今作は太宰治「駆込み訴え」に多大なる影響を受けております。したがって全編通して陰鬱とした雰囲気のため、苦手な方はご注意ください。
ええ、ええ、合っています。殺害対象は瀬田薫で間違いありません。
慈悲などいりません、もはや人間としての原型を留めていなくても構いません。ナイフでその身体をズタズタに切り裂いて、殺してしまいましょう。僕の心をこんなにも苦しめて引き裂いた彼女を生かしておけるわけがない。彼女は、この世界における仇そのものだ。
だからどうか、僕に彼女の人生の終止符を打たせてください。そのために、僕はここまでやって来たのですから。あの人を殺せるのなら、金でも臓器でも何だって捧げてみせますとも。
なに、落ち着いて? こんな惨めな思いをさせられたのに、落ち着けるわけがないでしょう。失礼ですが、僕がどんな思いをしていたのか、お分かりで?
いいですか。僕は、彼女をいつだって献身的に支えているのです。ファンクラブとやらの整備も、彼女をやっかむ虫けら共への牽制も、彼女への金銭的援助も、他の囲い共が嫌がるようなことを、僕は進んでやった。
でも、どうしてでしょうね。彼女は僕に助けられている、そのことを恥にでも思っているのだろうか。彼女は愚か、周囲の雌からも僕に対する感謝の言葉などない。僕がいなかったら、今頃彼女のファンは暴徒と化し、彼女は非道な暴漢に犯されていたでしょうに。
僕がこんなにも身を削り彼女を支えている……それにもかかわらず、あの人は贅沢を口にするのです。「子猫ちゃんのためにもっと儚いことができないだろうか?」なんて贅沢を。
そうです、彼女はホワイトデーのお返しとして囲い全員にメッセージカードを贈る馬鹿ですよ。そのメッセージカードと薔薇は、僕が用意したものだというのに。そうだ、僕はずっと、瀬田薫というくだらない舞台の裏方をしてきた。でも、それは別に苦痛じゃなかったんだ。なぜかって? 貴女は美しい人だから。
総てを愛し、周囲の幸せを願う、絵本の中の王子様。それが、瀬田薫だ。そんな御伽噺の手伝いをしていると考えたら、僕は誇らしく思えた。だけど、でも、少しぐらい、僕に優しい言葉をかけてくれたっていいじゃないか。ありがとう、その一言だけで僕は構わないのに。
昔、一緒に夕暮れの並木道を歩いていたとき、貴女は僕の名前を呼んでこう言いましたね。
「ところで、君はいつも寂しそうな顔をしているね。君が辛い思いをしているのは、なんとなくわかるよ、だけどね。かのシェイクスピアも『人は心が愉快であれば終日歩んでも嫌になることはないが、心に憂いがあればわずか一里でも嫌になる。人生の行路もこれと同様で、人は常に明るく愉快な心をもって人生の行路を歩まねばならぬ』と言っているんだ。辛い思いを封じ込めろ、とは言わないよ。君のその辛い気持ちは、きっと誰かが見ていて、わかってくれるはずだ。だから、今ここで、私と笑ってみないかい?」
まるで、僕の寂しさを、僕のぽっかり空いた心を見透かしていたような言葉に、思わず僕は泣き出してしまった。その時、誰かにわかってもらえなくても、貴女が味方でいてくれるなら、何も怖くないと思った。
そうだ、僕は貴女を愛しているのだ。周りの雌がどれだけ貴女を愛していようと、僕の愛はそれらとはまるで比べ物にはならないほど愛している。
僕が貴女の元にいたって何も生まれないことなんて、とうの昔にわかっている。だけど、僕はどうやったって貴女と離れることができない。貴女がいない世界に、意味なんてないんだ。もし貴女が死ぬのなら、僕も同じように死ぬでしょう。
だからでしょうか、たまに僕は考えるんです。貴女が瀬田薫という舞台を降りて、瀬田薫というひとりの少女になって、過ごす、そんなことを。もしその時が来た時は、僕が一生そばで貴女を支えます。僕がそう言っても、貴女からの返事はなかった。
僕と貴女が深い話をしたのは、それっきり。貴女は瀬田薫という仮面を脱いだ姿を、一度も僕には見せてくれなかった。
