大空煌めく淡い羽根   作:鳥籠のカナリア

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ぬくもり

 私にとって──小鳥遊ホシノにとって、先生ってなんだろう。

 

 普段他の子たちの前でシャーレの先生として振舞っている様子は、完璧すぎると思う。求められた理想像というか、そこに自分自身は居ないような気がする。初めて会ったときに警戒していたのは、きっとそのせい。

 

 一番警戒していた人間が、一番に堕ちるのなんて分かってるのにね。

 

 シャーレに行くときは必ず連絡するようにと言われたアカウントに連絡しても返信がない。そのことに首を傾げながらシャーレの先生の部屋に行くと、心地よさそうにソファで寝転んでいた。

 

「も~……おじさんがどれだけ心配してたと思ってんのさ~……」

 

 安心して溜息が出る。先生の顔を見るために近付いていくと、毛布もかけないで寝てた。なんで毛布もかけないで寝ているんだろって考えて、目元のクマを見てそれが疲労のせいだってすぐ気が付く。

 

 執務用の机の上を見てみると、左側に山積みになった書類たち。先生は終わった書類を利き手側に置くから、終わった仕事だと思う。

 

 私たちの相手をしながら、これだけの仕事を片付ける先生はきっとすごい。

 

 先生は自分のことをシャーレの先生として振舞わないとダメな人間、なんて言うけど。先生は優しすぎる。そうじゃないと、いくら演じてるって言われても、優しいわけない。

 

「先生、ありがとうね……」

 

 前も言った気がするけど、何度言っても言い足りない。私はきっと、この人が居なければまた大人に騙されてここに居なかった。

 

 毛布を取りに執務室の端に足を伸ばす。買ってもらってから何度も借りている毛布を持ち上げると、先生のものなのに先生の匂いがしない。

 

 私が使ってるの以外に出されてるのを見たことが本当にないから、私のために買ってくれたのは本当なんだろうけど……。

 

 これじゃ先生、寝られないかな……とぼんやり考えながら先生に毛布を持っていくと頭の中で一緒に寝れば安心出来る、って恥ずかしい発想が出てくる。

 

「い……いやいや……おじさんが一緒に寝ても、先生は嬉しくないでしょ……」

 

 顔が一気に熱くなったのを感じながら、先生と毛布の間で視線が右往左往。

 

 それでも身体は先生の方に向かっていくのはなんでだろう。

 

「ほらこう、試しに……」

 

 誰にでもない言い訳を呟きながら、先生の上に寝転がる。うん……硬くて寝心地はそんなに良くないけど、あったかい。

 

「……うぅん」

「……!?」

 

 呻き声……じゃなくて、単純に寝苦しいみたいだ。やっぱりダメかな。胸の奥が少し痛むのを無視しながら離れようとして──先生に抱きしめられる。

 

 いきなりのことに戸惑って抵抗も出来ずに毛布が床に落ちちゃった。

 

「ふぁ……せっ、先生……?」

「ん、んー……?」

 

 まるで抱き枕みたいに抱きしめられて、水族館で見たイルカみたいに飛んだり跳ねたりして、忙しく動き回ってる。こんなに大きかったんだ……。

 

 先生の顔を見てみると、さっきよりも優しい顔をしてる気がする。

 

 気のせいかもしれないけど、まるで宝物みたいに抱きしめられてる。先生から抱きしめられる経験をした子は、きっと居ないんじゃないかな。シャーレの先生じゃなくて、不器用な優しさを持ってるこの人に。

 

 そう思うとなんでだろ。

 

「嬉しい、かも~……?」

 

 なんでこんなに嬉しく感じちゃうんだろう。本当だったら怒るべきなのに、先生にならいいと思ってる。

 

「……あったかい」

 

 静かに息を吸ってみる。タバコに混じって先生の匂いがする。先生の匂いは嫌いじゃない。タバコのニオイはそんなに好きじゃないけど──先生の傍に居ると、安心出来る。

 

 だからタバコのニオイが気になるってウソを吐いて、タバコを吸ってる先生の近くに居ることが多い。

 

 最初は小言を言ってきたけど、いつの間にか言わなくなってた。叱ってくれるのも嫌じゃなかったけど、受け入れてくれたみたいで胸のあたりが温かくなる。

 

 淡く揺れてるこの気持ちはなんだろう。

 

「ん……眠くなってきた……」

 

 落ち着いたら眠くなってきた。

 

 抱きつかれたまま、なんとか床から毛布を取って自分たちに被せる。先生にちゃんとかけてあげようとすると、自分の身体がすっぽりと毛布に埋まってしまう。

 

 前に先生が匂いは一番脳みそと繋がっていると言っていたことを思い出す。そこにヒントがあるような気がしながらも、眠気には勝てないで瞼を閉じる。

 

