アオイとイズル   作:東雲。

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最終編の最終回です。



First Pain(9)

「ほ、本当にするの?」

「何遍も言わせんな! やるったらやるんだよ!」

 

 困惑し、怖気づいている出流に蒼が吠える。

 

「で、でもさ。誰かに見られるかも」

「周り見て言ってみろ」

 

 二人が今いる場所は、大きな川の堤防にある遊歩道だ。進行方向から見て左手に川が、右手に大きな自然公園があった。

 出流は辺りを見回す。前方には車道との交差点が遠くに見えるが、車通りは殆どない。右後方――川の向こう側には、例の廃工場がチラリと映り込む。日が落ちて暫く経っている上、この遊歩道自体あまり利用されていないのか、二人の他には人っ子一人見当たらない。

 先程から二人は騒いでいたがそれに応えるものはなく、まるで二人きりの世界に迷い込んだのかと思えてしまいそうなほどに、この場所は静かだった。

 

「誰が見るってんだ、ん?」

「ひ、人が居なければ良いってものでもないんじゃないかな……?」

「う、うるっせえなあ! いいからやれっつってんだろうが!」

 

 蒼は出流の襟元を掴んで前後に揺さぶる。出流が暫くされるがままにしていると、突然目元を袖で覆う。

 

「ア、アオイ?」

「なんでだよぉ……なんでしてくれないんだよぉ……良いじゃん減るもんじゃないんだしさあ……」

「うっ」

「イズルはホントは俺の事好きじゃないんだぁ……だからキスしてくれないんだぁ……」

「そ、そんなことないよ!? 無いんだけど……」

 

 蒼は鼻を啜る音を立てながらぐずる。

 出流は本音を吐き出すか迷ったが、恋人の涙には勝てなかった。

 

「ぼ、僕だってしたいよ! アオイと! でも、その、もっと場面にこだわりたかったっていうか……」

「うわぁ。イズル、それはちょっと童貞臭くね?」

「ひっど! しかも泣いてないじゃん!?」

「ハハハっ」

 

 女の涙を武器に使い始めた蒼に、出流はムスッとした表情で非難がましい目を向ける。

 蒼はその視線を意に介さず、心なしか上機嫌な風に出流の数歩先を歩く。

 

「ま、そういう事ならいいや。イズルくんのピュアっぷりに免じて勘弁してあげようかな~っと」

(ホントは、本当に今……してほしかったんだけどな。ま、イズルを困らせてまですることじゃあないな)

 

 振る舞いとは裏腹に、蒼の胸中に寂しさが滲む。それを誤魔化すように、蒼は上機嫌なフリを続けた。

 

「イズルは何処で俺とキスしたいんだろうな~? 高級レストランかな? それとも雰囲気の良いデートスポットかな~?」

「む」

 

 自分だって経験が無い癖に、あたかも自分の方が有利と言わんばかりにこちらをからかう態度に少しだけムカっときた出流は、心の中で組み立てていた幾つかのプランを破棄することにした。

 

「じゃあ、教えてあげる」

 

 出流は一息に蒼に追いつき、蒼が後ろに振ったところの前腕を掴んで引く。

 

「僕は、アオイに求められてじゃなくて――」

 

 手を引かれた勢いと出流の声に、蒼は反射的に振り向いた。出流は素早く、今だけは邪魔な前髪を纏めて跳ね上げる。黒の御簾が束の間取り払われ、真剣な紅の視線と、状況に理解が追いついていない紺の視線が交わる。

 

「えっ」

「――僕の方から――」

 

 出流は、左手で蒼の腕を掴んだまま、右手を蒼の頬に這わせたまま身を乗り出し―――

 

「――キスが、したいんだ」

 

 

 ―――蒼の唇を、奪った。

 

 

「!!?!??」

 

 蒼は完全に想定外の状況に目を丸くする。蒼は勢いで出流を突き放しかけたが、掴まれた腕と頬に添えられた出流の手に思考が蕩け、なすがままになってしまう。

 普段は可愛い系であったはずの出流の素顔が、瞼を閉じ真剣な表情をしているせいか妙に凛々しく見えて。出流の唇の少し濡れた感触と熱は勿論のこと、出流の気持ちまでもが、唇からはっきりと伝わってきた。

 

 照れくさくて、少々怒っていて。

 恥ずかしいけど、やると決めたからには一直線。

 蒼を見返したいプライドと、蒼を独り占めしたい執着心。

 

