サザンドラの怪物   作:盗電かたつむり

1 / 3
 ポケモン27周年おめでとう!!!
 サザンドラ最高!!!


怪物モラトリアム(1)

 

 

 

 

 怪物がこの先にいるらしい。

 

 閉ざされた鋼の扉を前にして、私たち決死隊は大きな緊張に包まれていた。保護課スタッフや鎮圧班、生物学者で構成された部隊は皆一様に神妙な面持ちをしている。

 軍事用突撃チョッキを着込んだバンギラスとカイリューは鼻息を吹き荒らし、隣の指揮官がその仁王たちをなだめる。精鋭の職員は沈黙にひたり、相棒のヘルガーと共に鋭い睨みを効かせていた。

 

「あら珍しい。あなたも緊張するのね」

 

 ふと私にそう訊いてくる声があった。隣を向くと、ブラウンヘアの白衣の女性が唇に小さな笑みを浮かべていた。

 

「私も同じ。でも大丈夫……今回は、保護施設に先日来た子とお話するだけよ」

 

 イッシュ地方が誇る動物行動学の頭脳、アララギ博士は穏やかな声で話す。「私たちの不安は相手に伝わってしまうわ」と語るが、さすがの精神力だ。

 今回の招集に際して、真っ先に応じたのが彼女である。一切の危険も勘定に入れず、わざわざ遠方から駆けつけた次第だった。

 

「誰でも緊張しますよ。これから接触する個体はいつもと勝手が違う」

「凶暴ポケモン。おまけに」

「人の言葉を話す、ときた。この種では初めての観測です」

 

 私は答えた。

 これから会う怪物は、断じて普通のポケモンではない。獰猛な種族であることに加え、なんと“人間の言語を話す”個体だというのだ。

 ポケモンといえば千差万別な生きもので、溶岩を食べる甲殻類から時速300マイルで飛行する翼竜、物質を透過する霊体まで、どんな生命体もザラにいる。それこそ、既存の科学では解き明かせない存在も日常茶飯事である。

 

 だが、そんな中でもごく稀に、一段と常軌を超えたイレギュラーが出現するのだ。それが件の「人語をしゃべる突然変異体」。サンプルも少なく、原因は未だ不明である。私が所属するポケモンリーグ保護課であれ、滅多にお目にかかれはしない。

 

「奥地でたまたま発見されたのを移送したようです。しかし、まさかあの種族がしゃべり出すとは」

「飽きない仕事ね。これだからポケモンはやめられない」

 

 博士は私の肩に手を置いた。若いのにご苦労様、と慰撫(いぶ)する手つきが逸る胸を鎮めていく。

 

「まあ安心して。捕獲隊の情報によると、危険種であっても穏便な個体らしいの」

「なのにこの警備の厚さですか」

「賑やかでいいじゃない。楽しい方がいいでしょ」

 

 この陽気で逞しい女性には「はい」としか返せなかった。

 扉の横で赤いランプが点き、耳をつんざく警報ブザーが沈黙に終わりを告げる。時間だ。いよいよ解錠のようだ。全員が呼吸を整え、意識を前方へと集めていく。

 そして、ゆっくりと。

『No.152』と刻まれた防護扉が動き出した。閂錠が解かれ、施錠鍵が外され、電子ロックが解除される。地獄の大口が開かれたように、扉の奥から生ぬるく湿った空気が吹きつけてくる。

 彼方を見据えて、博士は言ってみせた。

 

「凶暴なポケモンも不思議なポケモンも、そんなの人の勝手よ。じゃあ、行きましょうか」

 

 

 

 

 肩を怒らせた警護係のカイリューとバンギラスが、強引に扉の境界をまたいでゆく。武者震いの戦慄を腹に押し込んで、私たちは後に続いた。博士の白い頬がほんのり赤らんでいることに今さら気がついた。

 

“静かに”

 

 狭い通路を渡ると、いきなり先頭が立ち止まって、一行の指揮官がハンドサインを示す。

 同時に大きな図体の仁王が左右にはけて、視界が開けた。先ず私たちを出迎えたのは、消毒アルコールの清潔なにおいと、果てしないほどの静寂だった。

 

