大空煌めく淡い羽根   作:鳥籠のカナリア

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じかん

 心地よい時間が流れている。これが毎日続けばいいのに。そう願う反面、本来やるべきことを忘れているような。どうしようもない不安に包まれている。

 

 見上げる空はこんなにも澄み渡っているのに、心の中は雨でも降りそうなぐらいの曇天で。晴れる様子はなければ雨が降る様子もない。ただ、停滞気味な日常を過ごしていることに嫌なストレスを感じている。

 

 対処法のないストレスほど厄介なものはない。日々が消費され、擦り切れるような重圧に人間は耐えられるように出来ていないのだ。表情にこそ出さないが、死に急ぐようにタバコの本数だけが増えていく。

 

 時間は迫っているのに、連綿と続く時間ばかりがタバコの燃え滓のように色褪せていく。

 

「先生、最近タバコ多くない?」

「ふぅ……そうか?」

「うん、私が居るときはあんまり吸わないのにもう5本目!」

 

 そう言って5本指を立てながら普段よりも難しい顔をしているタカナシが不機嫌に思えるのは、気のせいではないんだろう。その証拠に、ちょっと睨まれている。

 

 自覚はある。ただ、俺にもどうしようもないことだから話すわけにもいかない。どうにか理屈を捏ね繰り回すために、彼女から話を引き出すことにする。

 

「……あー、アビドスの子たちに何か言われた?」

「そう、おじさんの服から別の匂いがするって言われてさ。おじさんとしてはちょ~っと見過ごせないかなって」

「ほー……」

 

 タカナシの服から別のニオイ、といっても心当たりは特にない。タバコは毎回外に向けて吸っているし、空気清浄機も稼働させている。ニオイ消しのためにアロマなども炊いているし……と、そこまで考えて一つの結論に辿り着いた結論に苦虫を嚙み潰したような顔になるのを抑えきれない。

 

 理由は分かった。分かったが……これを本人に言っていいものか悩む。

 

「……」

「思い当たるフシ、あった?」

「あー……っと。あくまで想像なんだが。タカナシ、シロコあたりからなんか言われてないか?」

「え? なんでシロコちゃんって分かるの……先生の匂いがするって言われた」

「タバコのニオイじゃなくてか」

「え、うん……どしたの?」

 

 やっぱりか、思わず渋い顔をしながら天井を眺める。不思議そうに俺のことを見ているタカナシは、おそらく理由に気が付いていない。

 

 ただ、気のせいかもしれない。

 

「ちなみにいつ言われた?」

「一週間くらい前かなぁ~。おじさんもびっくりして誤魔化すの大変だったんだから」

「……」

 

 腕を組んで、瞳を閉じる。一週間くらい前は……ソファの上で寝ていて、タカナシが上に覆いかぶさっていた頃だったと思う。だから、おそらく長時間一緒に居たことによるもので、タバコのニオイではないのだろう。

 

 言わぬが花という言葉もある。人間は気付きの生き物で、自分の過去の行動に対しては後悔を募らせるものだ。ただ、気が付いていて言わないのも違う。

 

「もう、先生のせいだからね~。おじさんは怒ってるよ」

「ほ~ん、そういうこと言うのか」

「え、なんでそんなに悪い顔してるの」

 

 横暴な言いかたに少々、いやかなり腹が立った。

 

 仕方ない、心を鬼にしながらも真実を告げることにする。

 

「なぁタカナシ、ここまで確認してまだ気が付かないかぁ」

「な、なにに……?」

「多分、この前俺の上で寝てたせいだぞ」

「あ……あれは、先生が抱きしめるからで……」

「試しに乗っかってみました、って白状しておいてよく言う」

 

 あのあと、お互いにいたたまれない気持ちになって、ああなった理由を聞いてみればあっちから乗ってきたと自白した。寝ているときとはいえ、女性を軽率に抱きしめてしまったことは反省しなければならないが、それはそれ。

