前後編くらいの短さになる予定で、これが前編です。
時系列上は「盛夏」より前のお話。
蝉の鳴き声が喧しい七月下旬のある日の昼過ぎ。
期末テストという最後の難関を乗り越えた蒼は無事に夏休みに突入していた。
否―――無事では無いのかもしれない。
「な」
そこは、部屋の中央に置かれた机を挟むように壁に背を付け向かい合ったロッカーが並ぶ、まるでどこぞの飲食店の更衣室かのような一室。
蒼は一人、立ったまま憤りに震えていた。顔を俯向け、握り拳をわななかせている。
「なっ」
その原因は、文字通り一目瞭然。
今、蒼は制服を着ている。だがそれは、学校の制服ではない。
ボディラインを強調する形状の、絹製の水色のワンピース。首元は詰襟で、横に深いスリットが入っていた。裾は膝上までで、蒼の脚線美は惜しげもなく晒されている。衣服全体に牡丹を模した紋様が装飾された
「なんっっっじゃこりゃああああああああああ!!!」
―――
「店長!! なんだよこの服聞いてねえぞ!!」
蒼は着替える時間も惜しいとばかりに、更衣室を飛び出しフロアに踏み込んだ。テーブル席が3つとカウンター席のみの小さな木造の飲食店は、梁や壁の壁紙や装飾で中華感を演出している。今は準備中のため客は居ない。
蒼はカウンターの内側に立っていた壮年の男性に向けて怒声を上げる。羞恥と怒りに染まった表情は飛びかかる寸前の猫のようだった。
声を向けられた男性は、蒼を見て目を見開く。
「お、おぉ………!」
男は徐に床に膝を付き、胸の前で組んだ両手に額を押し付ける。
―――男は、感激に噎び泣いていた。
「神は、この世におられたのですね……!」
「せめて仏に祈れよ中華料理屋」
蒼は腰に手をあてて辟易する。
蒼の住む地域の商店街に居を構える町中華『玲瓏』。それが、蒼がこれから一ヶ月ほどお世話になるバイト先だ。蒼はもう10割方この店を選んだ事を後悔していた。
ひとしきり感涙を流した後、店主は立ち上がる。
「ふう……。でもだね、五十右くん。君はホールスタッフとして働きにきたんだろう?」
「まあ、そうっすけど」
「ならば、それに相応しい格好があるのは理解できるだろう?」
「けど店長、チャイナドレス着用なんてバイト雑誌の募集要項に書いてなかったし、面接の時にも言わなかったっすよね」
「アイヤー、ワタシニポンゴニガテアルヨー」
「出るとこ出るぞ純日本人!」
中年男性に渋い声でおどけられたところで、下がるのは溜飲ではなくテンションだけ。翻って怒りは高まっていく一方の蒼に、店主は床に両膝両手を突いて頭も床に擦り付ける。
『玲瓏』店主、恥も外聞もない魂の土下座であった。
「済まない! だが君が来たときから君にはこれを着せるしかないと思えなかった!! 給料は弾むしそのチャイナドレスはバイト期間終わったら君に譲る! だからどうかそれで接客をしてくれないか! 絶対客にウケるから!!」
「ぐ、ぬぅう……ッ!」
給料を盾にされると蒼としては強く出にくい。元より割りの良さで選んだバイト先だ。これ以上条件の良い勤め先が見つかるとも限らない。
ちょっと恥を忍べば、少なくとも残りの夏休みを満喫するのに全く問題ないだけの賃金が貰える。
蒼は恥ずかしさと金欲しさを天秤にかけ、たっぷりと迷い。
そして―――。
「……はあ。ちゃんと給料弾んでもらいますからね」
「!!!」
金を選んだ。店主はガバリと頭を上げ、蒼の手を取り拝み倒す。
「ありがとう、ありがとう……ッ! 『身長160cm前後の銀髪ストレートロング色白美少女がバイトに来た時』用に常連客とカンパして準備したチャイナドレスもこれでようやく浮かばれる……ッッ!!」
「すいませんちょっと触らないでもらえます―――って常連客まで共犯かよ! 終わってんなこの店ェ!」
蒼は少なくない身の危険を感じたが、男に二言はないのである。
『玲瓏』での蒼のアルバイトは、月・水・金の18:00~20:00。夕食時の込み入る時間帯で、未成年の蒼が就ける範囲で最も給料が高いのがそこだった。
「はあ……」
夏なのでまだ辛うじて空が明るい18時。蒼は更衣室でため息を吐いていた。
(このチャイナ、まあ綺麗だし出来がいいのは分かるんだけど、スリットがなあ……下着が見えるギリギリじゃねーか。変態どもがよぉ)
姿見で改めて制服を確認して、その際どさにまたため息が出る。中年男性(複数形)の持て余した執念が結実したものを身に纏っているのかと思うと、バイト後にこれを譲られるのもなんか嫌になってきた。
(ま、引っ越しの手伝いよりは流石に楽だろ。恥ずかしさだけ我慢すれば良いと思って、なんとか一月乗り切りますかーっと)
心中でぼやきながら着替えの最後の工程、『イソミギ』と書かれたハート型のしゃらくさい名札をピンで腰の位置に留めて、蒼はホールに出る。
『『『『『ウオオォオオオッッ!!!』』』』』
―――クソ熱い風が、身体を突き抜けた。
「!?」
