おめでとう!悪役令嬢は悪のカリスマに進化した!   作:ギブソン・ガール

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#11

放課後。執務室。

アリス・モンタギューは、執務机に置かれた数十頁に亘る『事前研究計画書』を、鼻目金(メガネ)をかけて熟読していた。

その合間にも、計画書を提出した張本人、リーゼ・ポンパドール=ダックテイルは、微塵も緊張せず、黙って成り行きを静かにただ待っている。

全てに目を通し終えると、ふぅ、と一息ついてから、手を組んだ。

 

「ふむ…」

 

ここで、彼女が提出した『研究計画』の概要を確認しよう。

 

『深刻な心的外傷治療の為の忘却水薬の一部改良による二重思考療法』

 

忘却水薬。

オウェル王国中央魔法院国土管理部交通結界課が管轄の第1級霊水脈、レーテー川に流れる稀有な魔力水質から採取された霊脈魔素を素材とし、公務霊薬術師の手によって生成される水薬。

その価格は高価で、生成できる霊薬術師も数少なく、専門性が高く製法の守秘義務も存在するため専用の資格と資格取得の為の国家公務試験も存在するが、あまりの難易度に中々合格者は出ず、後継者の減少が絶えない。

そのため価格は年々高騰して来ている。

 

忘却水薬の効能は一部記憶の忘却であり、その記憶は服薬した人間の脳から綺麗さっぱり消滅するため、その効能を利用した深刻な心的外傷の治療などに使用される事が多い。

しかし、心的外傷の要因となった一部の記憶()()を綺麗に抹消するのは非常に難しく、副作用として外傷体験前後の記憶の混濁、外傷体験に関与する一部宣言的(エピソード)記憶や手続き記憶の混濁及び忘却などである。

また、服薬による副作用には個人差が強く、人によっては一部どころか全ての記憶が喪失する可能性もある。

 

今回の研究では忘却水薬の一部改良によって、忘却対象である記憶を服用者の外傷体験では無く、個人の『信仰体系(ものの見方)の中に存在する中立的観念』に移す事で、外傷体験による当時の精神的な衝撃(ショック)は記憶しているが、恐慌や無力感または戦慄などの当時の実体験によって感じた『感情』は完全に忘却している状態にする。

 

そして自分の心の中にある対立した観念、つまり『自分は精神的に衝撃を受けたという記憶』と、『その際に感じていた感情の忘却』が同時に作用し、双方によって生み出される自己矛盾(絶大な精神的衝撃として現在も記憶してはいるが、現在の感情的には全くの無感動である)の存在を完全に忘れる事になる。次に、自己矛盾を忘れたことも忘れなければならない。さらに矛盾を忘れたことを忘れたことも忘れ、以下意図的な忘却の工程を定期的な通院と服薬によって複数回繰り返し、服用者の深刻な心的外傷の完治となる。

 

この治療法の確立によって、今まで深刻な心的外傷を味わってきた患者の多大な精神的苦痛を和らげると同時に、心的外傷性障害によって外傷体験の記憶が混濁してしまった重要参考人の宣言的記憶の聴取が可能となり、未解決事件の犯行の重要な証言を得る事まで可能となる。

更に、現在の忘却水薬の問題点である個人差による記憶範囲の増減も、記憶では無く、自己矛盾、つまり、『(当時の記憶を)覚えているが、(当時の感情は)覚えていない』という、精神のごく一部に作用するように調整することで、そういった服薬事故の可能性を著しく低下させる事が出来ると推測される、といった旨が書かれていた。

 

研究の概要に関してはこういった内容であったが、他にも過去の水質調査による魔素割合の推移や、改良の為の調合法の仮説とそれを立証する為の検証用研究用具や試験液の一覧、服用後の具体的な療法の指導要録、仮に治療法が確立した場合の販売価格と供給量、公務霊薬術師の動員と後継用資料の整理、仮に療院で運用された場合を想定した採算終始決算表の予測など、研究内容だけで無く研究によってどうなるか、どう運用していくかまでも綿密に練り込まれており、その完成度に思わず感嘆を漏らした。

 

「素晴らしいのぉ、社会的な意義もあるし、忘却水薬による副作用は些か問題視されておった、専門性が高く過去の実験記録もそう多くない為かなり難しい分野ではあるが、君ほどの生徒なら不可能な困難ではないのかもしれんの」

 

「ありがとうございます」

 

「幾つか、質問しても宜しいかな?」

 

「はい」

 

漆塗りの()()()を、くるくる、と念動術で空中に浮かべながら、組んだ手に顎を乗せ、何やら唸りながら言葉を選んでいる様であった。

その間にも万年筆は当たり前のように、くるくると回っているが、その実、無言でずっと同じ早さ同じ回転で壁や机にぶつからないように部屋中を漂っていたので、この光景は、実は無駄に高度で無駄に洗練された念動術であった。

リーゼは勿論、普通に無視した。本題と全く関係無いからである。

 

「……ふむ、では一つ」

 

「はい」

 

「まず、忘却水薬をどうやって調達しようと思っとるのかな?実験用の標本にしては中々のお値段ではあるんだが」

 

「はい、まず『特別課題研究投資資金』を中央魔法院研究管理部学生支援課に申請し、研究の経過報告と成果発表の義務を条件に資金調達しそこから捻出します」

 

「随分な大物を口説きに行くつもりじゃなぁ」

 

「必ず成功させます」

 