 

 警戒心がないなんてものじゃない。見ているこっちが不安になってくる。

 

「もうちょっと警戒しろよ。俺だって男だぞ」

「いや~……だって、他のみんなに手を出さない先生が手を出すとも思えないし」

「出さねぇわアホか」

「へ~……ならさ、誰が一番気になってるの?」

「は?」

 

 気になってる……というのはおそらく一個人として、誰が好ましいか。という話なのだろう。

 

「セリカちゃんは素直になったときのギャップも可愛いし、アヤネちゃんは奥手だけど真っすぐな子だし、ノノミちゃんはおじさんもドキドキするくらいの母性! 思わず飛びつきたくなるもんね。シロコちゃんは手のかかる子だけど、逆にそこが愛おしいって思う人も居るんじゃないかな~?」

「そうかもな……」

 

 確かに、魅力的な子たちだろう。ただ、あくまで彼女らは生徒でしかない。手を出す対象ではないし、出してもいけない。大人は子供に対して公平でなければならないのだから。

 

 じゃあ、この状況はなんだ?

 

 彼女を招き入れ、あまつさえ他人に見せていない中身を露呈してまで一緒に居るこの状況は、公平であると……特別扱いしていないと、本当に言えるのだろうか。

 

「……」

「先生? 大丈夫?」

 

 いつものふにゃりとした笑う顔ではなく、心の底から心配しているような表情。申し訳なさを感じながら、必死に感情を抑え込む。

 

 お前がそんな顔をしないでもいいんだ。

 

「そんな酷い顔してるか?」

「うん、なにかを失ったみたいな……?」

「そうか……」

 

 まだ先生としての体裁を保てていると思っていた。だが……もう既に、崩れてしまっていたのだ。

 

 嫌なことに気が付いてしまった。気付かなければ、この平穏がずっと続いていたのに。

 

「タカナシ、気にするならあんまり来ない方がいい」

「え……そ、そういうつもりじゃなくておじさんは……」

 

 俺は今、どんな顔をしているんだろう。疲れた顔をしているんだろうか。取り繕えもしないこの表情は、きっと相手に不快感を覚えさせるには十分すぎる。

 

 最後だからと頭を撫でて笑いかける。髪は女の命だからと、望まれない限り避けてきた。自分からするのは、これが最初で最後だ。

 

 俺の先生という名前は教育者であることの証左ではないけれど──公平性を失った時点で、バッドエンドに片足を突っ込んでいる。

 

「ごめんな、()()()。……気付かなけりゃよかったわ」

「な……なにに……?」

 

 深呼吸をして、シャーレの先生としての仮面だけ付ける。これもひび割れてしまっているが、今だけは役割を果たしてもらわなければ。

 

「先生として、公平性を失った時点で俺はもう終わってるんだよ」

「それって、どういう……待って、行かないでよ先生!」

 

 追い縋ろうとするホシノに振り返りたくなる気持ちを無理にでも抑えつけて、シャーレの執務室を出る。急く足をどこに向けようか悩みつつも、入るのは自分の部屋。

 

 備え付けられた電子ロックを誰にも踏み入られないようにプライベートモードに変えて、ドアに背を預ける。

 

 ああ、俺は一体なにをしているんだ。あの時横目に見えたホシノの顔は、瞳は……涙に濡れていた。

 

 こんなことなら、もっと上手くやればよかった。俺がバレた瞬間に、他にやりようはあったのに。……気付かなければ、よかったんだ。

 

「誰が一番気に入ってるなんて、そんな答え、決まってるのになぁ……」

 

 涙に滲んだ声は誰にも届くことなく雨の降り始めた空に消えていく。雨が地面に吸われていくのに、後悔だけは胸底に沈んだままに。

 

 

 

 

 

 

 

 その次の日から──ホシノがシャーレに訪れることはなかった。

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