 複雑な感情が蒼の心を満たして、その全てが喜びに変わる。蒼は呼吸も忘れて唇を重ねる悦びにうっとりしながら、無意識の内に出流の腰に手を回していた。

 

 出流もまた、蒼のふにふにと柔らかい唇の感触に急速にのぼせ上がるのを実感しながら、蒼の感情を味わっていた。

 

 暴力に苛まれた恐怖。陵辱されかけた恥辱。一度は膝を屈した事への後悔。

 助けられた安堵。出流への申し訳無さ。自分自身への憤り。

 その全てを足して尚足りないほどの、出流を求める愛情と欲望。

 

 出流は、これ以上何もできそうに無かったけれど、こうすることで蒼の中の負の感情が少しでも和らぐのならと、息を殺して蒼の唇からなだれ込む感情を飲み干し続けた。

 

 

 二人の静かな口付けを、満月は優しい光を投げかけながら見守っていた。

 

 


 

 

 佐倉家のダイニングには、流代と八重の二人だけが残っていた。

 少し前までは使用人総出で情報収集を続けていたが、大神からの『当たり』の報告を受けて片付けを始め、大神が下手人を載せて帰ってくる頃には使用人たちは完全に撤収していた。

 

 二人は出流の帰りを待っていたが、徒歩では相応の時間がかかる。流代は、気になっていた事を八重に聞くことにした。

 

「八重さん。先はああ言ったが……本当に良かったのかい?」

「何の話?」

「結婚だよ。蒼くんを認めてしまって」

「ふふふ」

 

 流代の言葉に、八重は淑やかに笑う。流代はその表情から、八重の『可笑しくてたまらない』という感情を読み取った。

 

()()()()()()()()()()()()。立場だ利用だなんてくだらないものの為に、一生の相手を決めるなんて馬鹿げてる。そういうのは、本家の連中にやらせておけばいいの」

 

 からからと笑いながら出流に向けた言葉を簡単に翻した八重の発言。流代は一つの可能性に思い至る。

 

「八重さんは、まさか。最初から出流を焚きつけるため――」

 

 流代の唇に、八重の人差し指がそっと添えられる。

 

「しー、よ?」

 

 流代は曖昧に笑いながら、八重の手を降ろす。四十代になってこういうのは中々堪えるものがある。

 

「……八重さんには敵わないね」

「当然。――それに」

「それに?」

 

 八重は、どこか遠くを見る目つきになった。

 

「あの子が……自分の意思をあそこまで強く持つ所、めったに見られないんだもの」

「まあ、あの勢いは蒼くん絡みでしか見たことが無いかなあ」

「あの姿を見て思ったの。『ああ、この子はもう……私のものじゃなくなってたんだ』って」

 

 朱い瞳の美女が放った不穏な発言に流代はほんの一瞬だけ身構えたが、それはすぐ杞憂に変わる。

 

「だったら、あの子のやりたいことを応援してあげるのが、親の務め――でしょ?」

 

 八重は身体を倒して流代の膝にぽふんと頭を載せる。流代を下から覗き込み、(わらべ)のように幼く無邪気な笑みを浮かべた。

 この家の当主たる八重は、家同士の外交上様々に笑顔を使い分ける。だが、この笑顔だけは。流代にしか見せたことのないものだった。

 

「――ねえ。そういうものなのでしょう?」

 

 艶やかな黒い髪の間から、燃えるような朱い瞳が流代の黒い瞳と交差する。

 八重の絶世の美貌が相まった甘え仕草は、老若男女問わず誰もが理性を消し飛ばされる程の破壊力だったが、流代は張り詰めていた気を抜いて息を吐くだけに留まる。

 

「うん、そうだね。出流は私達の息子であり、一人の人間として十分に立派に成長してくれた。親に出来ることは、信じて待つことだけ……だね」

 

 流代は、膝に載せた猫にそうするように八重の頭を撫でる。

 

「むう」

 

 八重は少し不満げに頬を膨らませ、『まあこれはこれで』と大人しく撫でられることにした。

 

 


 

 

 一方その頃。

 親が帰りを待っていることなど完全に忘れてキスに没頭していた二人は、ようやく唇を離した。相手の身体を引き寄せたまま同じ高さで見つめ合う二人の瞳は潤み、抑えきれない欲望を荒い息に変える。

 

 唇の繋がりとともに感情の繋がりも切れてしまったが、蒼と出流は同じことを考えていた。

 

((もし今、()()()()()()。きっと断れない))

 

