死中に活ッ!笑えよドラゴンッ!!※転生先が絶望的なんだが 作:ストロング西岡
──全身から血が流れ、醜い死体となった私。時間とともに身体の輪郭が朧気になり、色褪せて灰のように風に乗って遠くの灰の嵐を飛び越え、私が見たことのない緑広がる大地へと消えていく──。
そんな明確な死のイメージが私の精神を何よりも苛む。今まで生きてきて、ここまで死を意識したことは無かっただろう。
ドシン、ドシンと巨獣が地面を踏みしめる足音が耳目を震わせる。
逃げなければならない。しかし足は震え、腕に力が入らない。一向に景色が変わらない。
逃げる……一体何から。魔獣だ。それ以外の何がある。
いや違う。私はずっと逃げ続けてきた。2年前のあの日からずっと。
『グゥゥゥ…………』
「……ここまでか」
血塗れの手が壁を撫で、私は地面へと体を投げ出す。眼下にはゆっくりと、こちらへ向かって来る熊型魔獣が映る。
気付けばいつもこうだ。好きなだけ私を蹂躙したかと思えば、その実私を憎んで暴虐を尽くす。終わればいつも血だらけ。
逃げることに慣れすぎて、逃げることしか出来なくなった。きっと立ち上がって、前に進む力が欲しかった。けど現実そうは行かない。私にはなんの力もなく、空気のように押しても引いても触れない運命に翻弄される。
痛かったなあ、あの時。初めてに夢を見て、名前も知らぬ誰かに奪われる痛みは精神的に来た。あんなにも暴力的な視線でだれかに恨み言を言われるのも初めてで、暫くは立ち直れなかった。
思い返しても良い記憶なんて一つもない。あったとしても、それ以上の悪夢が全てを上塗りして消してしまっていることだろう。
「死にたく、ないな……」
不思議だ。この状況でも、あの過去があったとしても私はまだ生きたいと望むのは、何故なのだろう。現実逃避が見せる最後の思考が、私をそうさせたのか。私は何故今まで生きてきたのだろう。
別に死んでもよいのでは。今の私に出来ることなんてない。無気力に生きて、無意味に死んで。そんな人生でいいじゃないか。もういっぱい苦しんだだろう? もうこれ以上大変な目に遭いたくないよ。辛かった日々とお別れしてもいいじゃないか。
『他人の顔色窺って生きるのは止めなさい。そんな道化みたいな生き方、貴方じゃなくてもできるでしょ』
ふと、昔誰かに言われた言葉を思い出す。懐かしさを感じさせるその言葉から、私は記憶の片隅からその誰かを……。
誰か、だと……?
「あ、ああ……!」
唇が震える。視界が霞む。
なんで、今まで忘れていた。絶対に忘れてはならないことを、私は今の今まで忘れていた。
『グワァァアア!!!』
魔獣が私に飛びかかる。
「このままじゃ、駄目だ……」
かっこいいと思った。忘れていた彼女を、その生き様を。でもそれは弱い身を守るために使い潰された、安っぽい外殻として酷使しされ、今となっては形骸化した。
『──もう逃げないと約束したからな』
ある男の言葉が頭の中に響く。
ふざけんな、ふざけるな。逃げないだと。その言葉にイライラしていたのは事実。奴がまるで、私を見透かしたかのように放った言葉。そしてそれは事実私を的確に、効率よく刺すには十分な威力を持っていた。
憧れ、と思った。嘗て忘れ、大切な思いを取り戻す切っ掛けとなった言葉を、奴は持っていた。会ったばかりの男に気付かされるなんて恥でしか無いが、恥を恥と断ずるプライドはとうに持ち合わせていない。そんな物必要ない。本当に必要なものはそこにはない。
魔獣のアギトが迫ってくる。死はすぐ目の前にある。
「まだ……終わってないっ!!」
破壊され動きが鈍い右手を熊型魔獣の口内に突き刺し、魔力の本流を放つ。
『グワァァアア!!!!!!』
放たれた魔力は炎を纏う。魔力の性質は普遍的なものを基本として、術者の持つイメージによって性質が変わる。私の魔力は『炎』。体内に放たれた灼熱は余すことなく全身を内側から焼き上げる地獄の業火。
手負いの獣は恐ろしい。死の間際で爆発的な力を発揮する。きっと今の私がそうだ。
想像し得なかった炎による攻撃に熊型魔獣はのたうち回る。未だに燃え続けているのだろう、口から炎を溢しながら苦痛に喘ぐ。
熊型魔獣は深手を負い、状況は有利になった。今なら仕留められる……ということは決してない。
「うっ……あ…………」
意識が朦朧とする。唇を噛んで必死に堪えようとするも、もはや痛みを感じないほどに体の感覚がない。地面に顔から倒れるもベットに倒れ込んだように、ふわふわと気持ちの良い感覚が全身を包む。