僕は貴女を愛している。貴女は、誰のものでもない、僕のものだ。貴女を手放して誰かに明け渡すぐらいなら、その前に僕がこの手で貴女を殺してあげる。
貴女の言葉は総てレプリカだけれど、貴女の美しさは本物だ。偉人たちから借りただけの言葉も世界を笑顔になんて夢想も、いつだって薄っぺらい。でも、そんな貴女が僕は好きなんだ。
だからこそ、僕は彼女から離れたくない。ただ、彼女の側にいて、彼女の声を聞いて、彼女の姿を眺めていられればそれでいい。もしそれが、僕と二人きりならより良いのだけれど。そうなったら、僕はどんなに幸せか。
ああ、彼女はどうして僕のこんなにも純粋な愛を受け取ってくれないのでしょうね。だから、一緒に彼女を殺してください。僕に、瀬田薫を殺させてください。
ひどい話ですよね。いつだってあの人は僕だけに冷たいのです。周囲のくだらない雌共には馬鹿みたいな笑顔を振り撒くくせに、僕といる時は俯いたまま黙り込んで目も合わせてくれない。最近は、特にそれが顕著になっている気がして。
そんなある日、僕は見てしまったのです。彼女が得体も知れぬ男と逢瀬を重ねる姿を。緩やかに弧を描く眉を、輝く瞳を、紅い頬を、見てしまったのです。
彼の前で「女」の顔を見せる貴女が、心底気持ち悪かった。僕の知る瀬田薫はとても気高い人だ。そんな貴女がこんな男風情に、そんな恋幕、いや違う、そんなわけがないが、似たような馬鹿げた感情を抱くだなんて。何より、だ。あんな男が、貴女の隣に立つ資格なんてない。貴女の隣にふさわしいのは、僕以外あり得ないだろ。
そうだ、僕は貴女のために、全てを棄てたのに。貴女のために何度もこの手を汚した。実際、そのおかげで僕という人間がやってきた行為は到底他人に見せられるものではない。それによって親にも縁を切られたからか、今や金だってままならない。今更学費を切り崩せと言われても無理だ。なぜなら、大学に通うための奨学金も何もかも、僕と言う人間の未来ごと全て貴女に捧げたのだから。
なのにも関わらず、貴女の隣に立つ男は、貴女のために身を削ることもなく今ものほほんとした顔で笑っている。ああ、憎い。憎い。貴女は本当に男を見る目がないのですね。ああいっそ、貴女もろとも、どこかで野垂れ死んで仕舞えばいい。
だからこそ、僕は相手の男にわからせてやったのです。自分が「瀬田薫」を穢した罪人であることを。ははっ、面白いですね! 普段の貴女は僕と目を合わせようとはしないくせに、その時だけは僕の目を見てこう言ったのですよ!
「どうして彼を傷つけるようなことをするんだ」
どうして? どうしても何も、貴女の方がおかしいでしょう。貴女のような高貴で気高い人が、あんな男風情に騙されていいわけがない。貴女は何故にこんなに怒りを孕んだ声で僕の名前を呼ぶのでしょうか。そんなに、彼が大切な存在なのですか? 貴女は、総てを平等に愛していた。どんな人間に言い寄られようとも、その態度を変えることはなかった。なのに、なのに。
あの男は、僕から貴女を奪ったんだ。
ああ、すみません、僕は気が動転しているのかもしれないですね。支離滅裂なことを話していたら申し訳ございません。もういっそ、僕のことを虚言癖と思ってもらって構わない。僕のことは何も信じないでください。違います、全て事実です。信じてください。
僕は昔から無駄に人の感情に敏感なのです。そのせいで、嫌でも感じ取ってしまった。瀬田薫という少女の、女の顔を。その顔は、僕に、僕だけに見せて欲しかったのに。
だが、現実は非情だ。こんなにも貴女を慕い、貴女だけを愛している僕には優しい言葉のひとつもくれなくて。それなのにも関わらず、貴女はあの男には少女の顔を見せているんです。そう、僕以外の男に。
僕は、彼女を心底軽蔑しましたよ。だから、そう。殺さないと。僕が、この手で。気づけば、僕はそう思うようになりました。
あんな王子様擬き、生きる価値なんてあるはずがないでしょう。ただの女に成り下がった瀬田薫に、僕は微塵も興味を惹かれない。だから、貴女がまだ王子様であるうちに、僕が貴女を殺してあげる。綺麗なままの貴女を、綺麗なまま殺す。なんて素敵な終幕でしょうか。
