「お、お姫様にされちゃいます……!」
「はあ?」
それは複雑に意味の重なった「はあ?」だった。
「なに言ってんのお前」という直接的な「はあ?」であり、「もしかしたら聞き間違いかもしれないし一応聞き返しとくか」の「はあ?」であり、「またなんかよくわからんことでひとりテンパってんのか」という呆れの「はあ?」であり、「人がせっかくこぎつけた遅めの夕食というか夜食をなに邪魔してくれてんの」という憤りの「はあ?」であり、「これで惚気だったらタダじゃおかねーぞ」という諦観の「はあ?」であり、であり、であり……究極的にはシンプルな相槌としての「はあ?」となってこぼれ落ちた。
チュアチュリー・パンランチは性格のキツさと裏腹に、なんだかんだ面倒見のいい女ではあった。あるいはそれは彼女の慕う「ニカ姐」の影響なのかもしれないが。
遅い時間帯に人の部屋に押しかけて意味不明の第一声を発したトンチキことスレッタ・マーキュリーは、この見た目は可愛い猛犬のひと睨みに縮み上がり、「ごめんなさい」と「でも」と「チュチュ先輩ぃ……!」と「助けて下さいぃ」の中間あたりのことをもごもごと口の中で転がした。
そしてそのもごもごがやがて「すみません出直します」にかたまりかけるのを察して、チュチュはため息と共にヌードルの容器を置いた。
ガラの悪い目つきと裏腹に、チュチュは会話にはきちんと腰を据えて対応する女だった。
そのことをよく知らない連中というのは大概「会話」というものの礼儀というものを知らない無礼者ばかりで、無礼には無礼で、端的に言えば拳で返答するのもこの女だった。
「いーよもう。ここで追い返したらあーしの寝覚めが悪いし」
「チュチュ先輩……いえパイセン!」
「誰が教えたかは大体わかっけどそれ敬意でもなんでもねーからな?」
あれ、そうなんだ、と首を傾げるスレッタは、素朴というか純朴というか、歳の割にものを知らない。それは水星という閉鎖的な環境で育ったこともあるのだろう。
それをいいことに適当なことを教える奴がいるのは、少し腹の立つ話だった。大概はいまのような毒にも薬にもならないジョークのようなものだが、思い込むところのあるスレッタは時々妙に思い詰めることもある。
「で、なんなのさ。あんた今日はお姫様と出かけてたんじゃねーの?」
「そ、それ! です!」
「おわ、叫ぶな叫ぶな。なにがそれなんだよ」
「お姫様にされちゃいまあだだだだだだ!!」
「要点を言え要点をよー」
敵と認定した相手といえ女の子の顔面を体重乗せてぶん殴ることに躊躇のないチュチュである。後輩でありホルダーであり社長婿であるスレッタの顔面を鷲掴みにして黙らせることになんの躊躇いがあろうか。いやない。
「うう……お、お姫様にされちゃいそうなんですよぉ……」
「だからなんなんだよそのお姫様ってのは。お姫様はお前の花嫁じゃんかよ」
「確かにミオリネさんはお姫様ですけど……」
「惚気なら明日にしてくんね?」
「ち、違うんですぅ!」
ヌードルが伸びてきたなという目をするチュチュに、スレッタはすがりつく。
極めて面倒くさくなりかけてきたものの、乗りかかった船というか、一度聞いてやると言ってしまったからには、チュチュとしても無碍にはできなかった。
まとまりにかけるスレッタの証言をなんとなくまとめていくと、このようであった。
この日、スレッタはミオリネに連れられて高級店のディナーを食べてきたのだという。
それは別に贅沢のためなどではなく、今後社長婿として格式高いシチュエーションにも対応しなければならない時が来るだろうから、今のうちに練習しておくためなのだという。
だから、ドレスコードのあるしっかりした店で、チュチュなどは遠目に拝んだことさえないようなお高い店であるという。スレッタにどれくらい高価だったのかと尋ねても、メニューに値段は書いてなかったし、実際の料理も予約済みだったし、支払いもミオリネが端末を預けて見えないところで決済されるという徹底ぶりだったという。
