周囲を唖然とさせている間に、出流は迷惑客二人のテーブル席の椅子の一つに、金髪スーツ男の隣に無造作に座る。我に返った赤髪はテーブルに手を打ち付け腰を浮かせた。
「おッ、おいテメェ! 何勝手なことしてやがる!」
「? お二人がお酌を頼んだのでしょう?」
「っ……ま、まあわかりゃあ良いんだよ」
『とりあえずキレとけ』とばかりの赤髪の態度を出流は笑顔で受け流す。勢いを殺された赤髪は毒づきながらも座り直した。
「そちらのお客様も、コップをどうぞ」
「ああ、ありがとう」
出流が持ち上げたコップを、金髪が涼しい顔で受け取る。
ここで出流はずい、と身を乗り出した。
「あの、すみません。もしかして……どこかで会ったことありませんか?」
「?」
金髪は怪訝な表情を浮かべて、出流の顔に目を向ける。だが記憶を掘り返しても、眼の前の高校生ぐらいの『女性』は彼の記憶には該当しない。
「いや、どうかな。君のような可憐な娘にもし会ったなら忘れないと思うけど」
出流のナンパの常套句のような問いかけに乗っかった金髪の返事。出流はそれを聞いて笑みを深める。
「そうですか? ふふ、お口がお上手ですね――
「―――」
出流の口から自然と零れた自分の名前に、金髪のコップを持つ手に一瞬力が籠もる。
握りしめた手に冷や汗を滲ませつつも、金髪は平静を装った。
「……誰のことかな。人違いじゃないかい?」
「え~? そんなことないですよ。一度お会いしたじゃないですかあ――」
ころころと笑いながら、出流は金髪に更に詰め寄る。鼻先が髪に触れそうなくらいにまで近づかれ、金髪が予想外の距離の詰め方に戸惑う中、出流は耳元に囁きかける。
「――
「ッ!?」
その一言で、金髪のシナプスが火花を散らした。
彼の名前は
竜宮会長のパーティーと言えば、上流階級への登竜門と呼んで差し支えない。彼も将来の後継を嘱望される身として社交界を必死に立ち回ろうとした。
そうして万全を期して臨んで尚―――伏魔殿は彼の想定を超えていた。
無数のシャンデリアにテーブルを彩る料理の数々、中世の舞踏会か何かのような華々しい会場の光景とは裏腹に、人々が交わしていたのはワイン片手にドス黒い腹のさぐりあい。
失態を避けるだけでも数時間で精根尽き果て、酷い気疲れから一人になりたくてテラスに向かった彼が見たのは一人の
二十雪自身よりも年若かったため、まだ話しやすそうだと声をかけた。まさか青年どころか少年だったのは予想外だったが。
お互いに思うところがあったのか、パーティーの愚痴を言葉を選びながら言い合うだけでも存外気分も晴れたもので。
彼がいたおかげでその日のパーティーは乗り切れたと言っても過言ではない。後に少年の正体を知って、新参者の自分とは桁の違うビッグネームに文字通りひっくり返りつつも、感謝と親近感を勝手ながら抱いていた。
そう、彼。
黒い前髪で目元を隠した。
紅い瞳の
名は―――
「さくッ、さ。
二十雪は驚愕を露わに椅子ごと後ろに倒れかけたが、背もたれが壁に当たったことで中途半端な姿勢で固まる。
「お、あっ、くッ……!」
バタバタと伸ばした手がテーブルに届かず空を掻く。出流がその手を取り引っ張って、なんとか姿勢を正すことができた。
だが、心臓の鼓動は過去に類を見ないBPMを刻んでいる。こんな町中華に居るはずがない、居てはいけないはずの人物とばったり遭遇したのだ。二十雪は幽霊と鉢合わせでもした気分だった。
「お、おい。一体何が」
「ッ!!」
ただならぬ二十雪の様子に立ち上がろうとした赤髪だったが、二十雪は手でそれを制す。自分がこうして、まるで侍らせているかのように座らせていることが既に特大級の異常事態。これ以上の無礼など、到底働けるものではないのだ。
