日本トレセン学園。
国中のウマ娘、その選りすぐりの言わばエリート達が集まる施設。
その一角に、一際目立つ男がいた。
背丈は高く、髪は金色、陣羽織のような装束を身に纏い、顔全体を隠す面頬を身に付けた奇妙な偉丈夫。
日本人離れした体躯の彼は実際日本人ではなく、生粋の米国人であった。
『海外が想像する日本のサムライ』然とした奇妙な出立ちはそれ故にだろうか。
かつて国元では飛行機乗りであった男であり、今はウマ娘のトレーナーという一風変わった経歴を持った男である。
ちなみに流石に腰に刀を差してはいない。普通に犯罪であるので。
「いつ見ても不思議な格好だね……」
すれ違い様聴こえてきた密語が耳に入り、歩みは止めないまま目だけをそちらに向けて、数瞬もせずに視線を正面に戻す。
慣れた反応だった。日常茶飯事であった。
この国に来てから常に浴び続けた好奇の視線であり、言葉であった。
祖国で過ごしていた時から種類は違えど、そういった態度は慣れたものであった。
まあ男は『そういったもの』を全く気にしないタイプの人間であったせいなのが大きいが。
恐らくはこの常在戦場を表した格好が、平和な国に生きる現代人にとっては珍しい故の態度であろうが(男がいくら周囲の視線や思惑を気にしないタチであるとはいえ、現代日本において戦装束を纏っている事が珍しい事ぐらいは理解している)、それはまあいいとして。
男にも感化し難い事はある。
自分には立派な、ちゃんとした名前があり、この格好も確固たる信念に基づいた由緒ある正装であると自負している。
それを言うに事欠いて
「やあ、ミスターブシドー」
「………………」
これだ。
ミスターブシドー。最近はこの名でしか呼ばれた事がない。
あってもブシドーさんなどである。到底人の名ではない。
そう呼ばれるようになった発端の人物が酷く有名人なせいで、浸透率がとんでもなく高い。
見知らぬウマ娘は勿論、見知らぬ学園職員や見知った学園職員までそう呼んでくる始末である。
名を偽った記憶がないのにこの仕打ち。迷惑千万であった。
「今日もその格好なんだね。それって洗って……いや、洗濯とか出来るの?」
「……毎日手入れは欠かさず行なっている。心配せずとも結構」
「あ、そうなんだ」
まあ臭ったことなんてないんだけどね。いや慣れないニオイはするんだけど、とけらけら笑いながら話すこのウマ娘こそ、己の不本意な渾名を広めた張本人であった。
「ミスターシービー」
「何かな、ミスターブシドー?」
「即刻その呼び名を改めて貰おう」
「ヤダ」
「…………………」
ミスターシービー。
長らく『神話』とされていたクラシック三冠の栄光を掴んだ、至高の存在とも呼べるウマ娘であった。
「全く、迷惑千万だ」
自分に割り当てられた部屋に入るなり、ひとりごちる。
あのウマ娘ときたら、いくら言っても「ヤダ」の一点張りだった。
この学園どころかこの国で、下手をすると世界的な有名人である彼女であるから、まかり間違ってしまえばこの呼び名がとてつもない範囲へ広がってしまうのではないか。
それが男の目下の心配事である。周囲の事を気にしない人間ではあるが、自己顕示欲は割とあるタイプの人間でもある男からすると、自分の名が呼ばれないというのは地味なストレスなのだ。
それでも強く出られないのは、偏に彼女が男の憧れのウマ娘であるからだろうか。
物怖じしない性格であると自認していたが、存外繊細なタチであったらしい。
憧れ。
そう。男はミスターシービーの走りに魅了されこの国を訪れた。
もっと言えば、ミスターシービーを知った事で、興味のなかったウマ娘のトレーナーという職を目指した程度には大きな感情を抱えていた。
自由な空に憧れていたのはいつからだったか。
孤児となった幼少期、その時の経験から「自由」に強い感情を抱いたのは間違いない。
無垢な憧れは次第に、自由に空を飛び回る飛行機のパイロットへの憧れへと変わっていった。
環境故に現実的に目指せるのは軍隊の飛行機乗り、軍人になる事だけだった。
ただの一兵卒として軍に入り、ただひたすらに空を飛ぶことだけを目指した。
色々と気に食わない事もあったが、それでも念願叶って遂にはパイロットとなる事が出来た。
何も縛るものはない自由な空。それを自由に飛び回る飛行機の主人。
そこには自分の目指した『自由』があった。……あった筈なのだ。
面倒な紆余曲折を経て、『空』にも様々なしがらみがある事を思い知った男は、休職していた。
人間関係。命令系統。企業同士の利権やら軍事派閥やらなにやら。
自由だと思っていた場所も、どうやら然程自由ではなかったらしい。
我ながら、らしくもなく意気消沈していたが、ほんの気まぐれに今までに目を向けてこなかったものに目を向ける事にした。
孤児だったゆえに金と時間のかかる娯楽とは無縁だった男は、よく話に聞き、稀にテレビで眺めたりはするものの、自発的には全く触れてこなかった世界へと目を向けた。
ウマ娘。
ヒトによく似た、しかしヒトとは確かに事なる種族の、とりわけ彼女達が行う興行的な側面のあるとされるレース。
