マザコンなトガちゃん   作:白虎しゃも

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縁結『紅い果実の雫を盃に受け止めて』

 少女は犬の鳴き声で目を覚ましました。

 

 普段とは異なる天井が目に入り、祖母の家に泊まったことを思い出しながら、まだ寝ている母親と火伊那ちゃん(部屋に引きこもっていたところへ突撃して一緒に寝ました)を起こさないよう忍び足で部屋を抜け出します。

 廊下を進んでひょいと庭の方を見やると、家から連れてきた秋田犬が、祖母の家で飼われている三毛猫にお腹をみせて降伏していました。

 

「負けてる……」

「くぅーん」

 

 情けない顔でこちらを見ている秋田犬に対して、強く生きてくださいと、少女は心の中で応援しました。狩猟犬とは言っても、獲物を仕留めることではなく探すことがあの子の仕事なのでこういうこともありますよね、と頷きながら部屋に戻ろうと廊下を歩きます。

 

「ん?」

 

 今度は意識しなければ聞き逃してしまいそうな小さな声でした。ぺたぺたと音のする方へ歩いていくとようやく、障子越しに幼女の泣き声が漏れていることに気が付きます。

 

「……なさい……ごめんなさい……」

「……」

 

 障子に手をかけようとして、そのまま手を降ろしました。いくら自分が母親を真似て、壊理に『大丈夫』と声をかけても、それは酷く薄っぺらで、彼女の心を慰めるに至らないことが分かっていたからです。

 暫くの間、少女は顎に指を当て目を瞑り、考え込んでいました。それから、ゆっくり目を開き、ぺたりぺたりと、寝ていた部屋とは反対方向へ歩き始めます。

 

***

 

 幼女の記憶には、幸せな家族がいました。

 

 おとうさんがいて、おかあさんがいて、自分がいて、みんな笑顔で暮らしています。優しい両親でした。温かい家庭でした。今日と同じく幸せな明日が来ることを、疑うこともしませんでした。

 違和感はあったのです。角がムズムズとして、今まで経験したことのない感覚が身体の中に渦巻いていました。言葉に出来ないソレを抱えたまま、いつものようにおとうさんがわたしのあたまをなでてくれようとして、そして――。

 

 何が起きたのか、幼女には理解できませんでした。しかし、自分の身体から“ナニカ”が迸ったことは感覚として残っていて、そして、おとうさんは目の前からいなくなっていました。隣で微笑みながら見ていたおかあさんが目を見開き、それから浮かべた強張った表情を見たときには、自分が悪いのだと、分かっていたのです。

 だから、おかあさんに『呪われている』と怯えられても、『産まなければよかった』と憎まれても、悲しかったけれども、当たり前だと思えました。だって悪いのは、幸せな家族を壊したのは、自分なのだから。

 本当は泣きたくて仕方なかったけれど、これ以上、おかあさんを困らせちゃ駄目だと我慢しました。もしかしたら、すぐにでもおとうさんが帰ってきて、また幸せな家族に戻れるかもしれない。そんな儚い希望だけが心を支えていました。

 

 けれど儚い希望は儚いままに霧散するものです。いつまで経ってもおとうさんが帰ってくることはなく、おかあさんは知らない人が沢山いるところに幼女を置いていきました。

 部屋の中にはおじいさんとおばあさんがいて、こちらを見つめています。また怒られるかもしれない、と俯いていたら、おばあさんに優しく声をかけられ、おとうさんに似た手付きで頭を撫でられました。

 幼女の我慢は限界を迎え、ポロポロと流れ出る涙を拭うこともせず、なんでおとうさんはいなくなっちゃったのと、どうしておかあさんはわたしをおいていっちゃったのと、自分のせいだと諦めていた疑問を声にならないまま吐き出します。答えが欲しかったのです、どうすればいいのか、誰かに教えてもらいたかったのです。でも本当は、そんなことすらどうでもよくて、あの幸せだったときに、おとうさんとおかあさんが笑顔でいられたころに戻りたいと、強く強く願いました。