日本最高峰の名家の一つ、『佐倉』。たとえ傍流の子であろうと、ようやく上の世界に手が届いたばかりの自分などとは比べ物にならない、生まれついての天上人。
「こ、この。かッ、
「……?」
明らかに納得していない雰囲気の赤髪が見守る姿勢に入ったのを見て、二十雪はようやく出流の顔に目を向けることが出来た。
言われて見れば、黒い髪に紅い瞳はあの時の記憶とそっくりそのまま。今まで気付かなかった自分をぶん殴ってやりたい気分だった。
周囲の有象無象がなんだかざわついている気がするが、そんなことに構っている余裕はない。二十雪は誰にも聞こえないように声を潜めた。
「な、なぜ貴方がこのような場所に……!?」
「貴方だなんて、やめてくださいよ。僕の方が年下ですし、今の僕は一介のアルバイトですから」
出流は困ったように笑う。
二十雪は本当に困っていた。
(できるかァ! というかなんで佐倉家の人間がアルバイトなんてしてんだ! いや、社会勉強とかそういうアレか!? にしたってチャイナドレスはおかしいだろ!!)
脳内で思考が高速で巡る。しかし、まさか自分たちがいちゃもん付けた相手が恋人とまでは気付けなかった。
「ところで」
額から汗をだらだらと垂らし、呼吸が浅く乱れた見るからに異常な二十雪に、出流は再度顔を近づける。
「先ほど、あちらの従業員に――
顔は笑顔。纏う衣装は可愛らしく扇情的。だが二十雪は圧迫面接でも受けている就活生の気分になっていた。
(ダメだ。ダメだダメだダメだ! 難癖付けて楽しんでいたなんてのが佐倉の口から方方に語られたら―――!!)
あれこれ解決策を考えるが、一部始終を既に見られた以上言い訳のしようがない。というか、言い訳したところで既に悪評の種を握られている以上、この場を切り抜けられたとしても意味がない。
(くそ、クソっ。どうして。どうしてこんなことに……!)
こんなものは、社交界で溜まったストレスを解消するための遊びだった。
好き放題に店員を罵って、客という立場を最大限に振りかざすのが楽しかった。『こっちはこんなのより数段イカれたジジババを相手にしてるんだ、俺だって少しくらい良いだろう』と自分に言い訳をしながら。
サクラで脅威を喧伝し、口コミで噂が広まって。このあたりでは逆らうものはいなかった。心地よかった。
当然、こんな行為が社交界側に露見してはいけない。正体は隠し、ターゲットは上流階級が利用しない個人経営の小規模な店に絞っていた。
これまでの数回で身元が割れたことはなかった。
そのはずなのに。
(終わる、のか―――? せっかく手をかけた上の世界を。こんな、ことで。失って………)
今更のように後悔の念が湧き上がる。思えばなんて危ない橋を渡っていたのだろう。悔いても悔いても悔い足りない。父になんて顔向けすれば良いのか。
視界が暗く、狭くなる。振り切れた感情のまま、意識を喪失しかけた二十雪の鼓膜に、出流の声が響く。
「でも、今回は見なかったことにしますよ」
「―――、?」
何を言われたのか、少しの間わからなかった。微かに涙の浮いた目を出流に向ける。
出流はほとんど力の入っていない二十雪の手からコップを抜き取り、水の入ったポットを両手で慎重に持った。
「疲れていたんですよね。ストレスとか、溜まってたんですよね? 人を従わせて、気持ちよくなりたかったんですよね?」
「………」
心を見透かしたかのように出流が語りかける。二十雪にもはや抵抗の意志は残っていない。