マインドダウン。急激な魔力の消失による意識障害。後数分で私は意識を完全に手放し、ただの木偶坊と化す。そうなれば死は免れない。
「まだ……ま、だ…………」
まぶたが重い。視界がゆっくりと狭くなっていく。隙間から見える魔獣は正気を取り戻し、こちらへ憎悪の視線を向けていた。
逃げたくない。その判断が遅すぎたか。もう私は逃げることすら叶わない。
ああ、そういえば思い出した。ここは私が2年前に……いやはや全く偶然だ。最悪の場所で、最期を迎えることになるとは。私の人生らしい。
「いや、だなぁ……まだ、私は…………」
まぶたが落ちる。すぅーっと、床が崩れたように体が落ちていく。危なっかしく、だが相反して安心感を覚える自由落下。心地よい感覚に身を委ねる。
その時、落下が急に止まったかと思えばぐわっと上昇し……甘美な時間が終わりを告げた。
「っ……!? な、に……が」
「テレジーッ! 生きているか、テレジーッ!!」
「マイ……ケル……?」
宙に浮いたままの体が硬い地面に触れ、冷たい感触が背中に伝わる。重かったまぶたも幾分か重荷が取れたように軽い。
「あ、痛っ…………!」
それと引き換えに痛覚が戻ってきて私は完全に覚醒する。マインドダウンから復帰できたのは初めてだ。さきほどまで襲っていた強烈な眠気は嘘のように晴れた。
「あんた……生きてたの……?」
「ふっふっふっ、君のためなら死ねるがなッ」
「はっ、なにそれ……」
首を回して周囲を確認する。家屋の屋根に登って魔獣の視界から一時逃れたらしい。一先ずは安全と言っていいだろう。
安全……ね。この男を、私はいつの間に信用したのだろう。会って間もない人間を信用するほど、私はお人好しだったろうか。
「酷い怪我だな。どこで転んだらこうなるんだ?」
「どう、見ても……転んだ程度の怪我じゃ、ないでしょ……!」
「はっはっはっ、それだけ喋れれば十分だッ。俺が治すからもう少し耐えてくれ」
マイケルはそう言うと、私の手を握っていた手を離し両手を体にかざす。手……握られていたんだな。
「ぴ○るぴる○るぴぴるぴ~」
「……え?」
マイケルは摩訶不思議な、というより少し気持ち悪い呪文を唱える。大の大人が言っていいセリフではない気がする。
「す、すごい……」
大穴が空いていた体は見る影もなく、まるで怪我なんてなかったかのように健常な状態へと戻っていた。穴だらけで襤褸になった外套が、かつての惨劇を表現している。
「魔法……使えたのね、貴方」
回復魔法には大きく分けて2種類ある。1つは、再生速度を上昇させるもの。再生までの時間を早くさせる効果のことだ。もう1つは、再生限度を拡大させるもの。これは本来生物が持つ再生力では治せない怪我を、魔法の力によって限界を超えた治癒能力を付与する効果のことだ。
彼の放った魔法は恐らく後者。とはいえ瞬時に再生を完了させる回復魔法の使用は、術者に高度な技術を要する。その魔法に相応しい量の訓練か、天才肌の人間でしかなし得ない偉業だ。
「いや、使えないが?」
「え? ……それじゃあ今のは何?」
「……なんとかなれ〜って思いながら、思いついた呪文を唱えただけだ」
「えぇ……」
何だこの記憶喪失男。思いつきでそんなことを試すな。あとさっきの私の考察の時間を返せ。なんか恥ずかしいだろ。
『グワァァアア!!!!』
「っ、近い……!」
先程の地点からかなり離れた位置に移動したマイケルだったが、どうやら奴にはバレてしまったらしい。遠くの景色に黒ずんだ灰色の巨獣が見える。
「あいつは強い……早く、逃げなさい」
「むぅ? それはできない相談だなッ!」
「まだ、甘えたことを……言うつもり? 顔の知らない誰かを助けたところで、貴方になんの利益が──」
「いや、あの魔獣はもう人民を狙っていないだろう。テレジー、君以外は」
「なら……尚更逃げなさいよ……!」
「ハッハッハッ!! 可愛いことを言うじゃないかッ!!」
熊型魔獣が地面を踏み荒らす音が、胸の律動とともに大きくなっていく。
「はぁ? 何を言って……!」
「まぁまぁ。テレジーはここで待っていてくれ。俺に任せとけッ」
そう言って彼は家屋から降りると、今しがた現れた熊型魔獣と対峙する。
「任せろって……そんなこと」
……さっき見事に吹き飛ばされたやつを、どうやって任せられると?