「ここが……」

 

 怪物の部屋か。

 私は辺りを見回した。あんなにも頑丈な扉に守られていたのだ。だからこの一室は、秩序や規律もない、凶々しい無法地帯だと勝手に思い込んでいた。

 

 だが違う。

 

 怪物の居住区はまるで、ホテルのスイートルームだ。天井の高く広大な室内には、少しの埃や野生の痕跡もなく、その清浄な四隅に至るまで無数の調度品が並べられている。

 マホガニーの赤茶色を帯びたテーブルにキングサイズのベッド。クッション付きの椅子や観葉植物のユーカリ。棚上の小瓶、端っこの簡易キッチン、額縁の風景画、掛け時計からケトルまで……。すべての家具と道具が得体の知れない温もりをまといながら、見るも美しい調和を織りなしていた。

 

「聞いてはいましたが、これはすごいですね」

「ええ。想像よりも」

 

 異常だという口ぶりだった。これではポケモンではなく、人間そのものが住んでいるような空間だ。鉄筋コンクリートの監房でも、再現された自然環境でもない。あまりにも整頓されすぎた怪物の部屋には、ごまかしきれないほどの居心地の悪さが充満している。

 

「博士。あれを」

 

 辺りを物色していると、ふいに指揮官が顎で示す。その方向を見た。博士も私も頷いた。皆が一目で了承した。

 ものひとつ動く音もしない、不気味に静まり返った部屋の奥。大きな安楽椅子の上に、人ならざる背中がどっかり鎮座している。

 いた。間違いない。あいつが“怪物”だ。三本の首を据えた異質な輪郭が、強烈な気配を発散させながら辺りを存分に圧倒しているのだ。

 

 あっけにとられていると、怪物は来訪した私たちに気がついて、悠然と振り返る。

 すると眼が合った。そして思い知った。

 怪物の眼は赤い。紅く、緋く、赫く……。

 三つの頭が煮えたぎる赤い炯眼を讃えながら、私たちを覗き込んでいる。焼けただれたような黒い眼帯の中に、一重まぶたの激しい焔が燃えていた。捕食者の瞳だ。

 私たちと怪物のあいだに火の粉が弾け、心臓がドクドクと打つのを聴いた。

 

「こんにちは。お会いするのを楽しみにしていました」

 

 そう言って、まず先手を切ったのは博士だ。話すポケモンだから挨拶はマナーなのだろう……最前の死線へ歩み出て彼女はひとつ礼をする。

 だが、一触即発の空気に変わりはなかった。何が起こるか分からない。誰も予想すらできない。肌を焼くような火薬庫の緊張に立ち尽くし、全員が対象の応答を待ち構える。

 

 すると怪物は突然ぬっと三つの首をもたげ、椅子から立ち上がった。いや、飛び上がったのだろう。折りたたまれていた翼が展開され、重戦車にも似た6.5フィート400ポンドもの屈強な体躯が露わになる。影を背負った巨躯は宙に浮かび、小さく揺れながら私たちに近づいてくる。

 

構えろ(Ready)

 

 指揮官が小さな声で呟いた。呼応して警備の仁王が前に出た。私は博士を護れるよう傍に立った。博士はそのままだった。

 

 怪物は何に構うこともなく、喉元を動かしながら距離を詰めてくる。近づくごとにその体温が、そのシルエットが、嫌というほど濃厚になった。私は怪物の凄惨な姿に息を呑んでいた。

 

 身体は燐火(りんか)をまとったようなプルシャン・ブルー、背中には漆黒の翼が三対も生え、分厚い風切羽根が鈍重な艶を覗かせている。その煤けたような色は上方へと走り、胴体からスッと伸びた三つの首は、黒く剛い毛皮で覆われていた。更にその先、仲良く立ち並ぶのはドスの効いた青い顔だ。裂けた口、獅子鼻、濃い隈、おまけに焼き尽くさんとばかりの真っ赤な瞳。

 そんな悪夢の怪物が、今、目の前にいる。

 

「楽しくなってきたね」

「はい、震えるくらい」

 

 耳打ちをしながら私は思った。

 これが温厚な個体? 

