毎日、ある夢を見る。まるで忘れてはいけないものかのように見せられるソレは、キヴォトスによく似た狂気的なまでに美しい空を背景に進み続ける電車と、それに揺られながらも目の前に居る血まみれの少女と会話する夢。
その夢は決まって自分と目の前の少女が血だらけで、後悔を滲ませる表情をしながらも互いに笑っていた。
その少女とは本音で語り合った気がする。先生としての振る舞いではなく、個人的に仲の良い友人であるかのような距離感。その時の俺は、きっとその距離感が心地よくて──だからこそ、失ってしまった。
「先生、あなたになら、私の信じられる大人であるあなたになら──」
「■■■──」
俺は、夢の中に囚われているのだろうか。
「──っ!?」
その日の夢見は、最悪だった。寝起きの頭に冷水をかけられたかのような、そんな不快感に歯噛みする。いつもなら寝起きよくベットから出られる都合の良い身体も、この不快感の前には無力のようだ。
せめて二度寝しないように上体を起こしてベットに腰掛けるような形で態勢を変える。
ただ、それまでしか動かせなかった。それ以上は動けなかった。手を伸ばせたはずのものに届かなかったと、そればかりが頭の中を占領している。
ただ、俺の記憶ではない──はずなのだ。これまでそんな経験をした覚えはないのだから。それでも何度も夢に見るのは意味があるのかもしれないが。
「……はぁ」
どことなく重く、鈍痛のする頭を目覚めさせるために深呼吸。思うようにシャキッとしない脳みそに疑問を抱きながら、朝食の準備をする。
パンにサラダ、スクランブルエッグにベーコン。朝にしてはちょうどいい食事で、一日の予定を考える。今日は仕事だけだ。それもそう長い時間取られる予定はないから、昼過ぎまでには上がれるかもしれない。
「……?」
ピロン、とモモトークの受信音。スマホを出して、通知がないことに首をかしげる。はて、今の通知は誰の端末だったのだろうか。
そう思いながら一応タブレット端末をチェックしてみると、そこにはホシノ、という名前。
「タカナシか」
そういえば、この前連絡先を渡した気がする。生徒と連絡するパブリック用ではなく、休暇だと決めてスマホを部屋の隅に放り投げる時の、プライベートアカウント。
現状このアカウントに登録されているのは、タカナシだけだ。
これ以降増やすこともないだろう。秘密とは、秘められているからこそ秘密なのだ。数が増えるにつれて体をなさなくなる。
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しばくぞお前、と独り言つ。こっちは他の人間に見られても大丈夫なように発言しているだけなのに。
タカナシに気を許しすぎているような気もするのだが、どうにもこの関係性が好ましいと思ってしまっている。シャーレの生徒ですら出さない貌。能面の裏に隠された本当を受け入れてくれるのは、ストレス緩和の効果があるのかもしれない。
それは知らず知らずのうちにストレスを溜め込んでいたということの裏返しにもなるのだが心当たりは──あった。タバコとかソレだ。一瞬でも目を背けてしまいそうになった自分に呆れる。
気付かないフリは昔から得意だ。困ったことに。
「まずは仕事片付けないとだな……」
とりあえず昼までには終わらせよう。食器を片付けて、手早く洗ってしまう。さっきから微妙な違和感が拭えない。普段と比べて頭の動きが悪い。
最悪倒れてもいいように、動けるうちに出来ることをしなくては。そう思って急いで仕事を終わらせると、昼よりはちょっと前。
身体が少し重い気がして机に突っ伏してみると、机の冷たさが妙に心地いい。このまま寝たら、気持ちがいいのだろうな……。
「…………い」
声がした。誰かに呼ばれているような気はするが、微睡みが心地よくて無視する。起きたくないのだこっちは。
「……せ……い」
今度は身体を揺すられてしまう。流石にそこまでされると起きないわけにもいかず、渋々重い瞼を開くと、目の前にタカナシが居て現実に引き戻される。
「……なんだよ」
「もう、せっかく連絡したのに寝てるなんて酷いと思うな~?」
「……そうだったな。悪い」
「先生、声おかしいけど大丈夫?」
はて、そんなにおかしいだろうかと発声練習してみると、声を出すのに違和感がある。言われて初めて気が付いた。
もっとも、痛みがあるほどではないものの明らかに風邪だろう。朝の倦怠感の正体は風邪だったか……。
額に手を当ててみると、いつもに比べて温度が高い気がする。普段手先が冷えることに苦悩しているが、こういうときは便利なものだと関心してしまう。
「無理せず休んだ方がいいんじゃない?」
「そうする……悪いな……」
思ったより険しい表情をしていたのか、覗き込んでくる瞳からは心配の色が見える。
「ほら、おじさんに任せて?」
「ああ……」
……弱っているときは感覚が鋭敏になると聞いたことがあるが、実際そうらしい。触れた手が妙に柔らかく感じて何度か握り直してしまう。
「は……運ぶよ~……? どっち?」
「あー、そっち……」
ぷるぷると震えるタカナシを意図的に無視しながら、シャーレの廊下を普段の3倍ほどの時間をかけて進む。
身長差のせいでこちらが腰を落としているが、不思議と辛さはない。上手いこと負担がかからないようにしてくれているのだろうと、思考力が鈍くなり始めている頭で考える。
タカナシに引きずられてベットに到着すると同時に、折りたたんだ毛布の間に足を滑り込ませて動けなくなる。思いのほか限界だったらしい。
「タカナシ……」
「どうしたの?」
「相手、出来なくて悪いな……」
驚いた表情のタカナシを見て申し訳なさが込み上げてくる。病は気からとはよく言うが、普段口にしないことまで口にしてしまうらしい。
普段はもっと、完璧を演じている。ある程度の欠点がありつつも、それらは意図された美しい欠点。今回のような突発的なことは出来るだけ起きないようにリスクヘッジをしていたにも関わらず、この体たらくだ。
そんな俺に、彼女は毛布をかけてから額に手を当てる。
「先生は頑張りすぎじゃないかな~」
「お前ほどじゃ、ない……」
そう、タカナシほどじゃない。人の死を経験しても、諦観を含みつつも決して逃げることだけはしなかったお前ほどは。俺はたまたま間に合っただけだ。
もし、少しでも間違えていたならきっと助けることすら出来なかったのだから。
定期的に小言を言っているが、本来ならばもっと褒めるべきなのだ。
よく頑張ったね、と。
「そんなことないよ。だって、毎日遅くまで仕事しても弱音一つ零さずに私たちと向き合ってくれるでしょ~?」
「それが、大人の務めだからな……」
君たちの頑張りと、俺のような中途半端に大人になってしまった人間のものは違う。
だから、君たちは誇っていいんだと。ただ、重くなった唇は音すら発してくれない。
「だからね、先生──ありがとう」
いつもと違うハッキリとした口調に、まるで餌を得た稚魚のように口を何度も開閉する。シャーレに来てから、ここまで他人の言葉に感じるものがあっただろうか。
動きそうになる心を必死に押さえつけてただ一言。
「……ああ」
こちらこそ、とも言えずに。でも、それがなんだか尊いようなものな気がして。心が温かくなる。安心してしまったのか、瞼が鉛のように重く感じて抗おうとしても身体は正直なもので静かに閉じていく。
「……おやすみ、先生」
微睡む意識の中で手に触れた温かい感触は、心の弱さが生み出した願望なのか、それとも──。その判断なんてつかないまま、意識を手放した。