 そのとき、嫌な感覚が身体を走りました。おとうさんがいなくなったときと同じ感覚。血の気が失せておばあさんを見上げると、段々と縮み始める身体を眺めて『おや、どうしたもんかのぅ』と呟いています。どうしようどうしようと角を抑えて、“ナニカ”が出てこなくなるように祈りました。

 

「なぁハジキはあるか? なければドスでもいいんじゃが」

「おい、何をする気だ」

「なに、お主の孫を傷つけたりはせんよ。うむ、『変化(へんげ)』も打ち消されとるが、時間稼ぎくらいにはなるようじゃの」

 

 おばあさんは身体をドロドロと溶かしながら、おじいさんが投げ渡した拳銃を受け取ります。安全装置を外し、自分のこめかみに拳銃を当てると、運動会でスタートの合図でもするような気軽さで引き金を引きました。

 頭から噴き出す紅い液体と、ぐらりと力無く倒れ伏す身体が、幼女の眼に焼き付いて消えません。転んで膝を擦りむいて血が滲んだときだってあんなにも痛かったのに、こんなにもたくさんの血が出ていたらどれくらい痛いのだろうと、幼女には想像もつきませんでした。

 

「ふぅ、随分と縮んでしもうたのぉ。あぁ、コレ奥の手じゃから、くれぐれも内密にな?」

「……おめぇさん、殺しても死なん婆だったか。殺さなくて正解だったな」

「ハハハ抜かしおる」

 

 頭から血を流し続けるおばあさんの隣には、手提げ鞄が置いてあり、鞄からのそのそと出てきた丸い“ナニカ”がドロリと姿を変えて、おばあさんとなり、元気そうな様子でお話しています。

 

「? ……???」

 

 三歳児には理解出来ない状況です。おじいさんとおばあさんはお話を続けています。幼女は、おかあさんがこういうときによく『いいこにしていなさい』と言っていたことを思い出して、静かに座っていました。また自分のせいで誰かに迷惑をかけてしまったという後悔だけが、ズシリと背中に乗っています。

 

 幼女はおばあさんに引き取られ、“個性”について学びました。わけのわからない“ナニカ”は“個性”というチカラで、自分の“個性”は人を消してしまえるようなチカラらしいのです。つまり、おとうさんがいなくなったのは自分のせいだということを改めて理解します。何故かおばあさんが『お主は何も悪くない』と言いますが、その理由は理解できませんでした。

 幼女はたくさんがんばらなきゃダメだと思いました。おとうさんみたいに誰かを消してしまわないように。また、幸せを壊してしまわないように。優しくしてくれる人たちに迷惑をかけてしまわないように。

 トガの人たちはみんな優しくて、“個性”のことで怖がられることもなく、笑顔で声をかけてくれます。たくさん気にかけてもらって、大切にしてもらっているのだと、痛いくらい伝わってきました。

 だからこそ、みんな笑顔のままでいてほしいのです。幸せであってほしいのです。絶対に壊したくないのに、“個性”は上手く止められなくて、“個性”の制御を試す度におばあさんは縮んでいきました。このままだとおとうさんのように消えてしまう、いいや、自分が消してしまうのだと、ずっとずっと不安で頭が一杯になります。

 

 ある日、自分はココにいちゃ駄目だという焦燥感に駆られて、幼女は衝動の赴くままに家を飛び出しました。すぐ人にぶつかって、おばあさんにも見つかって、結果としては散歩にも満たない逃走劇です。

 でも幼女は、このとき自分が何処かにいなくなっておくべきだったと思うのです。そうすれば、おばあさんがミシロさんに怒られることも、カイナさんがあんなにつらそうな顔をすることもなかったのです。

 

