梅雨が明け、七月に入った。
蝉の鳴き声がうるさく響き、夏空がどこまでも広がっていく。
うだるような暑さをそよ風が心なしか軽減してくれる中、校舎裏の木陰に一人の美少女が立っていた。
銀の髪、紺の瞳、細身でありながら程よい凹凸のあるモデル体型。都会に出ればスカウト待ったなし、寧ろ出なくてもスカウトマンがいればまず声をかけるであろう完璧な美少女。
そんな彼女の前には、前髪で目元が隠れた同年代の少年が一人。その瞳はしどろもどろと揺れ動き、緊張しきりなのが見て取れる。
やがて決心したのか、少年は真っ直ぐに美少女を見据えた。
「いっ、五十右蒼さん!」
名前を呼ばれた少女は答えず、黙して少年の言葉を待っていた。
「始めてみたときから好きでした! 僕と―――付き合ってください!」
勢いよく腰から90°に身体を折って右手を美少女に向けて差し出す。
美少女は一度天を仰ぎ、腕を組み二の腕を指で叩きながら瞑目して彼の想いにどう答えるべきかを考え――決めた。
「まず誰だよお前」
少年は頭を上げ、直立姿勢を取り声を張り上げる。
「はっはい! 一年B組、
「威勢良いな……。で、札歩路は知ってんのか? 俺が数ヶ月前まで男だったこと」
「はい! 知っています!」
明らかに告白が成立する雰囲気ではなかったが、札歩路はあくまで元気よく蒼の質問に答える。
「えっ。なら嫌だろ。元男と付き合うなんざ」
「最初は思いましたが、愛の前には問題ないと判断しました!」
緊張しているせいかあるいは素か、札歩路は自分の発言の意味が蒼にどう伝わっているのかを理解していないらしい。蒼は頭痛を覚え始めた。
「ええ……。じゃあ、俺の何処に惚れたか言ってみろ」
「一目惚れです! 廊下で見かけた瞬間から心を奪われました!」
「見た目だけじゃねえか!」
「はい! 内面はこれからお互い知っていけば良いと思っております!」
蒼は再び天を仰いだ。今度は片手で目を覆いながら。
「よし、お前の気持ちはよーく分かった。答えはNOだ」
「な……!」
(こいつ、この流れでOKが貰えると思っていたのか……!?)
「うッ、く……! せ、せめて友達からでも」
「うるせえ! いらん! 絶対にNOだ!!」
「そ、そんな……!」
追い打ちの口撃に札歩路はがっくりと肩を落とす。
「お、教えてください。僕の、何がいけなかったのでしょうか……!」
「………」
告白して振られて、それでここまで前を向ける度胸を評価するべきか。その度胸のせいで失敗しているので欠点とすべきか。蒼は真剣に悩んだが、今求められているのはダメ出しであり、評価してやるほどの義理も無いため頭から追い出した。
「うーん、初対面ってのが俺としちゃあ一番ダメだが……でもこれは相手次第か」
「……というと?」
「俺も詳しくはないけどさ……初対面でも好意を向けられるのは嬉しいって思う奴もいるんじゃねーの? そういうのには効果あるんじゃねーの」
「なるほど!」
蒼とて17年の人生を通算しても恋愛経験はさほど多くない。その指摘はドラマや映画などのふんわりとしたパブリックイメージに依存していた。
「後はー……ああそう。繰り返すけど俺は元男で、今はこの通り一目惚れされる程度には美人な訳だが……その状態で初対面の相手に告白されたらどう思うかを考えてみろ」
「ええっと……嬉しくはありませんか?」
「あー……まあ、一応人に依る、のか……? すまん今のナシ。あくまで俺の場合だが……正直身体目当てにしか見えねえ。普通に好感度下がるわ」
暗に「身体目当て」扱いされた事に札歩路は意気消沈していく。
「そ、そうなんですか……」
「お前は自分の言動を相手がどう思うかを一旦立ち止まって考えてみろ。多分そうすりゃもう少し成功率上がるんじゃねーの?」
「む、むむ……」
性格に依る部分を改善するのは大変だろうが、でなければ数撃ちゃ当たる戦法しかない。そちらを選ぶには目の前の後輩は精神的なタフネスが足りてなさそうに見えた。
(そうだ、やりやすい改善ポイントを最後に指摘してケアしてやるか)
「最後は身だしなみだな。とりあえずその前髪は切って目を見せたほうが良いな、うん」
「あ、そうなんですか? でも友達の方は伸ばしてますよね?」
「バッ――!」
何気ない札歩路の一言が蒼の地雷を踏み抜いた。
「バカ野郎! あいつは良いんだよッ! イズルはっ、あれだから良いんだ! ずっとアレで見てきたんだから、今更変えられても困るっつの!!」
