千里の修行はその後も続いた。毎日放課後、唯の部活が終わるのを待ってから下校し、家に帰ると徹からの厳しい修行が待っている。
ただし、以前に比べて翌日以降に残る疲労は格段に少なくなっていた。唯の進言とゲッコウに襲撃された時の事等を踏まえて、徹が修行後のケアを行ったり修行内容そのものを練り直したりしたのだ。
それに加えて……千里としては複雑だが……ゲッコウから渡された丸薬。あれの効果もあって、今の千里は疲れに悩まされる事も無かった。非情に癪ではあるのだが。
そんな訳で、ここ最近の修行を行いながらの学業は極めて順調と言えた。しかし、良い情報もあれば悪い情報もある。
ここの所、卍妖衆の活動が活発になってきているのだ。
その事を千里は修行が終わった後に聞かされる。
「えっ!? また卍妖衆の襲撃が?」
「あぁ、そうだ。街中でトラックが襲われたらしい。幸いな事に犠牲者は出なかったものの、相当綿密に練られた計画だったのかS.B.C.T.が動く間もなくあっという間に消えていったそうだ。これで3件目だな」
徹の話に、千里の汗を横から伸ばしたタオルで拭いている唯が顎に手を当てて考え込んだ。
「卍妖衆は何で、そんな車ばかり襲うんだろう? この間マンダラって言う忍者が出た時も、確か車の方に用があったみたいだけど……」
「父さん、もしかして……?」
「あぁ、連中嗅ぎ付けつつあるのかもしれないな」
訳が分からないと言った様子の唯に対し、千里と徹は合点が入った様に互いに頷き合った。1人蚊帳の外の唯は、2人の顔を交互に見て何がどういう事なのかが分からないと言う顔をした。
「え? 南城君達は何か知ってるの?……って、そうかそりゃ知ってるか。思いっきり関係者だもんね」
「まぁね。連中が何を狙ってるのかも大体見当がつくよ」
「それは何?」
唯に訊ねられて、千里は徹の顔色を窺った。関係者になっているとは言え、万閃衆の一員ではない唯においそれと重要な情報を開示して大丈夫かと視線で問い掛けたのだ。それに対する徹の反応は、無言で首を縦に振る事だった。その反応に千里は小さく息を吐くと口を開いた。
「陰陽五秘宝……」
「いんようごひほう?」
千里が口にした単語を唯が繰り返す。一体どんな感じを当てるのだろうかと首を傾げていると、彼が懐紙を取り出して筆でどういう字を当てるのかを教えてくれた。
「それは、一体何なの?」
「俺も話に聞いただけだけど、何でも物凄い力を秘めた秘宝らしい。万閃衆の里に代々伝わってたんだけど、その力を使えば世界を動かせるほどだとか」
「どんな宝物なの?」
「端的に言えば書道道具だ。硯や、筆と言ったな。特別な力を持つ僧侶が嘗て作り上げたそれらの道具を用いて一筆書けば、その書いた文字が現実になると言われている」
書いた文字が現実になる。それはまるで、千里達忍者のようではないかと唯は感じた。
それを察したのか、徹も頷き話を続けた。
「気付いたかもしれないが、それが我々万閃衆の忍びが扱う執筆忍法の起源だ。俺達はこの力で影からこの国を守ると共に、悪しき者の手に秘宝が渡る事が無いようにと日夜備えているのだ」
何だか随分と壮大な話になって来た。確かに、これまでの千里達の戦いを見て何故書道で忍術なのだろうと言う疑問は抱いて来た。それがまさかこんな理由だったとは思ってもみなかったが。
しかし話を聞いていくうちに唯はある事を疑問に思った。千里達の話ではその秘宝とやらは万閃衆の里に保管されているのではないのか? 何故にマンダラ達は一般車両を襲ったのだろうか?