金銭のやりとりを直接的には見せない、というのは高級店にしばしば見られるスタンスだった。
それで困らないのは、そもそもそういう店を利用する客は、細かな値段など気にしていないか、だ。
「ド、ドレスは、ミオリネさんがまた貸してくれたんですけど、やっぱりああいう綺麗なのって落ち着かなくて……ヒールも怖いし……」
「前に貸してもらった時、キツいとか言ってなかったか?」
「あ、今回のは、私でも楽に着れるやつで……」
それは貸すと言いながら実際には買ってやったのではなかろうかとチュチュは訝しんだ。普通に贈られてもスレッタは恐縮してしまいそうだから、徐々に慣らしているのではなかろうかと。
まあ、チュチュにとってはどうでもいいことである。
他にも、化粧の仕方や髪のアレンジも実際にやりながら教えてもらったり、立ち居振る舞いも昼間の間につきっきりで教え込まれたのだというが、それもほんとどうでもいいことだった。
肌質も違えば髪質も違うスレッタに教えるためにミオリネ自身がさぞかし予習に励んだだろうことだってどーでもいい。マジで。
だんだん惚気の様相を呈してきたスレッタの緩み具合を尻目に、刻一刻と伸びて冷めていくヌードルがチュチュには気にかかっていた。食べ頃はとうに過ぎているとはいえ、それでもまだ美味しくいただける限度というものは来ていなかった。
「……………で?」
「アッハイ。それでその、次からはあんたがエスコートするんだからちゃんと覚えなさいって、今夜はミオリネさんがエスコートしてくれたんですけど……」
「けど?」
「う、腕を組んで歩くんですけど、わ、わ、私が、ヒールでよろけそうなのら見て、歩く速度、も、合わせてくれるっ、し、な、何度も、大丈夫よ、って、笑いかけてくれるし、」
かあ、と音がしそうだった。
色濃い肌の上からでもすぐにわかるほどに、スレッタの頬と言わず耳と言わず、顔面は真っ赤に染まった。
そして自身でもそれを自覚したのだろう、スレッタは勢いよく顔を隠すと、絞り出すように言った。
「ミオリネさんが格好良過ぎてお姫様にされちゃいます……!」
チュチュは黙ってそれを聞きながら、伸び切ったヌードルを見ていた。
なんだかいい知れない悲しさとか寂しさとか虚しさとかが、チュチュの胸に去来した。
時計はてっぺんを回りかけ、夜食食べながら片付けようと思っていたテキストは手付かずで、ひとり気持ちの悪い照れ笑いでくねくねする後輩が目の前にいて、そしてヌードルは伸び切っていた。
ヌードルは、伸び切ってしまっていた。
チュチュはまだ未練がましく指の間でぷらぷらと揺らしていたフォークを置いて、改めてこの純朴で素朴な後輩に向き直った。
そしてため息と共に薄く微笑んだ。
それは愚かしい時間の使い方をしてしまった自分への呆れと慰めの微笑みだった。
「惚気は他所でやれこのスカタンがァーッ!!」
「あいったーっっ!!!!?!?」
チュアチュリー・パンランチ渾身のアイアンクローは、せめて拳で顔面を潰さぬようにという最後の慈悲であった。
なお伸び切ったヌードルはそれはそれで食い出のあるジャンク感はまあまあ悪くなかったという。
◆◇◆◇◆
そして一週間後の夜更けのことである。
「お、王子様にされちゃいます……!」
「はあ?」
それは複雑に意味の重なった「はあ?」だった。
「なに言ってんのお前」という直接的な「はあ?」であり、「もしかしたら聞き間違いかもしれないし一応聞き返しとくか」の「はあ?」であり、「お前一週間前のこと忘れたのかよ何度同じこと繰り返せば気が澄むんだ?」という呆れの「はあ?」であり、「そもそもなんだってよりによって人の夜食どきを狙いやがってなんか恨みでもあんのか?」という憤りの「はあ?」であり、「これでまた惚気だったらタダじゃおかねーぞっていうか多分惚気なんだろーなー」という諦観の「はあ?」であり、であり、であり……究極的にはシンプルな相槌としての「はあ?」となってこぼれ落ちた。