蒼は一瞬、ここが地下闘技場の類で自分は
見れば、店内のカウンター席もテーブル席も、ほんの十分前までは一人も見当たらなかった男どもで溢れかえり、テーブル席など相席してまでキャパシティの限界まで人が集っていた。
『最高だ! 俺は今神話の誕生を目撃しているッッ!!』
『美の女神ッ! 美の女神がこの店に遣わされたぞォォッ!!』
『可愛いィィィィィッ! 説明不要ッ!!』
「えっ、ええ……?」
怒号めいた歓声、歓声、歓声。
蒼一人が完全に置いてけぼりになっている所に、店主が近づく。
「どうだい、彼らはみんな君を見に来たのさ……SNSで宣伝したら予約殺到して参ったね!!」
「俺じゃなかったら失神モノですよ」
褒められること自体は嫌いではないが、度が過ぎるのと相手がおっさんばかりなのは流石にキツイ。蒼は差し引きでマイナスの判定を出した。
「そこはほら、君なら大丈夫だと思ってさ」
「調子が良すぎる……」
「さ、もう注文いっぱい来てるし料理も作ってるからね、じゃんじゃん配膳してもらうよ!」
店主はそう言って厨房に向かう。蒼はげんなりとした表情で天を仰いだ。
「……バイト先、ミスったかなぁ」
『その表情もカワイーーッ!』
「うるせーぞお客様ァ!!」
『『ワァアーーーッ!!』』
罵倒されても歓声を上げられると、蒼はどうしたものか分からなくなってしまった。
蒼はテーブル席に向かい、湯気を立てる回鍋肉に味噌汁、白米等を乗せた盆をテーブルにそっと置く。客は至福を体現したかのような表情を浮かべていた。
「えーと、ご注文の回鍋肉定食です」
「ありがとう。ところでイソミギちゃんのスマイルは取り扱いしているのかな?」
「マ◯ドで出直せお客様」
「……フッ」
「澄ました顔でチップ取り出されても受け取れませんお客様」
ウェイトレスとして本来なら落第モノの受け答えだが、この店の客はなぜかそれで喜ぶので一周回って気が楽だった。
鼻から息を吐き蒼がテーブルを離れると、すかさず次の配膳が待っている。
『イソミギちゃーん! 次こっち来てー!』
『イソミギちゃーん! こっち向いてー!』
「俺はアイドルじゃねえぞお客様ァ! 少々お待ちを!」
蒼は怒声を放ちつつ、店長の下へ向かう。
軽々と中華鍋を振るい、次々と注文された料理を作っていく店長の姿は年齢を感じさせない若々しさと仕事人の雰囲気を纏っている。
だが残念ぶりも知っている蒼にはイマイチかっこよくは見えなかった。
「はい、イソミギちゃん。次はこれ2番テーブルね!」
「店長、なんで他にホールスタッフ居ないんすか」
「しょうがないじゃないか。イソミギちゃんは二人居ないんだから」
「いっそ清々しいな! いやまあ雇われてる以上は精一杯やりますけど!」
キレ気味に盆を受け取り、蒼は言われた通りのテーブルに配膳する。
それが終わったらカウンター席の注文を聞きに行き、その次は飲み物の提供。その次は―――……
バイト初日が始まってから一時間。今のところどういうわけかホールスタッフは蒼一人で回っていた。
蒼が全力であくせく働いているのもあるが、大半は客がどれだけ待たされても一向に気にしていないところにある。
客は蒼を見に来ているので、料理を待っている時間はそのまま蒼を眺める時間に充てられる。助かるのは助かるのだが、どうにもマッチポンプの気配を蒼は拭いきれなかった。
(にしても)
目まぐるしい勢いで動きながら、蒼は頭の片隅で思う。
(思ったより紳士的な変態ばっか……っていうかそれしか居ねえな)
こんなチャイナドレスを用意するような店とその常連客だ。テーブルの下からカメラレンズの一つでも向けてくるものと思って身構えていたが、今のところそんな様子は特にない。尻を触られたり変な質問をされたりなどのセクハラも無く、なんと言えば良いのか―――確かな一線を弁えている。
正直それはそれで逆に不気味ではあったが。
(まあ、変な所に気ィ使わなくて良いのは助かるか……)
一月耐える分には、悪くはない場所なのではないか。
蒼はそう感じ始めていた。
「イソミギちゃん」
「はいなんでしょうお客様」
「この炒飯に呪文とか唱えてもらったりって」
「コンカフェ行って来いお客様」
(だとしても好きにはなれねえがな)
かくして初日のバイトは蒼の体力を限界まで消耗した代わりに、売上は過去最高額を記録したのであった。
後編は今週中くらいに投稿できたらいいなあって思ってます。
・余談
蒼はマクド派(転校前の地域がマクド派だった)、出流はマック派。
【ゲスト人物紹介】
・『玲瓏』店主
年齢:51
外見的特徴:ほぼ白髪の短髪で渋い顔面と渋い声。身体は痩せ気味。仕事中はバンダナを巻いて髪を覆っている。
趣味:料理、散歩、チャイナドレス
三度の飯より中華とチャイナドレスが大好き。
店はなんだかんだ繁盛しており、自室にはちまちまと買い集めたりオーダーメイドしたチャイナドレスが無数にあるという噂。