たとえ何があったって、瀬田薫を僕以外の人間の手で殺させるものか。あの人の息の根を止めるのはこの僕だ。貴女を殺した後、物言わぬ貴女の隣で僕も死ぬんだ。大丈夫です、心配なさらないでください。涙などとうの昔に枯れました。
クリスマスの日だろうと、貴女は薄っぺらな愛の言葉を吐いていましたね。「シンデレラ」の王子様役、なんて、今の貴女に一番似合わない役を演じながら。
馬鹿だなあ。貴女は、王子様なんかじゃない、ただの
そうです、僕の愛は真の純愛なのです。誰に理解されなくとも、誰を敵に回そうとも、僕は貴女を愛しているんだ。十二時に解ける魔法なんて、僕たちにはいらない。僕がいて、貴女がいれば、どんな地獄だって大したことはない。
だからこそ、僕は自分を貫く。この手で貴女を殺すんだ。貴女が高校生でなくなる前に、貴女を、瀬田薫を僕の中で永遠にする。そう決意したのです。
その日の夜のことでした。時計の針が十二時を過ぎた頃、貴女は突然僕を呼び出し、二人で話すことになりました。不思議だね。なんだか、最近不安で眠れない日が多いんだ。貴女は、少しだけ悲しそうにはにかんで僕にこう言いました。
ああ、可哀想な王子様。そういえば、あの男の子にはフラれてしまったのでしたね。貴女を穢す汚い虫が消えたのだから、良いことだと思いますがね。僕はそんなことを考えながら、貴女と二人きりで会話を交わす。貴女から僕に話しかけてくれることはそうそうないからこそ、少し口を開くだけでたくさんの想いが溢れてしまいそうで。
ああ、どうかこのまま貴女を連れ去ってしまいたい。僕たち以外誰もいない二人だけの世界で、貴女と永遠の時を過ごしたい、なんて妄想に耽っていた僕を、貴女は現実に引き戻す。
「君は、私のことを殺したいと思っているだろう」
瞬間、全身から血の気が引いていく。ああ、見抜かれていたのか。僕のこのどうしようもなさを、どこにも行く宛のない感情を。
私は君が思うほど鈍くはないよ。貴女は僕の目を見てこう告げる。嘘だ、じゃあどうして、なんで貴女は僕の気持ちを見てみぬふりなんかするんだ。僕の気持ちに気付いているのなら、それに応えてくれたっていいのに。がんじがらめになった僕のこの気持ち悪い感情に、貴女が救いを与えてくれるだけでいいのに。独りよがりなこの恋に、意味を持たせてくれるだけでいいのに。
僕はひどくうるさい声でしつこく泣き喚きながら、貴女にそう何度も問いかける。それに貴女は、優しい声でこう答えるんだ。
「君は、大切な子猫ちゃんだから」
その時、ようやく分かったのです。僕は、もう貴女の子猫ちゃんではないのだと。一方的で身勝手な感情に支配され、挙げ句の果て貴女の優しささえ拒んでしまう、ただの怪物になってしまったのだと。
さて、長話をしてしまいましたね。彼女の居場所ならいつ何時でも把握しております。もちろん、すぐにご案内できますとも。ちょうど今、彼女はバンドの練習からひとりで帰っているでしょう。襲うなら、今がチャンスかと。
ああ、これでようやく貴女と対等な関係になれる。そうだ、僕は貴女と同い年なんだ、敬語を使う必要なんてない。もう、僕は貴女の子猫ちゃんではないのだから。
ざまあみろ、瀬田薫。己の愚かさを悔いて、さっさと死んでしまえ。僕はもう、貴女を愛してなんていない。僕は貴女のような価値のある人間から得られる恩恵にあやかりたかっただけの寄生虫のような存在だ。そこに愛なんて、微塵もなかったんだ。
……それにしても、今日は雨、ですね。なんと言えばいいのでしょうか、雨を見ているとあの日を思い出します。貴女が、傘もささずに僕と一緒に雨に濡れてくれたあの日を。ああ、すみません、関係ない話をして。それじゃあ、行きましょうか。
質問、ですか? ええ、何でも構いませんよ。……ははっ、そんな分かりきったことを聞くんですね。
そうです、僕は、彼女のファンでした。