ある日の昼下がりのシャーレ近郊にあるD.U.地区。気が付けばここに向けて足が伸びていた。なぜ、気分転換の手段に事欠かないショッピングモールなどではなく、ここだったのだろう。
街並みを眺めながら歩き続ける。どこに向かうでもなく、ただただ歩く。
あれから数日、ホシノは一度もシャーレに来ていない。一方的に謝られ、否定され、突き放された。もし俺があんなことをやられていたら、しばらくは立ち直れないだろう。
ただ、これが俺の望んだことだ。タバコをよく吸うダメ人間ではなく、
ハッピーエンドは
「……はぁ」
思わず漏れた溜息は、いったいなにを嘆いているのだろうか。
普段はこまめに返しているモモトークのメッセージもなんだか億劫で放置している。自分のものも、先生としてのものも含めて。
「ああ、そっか」
ゴールの見えない道を歩き続けるのは苦痛だ。それでもシャーレの先生は耐えなければならない。ただ、それで中身が別かどうかは話が異なる。
俺は……心のどこかで耐えきれなかったのだろう。それで、外に救いを求めた。本来救うべきである生徒に対して、救いを求めてしまったのだ。あれからずっと、独り言でさえ自分を出せていない。
それでも決めた道なのだから、なんとか歩まなければならない。足を止めることなく歩き続けていると、不意に腕を掴まれる。
振り返ってみると、息も絶え絶えのリンがこちらを睨み付けながら溜息を吐いていた。
「探しましたよ、先生」
「……とりあえず、座ってはいかがでしょうか」
「ああ、うん」
強制的に引っ張られ辿り着いたのは、シャーレの会議室。あの日からずっとこの部屋で過ごしていたからだろう。すごく散らかっているなと他人事のように思う。
それに苦言を呈するわけでもなく、座れとだけ言われてふらつく身体を椅子に腰掛ける。
「とりあえず、顔が見れて良かったです。ずっと連絡が取れませんでしたから」
「ああ、ごめんね……」
「ええ、モモトークでも一切連絡が付かないし、外に出ている様子もない。シャーレはプライベートモードに設定されて私でも入ることが出来ず、戻っていた途中で先生を見つけました」
今の自分を見られてはならないと、私物のタブレット端末に登録してある連絡先以外を全てブロックする緊急用のプロトコルを起動していたことを言われて思い出す。
つまり、自分とホシノしかこのシャーレに入ることが出来なかったわけで。それは心配もされるし、探されもする。聞いたところによると、大事にされている様子もないのだから感謝すらしている。
自分を拒絶した方が勝手に落ち込んでいるなら普通なら無神経だと詰られるところだが、ホシノはきっと違うだろうから。
「ご無事なようで、本当によかった。勝手にいなくなられては、困ります」
「……うん」
気落ちしたトーンと微かに震える唇から、連邦生徒会長のことを思い出しているのだと気付いても意図的に無視をする。
お互いのためにも、触れない方がいいだろう。
「それで? それだけ必死に探してくれたんだったら生存確認以外にもなにかありそうだね」
「そういうわけでは……いえ。それでは、単刀直入に」
「うん、いいよ」
「先生、どうしたんですか」
「……うん?」
はて、心配されるようなことがあっただろうかと首も傾げる。確かに、仕事の能率は悪いし、しばらくシャーレから出てもいない。食事が喉を通らない……ことはないが、少なくなって、これまでしていた自炊もここ数日はやめてしまっていた。
執務室に行くのかどうにも億劫に感じて、いつもの部屋で仕事せず、出来る限りこの会議室で作業している。それでも書類は執務室にあるせいで何度も足を踏み入れて元々はなかった数々の品に見ないフリをしていることには気付かれていないはずなのだ。
とんと思い当たるフシがない俺に信じられないものを見るかのようにしてから、リンは目を伏せる。
「先生、鏡をちゃんと見られた方がよろしいかと」
「鏡……?」
会議室に備え付けられたクローゼットの姿見の前に立って、そこに映った自分の姿に驚愕する。
整えられた髪はボサボサになり、目の下には化粧でも誤魔化せないだろう隈。健康に見える作られた血色の良さは腐った果実のようにその色を無くしている。これは一体、誰なのだろう。