「シュッ、シュッ。シュシュシュッ!!」
『グゥゥウ…………』
マイケルはリズムよく体を揺らして体を温めつつ、シャドーボクシングで威嚇をする。だが全く意に介さない熊型魔獣は私を睨みつける。
「あらよっと」
マイケルは懐から何かを取り出したかと思うと、カチンっ、という音とともにそれを魔獣に投げつけた。
直後大きな爆発が魔獣を中心に発生。爆風が前髪を拭き上げ手で目元を隠す。あいつ、いつの間に私の爆弾を……!
「っ! それは……!!」
「済まないテレジー。こいつを借りるぞッ!」
マイケルが手に持っていたのは、私が肌見放さず所持していた護身用の短剣。それを手にしたあいつは、妙に堂に入った構えで突撃する。
良かった……。マイケルが短剣を勝手に使ったことは別にいい。一度手放した以上もはや私の所有権は失われたも同然だから。それ故、彼が私の短剣を入手したことであれがまだ無事であることを知れた事実が、何よりも安堵を生んだ。
「うおおおお!! 喰らえッ!!」
魔獣の間合いを完全に把握し、尚且つ初めてに握るだろう短剣で成す見事なヒットアンドアウェイ。私のような、密着状態から必要最低限の回避で、攻撃手数を最大限確保する戦い方とは違う。自分の安全を担保しつつ、相手にだけリスクを押し付けるような、一部の隙もない防御主体の戦い方。……なるほど、ああいう戦い方も必要か。
「……! マイケル、下がって!!」
魔獣はマイケルを敵と判断したのか、魔法発動の構えを取って先程私を窮地に追い込んだ、巨柱を放つ魔法陣を生み出す。
「おお……なんと見事な。おーいテレジー! こっちに来てみろよッ!!」
「いや呑気だなッ!? いいから早く逃げろッ!」
「ふっふっふっ……俺に任せておけッ!!」
そう言うとマイケルは鎧に手をかけ始めた。
「ちょ、おま、何してんのッ!?」
「任せておけッ。ふぅ、暑かった……」
「涼むなぁあああああ!!!!!」
完全に鎧を兜を除いて脱ぎ去り、裸一貫となったマイケルはズンズンと魔獣に近付いていく。
「ちょっと! ほんとにヤバいって!! ねぇ、マイケルッ!」
「任せておけッ」
「さっきからそれしか言ってない!! お前のどこを信じればいいッ!?」
魔法陣はマイケルを中心に無数に拡散していく。発射まではもう一刻の猶予もない。
「任せておけ」
「だから……!!」
「俺が、テレジー守るッ!!」
直後、魔法陣から巨柱か轟音とともに射出された。
「パワー!!!!」
マイケルが、筋肉を見せつけるようにマッスルポーズをとる。
「なっ……!」
『グォオ!?』
筋肉に吸い込まれるように着弾した巨柱は、なんと筋肉を貫くこと叶わず弾かれた。驚きで私は開いた口が塞がらない。え、魔獣も驚いて変な声出してる?
「ポイ捨ては関心しないな、こいつを返すぜッ!!」
周囲に落ちた丸太のような巨柱を片手に1本ずつ持つと、それを高速で魔獣に投げつけた。
『グォオォオオオオ……!!』
鋭い先端はいとも容易く魔獣の堅牢な皮膚を貫き、見事に突き刺さっていく。
「おらおらおらッ!!」
2本、6本、12本と数を増やしていき、20を越えたあたりでマイケルは手を止める。熊型魔獣は今や完全に剣山と化していた。
『グ、グワァァ………………』
魔獣の断末魔が途絶える。目の色を失い、生命活動が止まったことを確認すると、マイケルはこちらを振り返って……。
「ブイッ!!」
勝利のVサインを送ってきたのだった。