 これが本当に話す?

 

 報告書の誤植もいいところだ。だが、もう何もかも遅かった。

 そうして勿体ぶったように怪物は喉を緩め。ぱっくり裂けた大きな口が、黒く底見えない空洞が、まるで私たちを一息で飲み込むように深く深く深く広がってーー……

 

 

 

 

 ーー飛び出たのは、ひどく平和な言葉だった。

 

「ここに3つの飲み物があるんだ。どれでも好きなものをどうぞ」

「じゃあ……紅茶をお願いしようかしら」

「いいね。今淹れるから少し待っててね」

 

 自分でも何が起こっているのかよく分からない。

 だが、あの息詰まる刹那の後。気づけば怪物が確かにしゃべって、「何か飲み物を淹れよう」と言い始めていた。

 

 博士を椅子に座らせてから、怪物は収容部屋に備えつけられた簡易キッチンへと向かう。

 コンロの上では、陶器のケトルが小さく震えながら湯気を噴き上げている。その横でカタ、カタ、と小気味よい音をたてながら、三つ首の巨体が軽快に動いていた。くわえるように、伸びた右首が茶筒の蓋を外し、うねる左首がソーサーとカップの支度をせっせと始める。

 

「へえ。近頃のポケモンは紅茶を淹れられるのね。ガラル地方で学んだの?」

「嬉しいことを言ってくれる。本で勉強したんだ。素人の真似事だよ」

 

 真ん中の首がバスの声で答えた。怪物はほころび、蒸気に躍るケトルを掴んで、粛々と準備を進めていく。遠目から見つめる私たちを背負って、ポットとマグを丹念に温め、ストレーナーを使って紅茶を淹れる。迷いのない丁寧な手際でダージリン(※1)が蒸らされ、芳ばしい香りが部屋中にわっと膨らんだ。

 

「どうぞ。熱いから気をつけて」

 

 暴力の化身みたいな異形が、執事のような手つきでカップを博士のテーブルに置く。そうして怪物は向き直るように、再び安楽椅子へどっしり腰を下ろして寛ぎだした。

 

「まあ、いい匂い。ポケモンが作ってくれたお茶なんて素敵ね」

「それは勿体ないお言葉だ。うまくできていれば幸いだよ」

 

 怪物は目を細めて言った。

 

「この茶葉も道具も、私が人に近い営みをするということで計らってもらったんだ。気を遣わせてしまったね」

「いいえ、気にしないで。あなたを無理にでも連れてきたのはこちらの方でしょう」

 

 顎を引いて博士は紅茶へ口をつけた。マグを傾け……おいしい。春の一番もの、ファースト・フラッシュかしら……トクサ色の瞳が可憐に瞬く。反らせた白い喉が静かに動いた、そんなひたと見惚れるような時間があって、彼女はおもむろに

 

「シンプルな一杯のお茶は、シンプルな物事と程遠い」

 

 と台詞を読む調子で言った。

 

「おや。ガラルのことわざだね。何か気になることでも」

「あなた。綺麗な声で話すのね」

 

 カタンと、カップがソーサーの上に置かれる。怪物は沈黙の眼差しを手向けながら、座る博士を、その後ろに立って控える私たちを正視した。

 

「そうだろうか」

「そうよ。……静けさに響くバスの声。昔、ポケウッドにいた名優を思い出すわ。ハードボイルドの主人公みたいな」

「ふふ、くすぐったいね。でも生憎バーボンは品切れなんだ」

「そういうところよ。そういうところ。バーの端っこで優しく微笑んでいるの」

 

 まるでそこが豊かな陽だまりであるかのように、一人と一体は笑う。

 しかし博士が言うように、本当に不思議なものだった。側から見守る私は大きな神秘に胸を衝かれていた。あの凶暴そうな怪物が、あれだけの猛々しい喉元から、これだけ軽やかに言葉を奏でているのだ。耳を傾ければ、好みも人目もいい男女の二人が朗らかな午後の予定でも立てているように思えるだろう。

 最も目を開けば、そんなことは微塵もないのだが……。

 

