「ゾンビは必ず来る! だから、その日に備えて準備をしよう!」
少年は叫ぶ。一切の曇りなき瞳で、自信満々に。
※ゾンビは来ません。
「――以上の理由から、俺は1つの結論を導き出した」
小さな部屋の中、少年が深刻な声音で呟いた。
両の肘を机の上に乗せ、組んだ手を鼻の前に配置する姿勢……所謂ゲンドウポーズの為に口元は伺えないが、眼はギラギラと真剣そのもの。
一拍の空白。静寂が場を包み、聴衆は彼の次の言葉に否が応でも引き込まれる。
ゴクリと誰かの生唾を飲み込む音が聞こえて。
そして――。
「即ち! 友達がゾンビになったら手足を縛って放置するのが最善じゃない!?」
バンと机に両の掌を叩きつけつつ、少年は叫んだ。
ふざけているとしか思えない内容だが、露わになった少年の表情は至って真面目。
加えて。背後には大きなホワイトボードがあり、そこにはグラフや地図、英語の小難しそうなレポート等がびっしり。
……或いは。倒産するか否か、会社の命運がかかった企画会議の様相を呈している。
「縛るって縄で?」
「ど、同意なしの、え、SM縛りプレイとか……。き、鬼畜過ぎだろ常考」
「しかもネクロフィリアですよ。部長の闇が深すぎます」
順にピアスをつけた茶髪少年、ボサボサの長髪とマスクで顔の見えない少女、眼鏡の少年が言葉を発していく。
“部長”と呼ばれた少年と比べると、その言動にかなりの温度差がある。
とはいえ。律儀に会話へと応じているし、第一、彼の荒唐無稽な話を馬鹿にもせず受け止めている。
眼鏡の少年は、眼鏡のブリッジを右手の中指で押し上げながら「それに」と続けた。
「縄如き、ゾンビなら直ぐに千切り捨てるでしょうに」
「あー、確かにゾンビって怪力な場合が多いよな」
「人間の脳は通常リミッターをかけてるけれど、ゾンビにはリミッターなんて関係ない。だから人体のフルパワーで行動できる……だったかしら。そんな台本を前に読んだことがあるわ」
眼鏡少年の指摘に、部長が応じ、続いて栗毛の少女が呟く。
「一説には、人間が持ち上げられる限界は500キロらしいですよ」
「500キロってどんくらい? 車とか持ち上げられるん?」
「軽自動車でも900キロくらいありますからね。車を持ち上げるのは無理でしょう」
「マジ、そんなにあんの!? ……じゃあ、ワンチャン500キロって大したことないん?」
眼鏡少年が披露した知識にピアス少年が驚きを露わにし、より一層疑問が深まったというように腕を組んで首を傾げた。
「……い、今調べてみたけど。き、競走馬が500キロくらい、らしい」
「ごめん! それも分かりにくい! もちっと身近な例えないん?」
「グランドピアノが大体300キロくらいですよ」
「あ、それは少しだけ分かりやすいっしょ! てか、車も持ち上げられないし、人間の筋力って案外ショボっ!」
議論が活発化していく。疑問に思ったことを放置せず、それぞれが持ちうる知識を共有し、知らない事は調べる。
内容が“友達がゾンビになったら”という至極どうでもいい内容であることを除けば、実に教育現場の理想の姿がそこにはあった。
「より正確には骨の限界ですね。それ以上は骨が耐え切れず折れてしまうのですよ」
「……ゾンビって骨が折れたら動かなくなるん? 自分の怪我を気にせず動けるってのは定番の設定っしょ?」
「人間の身体構造は軟体動物とは異なります。骨が無ければゾンビといえども流石に動けないでしょう」
すると。ピアス少年と眼鏡少年のやり取りを静かに聞いていた部長が叫んだ。
「じゃあ、家族や友達がゾンビになったら全身の骨を粉々にしておけば良いんだな! 骨なら後で治るし!」
「……度々思いますが、部長の精神状態が心配になりますね」
