモクセジは先程の礼とばかりに両手や背中の爪で何度も切り付けた。
「あぐっ!? がぁっ!? ぐ、あぁっ?!」
「あ、あぁ……!? 長谷部さん……!?」
唯が見ている前で、ツララがクモクセジに甚振られる。忍び装束が切り裂かれ、血が滲み、苦痛の悲鳴がツララの口から上がる。
ある程度甚振ると、クモクセジは糸を操りより拘束を強固にした。ツララは空中に両手を高く上げさせられ、両足を肩幅より少し広い程度に開かされる。まるで漢字の人の字のような形にされたツララがクモクセジを睨み付ける。
「くぅ……ふ、ふん! この様な事で楽しむとは、お主ロクな人間では無かろう。浮浪者に堕ちたのも自業自得でござろうよ」
相手は正気を失っていると分かっていても、憎まれ口を叩く事は止められないのかツララはクモクセジに吐き捨てる。それをクモクセジは負け犬の遠吠えとでも思ったのか、鼻で笑うような仕草を見せツララにトドメを差そうと背中の脚を大きく広げた。
もうダメだと唯が思わず目を背け、クモクセジが脚をツララに突き刺そうとした。
だがクモクセジの脚がツララを貫いた瞬間、ツララの体は雪の結晶となって散った。
「グッ!?」
「えっ!?」
まさかの光景にクモクセジだけでなく唯も目を丸くする。誰も居なくなった場所をクモクセジが呆然と見つめていると、無防備な背中をツララにより切り裂かれた。
「隙在りッ!」
「ギャァァァァァァッ?!」
背中を切り裂かれ、脚を全て切り落とされたクモクセジは悲鳴を上げて倒れる。痛みに苦しみながらクモクセジが背後を見れば、そこには傷一つないツララが佇んでいた。
「な、何で?」
唯が分からないのも無理はない。ツララは最初に素早く突撃した際、既に分身の術を作り出しそれに戦わせて自分は隠れていたのだ。
つまりクモクセジは今までずっと分身のツララを相手に戦い続けていたのである。
「すまぬな。拙者、今日は少し機嫌が悪い故、妖忍であろうとも容赦せぬでござる。互いに忍者、よもや卑怯とは言うまい? ま、妖忍で且つ乱心の術で狂わされたお主には、そんな事が理解できるほどの頭もないでござろうが」
「ガァァァァァッ!!」
激昂したように突撃してくるクモクセジ。対するツララはその場に佇み、忍筆で文字を書く。
「執筆忍法、氷遁の術ッ!」
【忍法、氷遁の術ッ! 達筆ッ!」
空中に描かれた”氷遁”の文字から猛烈な吹雪が放たれ、クモクセジの体を見る見るうちに凍らせていく。あっという間に氷のオブジェとなったクモクセジを前に、ツララは自分の腕に忍筆で文字を書いた。
「執筆忍法、火遁 爆裂拳の術ッ!」
【忍法、火遁 爆裂拳の術ッ! 達筆ッ!】
「いざ、覚悟ッ! ハァァァッ!!」
炎を纏った拳でツララがクモクセジを殴りつける。凍り付いたクモクセジに回避も防御も出来る筈がなく、拳を喰らったクモクセジは爆散し元の浮浪者に戻った。
「ぐひぃっ!? ひ、ひぃぃ……!?」
元に戻った浮浪者は、暫く痛みに悶えていたが程無くして意識を失った。目が覚めた時には自分が何をしていたかなど覚えてはいないだろう。故にツララはそのまま彼をその場に放置する事にした。
変身を解除し、隠れている唯に手を差し伸べる。
「さ、さっさと帰るでござる。ここに居ると面倒になるでござるよ」
「う、うん……」
今の爆発で恐らくS.B.C.T.が飛んでくるだろう。何時までもここに長居しては、また唯が事情聴取を受ける事になってしまう。またあの隊長と対面するのは御免だと、唯は急いで椿と共に帰路に就いた。
遠くから聞こえてくるサイレンの音を聞きながら、椿は唯を伴い彼女の家へと向かう。その最中、先程の戦いを振り返っていた。
(乱心したクセジ相手に、拙者は負けぬ。楓殿の名に傷を付けぬためにも……)
1人拳を握り締める椿に気付く事無く、唯は春先の風に吹かれて靡く髪を手で押さえながら歩みを進めるのだった。
と言う訳で第8話でした。
コガラシとゲッコウの初戦は引き分けで幕を閉じました。単純な実力差ではゲッコウの方に分がありましたが、コガラシはゲッコウを出し抜く策を用いて引き分けに持ち込んだ感じですね。千里は腕はまだ未熟ですが、こういう策を弄する頭は良かったりします。本作は能力バトル的戦闘を心掛けていきたいので、今回みたいな相手を出し抜く戦いを描いていきたいですね。
一方椿の方は、千里がゲッコウと引き分ける事が出来たことに嫉妬してます。隠し切れない楓から受け継いだ才能を発揮しつつある千里に焦りを感じてる感じですね。
それと今回はツララの単独変身と言う事で、ちょっと変身シーンを細かく描いてみました。
執筆の糧となるので、感想評価その他よろしくお願いします!
次回の更新もお楽しみに!それでは。