 まあ、何はともあれ。

 怪物との接触は一応うまく軌道に乗ったようである。息を合わせた平穏な会話を聞きながら、私は怪物の姿を頭のレポートへ描くことにした。これは私の元来からの癖である。こんな仕事に就いている以上、観ることは何よりも大切なのだ。

 私は空想のペンを握った。白紙の見開きの舞台に、怪物が軽快な足取りで踊り立った。

 

 

 怪物。

 そう呼称されるこの生きものにも、当然のこと出自はある。

 もとい、凶暴ポケモン “サザンドラ”。

 イッシュ地方を起源とする辛辣な第一級の危険生物である。三本の首と真っ青な皮革が特徴的なドラゴンで、膂力に優れ、悪巧みに長じている。ゆえにその非情さを買われ、ギャングの用心棒やテロリストの兵器として使役されることもあると聞いた。「遭ったら祈れ」……とはよく言う。まさに生態系の支配者と呼ばれる、正真正銘の暴君だ。

 

 だが、どうも目の前の個体は随分と違うらしい。

 

「しかし不思議ねぇ。サザンドラが話すなんて」

「私たちポケモンは短期間で超常的な進化をする生物だ。その時に何か特異な変化が生じてしまったのだろうね」

 

 性格は穏便で極めて理知的。秘密の翳りをまといながら教養よく椅子に構える様は、マツリカの一枚絵から飛び出てきた紳士さえ思わせる。現に種族由来の暴力性は影の一つも認められない。

 そして何よりも、人の言葉を話せるという。話すのはどうやら真ん中の頭だけのようだが、その大きく彫られた唇には適度な上品さと親しみがこもっており、くっきりと深い情感に富んでいた。発声については、所々に特有のアクセントこそあるものの、人間の流暢な発音と大した違いはなかった。

 

「それで、あなたは博士とおっしゃられたね」

「ええ」

「して、ドクター。私のようなものはやはり少数派なのだろうか」

「うーん。人の言葉を話すポケモンは時々現れるのよ。大道芸人のニャースとか、水の都の護神とか。テレパシーを含めればもっといるけれど」

「何にせよ少ないということに間違いはなさそうだ。博士の見聞をもってして、そうであるのなら、きっとそうなのだろう」

 

 怪物は大げさに頷く。黒く縁取られた(アイリング)の奥底で、真っ赤な瞳が小さく揺れていたような気がした。

 

「それもそうね。とにかく、今日あなたと会えたことは本当に光栄なのよ」

 

 博士は静かに「サザンドラ」と言う。先程からこの呼び名に反応する当たり、目の前の怪異は本当に件のポケモンらしい。やっぱり空目ではないようだ。

 サザンドラは重たそうな首を振って

 

「私なんかに光栄とは勿体ないお言葉だ。しかし、己が言うのもおかしなことだが、話すポケモンとはそれほど不思議な存在ではないと思うんだ」

「と、言うと?」

 

 素人の浅知恵だが、そう首をすくめながら

 

「つまり私たちが話す現象は、正常な“学習”の産物ではないかということだ。君たちがそうであるように、私も一から学んで言語を覚えたんだ。何も、パッと話すポケモンが自然発生したわけではないよ」

「なるほど、それはいい論説ね。そうなると真のブラックボックスは、“高度な社会性の獲得”と“声帯の変異”に集束するということかしら。でも、これはこれで謎だらけよね」

 

 私が空想のレポートにふけているうちに、茶飲み話は小難しい科学の話へと突入したようだ。

 むぅ、と思索の息がふたつ溢れる。博士は手を顎に当てて思いにひたった。サザンドラもまた、喉の奥で呻きながら三つの首をとぐろのように丸めていた。

 

「逆に訊くけれど、あなたの家族とかに人の言葉をしゃべる子はいなかったの?」

「家族か。昔のことはもう覚えていないね」

「仲間とか友だちには」

「友だちは……いない、いなかった」

「そう。じゃあ横遺伝の可能性も薄いときたか」

 

 八方塞がりに天井を仰ぎながら博士は言った。

 