 恋愛のステップを二段飛ばししてしまいそうな雰囲気が、二人の間に醸成されていく。どちらかが、あと一歩踏み出したのなら、間違いなくそうなる。

 

「あ、あのさ。イズ――」

 

 蒼が何事か言いかけたその時、突然出流のスマホが着信に震えた。二人は心臓が口から出そうな程に驚き飛び退る。出流は慌ててスマホを確認し。

 

『五十右 篠江(8件)』

 

 出流の顔から血の気が引いた。

 

「あああっ! アオイのお母さんへの連絡すっかり忘れてた!」

「何ィ!?」

 

 他にも忘れているものがあるのだが、一瞬でパニックに陥った出流は気付いていない。

 

「え、ええっとどうしようまずアオイのお母さんに連絡して、で、でもまってタクシーを呼ぶのが先かな!?」

「落ち着けイズル! 母さんには俺が連絡するから、お前はタクシーを呼んで」

「も、もしもしアオイのお母さん!?」

『出流ちゃん!? 蒼の件はどうなったの!?』

「電話出てんじゃねえよ!」

『アオイ!? アオイがそこにいるのね!? 大丈夫!?』

 

 出流は無意味に手足をバタつかせながら蒼にスマホを渡した。

 

「ま、まあ……無事っちゃあ無事」

『そう、良かった……! ……帰ったら、詳しく話聞かせてもらうからね。早く帰ってくるのよ?』

「……おう。じゃあまた後でな」

 

 蒼は電話を切る。電話口で色々言われずに済んだのは僥倖だったが、その代償に俄に生まれかけた妖しい雰囲気は綺麗さっぱり霧散してしまった。

 二人は、軽く肩を竦めて笑う。

 

「帰るか」

「うん」

 

 


 

 

 ―――こうして、アオイとイズルに突如として訪れた事件は終わった。

 

 ―――たった一夜の、数時間にも満たない即凶劇(アドリビトゥム)は幕を下ろし。

 

 ―――二人の絆は、親友兼恋人へと、形を変えながら続いていき。

 

 ―――そして、日常が帰ってくる。




本作は健全なお話故致し方なし。

これにて、最終編「First Pain」は完結。
次のエピローグ1話を以て、本作も完結となります。
ラスト一話、お付き合い戴ければ幸いです。



登場人物紹介
佐倉(さくら) 八重(やえ)
年齢:42(自己申告)
身体的特徴:鼠径部あたりまである黒髪ストレートロングヘアに紅い瞳。スレンダー体型で大和撫子といった感じだが和服は着ない。どう見ても20代前半。
趣味:手芸、コレクション(詳細不明)、人間観察
説明:
 出流の母であり、『この』佐倉家の当主。
 名家としての佐倉家は本流と複数の傍流に分かれており、八重はその傍流の血筋に属している。傍流であるが故に名家としての責務が薄く、傍流であるが故に資産の量も大したことはない……ハズだが、この家に関しては流代によって本流に次ぐレベルの経済力を携えている。
 フィクションの貴族の家みたいな邸宅(敷地内に庭園とかある)も流代が婿入りしてから建てられたもので、それまでは敷地面積こそまずまず広いものの、家屋自体は豪奢ではない日本家屋だった。

 八重の仕事は家を守る事。出流に語ってみせた言葉や、出流の八重に対する認識は概ね合っているが、実際は八重が言うほど柵は無いし、出流が思っている程八重は神経を磨り減らしてもいない。
 彼女の精神構造は余人のそれとは異なり、利権がらみのギスギスした話し合いも、そのための泥沼根回し合戦も、本心から楽しんでいるためだ。

 『自分のもの』に対して異常な執着を持っており、邸宅の中には寝室とは別に『八重の私物部屋』を拵えている。この部屋は使用人は勿論の事、実の息子ですら立入禁止の佐倉家のブラックボックス。
 なお、流代のみ顔パス。なんでだろうね。

 その美貌は性転換後の蒼ですら、「美しさ」という基準での勝負では絶対に勝てないと思わせる程の、人の枠を越えた代物。しかも時が停まっているのかというくらいに老いの気配が微塵も無い。美容の秘訣を聞かれた際は『夫のおかげ』と答えている。

 彼女と付き合いの長い者の間では、その朱い瞳と変化の無い容姿、外出時は必ず日傘を差す癖などから吸血鬼説がまことしやかに囁かれているが、その実態は定かではない。

本作にR-17.9のタグあった方が良いと思いますか?

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