「な、ナチュラルサイコ……が、ガチでヤバイ奴」
「マジないわー。ちょっとヤバ過ぎるわー」
「ドラマや映画じゃ無いリアルでこんな思考の人いるのね」
部長が議論の総括の如く意見するものの、その場にいた全員に否定的な反応を示されて轟沈した。
「あれ!? 味方が居ない!? 顧問の古門先生! 先生は俺の味方ですよね!」
「今度、スクールカウンセラーの先生に話を通しておく。一度しっかり診てもらうと良い」
「えぇ!?」
◇◇◇
時は一か月ほど遡る。
その日、1人の少年が生徒会室へと呼び出しを受けていた。
「……すまない。私は友人が少なくてね。最近の流行や笑いに疎い」
「知ってます」
「ハッキリ言ってくれるね……」
「気に入りませんか?」
「いいや。少なくとも、私は好ましいと思うよ。……ともかく。私にも分かりやすいように説明を願えるだろうか?」
そう言うと、彼女は。
「この『ゾンビ部』とは一体何をする部活動なのかな?」
少年が先日提出した、部活動の申請書を。
◇◇◇
「ゾンビ部とは、 学校にゾンビが襲来してきた時の対処を真剣に考える部活です」
「なるほど。どうやらオカシイのは私ではなく、君のようだ」
「決めつけで他者を貶さず、まず自分を疑ってみる姿勢! 素晴らしいです、尊敬します先輩!」
「……む。そ、そうか。いや違う、そうじゃない」
ありゃ。押し切れるかと思ったのだけど失敗したらしい。
彼女はコホンと咳払いを1つ。鋭い目で俺を真っ直ぐ見据えながら言葉を紡ぐ。
「私の記憶が正しければ。私は先日、未だ部活動への参加をしていない君に対し、既存の部活動に参加するか新しい部活動を設立せよと言ったのだったな」
「はい。ですので、新しい部活動としてゾンビ部をですね……」
「どうしてそうなった……」
……そんなに変な事を言っているだろうか?
あ、なるほど。そうか。
「安心してください。ゾンビ部はゾンビを造り出す部活じゃないです。ゾンビに対抗する術を模索する部活です」
「そんな事は一切問題にしていない」
あれ? てっきり、悪の秘密結社と勘違いして忌避感を覚えてしまったのかと思ったのだが。
どちらかと言えば正義の側の活動なんだけどな。
「いいか。問題としているのは、こんな部活を正式な部活動として……部費を貰って活動する団体として認めて良いのか否か。その点だけだ」
……むむ。いくら美琶先輩といえども、我らが青春の想い出(予定)を“こんな部活”呼ばわりするとは何事だ。
「ゾンビという強大な存在に対抗する術を模索するんですよ! 将来的に、ゾンビ部の活動は人を救います!」
「それはゾンビが実際に出現した場合、という絶対に訪れない未来の話だろう」
「ゾンビは来ます! 必ず!」
「……そこまで自信をもって断言するということは、何かしら根拠があるのか?」
「根拠はありません!」
「いいか
「そうとも言いますね」
「そうとしか言わないんだよ」
雲行きが怪しい。
ならば、一発逆転の罠カードを発動するとしよう。
「美琶先輩! 先輩はゾンビが存在しないと、今後永遠に地球上に現れないと証明できますか!」
「そ、それは出来ないかもしれないが……」
ぬわははははははは!!!
そうだろう、そうだろう! 出来ないだろう!
「歴史を振り返れば、 当たり前の常識を疑い続けた者が世界を一変させてきました! ゾンビは創作物、現実には存在しない……そういう思い込み、固定観念を疑う所から始めなければ、先輩は永遠にゾンビ映画冒頭で雑に殺される一般モブのままですよ!」
「……な、成程。後半はともかく、最初の主張には一理ある。確かに、一介の学生に過ぎん私がゾンビは存在しないと断ずるなど愚かかもしれない」
これは勝ったな!