「その秘宝って、今も万閃衆で保管されてるんですよね?」
「いいや、今は目立たないよう各地に散らばって保管されている」
「えっ? 何で?」
大事な物なのであれば、一か所に集めて厳重に保管しておくべきなのではないか? そう思った唯だが、そこには複雑な事情が絡んでいたのだ。
「前に話したと思うが、昔万閃衆の里が傘木 雄成により襲撃された。あれで我らの里の位置がバレ、しかもその時に多くの忍びが奴の手にかかり命を落とした」
「ついでに言うと、里から出奔した連中が卍妖衆になったんだ。ここまで言えば分かる?」
2人の言葉に唯は漸く合点が入った。里はもう安全ではなくなったのだ。場所は割れ、更に秘密を知る者が敵になった。そんな状況で守る力が下がった里に何時までも秘宝を保管しておく事は非常に危険だ。
里に保管しておけないのであれば、保管場所を移すしかない。万閃衆は人知れず秘宝をごく数名の限られた者に託して別々の場所に保管して、敵の目を掻い潜って隠す事にしたのである。
しかし今、その保管も盤石とは言い難い。卍妖衆は明らかに何かに気付いたように狙いを定めて秘宝を探している。これは由々しき事態だ。
千里が危機感を抱いていると、徹は1枚のメモと封筒を千里に手渡した。
「千里、里からの直々の指示だ。メモにあるこの場所に向かい、保管されている秘宝を回収してこい」
「俺が? 父さんや長谷部さんが行った方がいいんじゃないか?」
「俺は俺で向かうべき場所がある。長谷部さんには勿論声を掛ける。だが今の万閃衆の台所事情では、千里にも動いてもらわなければならないのだ」
数年前の傘木 雄成による襲撃の爪痕は深く、下忍はともかく中忍以上が圧倒的に足りていなかった。他の中忍達もそれぞれの持ち場をなかなか離れる事が出来ず、上忍に至っては卍妖衆への牽制の意味を込めて身動きが取れないのが現状であった。
こんな状況では、例え未熟と言われようとも千里にも声が掛かるのは当然であった。
「分かった。俺に任せとけ」
「気合を入れるのは結構だが、油断するなよ? 長谷部さんも来るんだ、2人で着実に任務を遂行するんだ」
「分かってるって」
こうして千里は里からの指示で秘密の保管場所に向かい、秘宝を回収する任務を請け負った。場所は郊外近くにある倉庫街の一画。何処にでもある貸倉庫の一つが保管場所になっているらしい。名目上は里とは全く無関係の会社に貸し出されており、普通に荷物の運搬も行われている。何処にでもある様な倉庫で、普通に使われている倉庫であれば保管場所には丁度いいと言う事だろう。念の為にと倉庫の管理は万閃衆の下忍が潜入して行っており、何かあった時は直ぐに里に連絡が行くようになっていた。
週末、千里は椿と共に電車を乗り継いで保管場所の倉庫に向かっていた。普段向かわない場所に、重要な物を受け取りに向かうと言う事で緊張に少し落ち着きがない。
「南城君、大丈夫?」
「ん? あぁ、俺は大丈夫なんだけど……一つ聞いて良いかな?」
「何?」
「何で居るの?…………小鳥遊さん?」
そう、今この場に居るのは千里と椿だけではなかった。何故か任務とは関係のない唯までが同じ電車に乗り、秘宝回収の任務に同行していた。
物凄く当たり前に一緒に居る事に、千里は困惑しつつとりあえず一緒に行動していたがいい加減放っておく訳にもいかないと問い掛けた。
「何でって……南城君のお父さんが一緒に行けって言うから?」
「何で疑問形なの?」
「私にも分からないわよ。この週末は南城君と会えないかなって思ってたら、南城君のお父さんに一緒に行くようにって言われて……」
「まぁ小鳥遊殿は何時卍妖衆に襲われても仕方のない状況故、1人にしておくより連れて行った方が安全と言う考えでござろう」
2人のやり取りを見ていた椿はそう結論付けた。実際徹の考えはその通りだろう。下忍では卍妖衆が唯を手に掛けに現れても守りきることは難しい。であるならば、千里達と行動を共にさせる以外に手は無かった。