激情に身を任せてまくし立てた結果、ある日の夢の中の自分と発言が繋がって蒼は羞恥に悶える。
そんな蒼の様子を見て、札歩路はハッと目を見開いた。
「……なるほど、そういうことだったんですね」
「な、何がだよ」
「
「おっ、てめ、な」
「そういうことであれば、潔く諦めます。お二人の事、応援しています! 僕はもうすぐ部活なので、それでは!」
「あっ待てコラ!!」
蒼が反射的に伸ばしかけた手は、札歩路が校舎の中に消えると同時にだらりと垂れ下がる。
そのまま蒼はふらりとよろけ、校舎の壁に寄りかかる。
「違う。違うって。イズルは……イズルはッ!」
蒼は顔を俯けて一人で吠える。
生理を患って以来、出流の事を考える度に感情が激しく揺さぶられる。出流を好いているのは男の頃からもそうだったが、今の蒼の中にある感情は、ソレとは明らかに毛色が違っていた。
友ではなく、性を求めるように。
情ではなく、愛を欲するように。
「うぷっ……!」
蒼は、身体を屈めて何度も咳き込む。幸い学食Aランチの成れの果ては出て来なかったが、消えたくなるような惨めさと自己嫌悪感が胸の中を這いずり回る。
「――そんなんじゃ、無いんだって…」
縋るように、言い聞かせるように呟いた言葉は、先程までの彼女とは比べ物にならない程に―――女々しかった。
放課後の教室。
窓の外からは部活に勤しむ学生達の賑やかな喧騒が伝わってくる。
出流はただ一人自分の席に座って、蒼の戻りを待っていた。
(………)
出流は、蒼が告白を受けに行ったことを知っている。その上で蒼を見送った。
蒼が女になってしまった事については、そういうものだと受け入れた出流だったが、その次の段階―――『女になった蒼とどう向き合い、そして付き合うのか』については、未だ決めあぐねていた。
(アオイのことは、もちろん好きだ。でもそれは異性としてのものじゃなくて、一人の人間としてのアオイに惚れている……んだと、思う)
最近は一人になると、何をしていても蒼の事を考えてしまう。数週間後に期末テストを控えているのに、まるで身が入らない。
(今の関係に特に不足は感じてない、はず。でも、アオイが誰かと付き合うのかもしれないって思うと、胸がむかむかする。これは、嫉妬……なのかな)
現状を分析し、思考を整理する。曖昧な感情を頭の中で言語化し、自分の中に落とし込む。
(でも、嫉妬してるのはアオイが女性だからって訳でもないかもしれなくて。アオイが男だった時から、アオイが誰かと仲良くしてるのを見たときは僕から離れていくんじゃないかって不安になったし、今と似たような気分にもなったし――)
「……イズル」
「わっ」
外からの声に沈思黙考を遮られ、出流はバッと顔を上げる。親友が視界に映り込んだ。
「あ、アオイ……その、どうだった?」
「決まってんだろ。バッサリ振ってお祈りメールしてやったよ」
何でもない風に言ってのける蒼に、出流は少しだけ気分が明るくなった。ただ、同時に他人の失敗を喜んでいるようにも思えて、また気分が沈む。
(最近、僕情緒不安定かもしれない……)
「………」
「………」
生理の一件以来、時折こうして無言の間が生まれてしまう。その前からもあったとは思うのだけれど、今はその時間がどうにも気まずく感じていた。
「……帰ろうぜ」
「う、うん」
出流は慌ただしく席を立ち、鞄を掴む。出入り口で待つ蒼へと歩み寄る。
親友のいつもと変わらないように見える笑顔を前に、出流は思う。
(僕は、アオイと付き合いたいのかな)
幾度となく自問しても、答えが出せない問題。出流にとっては、初めての経験だった。
出流は、目の前の現実をすぐには受け入れられなかった。
自宅のダイニングで夕食を摂った後、すべての皿が片付けられた純白の長テーブルの上に置かれているのは、豪勢な装丁のフォトブック。
出流の前に置かれたその中身は、美しく着飾り椅子に座った面識のない女性の写真。
「なに、これ」
経験こそなかったが、漫画の中で何度か目にしたことがあるこのシチュエーション。震える声で訪ねた出流に、向かいに座る20代前半にしか見えない紅い瞳の美女――出流の母
「
登場人物紹介
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年齢:42
身体的特徴:黒髪ストレートのロングヘアに紅い瞳。スレンダー体型で大和撫子といった感じだが和服は着ない。どう見ても20代前半。
詳細は追々