ちょっとした茶目っ気に対し、ごくごく真面目に返されたので、スベった気分になってしまったが、そう言えば最近はチャールズにも似たような対応ばかりされ始めたので、いよいよ自分の威厳が崩れ始めている事に焦燥した。…訳ではなく、やっぱり呑気に話を進めた。

 

「頼もしい事この上ないのぉ…次、この研究の課題は何じゃと思う?自分の個人的な意見で構わんよ」

 

「…悪用の危険性でしょうか」

 

ほんのちょっぴりとだけ、動揺した様な気がした。

常人なら、気のせいにして見逃す程の微かな、本当に微かな声と瞳のブレが、心に何かを落とした。

 

「……続けなさい」

 

今までどこか飄々としていたアリスの目が、一転して野生の虎を彷彿とさせる、剣呑な雰囲気に変わった。

しかし、それでもなお、凛としたままの声で応えた。

 

「この研究によって生み出される忘却水薬の肝は、従来とは違って()()()()()()()()()()()()()という二重思考である点です、つまり、例えばこの薬を痴情の縺れに利用すると『この人は人格に重大な欠陥がある為に理解も納得も出来ないが、この人を愛しているので許容する』という矛盾した思考になり、個人が持つ裁量権や自己決定権が混乱し、実質的な洗脳の術を受けた状態になる可能性があります」

 

「対策は何か考えているかな?」

 

「公務錬金術師資格以上の、厳しい取扱い免許試験の設置等の、強力で厳格な運用の制限条件が必須と考えております」

 

それから幾つか問答は続いて、厳しい目は少しだけ和らいだが、それでも不安の色は消えないままだった。

 

「…最後に、これは個人研究かな?」

 

「いえ、有志研究のつもりです」

 

「!…ほう、ほう」

 

「と言っても、私を含めた2人でやるつもりです」

 

ちなみに、彼女の本心としては偉大なる先輩(ルーシー・リー)を含めた3人でやりたかったが、流石に今まで様々な()()()を押しつけてしまっているだけでなく、ルーシーもまた個人研究を進める必要がある為、泣く泣く断念した。

 

「ちなみに誰とやるつもりなのかな?」

 

「べアトリックス・セネルです」

 

ちょうど執務室の引き出しに、丁寧に整理されて入っていた書類の束から、セネルの成績表を取り出して、軽く目を通した。

 

「ふむ…君たちなら、研究室の開設を許可しても、悪い事にならないじゃろう、良かろう、研究を許可する」

 

少しばかり悩んだ後、更に引き出しから黄金の判子を取り出し、事前計画書にポンっ、と押すと、急に伸ばしていた背筋をだらけさせ、机に雪崩れた。

 

「全く……なんなんじゃ君は、もう少しガキみたいに舐めたモン持ってこないと、突っつけないじゃろ」

 

「はぁ…」

 

実際過去に、杜撰で見通しの甘い計画書を持ってきた生徒たちを鋭い指摘で論破し、中には泣き出してしまう女子生徒さえ居たが、とにかく一から十までハッキリさせないと気が済まない彼女にとっては、当たり前の常識であって、悔しかったり自分の未熟さを自覚して泣き出してしまうくらいなら、さっさと作り直してまた持ってこい、と厳しくも愛のある指導をしていた。そして、そんな厳しくて愛のある教職者の鑑である自分が大好きだったので(要はお説教して気持ちよくなるのが好きなだけ)、何も指摘する事がない今回の計画書と問答に次第に気が緩み始めた。

序盤の張り詰めた虎の目は、今や飼い猫の様に穏やかになっていた。

 

「この前の中間考査もなんか意味分からん点数取りおって……なんじゃ770点て、一応来期分の加点にしたけど、どうすりゃいいんじゃ前代未聞じゃぞ、あまりにも勉強し過ぎてて、大半の教員が引いておったぞ」

 

「日頃の努力の賜物かと」

 

「半端なく甲斐が無くてビビっちまうのぉ…なんかこう…もっと…チャーリー君くらいイジリ甲斐のある奴になれんのか?今から髪伸ばして三つ編みとかせんか?そんな典型的な不良少年の髪型、似合っては……いるが、もっとこう……のぉ?」

 

あろう事か堂々と、謎の文句(ついでに髪型も)すらブツブツと垂れ始めた。

が、もちろん、リーゼは眉一つ顰めなかった。

なんなら、それよりも変な所に引っかかっていた。

 

「…どなたですか?チャーリー君って?」

 

「一般魔術教養担当チャールズ・ハットルト君の渾名じゃ、ちなみにこう呼ぶと全然普通に怒るから面白いんじゃこれが」

 

「覚えておきます……改めて、今回はありがとうございました、失礼します」

 

一応ここで言及しておくが、アリスは見た目こそ化術によってうら若き少女の姿をしているのだが、御年72歳である。

悪戯とタチの悪い揶揄いで、人の神経を巧いこと逆撫でて、それでいてなぜか憎めない不思議な人気者。

リーゼは何だか呆れてしまって、無性に帰りたくなり、深く頭を下げて自室に帰った。

 

扉が閉まった後、鼻目金を外した。

もうすっかり、冷徹な観察者の貌になっていて、椅子の下で密かにあの()()()でそこいらの帳面に書き留めていた、リーゼが語った『悪用の危険性』を改めて見返して、今度はゆっくりと頭に叩き込んで、大きく溜息を吐いた後、無言で燃やした。

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