とは言え、これから向かう場所には卍妖衆も狙っている秘宝がある。場合によっては襲撃してきた敵の忍者との戦闘も在り得る。それを理解しているのかいないのか…………もし理解した上で平然としているのであれば、唯の肝っ玉は思っている以上に据わっているのかもしれない。
「まぁ小鳥遊殿のお守りは千里殿がやれば良かろう。敵が来たら拙者が相手をする故」
「その時は任せるよ。ただ小鳥遊さんも気を付けて…………小鳥遊さん?」
ふと千里が唯の事を見ると、彼女の様子がおかしい事に気付いた。何かを見て険しい顔をしている。何を見ているのかと唯の視線を追うと、吊革に掴まった女性の乗客の姿があった。それは別にいいのだが、気になるのはその女性の顔。何かに怯え、後ろを頻りに気にしている。
千里が視線を女性の後ろの方に持っていくと、そこにはバーコード頭の中年男性が…………
「あ、小鳥遊さん!?」
何かを察した唯が他の乗客を右に左に避けながら女性の方に向かう。そして女性の元に辿り着くと、ちょうど彼女の尻の辺りで何かを掴み持ち上げた。
「あなた何してるんですかッ!?」
唯が引っ張り上げたのは女性の後ろに居た中年男性の手だった。女性は痴漢されていたのだ。唯はそれに気付き、女性を助け男性を捕らえるべく動いたのである。
「クソッ!? 放せッ!?」
「キャッ!?」
「小鳥遊さんッ!?」
痴漢していた男性は捕まってたまるかと唯を突き飛ばし、踵を返して逃げ出していく。突き飛ばされた唯は倒れる前に素早く近付いた千里により支えられ事なきを得た。彼女に怪我がないようで千里はホッと安堵の溜め息をつく。
一方痴漢されていた女性の方は、痴漢から解放された事で一気に安心したのか涙を流しながら唯に感謝した。
「あ、ありがとうございます!」
「いえ、大丈夫ですか?」
「は、はい」
唯が女性を気遣っている間に、椿は痴漢をしていた男を追跡していた。この多くの人眼がある中、忍術を使う事は出来ない。しかし例え術が使えなくとも、身に付いた体捌きで他の乗客を回避して接近し、取り押さえる程度造作もない事。
あっという間に逃げていった男に追いつき、背中が見えてきたところでそいつは1人の男性客の後ろを走り抜けようとしてその背に肩をぶつけた。
その瞬間、その男性客は弾かれたように痴漢をしていた男の肩を掴んだ。
「ぐぉっ!? な、何だお前、放せッ!?」
「おいおいおい、テメェ何してんだよ? 人にぶつかっておいて何も言わずにおさらばする気か、えぇおい?」
ダメージジーンズと黒の革ジャンを羽織った男性は、まるで夕刻の人影の様にひょろりと背が高い。背の高さで言えば椿といい勝負をしそうだ。その背の高い男が猛獣の様な獰猛な雰囲気を放ちながら痴漢の男に迫る。その気迫に圧され、痴漢は恐れ戦き動けなくなっていた。
動けなくなった痴漢に男は口角を上げ笑みを浮かべると、空いてる方の手で床を指差した。
「オッサンもいい歳した大人なら分かるだろ? 悪い事したら、やるべき事があるってなぁ?」
その言葉と共に、痴漢が突如その場に膝をつき頭を下げ始めた。土下座だ。見た目は土下座の形だが、しかしそれをしている痴漢は困惑した様子を見せている。まるで自分の意思で土下座している訳ではないかのようだ。
「何? 何だ!? 一体、どうして……!?」
「あれは…………!?」
「え? 長谷部さん、一体どう言う状況?」
「待って小鳥遊さん! アイツが持ってる物って……!?」
千里が何かに気付き、唯が痴漢の前に立つ男を見る。その男の手には、何時の間にか一本の筆が握られていた。装飾の凝った、あまり見かけないデザインの筆。それに唯は見覚えがあった。
「あれって、まさか!?」
「間違いない、忍筆だ。って事は、あの男……!」
「そうそう、悪い事したらちゃ~んと頭を下げないとなぁ。オッサン……よく出来まし、た!」
「ぷげっ!?」
