幼少期から、出流の前に現れる友好的な人間は、その殆どが彼の背後にある佐倉家ばかりを見て寄ってくる者ばかりだった。ともすれば、人を信じることの出来ない人間に成長してもなんらおかしくなかったほどに。
だが蒼は違った。日本有数の名家たる佐倉家と比べ、中流階級の五十右家の格はまさに月とスッポン。にも関わらず、蒼は出流をまるで特別には見なかった。
家柄に嫉妬した同級生による、心無いやっかみや苛めの対象になっていた出流を、蒼が助けた時からずっと。
中学一年生から始まった出流と蒼の交友は、高校二年生になっても続いている。家族以上に気心の知れた二人は、何をするのも一緒だった。お互いの家で泊まるのは当たり前だし、出流のベッドを二人で使って寝ることもある。
そんな、とある初夏の日曜日の朝のこと。
窓から差し込む朝の日差しを顔に受けて、出流は目を覚ます。
すぐ隣の気配に顔を横に向けるが、姿は見えない。掛け布団に頭まで潜り込んで丸まるのは蒼の癖だった。
「ふぁう……」
あくびを噛み殺しながらスマホを覗くと午前七時四十分。いかに日曜日と言えども、そろそろ起きるべき頃合いだ。
出流は体を起こし、隣でまだ眠っている親友に日光を浴びさせるべく掛け布団を捲りあげる。
「ほらアオイ、もう朝だっ―――、?」
見たこともない、美少女がいた。
年は多分出流と変わらない。きらきらと輝く銀髪はヘアーサロンに行ってきたばかりみたいにぱっつんと切り揃えられていて、背中の半ばまでまっすぐ伸びている。
パッチリと長いまつげに二重の瞼。それがすうっと開くと、吸い込まれそうな魅力を秘めた紺色の瞳が出流と合う。
「――う」
『深窓の令嬢』と言うべき完璧な美貌にすっかり見惚れていた出流は、置かれている状況を遅巻いて理解する。即ち―――
「うわあああああ!?」
寝起きの喉にキツい負荷をかけながら、出流は足をバタつかせ美少女から距離を取る。女性経験が皆無の出流には、降って湧いたイベントは荷が勝ちすぎた。
ちなみに出流の部屋は防音機能を完備しているため、その叫び声を聞いたものは居なかった。
セミダブルベッドの隅でガタガタと震える出流の前で、謎の美少女はのそりと上体を起こす。日光を反射しながらサラサラと流れ落ちる髪は、『綺麗』の次元を通り越して幻想的ですらあった。
「うるっせぇな……朝っぱらから騒ぐんじゃねえよ……」
風鈴のような涼やかな声。しかし声色に反してその口調は粗野な男のそれで、見た目とのミスマッチ感が尋常ではない。
美少女は掛け布団を抱き込んで縮こまる出流に目を向け、怪訝な顔をする。なんでそんな反応をしているのかわからないと言わんばかりだ。
「何やってんだよイズル。ゴキでも出たか?」
「い、いや、そのえっと………僕のこと、知ってるの?」
「はァ?」
出流がおずおずと聞くと、美少女は瑞々しい唇の間から威嚇めいた声を上げた。
「大親友に向かって随分だなオイ。ボケたか?」
「さ、流石にまだ早いよ……って、え? 大親、友……?」
言われて出流はハッと気づく。眼の前の美少女と話していると、本来そこにいるはずの、しかし何処にもいない蒼を彷彿とさせることに。出流はどちらかというと人見知りで、友達や家族以外との会話は長く続かない。だが、彼女は―――。
(まさ、か)
戦慄する出流をよそに、美少女はベッドの上を漁ってスマホを手に取る。
蒼のスマホを。
「っつーかなんなんだよさっきから。俺の顔が変わったとでも………」
画面の点いていない液晶を自分自身に向けた途端、銀髪の少女はビシリと固まる。油の切れた人形のような、ギシギシとガク付いた動きで出流を見るも、出流は成り行きを見守ることしかできない。
紺色の目をした少女はやおら立ち上がり、勉強机の手鏡を引ったくる。出流に背を向け食い入るように鏡を見ていた美少女はわなわなと震え始め。
やがて。
「なんっっっじゃこりゃああああああああああ!!!??!?」
ちなみに出流の部屋は防音機能を完備しているため、その叫び声を聞いたものは居なかった。
一通り「あり」や「なし」やの確認を終えた蒼は、仏頂面で出流の椅子で胡座をかく。
出流は感覚的に彼女が無二の親友であると感じてはいたが、それでも念のため本人しか知らなさそうな質問を色々とぶつけてみるも、その全てが予感を確信に変えただけに終わった。
途方に暮れつつ、ひとまず直近の蒼の行動を振り返ってもらったがこれも特におかしいところはなく。
「で、目が覚めたら身体が女性になっていた?」
「おう……マジでわけわかんねえ」
サラサラの髪を指先でいじりながら蒼はぼやく。その仕草もまた絵になるのは美貌のなせる業だった。
(言動と見た目のギャップがどうにもアンバランスだなあ)
ベッドの隅から中央に戻ってきた出流は、現実逃避めいた感想を抱いた。
