カンカンどころかガンガンに日差しが照りつける真夏日。
海水浴場近くの駐車場に停車した自家用車の後部ドアを開けて、一人の陰が天道の下に飛び出した。メンズ用のぶかぶかサファリハットでは隠しきれない、陽光に煌めく銀の長髪と水底のような紺の瞳。袖をまくった白のブラウスから伸びる腕、藍色のスキニーパンツが強調する脚のシルエットは細く美しい。ブラウスを少し持ち上げる胸の間を太いショルダーストラップが斜めに走る。
「う・み」
アウトドア用の筒型バッグをたすき掛けした蒼は、ぐぐっと身体を縮こめてから勢いよく飛び上がった。
「だぁーっ!!」
腕も足も振り上げ全身で楽しさと解放感を表現する様は年齢以上に子供のようで、出流と大神は微笑ましい目で車内からその様子を見守る。
蒼に続いて同じドアから降りた出流は、同じ型のバッグの持ち手を両手で提げた。
ストレートな黒い前髪と、目深に被ったキャップの帽子で顔に当たる陽射しを防ぐ。赤橙色のTシャツと、デニムで薄いジーパンとカジュアルな服装だ。
「アオイ、はしゃぎすぎだよ」
「じっとしてられっかよ! ホラ早く行こうぜ! 海が待ってんだよ!」
蒼は放っておくと勝手にずり落ちて目元を隠そうとする帽子を後ろにずらし、太陽に負けないほどに眩しい笑顔を見せる。男だった頃に買った帽子をせっかくだからと持ち出したは良いものの、思ったよりサイズが合わなかった。
「まあまあ、蒼様も坊ちゃまもそう急がず。慌てずとも海は逃げませんとも」
最後に運転席から降りた大神が、トランクからビーチチェアやらパラソルやらの諸々の荷物を取り出して鍵を締める。着替え用のテントや飲み物の入ったクーラーボックスもあり成人男性でも苦労する重量のはずだが、大神は顔色一つ変えずそれらを抱えていた。
「そ、そっすね」
大神の相変わらずの筋肉要塞ぶりに蒼はたじろぐ。男の頃よりも更に開いた大神との身長差にまだ慣れない蒼にとって、見上げる高さの大神の体躯は巨人同然である。
三人は連れたって海水浴場へ向かって歩き出した。
「大神さん。今日はよろしくね」
「はい。坊ちゃまと蒼様の身の安全は、この大神が責任を持って守りましょう。こう見えてライフセーバーの資格を持っていますし、そちらに務めていた時期もありますので。信頼していただいて構いませんよ」
「『こう見えて』……?」
(むしろピッタリじゃない?)
感想は蒼の喉まで出かかったが、言っても意味のない事だったのでそっと胃に押し込んだ。
舗装された道から外れて段差の急なコンクリートの階段を下り、靴底で砂地を踏みしめる頃には喧騒が肌に響いてくる。
眼前に広がるのは碧の海原と白い砂浜、手前に構えた茶色い海の家と、それら全てに数多見える肌色の群れ。
日光がじりじりと肌を焼き、ベタつく潮風が皮膚に滲んだ熱を浚う。肌で
―――海に、来たのだと。
一般に広く解放された海水浴場。その一角に設えられたレジャーシートとパラソル。その上にある高さ一メートル程のテントの前を、出流は所在なさげにうろついていた。出流は既に水着に着替えており、ゆったりした青いサーフパンツと薄手の白いTシャツの出で立ちだ。
「坊ちゃま、できればどっしりと構えていただきたいものですが」
「わ、わかってるけど……でも、うぅ……」
ビーチチェアを組み立てていた大神(ブーメランパンツ一丁のワイルドスタイル)が諫めるように声を掛けてくるが、その忠言は出流の耳をするりと抜けていく。
このテントの中で、蒼が水着に着替えている。衣擦れの音などは周りが喧しくて聞こえないが、その事実だけで出流は大分いっぱいいっぱいだった。
「おまたせ。はぁ……クソあっちいなこの中」
「!!」
開き直ったように淀みない手付きでテントが内側から捲られ、這い出るように姿を表した蒼がストライプ柄のレジャーシートの上に立つ。その新たな装いが、出流の前に顕になった。
パステルオレンジの地にフルーツ柄の水着は、一目見るだけで爽やかな夏らしさを感じさせる。上はフレアビキニで、胸元を覆うようにひらひらとした布が被せられており、下は腰骨より上で紐が止められているハイウエストタイプ。蒼のモデル体型のプロポーションが水着によって引き立てられて、一段と可憐さを増している。