土下座した痴漢に、男はサッカーボールを蹴る様に思いっきり足を振り抜いた。足は痴漢の顔を蹴り飛ばし、歯を何本かへし折って吹き飛ばした。ちょうどその時、電車は駅に止まり扉が開いたので、痴漢はそのまま駅に放り出された。
他の乗客は一連の出来事に理解が追い付いて行かず、ただ茫然とその様子を見ているしか出来ない。唯一分かる事は、男が痴漢に対して暴力を振るったと言う事のみ。普通なら通報するべきなのだろうが、男の雰囲気があまりにも危険を感じさせたので触らぬ神に祟りなしと男を視界から外して全てが過ぎ去るのを待つ事を選んだ。
そんな中で、椿は真っ直ぐ男へと近付いていった。千里達が止める間もなく男に近付いた椿は、痴漢を蹴り飛ばした男の肩を掴み周囲には聞こえない程度の声量で話し掛けた。
「待たれよ」
「あ? ん、お前……」
「お主、忍びでござるな?」
「お互いにな? お前は、え~っと、ツララだったか?」
男が椿の忍者としての名を口にした瞬間、彼女は男の胸倉を掴んだ。こんな所でおいそれと忍びとしての名を出すなと言う事だろう。
しかし椿に胸倉を掴まれても、男は鼻で笑うだけで少しも怯んだ様子を見せない。
「一応訊ねるが、お主の所属は……?」
「万閃衆で俺を見たことがあるか?」
つまりはそう言う事。コイツは卍妖衆の忍びだ。それが分かると、椿は男を引っ張って電車から降りた。
「あ、長谷部さん!?」
「すまぬが、目的の場所には千里殿達だけで向かってくだされ。拙者はこやつの相手をせねばならぬ故」
椿の目が薄く開かれる。それだけ彼女も本気だと言う事だ。これはもう何を言っても意味はない。
それ以前にこうして卍妖衆の忍者が来ているのであれば、どちらかが相手をしなければならなかった。千里は唯を守る事も目的の一つなので、必然的に椿が残って千里が唯を守りながら任務の続行をしなければならない。
それが分かる千里は、電車から降りた椿に無言で頷く。千里が頷いたのを見て、椿は不敵な笑みを浮かべつつ男を何処かへと引っ張っていった。同時に扉が閉まり、電車が次の駅に向け動き出す。
動き出した電車の中から千里が椿の姿を追っていると、痴漢を蹴り飛ばした騒ぎを聞きつけた駅員が椿と共に居る男に詰め寄ろうとした。だがその前に、どちらが使ったのか煙玉が弾け広がる煙幕により2人の姿が見えなくなる。
広がる煙が離れていくのを、千里が険しい顔で見送り唯が窓の外と彼の顔を交互に見ていた。
「な、南城君、長谷部さんは?」
「あの人なら大丈夫、俺なんかよりずっと強いんだし。それより、ここにアイツが来たって事は、この先でも卍妖衆が待ち構えてるかもしれない。注意しないと」
気を引き締めて、千里はこの先に待つ秘宝とそれを奪いに来るであろう卍妖衆との戦いに備えた。
***
程無くして2人は目的の駅に到着し、電車を降りると駅を出て真っ直ぐ目的の倉庫へと向かった。
倉庫は大分使い古されているのか、壁や窓が汚れている。ここに秘宝が隠されているなどとはとても見えないが、恐らくそれが却っていいのだろうなと唯も感じた。
ここまでの道中、驚くほど静かに来ることが出来た。それ自体は良いのだが、千里はそれを逆に不安に思っていた。態々電車の中に忍者を配置して、こちらの戦力を分断させた卍妖衆がここまで何のアクションも起こさないなど明らかにおかしい。
「小鳥遊さん、俺の傍から離れないで」
「う、うん……」
緊張を感じさせる千里の言葉に、唯が緊張に唾を飲み込み頷く。それを見て千里も頷き返すと、改めて倉庫を見上げ歩みを進めた。
「ん? 君達、こんな所で何をしてるんだい?」
2人が倉庫に近付くと、倉庫の管理をしているのだろう老人が声を掛けてきた。唯は何と言えばいいのだろうかと頭を悩ませたが、千里は懐から徹に渡された封筒を取り出した。封筒には万閃衆の者にのみ伝わる記号が書かれている。
それを見た瞬間、老人は視線を鋭くした。
「……開けてみてもらえますか?」
老人に言われ、千里は忍筆を取り出し封筒の裏に筆先を這わせた。