先生としての体裁を保とうとして、全くと言っていいほど保てていない。なんだそれは。お前は自分の身勝手で、一人の女の子を傷付けたんだぞ。出そうになる溜息をすんでのところで飲み込んで、誤魔化すように苦笑する。
「ああ、うん。なんだ……最近寝つきが悪くてね」
「当番をお願いしたはずの小鳥遊ホシノさんが居ないことと、なにか関係が?」
「──悩みを聞くときは、もうちょっと自然な聞き方があるような気もするけど」
「回りくどい聞き方をすると、煙に巻かれそうな気がしましたから」
図星を指されたことに驚きながらも、焦りを表情に出さないように冗談を飛ばしても、代行としての眼光が逃がしてくれない。
ここに居るのは優しいリンちゃんではなく、連邦生徒会長代行……七神リンなのだと痛感させられる。ゲマトリアの黒服と相まみえたときでもここまでではなかった。
つくづく先生としての体裁とは便利な隠れ蓑だったのだと自覚しながらどうにか誤魔化そうとして──すでに詰んでいることに手を挙げて降参の態度を取る。
「なんで気が付いたのかな」
「先生がこれまでに何日も外に出ないことはなかったはずです」
「そうだったっけ」
「……ええ。それで、最近当番について話したのを思い出しまして」
ピクリ、と眉間を動かしながらも最後まで説明し切るリンに心の中で賞賛する。連邦生徒会長と比べられがちだが、彼女も立派な人間だろう。
ピシッと伸ばした背筋を背もたれに全て預けると、無機質な冷たさが背中越しに心地良い。
「なぁ、リンちゃん。シャーレの先生は、平等でなければならないんだよ」
「はい?」
「全ての生徒に優しく、全ての生徒に手を差し伸べ、全ての生徒をハッピーエンドに導く。そんな姿が理想だったんだ」
「……」
それは、少年時代に恋焦がれる
そんなヒーローになるのだと、キヴォトスに来た時に決めたのだ。
「それなのに……
それなのに、自分で作った仮面に振り回されている様子は酷く滑稽で。理想とは程遠く、目指したハッピーエンドには縁遠い。
ダメな人間だな、と苦笑していると、不意にリンが優しく微笑んだ。
「それが、小鳥遊ホシノさんだと?」
「……」
「無言は肯定、ということでよろしいですか?」
「お好きに」
もはやこれまで。シャーレの先生としての体裁を保てず、あとは崩壊を待つだけの状況に肝すら冷えないことに驚く。ああ、なんだ。俺はずっと楽になりたかったのかと。
救いたいと口で言いながらも、それは理想郷の存在を証明するかのように難しいことだったのだ。
「いえ、先生。先生はずっとそうでしたよ」
「は……?」
ずっとそうだった、俺が? 平等ではなかったのだと?
思考がぐるぐると廻り続ける。いや……どの生徒にも困っていれば手を差し伸べたはずだ。全てはハッピーエンドのために、最後に笑って終わるために。
「ええ、大なり小なり誰かを気に入って。気に入ってなくても、自分なりに折り合いを付けて救う。それが生徒だから」
「だからそれが私なりの平等で……」
「先生。私は平等を人が定義出来るものではないと考えています。そして、人が出来るものではないとも」
遠回しにそれが出来る人間は作られた理想像であると断言していることに、シャーレの先生は作られた虚像であると言っていることに、彼女は気付いているのだろうか。
「この前、D.U.の近くで会ったときに自分がどんな表情をしていたか……先生は気付いていましたか?」
「いいや」
「あの時の先生は、普段よりもずっといい顔で笑ってたんですよ。心の底から安らぎを感じているかのような」
「表情を変えているつもりはなかったけれど」
「自覚がないからこそ、心から思っているのでしょう」
そうなのだろうか。そういう安らぎは、心から想い、相手に伝えてこそ成り立つものではないのだろうか。そう思いながらも、どこか納得感のようなものも感じる。
「私が言えるのは、ここまででしょうか。彼女なら、もっと気の利いたことを言えた気がしますね」
「……そうかな。そう、かもね」
顔も思い出せない湖で笑っている少女に心の中で謝罪する。君と逢うのは、もう少し先になりそうだ。
時計の歯車のように廻って、やがてかちりと音を立てた気がした。