 ごめんなさい。迷惑ばかりかけて、悪いことばかりして。おかあさんのいうとおり、わたしは生まれてこなければよかったんだ。そう思っても口には出しません、出せません。口に出したら、優しいみんなは悲しそうな顔をしてしまいます。

 目を覚ますと、頬が涙で濡れていました。幼女は袖口で涙を拭うと、がんばらなきゃ、もっとがんばらなきゃダメだと今日も心の中で唱えます。

 

***

 

 少女は準備を終えると、祖母に幼女を呼んでもらいました。呼ばれた幼女は、少女の前にちょこんと座り、不安そうに瞳を揺らしています。

 

「壊理ちゃん、私の妹になりませんか?」

「いもうと……?」

 

 幼女はコテンと首を傾げました。

 

「はい、私が壊理ちゃんのおねえちゃんになります」

「えっと、でも、ヒミコさんとわたしは、おかあさんとおとうさんがちがうよ?」

「ふふふ、そこはゴクドー式ですよ。普段はハンターなトガですけど、今日は、いえ今日からはゴクドーのトガでもあります!」

 

 少女がババーンと手を向けた先には、盃が二つと酒瓶、ではなくリンゴジュースの入った瓶が置かれています。

 

「盃を交わしましょう、姉妹の契りを結ぶのです!」

「?」

「ようは約束です。壊理ちゃんは妹、私はおねえちゃんになる、と約束するのです」

「やくそく」

「えぇ、えぇ、約束です。トガはおねえちゃんなので、壊理ちゃんはトガに甘えていいのです!」

 

 少女は両手を幼女の頬に添えました。幼女は体を硬くして、震えた声を溢します。

 

「あ、あぶないよ……?」

「大丈夫ですよぉ、いざとなったら私もおばあちゃんと同じことが出来ますから。それより、ずっと気になっていたのです」

 

 じぃ、と幼女の顔を覗き込んで、少女は言いました。

 

「壊理ちゃん、泣きたいときは泣いていいのですよ」

 

 幼女はパチパチと瞬いて、眉を八の字にして、口元を引き締めます。

 

「……ダメ、だよ。そうしたら、また“コセイ”が……」

「うんとね、私もおばあちゃんに話を聞いただけですし、壊理ちゃんの気持ちを分かってるなんて口が裂けても言えないですけど、でも、壊理ちゃんがすごく頑張っているのは分かるのです。とても、とーっても、頑張りすぎてるほどに頑張っていると思うのです」

「……」

「けど、ソレは、泣かないのは、頑張らなくていいんです。壊理ちゃんの“個性”が何だとしても……壊理ちゃんがつらいとき、悲しいときに泣いちゃいけないことなんて、ありません」

 

 幼女の揺れていた瞳が、少女の瞳を見つめました。世界はどうしてこんなにも、やさしいがたくさんだと、胸が苦しくなります。

 

「ねぇ、壊理ちゃんの想いを聞かせてください。トガはおねえちゃんです、何があろうと壊理ちゃんの味方ですよ」

「……おねえちゃんは、いなくなったり、しない?」

「もちろん! おねえちゃんですから! 何かあってもズドンと解決してみせますよ!」

「それはやめて……?」

「あっはい」

 

 それから、幼女はポツリポツリと話し始め。

 

「……おとうさんに、ごめんなさいっていいたいのに、もういえなくて。おかあさんにおいていかないでって、いいたかったけど、いえなかったの……」

「うん」

「わたしのせい、だから。わたしがわるいから……でも、だから……!」

 

 ボロポロと涙を流しました。少女は泣きじゃくる幼女を抱きしめて、背中をポンポンと優しく叩きます。

 

「つらかったねェ、悲しかったねェ」

 

 こうして少女は、幼女のおねえちゃんになりました。

 

***

 

「母さん、被身子を見ませんでしたか?」

「……子育てド下手くそは儂の方じゃったかなぁ」

「え、なんですか急に」

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