「でも、他人に迷惑をかけるのは良くないですよね。危ないし。それに、悪いことをしている自覚は、そのうち真崎さんを蝕むんです。こんなことしなくたって、人に迷惑をかけない、あなたに合ったストレスの解消法はきっとあります」
とくとくとく、と。コップに冷たい水が注がれる。
あの佐倉家の人間に給仕をさせていることに、二十雪は気付かなかった。気品のある仕草に、高級感のある黒と赤のチャイナドレスに。それらを纏う出流という存在に。
眼の前の人物の性別すら束の間忘れて、彼は見入っていた。
「もし僕でよければ、ストレスの発散に付き合いますよ。ゲームとかでよければ、ですけど」
木製のテーブルの上、二十雪の眼の前にコップが置かれる。吸い寄せられるようにコップの中の水面に目を向けると、疲弊しつつもどこか安堵した、気の抜けた自分自身のが映っていた。
「今日のところは、これを飲んでお帰りください。ご飯を食べて、お風呂に入って、早めにベッドで寝てください。そうしたら、あの日の
口に人差し指を当てて微笑む出流は、まるで天使のよう。優しく穏やかな声音は魂を救う喇叭の音色か。
二十雪は己の行いを心から恥じ入るばかりだった。
「でも、もしまた。こういう事が僕の耳に入ったら。その時は――」
出流は、今一度二十雪の耳元に口を寄せる。
二人にしか聞こえないほどの、小さな声で。
「――どうなっても知りませんよ?」
「ッ!!」
ぞぐり。恐怖とそれ以外の何かが混ざった凄まじい震えが背筋を下から上に駆ける。二十雪は一息にコップの水を飲み干して立ち上がった。
「きょッ、今日のところはこれで失礼させていただくッ! 店主ッ、頼んでいた料理の代金は、ここに置いておくぞ!!」
「えっ、ちょ、うおい! 急になんなん――」
「い、いいから行くぞ!」
耳を揃えて料金をテーブルの上に叩きつけ、大急ぎで店を飛び出す。後から追いついた赤髪に構わず、二十雪は商店街を肩を怒らせながら大股で歩いた。
「な、なあ。一体アイツに何言われたんだ? なんか妙に距離近かったけど……」
「っ、わ。悪いっ。体調が優れないので今日は帰るッ! それと、こんなことはもう金輪際やめだやめ!」
「え、ええ~……??」
赤髪は全然納得のいってない様子だったが、『まあ、なんかあったら言えよ』とだけ残して去っていく。
一人で帰り道をズカズカと歩く二十雪の頭を占めていたのは、つい先程のこと。
『――(ストレスとか)溜まってたんですよね――』
朗らかに笑う、出流の顔。自分より年下ながらも社交界に立つ姿をいっそ尊敬すらしていた。
『――僕でよければ、(ストレスの発散に)付き合いますよ――』
それが、あのような
自分の隣に侍り、傅くように世話をして。
『――秘密にしてあげます――』
まるで、こちらの感情を煽るように笑って。
優しくして。
なのに、最後に。
『――どうなっても知りませんよ?』
「ぐッ、ううッ……!」
胸が痛む。心臓が奇妙な鼓動をしている。
顔が熱い。夏の暑さもあって頭が茹だるようだ。
「違う……違うッ!」
二十雪は走り出す。
心の中で芽生えかけた、あるいは壊れかけた何かから目を背け、振り切るように。
「そんなはずは、ないんだあぁぁあァーーーっ!!」
その夜、二十雪は出流に言われた通り、夕食を摂り、風呂に入り、ベッドに早めに潜り込んだ。
だが、ご飯を食べていても。湯船に浸かっていても。早く寝て忘れようとしても。
出流のチャイナドレス姿が、瞼の裏から消えることはなかった。
次で終わりです。
ホントです。信じてください。
余談
・真崎 二十雪
翌日、検索履歴が大変なことになった。
・赤髪(二十雪の悪友)
なんかダチの様子がおかしくなった。