傍から見ていると奇妙な光景だ。封筒を開けろと言われたのに、千里がやっている事は意味のない落書きの様なものを書いているだけ。これでどうなると言うのかと唯が首を傾げていると、封筒が一瞬光り次の瞬間封筒が弾けて中の密書が姿を現した。
千里はそれを老人に渡し、老人はそれをじっくり眺めた。
「……確かに。こちらへどうぞ」
倉庫の管理人の老人……に、偽装している万閃衆の下忍に案内されて、千里と唯は揃って倉庫の中へと入っていった。
外からの見た目通り、倉庫の中は古臭く埃っぽい。唯は思わず口を手で覆い咳き込んだ。
「げほっ!? ゴホッゴホッ!?」
「大丈夫?」
「んんっ! えぇ、大丈夫。それにしても、本当にここにその秘宝って言うのがあるのかしら?」
「父さんがデタラメを言うとは思えないけど……」
若干不安を感じながらも老人の後について倉庫の奥へと足を踏み入れる。
しかしそこには何もない。ぽっかりとスペースが空いているだけだ。
「? 何もないけど……」
「シッ」
思わず首を傾げる唯だったが、千里は何かに気付いているのか唯をそっと宥め老人の動きを見守る。老人は、そのまま何もないスペースに近付くと床にしゃがみ一部をぐっと押し込んだ。するとそこが凹み、老人の前の床が開いて鉄製の金庫が姿を現した。
まさかこんな所に金庫が隠されているなど思わず唯は目を瞬かせた。
「えぇ……!?」
言葉を失う唯の前で、千里は金庫に近付き下忍の老人に問い掛けた。
「この中に?」
「はい。秘宝の一つ、”晴嵐の筆”が収められています」
言いながら下忍は千里に密書を返した。渡された密書を開くと、中には万閃衆総本山からの指令として秘宝を移動させる旨と金庫を開ける番号が書かれていた。
千里はその番号を使って金庫を開ける。ダイヤルを右に左にと回して鍵を開けると、中には一つの木箱が入っているのが見えた。千里が木箱を取り出し蓋を開けると、中には一本の筆が入っている。忍筆とは異なるが、それでも筆にしては凝った装飾の施された筆だ。
秘宝の筆を手に入れ、千里はホッと一息つく。後はこれを持ち帰ればいいだけの話だ。
そんな事を考えながら千里が唯に近付いていくと、突然彼女の顔が引き攣った。どうしたのかと千里が首を傾げようとした瞬間、彼の忍びとして鍛えた感性が背後から迫る殺気に気付いた。
「南城君、危ないッ!?」
咄嗟に振り返ろうとした千里だったが、それより先に唯が抱き着く様にして彼を押し倒す方が早かった。
「わっ!?」
唯により押し倒され、倉庫の床に倒れる千里。上から唯が圧し掛かってくることにより、彼女の柔らかな胸の感触が伝わって来たがその事に現を抜かしている場合ではなかった。
何故ならつい先程まで彼が立っていた場所を、寸でのところで下忍が持つ忍者刀の刃が通り過ぎていったからだ。
「くっ!? 小鳥遊さん、怪我はッ!?」
「私は平気。南城君は?」
「俺も。小鳥遊さんのおかげで助かったよ」
千里は自分を押し倒した唯に怪我がない事に安堵しつつ、彼女を守る様にして立ち上がった。立ち上がりながら千里は唯を守るようにしながら下忍を睨み付ける。
「お前、一体何者だッ!」
「……くくくっ! 意外と勘が鋭いな?」
「!? お前、その声は……!」
下忍の口から出てきた声は、先程まで聞いていた老人の声ではなかった。あれよりももっと年若い男性の声。
その声に千里は聞き覚えがあった。忘れもしない、その声の主は…………
「お前、マンダラかッ!?」
千里の辿り着いた答えが正しい事を表す様に、下忍の老人に化けていたマンダラは変装を解いて正体を現した。赤黒い装束に身を包み、緑の複眼が千里と唯を射抜く様に見てくる。
マンダラの出現に、唯は軽く絶望した。前回、マンダラと対峙した時は椿も一緒だった。しかし千里と椿が2人で掛かっても手も足も出なかったのだ。そんな相手に今回は千里1人で立ち向かわなければならない。
(そんなの、勝てる訳ない……!?)
