蒼が内心の期待を含めて俄に感じていた予感とは全く異なる事態に、蒼の脳はついていけなかった。
「お見、合い?」
「うん」
「誰が?」
「僕が」
「誰と?」
「ええっと……お母さんの知り合いの娘さん、だって」
「…………」
質問を繰り返し、少しずつ状況が飲み込めてきた。
(……つまり、出流はお見合いの話が来ている最中、俺とデートをしたってことになるよな?)
「なんで?」
『なんで今になってお見合いを?』『なんでそれを今言った?』『じゃあなんで今日俺とデートした?』
同時に頭に浮かんだ疑問を処理しきれず、蒼の口はその共通部分だけを言葉に変えた。
三文字の言葉に込められた疑問の全てを出流が理解しているのかどうか、蒼には分からないことだが、ともかく出流は口を開いた。
「……お見合いの話が来たのは、三日前の事で」
三日前、即ち出流からデートのお誘いが来た日。メッセージが届いた時間帯は遅かったため、出流はお見合いの話が来てから蒼を誘った事になる。
(………いや、まさか……無い。よ、な?)
出流の行動の理由を考えた蒼の脳裏を過った最悪の想像。
『アオイと別れる前に、思い出を作ってあげようと思って』。
否定したいが、そうするにはここ最近の自分はあまりに出流に冷たかったように思えて、蒼は人知れず息を詰まらせる。
「どうしようか、本当に迷ったんだ。お母さんが家の為に頑張ってること、知ってるから、お母さんの力になりたい気持ちはあった。でも、それだけの理由で決めていい事とは、思えなくて」
出流の勢いが、少しずつ萎んでいく。だが、蒼は思考がろくに回らず、立ち尽くすことしかできない。
「それに、アオイがどう思うかが気になって――」
「……!」
自分の名が出たことで、蒼は自責の念から帰ってきた。出流は自分の事で精一杯なのか、蒼が一人で追い詰められていたことも、そこから戻ってきたことも気付いていないらしかった。
「いや、そうじゃない。僕が―――アオイとの付き合い方を、ずっと気にしてたんだ」
山間に触れだした夕陽が照らす川面の上。空は徐々に紫紺に染まり、橋の上に留まる二人の影は橋の車道へと伸びる。
出流が、顔を上げる。真正面から、蒼と同じ目線で。
拳を握りしめ、定めた自らの道を、走り始めた。
「僕……アオイが女の子になってしばらく経ってさ。だんだん、僕の中でアオイを見る目が変わってくのが嫌だったんだ。アオイに、女の子を見ようとしてる僕が嫌で。友情が………別のものに、変わっていくのが……嫌だった」
(……俺と、同じだ)
出流の葛藤は、今まさに蒼が抱く葛藤そのものだった。蒼は、黙して先を促す。出流がその葛藤とどう向き合ったのかが知りたかった。
「でも、アオイが教えてくれたんだ。『上っ面よりも大事なもの』。見た目に惑わされず、アオイっていう一人の人間を見る。それを意識したら、受け入れるのは簡単だった。だって、アオイは身体が変わっても心は変わってないんだから」
「っ……」
出流は、無邪気に蒼の強さを信じている。蒼の目には、それは憧れを通り越して信仰にすら見えた。
(それは……)
「アオイの見た目については、それで良かったんだけど。今度はそんなアオイと僕はどう付き合っていくのかを考えなきゃならなかった」
(それで切り替えられちまうのかよ。ま、イズルはそういう奴だしな)
蒼が今まさに悩んでいることを一言で片付けてしまったらしい出流に、蒼は内心自嘲混じりの笑みを零す。
「今日、アオイを誘ったのはその為なんだ。お見合いを受けるか、断るか。それを決める前に、僕はアオイとどんな関係になりたいと思ってるのかを知りたかったんだ」
「……で、分かったのか」
「うん」
出流は、決然と言い放つ。その姿に、蒼の心臓がバクバクと嫌な感じに跳ねる。
聞きたい。出流の結論を。
―――でも、もしそれが蒼の望むものでなかったら?