昔の男は、さして広い訳でもないコースをただひたすらに走る彼女達の姿を見て「窮屈そうだな」と思ったのだったか。
鬱屈とした日々を過ごしていた男は、ふとその窮屈そうだった彼女達の事を思い出した。
自由とは反対のものであると思っていたその姿を見れば、相対的に自由とは何かが掴めるかもしれない。
などと今となっては失礼千万な動機の元、ひたすらにがむしゃらな軍人だった故にそこそこの金額が貯まっていたのもあり、初めて娯楽としてのレースを実地で見た。
圧倒された。
不自由だと思っていた彼女達は、その実誰よりも自由に大地を駆けていた。
ヒトに似た姿から繰り出されるヒト外れた膂力。
モニター越しにチラリと見るだけでは感じなかったその迫力は、ともすれば初めて空を飛ぶ飛行機を見た時の衝撃に並ぶかもしれなかった。
必死の形相を浮かべ、声援に囲まれながら狭いコースの上を駆けずり回る彼女達は、そこで何よりも鮮烈に、自由に生きていた。
見事に彼女達ウマ娘に魅了された男は、そこから彼女達の事を調べ始めた。
今までウマ娘達への興味を持っていなかった事を猛烈に後悔しつつも、心地よい充足感とも呼べる感覚を味わっていた。
彼女達を教え導く存在であるトレーナーの存在、そもそも彼女達はどのような種族なのか、過去に行われたレースの有名な選手や他国でのレース事情等々。
成人を迎えて久しいむさくるしい男が、年端も行かないと呼べる年齢の少女達を含む事柄を必死に調べ回る事実というのは、側から見ればどうかとは思うが、いかんせん熱が入った男は外聞などには全く意識を裂けなかった。
ウマ娘の関わるレース関連の娯楽は、国民的どころかいっそ世界的とも言える人気度を誇っていたので、さして異常視される事がなかったのは救いか。(当時の男は、途轍もない人気がある事すらロクに知らない有様だった)
趣味と呼べるものをロクに持たない休職中の軍人が、唐突にそのような行動を臆面もなく取っていれば噂は立つものなのか。
噂を聞きつけたらしい、男の数少ない友人であり、日系であるからか日本のトゥインクルシリーズにも造詣の深い人物が「キミの好きそうな自由な子がいるんだ」と持ち込んできた日本でのとあるレースの映像。
そもそも米国と日本のウマ娘のレース事情は些か異なっており、こちらではチーム競技としての色合いが強いが、あちらは個人競技としての色合いが強い。
数人単位で行われる駆け引きのない、個人個人のぶつかり合いで生じる流動的なレース展開。
自由だと思っていたレースよりも、更に自由とも言える日本のレースに、男は心惹かれ始めていた。
そうして男は『運命』と出会った。
『ミスターシービー、まだ沈んで……』
レースには幾つかの定石があり、そのうちで位置取りや作戦と呼ばれるものがある。
10人前後で一斉に1km以上もの距離で行われるレースでは、必然的にポジション争いの様相を呈する。
詳しくは割愛するが、中でもそのポジション争いの外れ、集団の最後尾に位置する追い込みと呼ばれる作戦。
多くの場合勝率はよろしくなく、もっと言えば作戦とすら認識されていないような、「結果的にそうなっている」と呼んだ方がいいような世間での扱いだったソレ。
そこに『彼女』は居た。
『いや!シービー上がってきた!シービー上がってきた!見る見る前に切り込んでいく!』
最後方に沈んでいたはずの『彼女』は、気付けばスルスルと抜け出してあっという間に先頭を取り、そのままゴールを駆け抜けていった。
普段そうそう目にする事のない、逆転劇とも言えるような強烈な印象を与える走り。
ある種の爽快感を覚えすらするそれも良いが、私は何よりも彼女が楽しそうに走る姿に心奪われた。
満面の笑みという訳ではない。例に漏れず必死に走る彼女はしかし、今まで見たどのウマ娘よりも。
否、今まで見た何よりも楽しそうに走っているという印象を受けた。
『自由』だ。
あそこに自由があると直感した男は、いてもたってもいられずに日本へ渡る事としたのだ。
そうして紆余曲折あり、無事に日本のトレセン学園でトレーナーの職に就く事が出来たまでは僥倖であったが、それから数日と経たずしての『ミスターブシドー』の浸透だった。
頭が痛い。
その名で呼ばれ初めてからもうどれくらいになるか。
本名を知っている筈の己の担当ウマ娘ですらそう呼んでくる始末。
まあ、いい。
良くはないが、よい。
聞く耳持たぬと言うのなら、刻みつけるまで。
己の名を。己のウマ娘の名を。
戦いの果てに。レースの果てに。
ミスターシービーへ、至高の存在へ。
「いざ、尋常に」
なお、この後すぐ部屋に入ってきた担当ウマ娘に「何変な独り言を言ってるんだコイツは」という目で見られた。
ソレスタルビーイング
Celestial Being
日本語をグラスワンダーと勉強してたり何故か元パイロットだと「わかっちゃった」マヤノトップガンに絡まれたり大抵の逃げウマ追い込みウマとは相性が良さそうだなとか考えたりしましたが担当ウマ娘は未定。