「あなた最高ね。謎めいた子も大好きよ」

「そんな滅相もない」

 

 声は溜息と混ざり、沈み、段々と低くなっていく。

 

「まさか言葉を話すことが、これだけの大事になるとは夢にも思わなかった。私はただ、君たちの生活に憧れて覚えただけなのだが」

「気にしないで。あなたが話すことに何の異論もないわ。だから、もっと声を聞かせてちょうだい……もう一杯いただけるかしら」

「どうぞ遠慮なく」

 

 空っぽになっていたマグに、黄金色の濃く熱い紅茶がゆっくりと注がれる。立ち上る湯気を眺めながら、ふとサザンドラが口元を緩めた。

 

「しかし、自分を分かることが一番大変とは、よく言ったものだね」

「そんなものよ。みんな、よく分からないままよく分からない世の中を生きているの。哀れというか滑稽というか」

「だが、それでこそなのだろう」

 

 怪物は微笑んだ。紅く刷かれた眼にうっすら浮かぶ優しそうな笑顔で、たまたま私と視線が交わった。「おや」と怪物は呟き

 

「こんにちは」

 

 と言ってきた。

 

「彼女は?」

「ああ、保護課の職員さんよ。一番怖い顔しているでしょ。隣のバンギラスとカイリューが可愛く見えるわね」 

 

 顎をしゃくった博士が、振り向いて悪戯なウインクを示す。にべもない返事もできたが、私はただ怪物へ小さく会釈した。

 

「愛想のない子」

「そんなこと……。しかし、何にしろ長話は早々かな。ずっと立たせているままでは、申し訳ない」

「いいのよ。好きで立っているんだから」

 

 そうでしょ、とおどけるように華奢な肩がすくまった。……あぁ、そうだ。何事もなければ文句は言わない。

 博士は息を整え、「ところでミスタ」と向き直り

 

「あなたはどうやって言葉を覚えたの?」

 

 と怪物に訊いてみせた。

 

「さっき自分も一から勉強した、って言ったでしょ。それほどの言語レベルよ。フォレスタ・ビアンカ(Foresta Bianche)は一夜でならず。並大抵のことではないわ」

 

 真っ青な顔が、少しばかりの含羞に染まったのを見た。怪物は答えた。

 

「えー、それがなんだ。街暮らしに憧れていたある日のこと、細かい発声ができると気付いて、君たちの営みに近づいたんだ。こっそり街に降りて捨てられた本を読んだり、君たちの会話を聞いて覚えたよ。言わば、知識のスカベンジャーとなった訳だ」

「何と! 独学とは」

 

 博士の声が好奇にきらめいた。

 

「だから発音だけではない。文字の読み書きも一応できるつもりだけれど」

 

 そう言うと黒い翼がまた機敏に羽ばたいて、どこからともなく紙切れとペンを持ってきた。この部屋には本当に何でもあるらしい。「間違っていなければ」とペンをくわえた右首が素早く動き

 

「どれどれ、『人生は一杯のお茶のようなもの』。ガラルのことわざね。言えるじゃない」

「正解でよかった。私たちポケモン特有の読字困難(ディスレクシア)書字表出困難(ディスグラフィア)は克服していると自負しているよ」

 

 ツンと利かん気の鼻を上げ、お主やるな、と博士は喉を鳴らした。

 

「あら。じゃあ、本はお好き?」

「もちろん」

 

 そのとき。

 私はこの快活な女性の口が、途端ゲンガーみたいに撥ねあがったのを見逃さなかった。科学者の性というものか、この人は時々こんな顔をする。今さっき、よからぬことを考えたのだ。

 興味、閃き、思いつき。彼女のターンだった。いたずら心の妖精がねだるように、博士は怪物へ言ってみせた。

 

「いいこと、サザンドラ。ちょっとだけ取引をしてみないかしら」

「頭数三つで足りるかい」

「十分足りるわ。簡単なビジネスよ」

 

 襟を正した彼女の話はこうだった。ろくな話でないと思ったが、確かに簡単ではあった。

 