「ッ、……!」
口を開けど緊張で喉が干上がり声が出ない。背中に脂汗が滲む。全身の血液を足から抜かれているかのように、血の気が失せて体が錆びついて動かない。
張り付いた喉に力を込める。裂けて血を吐いても構わない勢いで、ようやく蒼は声を発そうとして。
「――――ァ、?」
力んでバランスを崩した身体が、ふらりと前に崩れていく。蒼自身にも前兆の感じられなかった眩みを出流が予想できるはずもなく―――しかし。
「っと」
出流は、素早く動いて蒼を抱き留めた。いつかの、性転換翌日の登校時ように。
「アオイ、大丈―――ッ」
蒼の無事を確認しようとした出流の言葉が止まった。蒼の顎が乗った肩に感じる、服越しに濡れる感触。触れた瞬間だけ温かく感じたその液体の正体を、出流はすぐに察した。
それが、蒼のどんな感情から出たものなのかまでは、出流にはわからない。この話は続けないほうが良いのかもしれないとも思う。だが、ここまで話したのなら、最後まで行くべきだと判断した。
「アオイ、このまま聞いてくれる?」
「………」
蒼からの答えはない。しかし触れた部分から直接伝わる、頭を縦に振る動き。出流にしがみつくように、服の背中側が二つの手で掴まれる。
出流は、愛おしむように蒼の背に腕を回し―――生唾を飲み込んで、深く息を吸った。
「お見合いは、断るよ」
「……え?」
蒼の反応を無視して、出流は続ける。構う余裕がない。全部、言い切ってしまいたかった。
「だって僕、アオイのことが大好きだから。一人の人間として、それと――
「………ぁ」
小さく漏れたような声が、出流の耳元で聞こえる。出流は今一度、腹に力を込める。
「僕が、ずっといっしょにいる相手を選ぶなら、それは――アオイ以外には、ありえない。今日一日過ごして、それが……わかったんだ」
囁きかけるような、唱えるような、凛とした出流の声。聞き間違える余地も無く、全てが蒼の頭に染み込んでいく。
「………」
「………」
耳に痛い沈黙。
出流は、蒼をデートに誘おうとしたあの日、メッセージの返事が中々返ってこなかった時のことを思い出した。
急かしたくはないが、返事が聞きたい。出流は唇を震わせた。
「アオイ……その、ど、どうか、な」
「………少し、待ってくれ」
蒼に言われるまま、抱き合った姿勢で少し待つ。今更ながら抱き合っている事を自覚した出流の顔が首から額へ赤く染まっていく。完全に頭が茹だった辺りでようやく蒼は身体を離した。
ありがたくも名残惜しい感覚が失われ、出流は少し惚ける。
「イズル」
「! な、なに?」
「……ぷふっ」
挙動不審に慌ただしく身なりを正す出流を見て、蒼は吹き出した。
出流の顔が更に熱くなった。
「わ、笑うことないじゃん……」
「悪い悪い。っつかイズル、フッツーに大分ヤバいこと言ってたんだけど…気付いてるか?」
「えっ。そ、そう……なの?」
「ああ。
「う、わ。そんな…………え?」
自分の発言がヤバいらしいと言われてショックを受けた出流だったが、あまりにも聴き逃がせない一言が聞こえて顔を上げる。
蒼は顔を横に向け、長くしなやかな銀髪を持ち上げ、頬に当てて隠していた。
「『俺も』……『好きじゃなきゃ』って、言った……?」
「……二度は言わねえ」
「~~~~~ッ!」
奥底から沸き上がるような喜びに出流の全身が震える。じっとしていられなくて蒼の手を取った。持ち上げていた髪が重力に屈し、耳まで真っ赤な顔が顕になる。
「アオイ、アオイアオイアオイっ!!」
「う、うっせえなあ! 連呼すんなよ恥ずかしい!!」
「ホントに!? ホントなの!? 嘘じゃないよねっ!?」
「こんなことで嘘なんか吐かねーよ! いいから手離せって!!」
「あ、ご、ごめん……で、でも嬉しくて、我慢できなくて……!」
「気持ちは、まあ。わかるけどよ……つーか、俺が同じ気持ちじゃなきゃどうするつもりだったんだよ。殆どプロポーズだろあんなん……」
「ええと……アオイに好きになってもらえるように努力するつもり……でした」
「……お前は本当にさあ」
蒼は「はーっ」とため息を吐きながら、照れくささからガリガリと頭を掻く。出流は嬉しさを堪えきれずじたじたと足を踏み鳴らす。
二人の抑えきれない感情が落ち着く頃には、日は殆ど沈み、夜の闇が町を覆い始めていた。
互いの気持ちは伝え合えた。ならば、言うべきことがあるはずだ。
「アオイ」
「ん?」
出流は今一度身体に決意を漲らせ、両手でそっと、蒼の手を片方取る。
「僕と――付き合ってくれる?」
蒼は最初ぽかんと間の抜けた顔をして。
次にぱたぱたと左右を見回し。
上を見上げて空いた手で顔を扇ぎ。
少しだけ、寂しそうな表情を浮かべた後。
「……よろしく、おねがいします」
唇を尖らせながら、消え入りそうな声量でそう言った。
ドキドキデート編、完結!
互いの気持ちを伝え合った!二人の交際も始まった!
ハッピーエンド、ヨシ!(現場猫)
本日18:00、次話を投稿します。