「ま、まあ君がアオイだってのはもう信じるしかないけどさ……にしたって、ええ……?」
改めてその姿をまじまじと観察する。その容姿には昨日までの蒼の要素がまるで残っていなかった。
もともとの蒼は天然の茶髪をボサつかせた髪型で、近眼なのもあって目つきが悪く、190cm近い上背と筋肉質な体つきも相まって、初対面の相手には怖がられたり警戒されることが多々あった。
今の蒼は全てが真逆だ。髪は銀でサラサラ、その眼差しからかつて程の凛々しさは感じられず、男物の半袖パジャマから伸びる四肢はほっそりと頼りない。
スポーツやバイトの影響でガッシリしていた胸板はダボダボのパジャマを内側から押し上げる女性特有のアレに置き換わり、とことん男らしさからは無縁の身体になってしまっている。
「イズル、お前今胸見ただろ」
「え゛っ」
「ハハ、目がちょっと下に行ったのまるわかりなんだよ」
「……っ」
蒼は気にしてない風にケラケラと笑う。その声を聞いて、出流はまた一つ困惑に喉を詰まらせた。
力強くよく通る声は形無しで、今や聞く清涼剤とでも言わんばかりだ。
「で、これどうすりゃいいんだ」
「僕に言われても…。お父さんもお母さんも仕事でいないし……病院行く?」
「今日日曜日だぜ」
「僕のかかりつけ医なら診てくれるよ」
「イズル様々だな」
……
…………
「恐らくは【変性系性徴】でしょう。第二次性徴期に極めて稀に発生します。肉体が『自分は女性だ』と突然勘違いし、性徴期に合わせて本当に女性に変わってしまうんですな」
「ええっと。それは治るんでしょうか?」
「残念ながら、一度変性した性別が元に戻った例は確認されていません。理屈ではもう一度変性系性徴が起きれば戻れるとは思いますが、只でさえ確率の低い現象が二度起きることは……。それに、五十右さんはもう第二次性徴期も終わる。……諦めて切り替える方が、と言わざるを得ません」
…………
……
長時間の検査の末無事に希望を叩き折られすごすご帰ってきた二人は、再びそれぞれ椅子とベッドに戻って向かい合った。
「医者が駄目ならもう無理だな。これからの人生女として生きて行くしかねえわ」
蒼はあからさまなお手上げポーズを取る。
「すんなりだね。意外と平気だったりする?」
「んなわけあるかよショックに決まってら。でも凹んでたって現実の問題は解決しねえだろ。学校とか」
「流石に
「こういうのはな、後に回せば回すほど面倒になってくもんなんだよ。明かすならさっさと明かした方がいい」
吹っ切れた蒼の態度に出流は素直に感心する。こういう切り替えの早さは蒼の美点だ。
もしも出流が同じ立場だったら、蒼のようにはきっとなれない。部屋に引きこもって家族に会うことすら避け、現実逃避に一日を費やしていたことだろう。
「……なんだよジッと見やがって。惚れたか?」
「はははまさかあ。アオイは割り切れてて凄いなあって……思っただけ」
「………? おう」
ぼんやりと蒼を見ていた出流は、蒼に詰められるも笑って返す。
突然の蒼の性転換。問題は山積み。だが、出流の中に不思議と不安はなかった。それは偏に蒼への強固な信頼があればこそ。
(アオイなら、きっと今回もなんだかんだで乗り越えるんだろうな。四年前に僕を助けてくれた時みたいに。成績的には厳しいはずだった、僕と同じ高校に合格してくれた時みたいに)
出流にとって、蒼は親友であると同時に憧憬の対象でもある。理由がなくても悪意に立ち向かえる度胸や、地に足の付いた心の強さは、出流には無いものだから。
出流は、ベッドから降りて蒼に近づく。さっきまでは目の前にいる
「アオイ、何か困ったら何でも言ってね。僕にできる範囲でなら、力になるから」
そんな
蒼は、出流の言葉に輝くような笑みを浮かべて、片手を上げて振る。出流もそれに応え、腕相撲みたいにガッシリと手を組み合った二人は笑い合った。
「ああ。頼んだぜ、イズル!」
「……とりあえず父さん母さんに説明するための証人になってくれ」
「あ、うん。それは大事だね」
登場人物紹介
【
年齢:16
身体的特徴:黒髪両メカクレ小動物系男子。素顔は可愛い系。
趣味:ゲーム(トロコンやタイムアタック等、一人で延々やり込むタイプ)、ドミノ作り
説明:
とある私立高校の二年生。
実家の大きさが災いとなり、小~中一(蒼に助けられるまで)の間暗黒期を過ごす。蒼に助けられてからもあまりいい学校生活は送れなかったが、最も多感な時期に信頼できる友人を得たことで精神面での安定は手にしている。
中学校から逃げるように高偏差値の今の高校へと進学し(同級生で同じ高校に進学したのは蒼のみ)、現在は苦味の無い高校生活を満喫できている………と思っていたら親友がなんか女になっちゃった。
蒼に対しては親友としての信頼と友情、自分を助けてくれたことへの感謝と尊敬、そしてその一件に起因する罪悪感を抱いている。