「私には権限がある。毎日それを使って、ここへとっておきの本を差し入れしてあげる。アララギ厳選のベストセラーよ。その代わり、あなたに私たちの“しゃべるポケモン”研究を手伝ってほしいの」

 

 一息おいて

 

「言ったでしょ。あなたはとても魅力的よ。だからお互いのために是非とも、仲良くしたいわけ」

「なるほど」

「でも近頃、この業界も利権の問題がうるさいのよ。誰が何のポケモンを担当するとか、くだらない話よね。……まあ、面倒なことを省くためにも、あなたにYESと言ってほしいのだけど、どうかしら?」

 

 もちろん無理強いはしないわ。博士はタチの悪い語尾の上げ方をした。

 彼女の思惑は測り切れない。だが、何かしら裏がありそうな話であると思えた。それに大方、この手の謀とはいつか火傷に終わると相場が決まっている。

 しかし応答は早かった。

 

「うん、構わないよ」

「本当! ありがとう。話が早くて助かるわ」

 

 二つ返事にしても、流石に短すぎると思う。怪物はさも当然であるかのような口調で素直に了承してみせた。

 

「この施設で世話になっているのは私の方だ。期待に沿えるか分からないが、やってみよう」

「嬉しいわ。じゃあ早速、明日からね。私が本を届けにくるから楽しみに待っていて」

「構わないが、施設の方の許可は大丈夫なのかい」

「心配無用よ。あの愛想の悪い子に通してもらうから……じゃあ、今日は祝杯でも上げときましょうか」

 

 ポケモンと人類の親睦を願って、乾杯! 博士はマグを突き上げ、片腕代わりの青い片首が合わせる。人間の細い指先と、怪物の大きな体が重なり合った瞬間が、私のレポートに貼り付けられた。歴史に残るかもしれないスナップの中で、サザンドラは牙を隠し愛嬌よく頬を緩ませていた。

 

「素敵なお顔ね。今日は最高の記念日よ」

「それは私にとってもだ。君たちと出会えた日。なんて素晴らしい」

 

 その後も対談はこんな調子で進んでいく。別れの言葉を告げるまで、怪物は結局のこと猛りも(たかぶ)りも見せず、どんな質問にも丁寧に答えていくようだった。

 かつての暮らしを話すときは重たそうな目蓋(まぶた)を瞑りながら、読書の話をするときは赤く鮮やかな眼を輝かせながら、これからの話をするときはかさ高い背中の翼を膨らませながら、深みの声は部屋に満ちていく。

 

 夢なんかではなかった。

 怪物は、サザンドラは、確かに話したのだ。

 

 終わってみればあっという間だった。たったひと時の不思議な時間は、香るダージリンの渦の中へ、くるくると溶けていった。

 

 

 

 

 怪物との接触が終わって、隊は一応の解散をする。うんざりするような総括の後、上から手短に今日の口止めを受けて、みんなバラバラに散っていった。

 上司の職員はどこかへ電話をかけながら、機動隊から借りていたバンギラスとカイリューに至ってはあくびをしながら、そそくさどこかへ撤収していく。当たり前だが全員ビジネスの顔だった。あの場にいたものが全て一枚岩でなかったのは、初めから知っていた。

 

 だが、そんなことは心底どうでもいい。

 この件は私にとってもう終わりだ。そもそも今日はアララギ博士の接待ついでで来たのだ。明日から始まるサザンドラのプロジェクトは博士と他の連中が勝手にやるだろう。

 書類を片付けて私も帰ろう。

 そのときだった。いきなり博士から呼び出されたのは。

 

「えー、それでなんでしたっけ」

 

 呼ばれたのは、保護施設の駐車場。いるのは私と博士の二人きりだ。

 

「とりあえず無事に終わりましたね」

「ええ、終わったわね」

「博士から見て首尾はいかがでしたか?」

「上々よ。ファースト・コンタクトは成功。それに交渉もできた」

「本の提供という低予算の条件で、合法的な生体調査の認可。うまく行きすぎな話ですね」

「ええ、うまく行きすぎた。行きすぎてしまった……」

「それで」

 

 私は言った。

 

「何で、あのサザンドラに本を渡すのが私なんですか」

 