このままランウェイに上がれそうな雰囲気すら纏う当の本人は、全身に滲んだ汗と熱を手うちわで誤魔化しながら、緊張と恥ずかしさに頬を赤らめてそっぽを向いていた。
「おお! これはまた。良くお似合いですよ蒼様」
「ど、どーも大神さん。そっちも……色んな意味で似合って…ます、ね」
「はっはっはどうもどうも」
筋骨隆々の肉体を惜しげもなく晒しながら愉快げに笑う大神に、蒼も自然と笑う。それで肩の力が抜けたのか、その場でターンしてから出流に振り返った。
「で、どーよイズル。愛しの彼女の水着姿だぜ? なんか言う事あるだろ?」
「う、ぁ」
水を向けられた出流は―――固まっていた。言葉が出てこないどころではない。言葉より先に身体が動いてしまいそうで、それを抑える事に必死だった。
周りの目とか全部無視して今すぐにでも抱きつきたい。この生きた芸術を自分以外の誰にも見せたくない。自分の身体で隠して、そのまま何処かへ連れ去ってしまいたい。
独占欲が視界を渦巻く。蒼に飛びつこうと手が勝手に持ち上がるのを無理やり下ろして堪える。欲望が頭の中で無限大に膨れ上がって、理性が今にもはち切れそうだった。
理性と欲望の綱引きは、数十秒の拮抗状態を経て辛うじて理性が打ち克ち、出流は知らずの内に止めていた息をぶはあと吐く。
(……大丈夫かなコイツ)
数十秒の間目の前で手を覚束なく上げ下げしたあと、膝に手を突いて疲れ果てたように深く息を吐くという挙動不審を働いた出流に、蒼は不安げな目を向けた。
「どしたーイズル」
「ごめん。ちょ、ちょっとだけ待って……」
言われた通りに蒼は腕を組んで少し待つ。蒼の顔を見れる程度に理性を取り戻した出流は顔を上げた。首から下はちょっと見れないので蒼の額辺りに焦点を当てる。
だが、顔が見られるようになっただけで出流の混乱は別に治っていなかった。
「ええっと、その。あんまりに綺麗で、危うくどうにかなるかと思った。言い表す言葉が見つからないくらいに可愛くて、もう誰にも見せたくない。僕にだけ見せてほしいというか、いっそプライベートビーチとか買っても良かったかも……大神さん、今からでも遅くないからこの近辺で」
「正気に戻れバカ!」
蒼は顔を真っ赤にして出流の脳天にチョップを落とした。
「大丈夫か?」
「うん……ごめんアオイ、取り乱しちゃって……」
「全くだわ。……ま、まあ、俺が完璧&究極の美少女なのが悪い所あるし?」
蒼が照れ隠しで鼻を高くする傍ら、出流はペットボトルのスポーツドリンクを傾ける。クーラーボックスの中でしっかり冷えた水分が、いつの間にか茹だっていたらしい頭をクールダウンさせてくれた。
「さーて、じゃあ早速泳ぐか―――の前に」
言いながら思い出したのか、蒼は自分の鞄を漁り、掌に収まる筒型の容器を取り出す。
「日焼け止め?」
「キノに持たされた。海入る前に絶対塗れってさ。ぶっちゃけ面倒なんだけど……」
「そっか。アオイの肌きめ細やかで綺麗だし、大事にしないとね」
「………そういうこった」
蒼は出流から顔を背けながら、容器を開けて中のクリームをすくい取り、腕に足にと塗っていく。それを傍から眺めていた出流は、蒼が粗方塗り終えた頃、ふと思いついた疑問を蒼にぶつけた。
「ねえアオイ、それって背中にも塗るの?」
蒼の動きが突然固まる。
「……アオイ?」
(え、ホントじゃん。これ一人じゃ背中塗れなくね? キノに勧められるままこれだけ買ったけど、そうだよ必要だろ背中塗る方法。なんでキノは教えてくれな――!)
蒼は気づく。この場に居ない彼女の意図を。
蒼は見る。シートの上で正座してキョトンと首を傾げた恋人を。
(アイツ……っ!!)
蒼は海の上に浮かぶ入道雲の向こう側に愉悦極まる笑みを浮かべた友人を思い描き、しかしてどうにもならない現実にどう立ち向かうか考える。
だが、どうにもならないものは―――どうにもならないのだ。
蒼は肩を落とし、抗うことを諦めた。
「イズル」
「うん?」
何もわかっていないらしい出流に、蒼は容器を差し出す。
「……背中、塗ってくれ」
「えっ」
海デートの鉄板イベントと言えばそう、日焼け止め塗りですよね(強弁)。
書き溜めをはやく上げたくなったので、次回は明日の18時に投稿します。