「おやすみなさい、先生」

 

 この人の隣に、少しでも長く居られればいいなって、心から思う。

 

 

 

 

 

「……っ」

 

 目が覚めると月明かりが差し込むシャーレの執務室だった。なんだか気恥ずかしいものを夢で見た気がするが、きっと気のせいだ。

 

 呼吸が普段より浅く、全身が倦怠感に包まれているが、意識して深呼吸すると元に戻っていく。低血圧なのは不便が多いと溜息を吐く。疲れているのかもしれない。

 

 なにせ、風邪を引いてから一か月も経っていない。本来は療養に当てるべき期間すらシャーレの先生として動いていたから。

 

「寝ちまったか……」

 

 背後の感覚的にソファに寝転がってそのまま落ちたのだろう。天井をぼんやりと眺める。シャーレの天井は見慣れたものだが、執務室で寝るのは初めてのことかもしれない。

 

 不甲斐ない、とはこのことか。誰かに見つかろうものなら説教されるか呆れられるに決まっている。こちらに来てからは誰かに監視されているかのような、生きづらさを覚える。

 

「一人の方が気楽、なんて言ったら泣かれちまうんだろうな」

 

 ほとんどの時間を生徒たちと過ごしていて、一人で居る時間というのは少ない。元々はなにをするでもなく、天井や星空を眺めるのが好きだった。

 

 自分のミスや悩みが、画用紙に垂らした絵具のように身体の内から空に染み込んでいくような気がして、そうして綺麗なものを瞳に映すのだ。

 

 昔のことはどうでもいい、今のことを考えなければ……。

 

「タバコ……タバ……?」

 

 胸ポケットから煙草を取り出そうとして、自分の身体が妙に温かいのに気が付く。ソファに倒れ込んで寝落ちしているのなら、それこそ風邪を引いていてもおかしくない。

 

 それなのに、自室でベットに沈んでいるよりも温かいのはなぜなのか。

 

「まさか……な……」

 

 胸元に視線を伸ばすと、毛布が上に被さっていた。おそらく誰かがかけてくれたのだろう。問題は、その毛布が盛り上がっていること。

 

「……」

 

 恐る恐る毛布の裾を持ち、ゆっくりと持ち上げると、見覚えのあるピンクのアホ毛が、猫のように丸まって寝ているのが目に入る。

 

「すぅ……すぅ……」

 

 そっと毛布を戻して、考え込む。今、心地よさそうに寝息を立てていたのは誰だろうか。……いや、現実から目を背けるのはやめよう。タカナシだ。

 

「なんで……?」

 

 間の抜けた声を出しながらも疑問が尽きない。

 

 応接用のテーブルを挟んだ反対側に視線を投げれば、もう一つソファがあるのだ。片方だけにあるわけがない。普段タカナシが寝ているソファがもしかしたら今寝ている方だったかもしれないが、それにしてもおかしな話だ。人体の上は寝心地がいいわけではないのだから。

 

 信頼の証、といえばそうかもしれないが。自分が美少女という自覚がないのかこいつは。そもそも信頼しているからと言って肌に触れるのを許すな、という古い考えが脳裏を過る。

 

「おいタカナシ……人の上で寝るな……」

「うへへ……」

「おい……」

 

 何度か揺すって起こそうとしてもよほど深く眠っているのか起きる気配がない。

 

「うぅん……」

 

 なんか、もう。幸せそうだからいいかぁ……。諦めを含んで天井を仰ぐ。そこまで幸せそうならどうしようもない。

 

 念のため、自分から触れていないからセーフという心の壁を事前に作っておく。

 

「えへぇ……先生の胸、あったかいなぁ……」

「お前起きてねぇ……?」

 

 そう言いつつも、ぼんやりとタカナシのことを考える。

 

 彼女は雛鳥ではない。多くを経験し、人の嫌な部分を見て、成鳥になりかけている子だ。

 

 その時期が最も不安定で、一番人肌恋しくなる時期だ。子供が成長するのは早いなんて世論で大人の多くは次第に忘れていくだろうが、成長していく本人にとっては息が切れるほど長い道のりだ。

 

 羽を休められる場所であるなら、それでいいじゃないか。こんなどうしようもない大人の中身を受け入れてくれた大事な子だ。

 

「おやすみ、ホシノ」

 

 きっと、これからの君の人生は多くの困難が待ち受けているんだろうけど……出来る限り、手伝うよ。俺には先生としての責務があるのだから。

 

 せめて今は、良い夢を。

 

「毛布って一枚だったかなぁ……」

「うん……」

「やっぱりお前起きてるだろ……」

 

 呆れながらも寝たフリをし続けるタカナシに苦笑しながら、自分も瞼を閉じた。

 

 優しい時間は長く続かないものだけれど、今を大切にしない理由にはならないから。

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