 私は絶句した。

 黄昏時の屋外駐車場に、自分の間抜けな声が響いていた。

 辺りは夕方。奇しくも逢魔時(おうまがとき)の、もの寂しく不吉な時間。赤錆びたフェンスの端に留まっていたマメパトが驚いて、焼けた空の奥に飛んでいく。博士は愛車の中に引きこもり、細い体をコクーンのように硬くしていた。

 

「本当にごめんなさい。明日から大切な学会があるの。ここを離れなきゃいけない」

「だからアドリブだけはやるなと釘を刺したんです。何であんな約束を?」

「その場の流れがあるじゃない。つい勢いで」

 

 仕事が終わったと思ったら、これだ。

 言い聞かされたとき目が眩む思いをした。周りに博士と自分以外の人間がいなかったから、私は存分に抗議をした。ハングリー精神で飯を食ってはいけないのだ。

 

「ふざけてる……。話が違いますよ。今回は何事こそ無かったものの、相手はあのーー」

 

 凶暴ポケモン、とは言葉には出さなかった。

 

「人の言葉を話すサザンドラですよ。例外中のイレギュラー。未知数なんです」

「ごめんなさい」

「事前情報でも危険性は低いと書かれていましたが、腹に何を隠しているか分からない。素直に頷くことはできません」

「護衛を頼めば」

「保護課が人材不足なのは承知でしょう。それに私のような末端に付くとでも?」

 

 私の威嚇に博士は小さく萎縮していた。

 

「どうするんですか。あの部屋の入り口は、扉の一箇所だけ。必ず誰かが対面で渡さなければいけないんですよ」

「ごめんなさい」

「約束を破ると言うんですか。この案件は対象との信頼で成り立っているようなものじゃないですか」

「ごめんなさい」

 

 私たちは「ですか」と「ごめんなさい」ばかり繰り返している。何故かそんなことを考えていた。

 

「そもそも何故私に頼むのですか」

「ごめんなさい。顔見知りだから……。仲がいいと思っているから……」

 

 瀕死の小動物のような声で彼女はそう答える。まるで冗談話だ。本当は上の連中にものを頼みたくないだけなのだ。

 だが、保護課として本来こんな生き物を助ける仕事をしているから、私はこれ以上の追い討ちをする気にはなれなかった。それに、これ以上揉めてもチップの一つすら出ないのはよく知っていた。

 私は言うしかなかった。

 

「これきりですよ。サザンドラとの約束に嘘をついてはいけない」

 

 博士の瞳に元気の欠片が舞い戻った。彼女は生気をみなぎらせ、帰りに美味しいものを買ってくる約束をしてくれた。

 

「ありがとう。渡す本はこっちからリストを送るわ。経費で落とせるはず」

「はいはい、分かりました。学会、頑張ってください」

 

 博士は愛車にエンジンを掛けた。ヘビー・ドリンカーで有名な真紅のセダンが威勢よく唸り声をあげる。……ふん、見たことか。まるで誰かにそっくりだ。

 そんなことを考えながら、私は最後に訊くべきことを思い出した。

 

「そうだ。博士」

 

 指でノックする。フロントドアガラスが恐る恐る開き、彼女が身を乗り出した。

 

「どう思いますか?」

「どうって……」

 

 分かっているはずだ。だから私は訊いているのだ。

 

「サザンドラが話すことです。あんなの、ポケモンじゃないですよ」

 

 彼女の顔は見なかった。ただ自分が笑っていることだけは分かった。この世界にいる一番悪い奴の顔をして、私は嘲笑するように突っ立っていた。「ねえドクター」そう言いながら

 

「私は何も変な癇癪をもっていませんし、浅いファッションに染まろうとしているわけでもありません。それでもです」

 

 息を吐いた。私は続けた。

 

「それでも、私はポケモンに話してほしくない。うまく言えないけれど、私は怖いんです」

 

 風が吹いていた。底溜まりに吹くようなゾッとする風が、辺りを冷気の中に深く沈めていた。

 博士はそう、とぽつり呟く。

 