思わず唯が千里の服の袖を引っ張る。言葉無き逃げようと言う意思表示だ。頭で考えるよりも先に、体の方が彼に逃げた方がいい事を警告したのである。
しかし千里はそれには従わない。どころか、彼女に筆の入った小箱を託して背中に守るようにしながらマンダラと対峙していた。
「小鳥遊さん、合図したらそれ持って逃げて」
「で、でも!? それだと南城君は……!?」
「ゴメン。悪いけど、コイツの相手は小鳥遊さんを守りながらじゃ無理だ。攻撃に神経全部集中させないと、とてもじゃないけど勝負にすらなりゃしない」
千里の決意は固い。椿には未熟だ何だと言われているが、彼だって万閃衆の忍びに名を連ねる1人。口では何だかんだ言いつつも、死地に赴く覚悟は何時だって出来ているのだ。
そんな彼の決意を目の当たりにして、唯は泣きそうな顔になった。こんな所でお別れなんで絶対に嫌だと。もっと彼と共に居たいと心が叫んだ。
「絶対……絶対ッ! 後で追いついてきてねッ! 私、待ってるから!」
唯に出来る事はそれを伝えて、この場を彼に任せる事だけであった。これ以上ここに居ては彼の邪魔になる。唯は意を決して踵を返し、元来た道を戻り逃げていく。
その際に彼女の目元からは数滴の涙が零れ、走る勢いに振り落とされ彼女が走った後に軌跡の様に煌めき落ちていった。
後顧の憂いを断ち、戦いに集中できると胸中で安堵する。
(追いついてきて、か…………ゴメン。それ、無理かも……)
マンダラが強いと言う事はもう嫌と言うほどわかっている。そんな相手と一対一で対峙して、勝てるどころか生き残れると思う程千里は楽観的ではない。最悪、ここで命を落とす事も危惧していた。
「フン、無駄な事を。まぁだからと言って? 何をしようと無駄である事に変わりはないがな」
「それより一つ教えろ。元々ここに居た万閃衆の下忍は……?」
「聞く必要があるのか?」
つまりはそう言う事だ。卍妖衆はここが秘宝の隠し場所であると知っていて、管理していた下忍を始末してマンダラが入れ替わっていたのだ。
「何で態々入れ替わってたんだ? あんな金庫、力尽くでぶち破ればいいだろうが」
「万閃衆の上忍共は慎重な奴が多い。恐らくは金庫にも仕掛けがあって、正しい手順で開けなければ秘宝が失われるようになっていた可能性が高い。そんなリスクを冒すくらいなら、お前達が金庫を開けに来るのを待って取り出された秘宝を殺して奪い取った方が余程利口だ」
つまりは全て奴らの掌の上だった訳だ。ここ数日の活動でなかなか秘宝が手に入らなかったから、アプローチを変えたと言う事か。卍妖衆の狡猾な手口に、千里は道化を演じさせられたのが癪に障りマンダラを睨んだ。
「電車の中に居た奴も、俺達を分断させる為の策って訳か……!?」
「電車? 何の事だ?」
「惚けるなッ! ここに来る途中の電車の中にも忍びを配置してただろうがッ!」
千里の怒声に、マンダラは顎に手をやりフムと考えこむ。その様子は揶揄っている様には見えず、本当に心当たりがないように思えた。
「……知らんな」
「それじゃ……アイツは、一体…………」
訳が分からないと困惑する千里だったが、その彼に向けてマンダラが手裏剣を放ってきた。一瞬反応が遅れた千里は、ギリギリで回避する事には成功したがそれでも頬を僅かに切られてしまった。
「くぅっ!?」
「そんな事よりお前は自分の身の危険の方を心配した方がいい。何しろ今から、私に殺されるのだからな?」
「くっ! 執筆忍法、変身の術ッ!」
何時までもこうしてはいられないと、千里は忍筆と巻物でコガラシに変身した。
「コガラシ、変身ッ!!」
【忍法、変身の術ッ! 夜の声、しのぎ削りし、忍ぶ者……コガラシッ! 達筆ッ!!】