チュアチュリー・パンランチは性格のキツさと裏腹に、なんだかんだ面倒見のいい女ではあった。ただ正直、そろそろぶん投げたくはあった。外注したかった。自分を慕うのは悪くない気分だが、それはそれとして他にも相談相手として相応しいのがいくらでもいるだろとさえ思った。なんなら一瞬とはいえ「ニカ姐とかさ」と人を売りかけた。
先ほど温めたばかりのチキンを皿に戻し、チュチュは目頭を抑えた。
伸び切ったヌードルはまあ、食べられなくはなかった。だが安物のチキンは冷めたら悲惨だろうことは明白だった。温め直すのも愚策だった。水分がこれ以上飛べば、ただでさえ安物のパサついたチキンはミイラになるだろう。
かといって変なところで真面目なチュチュは、食べながら人の相談(たとえ実質が惚気だとしても)を聞くことはできなかった。チキン食うまで待てとも言えなかった。
もしかしたら今度こそ深刻な悩みかもしれないという可能性が、星の海の星屑一粒程度でもあるなら、チュチュはチキンを置かなければならなかった。
さよならチキン。
すまないチキン。
でも今度こそくだらない話だったら聖リロイ・ジェンキンスの名を叫びながらぶん殴ろうとは思った。
そしてくだらない話だったのでチュチュは黙って目頭を抑えた。
話の内容は先週と同じだった。ロールが逆になっただけだった。
つたないエスコート役を任されたスレッタはガチガチに緊張しながらミオリネをエスコートしようと奮闘したらしいのだが、もとより慣れていないのにそんなに緊張すれば当然のようにとちる。
しかしミオリネがうまくエスコート「させる」ことで、スレッタは「お姫様みたいにきれいでドキドキしちゃう」ミオリネを相手に及第点のエスコートをこな「させて」もらったらしい。
その感想が件の「王子様にされちゃいます」だった。
案の定冷め切ったチキンを見下ろしながら、チュチュは時間帯を考えて怒鳴る代わりに脳内で叫んだ。
されろよ、と。
王子様にされろよ、と。
王子様になってエスコートするのが目的だろうがよ、と。
何も問題ねえじゃねーかよー、と。
高級店の内装さえ朧げにしか想像できないチュチュには、スレッタの経験したらしい夢のような体験は全く共感もできなければ、正直ほんともうどうでもいいどころか勘弁してほしかった。
お姫様ことミオリネが、順調に花婿を調教していることに関しても、じゃあアフターケアまでしてくれよ心底思った。そこをあーしに外注すんなよと。
もういいや。
殴るか。
冷め切ったチキンと同じくらいスンと心の冷え込んだチュチュが拳を固めた時だった。
「話は聞かせてもらったわ」
「み、ミオリネさん!?」
「オメェらは揃いも揃って夜中に人の部屋によぉ」
「王子様で何がいけないのよ。エスコート覚えて、私が恥かかないようにするんでしょ」
「そ、それはそうなんですけど……!」
「まったくその通りだけどここあーしの部屋な?」
「私から逃げないでよ!言いたいことあったら言ってよ!いつもみたいにうっとうしく進んできてよ!」
「ミオリネさん……!」
「LINEスタンプみてーに気軽に使うセリフかそれ??」
「お婿さんになるんでしょ!」
「はい! 私……花婿ですから!」
「『お婿さん』って顔かオメェはよお」
スレッタの口調に引きずられたのか似合わないミオリネの「お婿さん」発言に一応突っ込んでおいて、チュチュは冷めたチキンを見下ろしながらため息をついた。
なんだかいい知れない悲しさとか寂しさとか虚しさとかが、チュチュの胸に再来した。
時計はてっぺんを回りかけ、ニカ姐に借りてたキネマは半端な再生時間で止められたままで、なんか感極まって抱きしめ合う社長夫婦がそこにいて、そしてチキンは冷め切っていた。
チキンは、冷め切ってしまっていた。
脳内ニカ姐の曖昧な微笑みに十字を切って事前に懺悔した後、チュアチュリー・パンランチは拳を固めた。
「LEEROOOOOOOOY JENKIIIIIIIIIIIIINS!!」
「「あいったーっっ!!!?!?!?」」
それでも、冷め切ったチキンは最後まで食べ切ったチュチュだった。