「あなたの言いたいことは分かるわ。話すポケモンは、人間とポケモンの境界を大きく揺るがせてしまう。それを決して見過ごしてはいけない」

 

 彼女の声にハスキーの面影はなかった。ただ深い暗がりを歩むように、慎重な口調で話が進められていた。

 

「事実、学会では話すポケモンが“人類への挑戦”とも言われているし、倫理や福祉の面でも多大な問題がある。今の世論は問題視していないけれど、やがて取り沙汰にされるでしょうね」

「では、そのとき彼らは」

「間違いなく大きな火種になるでしょう。迫害に忌避に対立……その先に何が待ち受けているのか、保護課のあなたなら知っていると思う」

 

 頷きはしなかった。あまりにもよく知りすぎていた。それとも、それは私が知らないほど悲しいものかもしれなかった。

 

「でも、淘汰論を語るにはまだ早計よ。彼らは余りにも謎が多すぎる。私たち人類を脅かすものなのか、共に生きていくべきものなのか、これから見極めなきゃいけない」

「博士は怖くないのですか」

「今さらの話よ。私は自分の全てをあの子たちに捧げるつもり。怖がるなんて……」

「それを明日からの私に言いますか。ものを頼んだあなたが」

「ふふ。それもそうね」

 

 一瞬の浅い和みがあって、だがすぐにそれは拭い去られた。

 

「あるいは、恐れとは違うのかもしれない」

「……」

「でもね、あなたに言いたいことが一つあるの」

 

 顔をあげなさい、と彼女は言った。深く澄んだ緑色の瞳が私を射抜いていた。この女性はこんな顔もできるのか。そう思えるほど長い時間があったような気がして、それから博士は言ってみせた。

 

「でもね、あの子たちも一生懸命に生きている。それを邪魔することは誰にもできない」

 

 込み上げるものがあった。

 同時に、科学者なのに感情論を言うのかと思った。だが、感情に囚われているのは私も大して変わらない。後に残ったのは、どうしようもないほどの後悔だった。

 

「ごめんなさい。不躾な質問でした」

「いいえ。答えなどない、でも考えなければいけない大切な問いよ」

 

 はい、そう返事をしたが聞こえただろうか。

……そろそろ行くわ……迷惑かけるわね。セダンのヘッドライトが夕闇の果てに突き抜ける。晩鐘のチャイムが響く空の向こうで、雲は影におおわれ(くすぶ)っていた。

 

「あなた、ポケモンは好き?」

「嫌いではありません」

「やっぱり。大好きだから、そういうことを言うの。だからそんな顔をしないで」

 

 博士は愛車のアクセルを踏み込んだ。タイヤが軋む。フロントドア越しにグッドサインが見えた。「タブンネ」というおどけた声は聞かなかった。

 

「いってらっしゃい」

 

 薄ら寒い夕方の地平線に日が落ちる。博士と車は影に飲まれ小さくなり、やがて見えなくなる。

 ふと空を仰ぐと、暮れなずむ彼方に刹那の幻を覚えた。サザンドラだ。雲の青い影、遠い山の暗い稜線、円く赤い太陽。残り火の大空から、逢魔時の魔物が見つめている気がしたのだ。そして、明日の私はそれに会いに行かねばならない。

 御守りとしてニンフィアの鳴き声でも録音していこうか。当てどもない考えが頭を走り回っていたが、結局は何の気休めにもならず、私は考えるのをやめた。きっと何とかなる。何とかなるだろう。

 

 ほら。寝ぐらに帰るアオガラスも、そう言っている(※2)。

 

 




補足
1、『ダージリン』とは、ガラル地方ターフタウン北西部に位置する高地で生産された最高級茶葉のことを指す。名前は「dazzling (まぶしい、感嘆させる)」に由来し、繧、繝ウ繝の繝?繝シ繧ク繝ェ繝ウ逵との関係は認められない。

2、『アオガラス』は元来ガラル地方に主として生息しているが、近年一部の個体が「渡り」を行うようになった。これは後天的な生態で、詳細は不明である。気候変動による餌の量変化説が依然有力だが、カヌチャン系統のガラルへの密輸入に起因した侵略による影響も疑われる。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。