変身したコガラシは、腰の後ろから忍者刀を取り出しマンダラに向け構えた。そして奴が何かをしてくる前に、一気に攻撃を仕掛けようと風のような速さで接近する。
そんな彼に向けて、マンダラの噴血槍が四方から迫っていった。
***
一方その頃、千里達と別れた椿は卍妖衆の男と共に駅から離れた林の中に居た。どちらからともなく地面に叩き付けた煙玉により姿を眩ませた2人は、誰の邪魔も入らない場所を求めてこの林を見つけたのだ。
「ここなら邪魔は入らねえな。それじゃ、早速やるか!」
「その前に、お主は一体何者でござるかな?」
意気揚々と戦おうとする男に対し、椿は努めて冷静に応対して相手の情報を引き出そうとした。
「おっと! そういや自己紹介がまだだったな。そいつは失敬。俺の名は
目の前の男、隼 隆司がゲッコウ……その事実に椿は閉じられていた目を驚愕に見開いたが、次の瞬間その目には闘志が宿り鋭い視線となって隆司を見抜いた。
「なるほど……そなたがゲッコウ。であれば、ここで会ったが百年目ッ! 以前は互いに手を抜いての戦いであったが、今度は容赦せぬ。初手から忍術を用いた全力で相対させてもらうでござる」
忍筆を構える椿に対し、隆司は飽く迄自然体。どこかリラックスすら感じさせるその姿に、椿は油断なく怪訝な顔になり何が来てもいいようにと身構えた。
「お主、随分と落ち着いているようでござるが……」
「ん? あぁ、何……案外大した事ない奴だなって思ってな?」
「何?」
「だってお前……
どういう意味だと問う前に、椿は己の身に起きた異変に気付いた。体が突然動かなくなったのだ。
(これは……!?)
いや、動かないだけではない。自分の意思に反して手が動き、首に指が絡みつき締め付けてきたのだ。自分で自分の首を勝手に締め付ける、その状況に椿は自分が既に隆司の術中に嵌っている事を悟った。
【忍法、
「これが影遁の術、影繰人形。もうお前は俺の意のままさ」
「ぐ、くっ!? あ、か……!?」
首を絞めつける手は、椿の意思に反してどんどん強くなる。このままでは窒息するのより首の骨が折れる方が先かもしれないと思う程だ。
「さぁ、文字通り自分で自分の首を絞めて、堕ちちまいなッ!!」
「あが、か……!? か、は…………!?」
唯は必死に走り続けた。今彼女に出来る事は、千里の邪魔にならない事。そして、千里の助けとなってくれる者に声を掛ける事だった。
「長谷部さん……長谷部さん、何処ッ!?」
今の唯が頼れるのは椿のみ。唯は椿の姿を探しながら元来た道を駆けていく。
「くぅっ!?」
一方1人倉庫でマンダラの相手をすべく残ったコガラシは、四方八方から飛び出す噴血槍を相手に苦戦を強いられていた。神出鬼没の血の槍は、コガラシの意表を突いて襲い掛かる。その攻撃を防ぎきることは難しく、既に彼の体は至る所が放たれた血の槍により傷付き今にも倒れそうになっていた。
それでも彼は諦める事無く、マンダラに立ち向かい続ける。彼には万閃衆の忍者であり、そして仮面ライダーでもあるのだから。
「だぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
忍者刀を手に、何度目になるか分からないマンダラへの特攻を敢行するコガラシ。
そのコガラシに、マンダラの忍者刀が振り下ろされた。
と言う訳で第9話でした。
今まで伏せていたゲッコウの正体判明、その名も隼 隆司。今後はこちらの姿でもちょくちょく登場する事になります。
執筆の糧となりますので、感想評価その他よろしくお願いします!
次回の更新もお楽しみに!それでは。