俺、この戦いが終わったら告白するんだ……。
あぁ、そうだ。来週、妹の誕生日なんだ。最高の誕生日プレゼントを用意してやらないとな。
「……しかし。そもそもの話だが。この申請書類に書かれている5名……君を除けば4名。彼らは本当に活動する意思があるのか?」
「……どういう意味です?」
「つまり。部の成立条件である部員5名を揃えるべく、名前だけ貸してもらった数合わせ要因……いわゆる幽霊部員では無いのか、ということだ」
「え、先輩もしかして幽霊なんて非科学的な存在を信じているんですか?」
「さっきまでゾンビの実在可能性を力説していたキミが言う事かなぁ!?」
何を言っているんだ、この先輩。
「幽霊は肉体が無いんですよ。考える脳味噌も指示を伝える神経も、動かす筋肉も支える骨も無いんです。そんな非科学的な存在が居るわけないじゃないですか」
「死体が動いているのも十分非科学的だよ! そもそも私が言ったのは幽霊のような部員と言う意味であってだね!」
あ、流石に弄り過ぎた。ちょっと涙目になっちゃってる。
生真面目過ぎる彼女はからかうと楽しいのだが、やり過ぎは良くない。ここは素直に謝ろう。
「すみません。少し悪ふざけが過ぎました」
「中学からの付き合いでキミの人となりは理解しているつもりだけどね。そのサディスティックな面はあまり外で見せないようにすると良い。先輩としての助言だ」
そう言うと美琶先輩は何やら長い黒髪を右手の人差し指で弄りながらモジモジとしだして……
どうしたんだろう? 心なしか顔も赤く染まって……まさか、ゾンビ化の兆候!?
おのれ、既にウイルスが散布された後だったか……!
「そういうのは気心知れた相手だけに留めておくんだ。……た、例えば、わ、私とか、な」
……ん? どういうことだろう。
“気心知れた相手”も何も。
「……? 美琶先輩を、ってのが好きなので。先輩以外にこんな事しませんよ?」
「すっ!? な、な、何を急に……! こっちにも心の準備がだな……」
「何をワタワタしてるんです? 美琶先輩を虐めるのが好きなのであって、他の人を虐めても何も楽しくないって話なんですが」
「ほんっとにキミはキミだよね!」
そりゃ俺は俺だが。ドリルで天は突かないけど。
まぁ、良く分からんからスルーしよう。
「ところで先程の幽霊部員……名義貸し云々についてですが」
「……あ、あぁ。そういえば、そんな話だったな」
「証拠になるかは分かりませんけれど」
そう前置きしてから、スマホを制服のポケットから取り出す。
あとは、モバイルメッセージングアプリFINEを開いて。
「既に“ゾンビ部(仮)”というFINEのグループ作ってますけど見ます?」
「何それ気になる」
「ですよね」
開いたグループトークの画面を見せる。
するとそこには。
「この未読件数265というのは……?」
「さっき生徒会室に入る前に既読にしたんですけど、もう溜まっちゃったみたいです」
「まだ5分くらいだぞ……?」
「部活申請の件で生徒会長に呼び出されたと送信しちゃったのが不味かったかもです。皆、俺たちのゾンビ部が認められるか否か気になってるんだと思います」
……まぁ、この為にヤツを部員に取り込んだのだ。たとえ誰の反応もなかろうと、ヤツならば一人で延々とメッセージを送信し続けてくれる。
今回に限っては律儀に受け答えをしてくれる人もいるのだから尚更。奴のマシンガントークが止まることは無い。設立1日目でクラスグルからも学年グルからも追放された伝説は伊達ではないのだ。
流石に、265件……訂正。増えて298件ものメッセージを読む気は失せたらしい。でしょうね、俺も読みたくないもん。
「軽く狂気の域じゃないか。何が君たちをそこまで駆り立てるんだ……」
何がって、そんな分かりきったことを。
だって。
「だって先輩、ゾンビですよ。ゾンビなんですよ」
「そんな当たり前の常識のように語られても困るのだが」
◇◇◇
「まぁ、良い」
その後。
「未だにゾンビ部という部活は理解できない。しかし、キミを始め、部員名簿に名前を書いた5名が本気だという事は理解した」
一悶着も二悶着もあったが、やっと理解してくれたらしい。
活発に活動している(ように見える)グループFINEの存在などがカギとなったようだ。
「私とて、自らの理解できない分野に全てを捧げる者達が居る事くらいは知っている」
往々にして。そういう人の中から、ギネスに記録される人や、世界大会で優勝する人。新しい発見をしたり発明をしたりする人が現れる。
……そして。たとえ、誰に賞賛されずとも。注目を浴びる事が生涯なかったのだとしても。そういう生き方は、きっと――
「他者から理解されずとも。馬鹿にされても。己の心に従い、情熱を燃やし、突き進む。そういう生き方は実に人間らしいと、私は思うよ」
――動物ならざる、人間にしか出来ない生き方なのだと俺は思う。
「そのような情熱の対象を見つける事が人生の……青春の大きな意味の1つなのだとすれば。今まさにソレを追い求めんと足掻くキミたちを私が止めて良いはずがない。生徒の青春を支えるのが、生徒会長の務めなのだからな」
あぁ、やっぱり。
やっぱり彼女は。
「先輩は格好良いですね」
「まぁ、先輩だからな」
この格好良い女性と知り合えた事は、本当に幸せな事だったと思う。
そう。そうなのだ。
誰かとの出逢いで人生は変わる。
きっとそれは、世界全体で見れば何てことは無い邂逅。ありふれた交錯。
けれど、個人の主観が構成する“世界”をひっくり返すには十分過ぎる。
「ありがとうございます。早速、皆に伝えてきます」
――だから、俺はゾンビ部を作るのだ。
「あぁ、少し待て。まだ話は終わっていない」
「何でしょう?」
「一応、現時点では仮認可だ。1か月ほど様子を見させてもらう」
「……というと?」
「時折、私が視察に行く。その結果次第で正式に認可するか否かを決めさせてもらうよ」
なんだ、そんなことか。
あるいは、真面目な活動では無いと判断されたら廃部とかになってしまうのかもしれない。
けれど、関係ない。だって――。
「いつでもアポなし訪問大歓迎ですよ。我がゾンビ部は他のどんな部活よりも青春を謳歌しますので」
◇◇◇
「――会長」
「居たのか、副会長。一言も発さないから、てっきり部屋から退出したのかと思っていたよ」
「会長があまりにも楽しそうでしたので。馬に蹴られたくはありませんしね」
「……? どういうことだ?」
「いえ、なんでも。……ところで、ゾンビ部とは奇怪な部活ですね」
「あぁ、全くだ。彼は中学時代も、突拍子も無い事をしては周囲を困惑させてばかりだった。しかし……」
「しかし?」
「――ふふっ。ここから先は否が応でも理解する事となるよ。だから、今は口を噤むとしよう」
「は、はぁ……?」
◇◇◇
――これはゾンビ不在のゾンビ物語。
【登場人物設定】
★部長
主人公。ゾンビ部部長。本名は
「ある理由」からゾンビ部を立ち上げた。
彼自身、ゾンビの存在なんて信じてはいない。
★眼鏡
秀才インテリ。本名は
★ピアス
マシンガントーカー。本名は
★ボサボサ
ネット民。本名は
★栗毛
元天才子役。本名は
★会長
世末高校生徒会長。本名は
★副会長
常識人。本名は田中 太郎。
★顧問
ゾンビ部顧問。本名は