ダンジョンに訳ありデビルハンターがいるのは間違っているだろうか 作:EGO
リュー・リオンの朝は早い。
太陽も登らない
それが彼女にとっての日常の一幕ではあるのだが、
「〜〜〜〜っ!!!」
生憎と今の彼女は普段とはかけ離れていた。
顔を耳まで赤くしながら雑念を振り払うように左右に首を振り、どうにか顔の紅潮を落ち着かせて素面に戻る。
だがそれも一瞬のこと。再び顔が真っ赤に染まり、プルプルと震え始めた。
全ての現況は昨日。自分の不注意とはいえ、グレイが入浴中の浴場に突撃をかますという失態を演じたことだ。
全てを憶えている。当然だ、酒を被ったものの酔っていたわけでもないのだから。
彼の肉体も、自分を見た彼の驚きの表情も、彼を膝枕した感触も、あの時の羞恥も、全てを憶えている。
「〜〜〜〜っ!?!?!?」
リューは声にならない悲鳴をあげながらその場に蹲った。
見られたし、見てしまった。まだ婚約もしていない異性と、互いの裸を見せ合ってしまった。
その光景をアリーゼ達に目撃された挙句、その後弄られることもなく普通に慰められた。せめて弄り倒してくれればこちらも怒りを爆発させられたというのに。
「忘れよう。ああ、そうだ、忘れるしかない。昨日起きたことは全て……」
彼女は目から光を消しながらうわごとのようにそう呟いた。
自分が忘れるのは良いとして、問題はグレイ含めた目撃者の記憶をどうやって消すか。
僅かに回復した気力で蹲った状態から体を持ち上げ、四つん這いに移行する。
そして片手に握られた木刀を見つめ、天啓を得たように笑った。
これでぶん殴れば記憶も消えるだろうか。いいや、消せるはずだ。消えるに決まっている。
よし、やろう。そうすれば何の心配もなく普段通りの日常を取り戻せる。
狂気を滲ませる笑みを浮かべ、幽鬼の如くゆっくりと立ち上がる。
木刀の切っ先を地面に擦りながら屋敷へと向かおうとするが、
「よ……」
ちょうど屋敷と庭を繋ぐ入り口から出てきたグレイと鉢合わせた。
二人の視線が絡み合い、先に目を逸らしたのはグレイ。
彼は柄にもなく赤面しながら顔を背け、頭を掻いた。
きっと昨日のことを思い出したのだろう。そしてリューも彼の裸体を頭の中で描いてしまい、
「ッ!!」
「危ねぇ!?」
自分の想像ごとグレイの記憶を切り取らんと木刀を振るい、彼は慌ててそれを回避。
そのまま流れるように放たれる連撃も避け、庭の方へと転がっていく。
「いきなりなにしやがる!?」
グレイは身構えながらリューへと向かい合い、朝だろうが関係なく怒鳴りつけた。
アリーゼ達が寝ているうちに話をしておこうと彼女の朝練の時間を見計らって顔を出したというのに、いきなり斬りかかられるとは。
彼女の奇行に眉を寄せる彼に、ゆらゆらと怪しく体を揺らしながらリューが近づいていく。
「ちょうどよかった。まずは貴方からだ。そう、貴方の記憶を消せば全てが上手くいく」
木刀の切っ先を彼に向け、飛び出す。
「記憶を消す!?」と困惑しながらも彼女の一閃を避け、振り下ろされる一撃を白羽取り。
それでも叩きつけられた風圧が二人の足元の落ち葉を舞い上げた。
「記憶を消すとは言うが、まさかアリーゼ達も襲うつもりか!?」
彼女が暴れないように木刀を押えながら、叫ぶように問いかける。
「当然だ!昨日、私達の痴態を知る者の記憶を全て消す!そうすれば、私は安心して日々を過ごせる!!」
「アリーゼ達はともかく、アストレアもか!?」
そして鬼気迫る顔で返答してきたリューに、グレイは困惑を極めながら問いを重ねた。
彼の口から出た敬愛する女神の名前に一瞬狼狽えるが、すぐに表情を狂気に染めて「そうだ!」と返す。
グレイもその勢いに気圧され、正気を疑うような目で彼女を見るがそれでも怯まない。
「まずは貴方からです……!全て忘れなさい……!!」
「俺達の記憶を消したとして、お前の記憶はどうすんだよ……!自分で自分をぶん殴るのか!?」
「そうだ……!」
彼に止められた木刀を手放し、懐に飛び込みながら拳を放つ。
グレイが手に残った木刀を素早く順手に持ち替え、彼女の拳を弾く。
「昨日のことを知る全ての者が消えれば平穏な日常が戻る!邪魔をするなぁぁぁああああああ!!!」
なんかもうヤケクソになっているリューの姿にため息を吐き、蹴りを躱して軸足を払ってやる。
地面に膝をつき、素早く体勢を整えようとする彼女だが、
「一回落ち着け!!」
グレイの一喝と共に、首筋に木刀の一撃が叩き込まれた。
快音と共に彼女は地面に叩きつけられ、凄まじい衝撃に意識が消失する。
「たまには気絶させないで朝を過ごしたいんだがな……!」
血払いくれるように木刀を振りながら悪態を吐く。
朝一にリューと会うといつも気絶される事態になると天を仰いだ。
太陽が顔を出す間近の薄暗い空が、悪魔と妖精を見下ろしていた。
目を覚ましたリューの視界に入ったのは、こちらを見下ろすグレイの顔だった。
彼女が目覚めたとわかると彼は微笑み、「落ち着いたか?」と問いかける。
「……ええ」
リューは先程までの奇行を思い返し、羞恥に表情を歪めながら頷く。
本当に何を考えていたんだと自問し、自責し、それはそれとして後頭部に感じる程よい固さの物に思考を止める。
まさかと彼を見上げれば、彼は苦笑混じりに彼女の髪を撫でた。
彼女なりに手入れしているのか、あるいは他の誰かが気を利かせているのか。絹のように滑らかで、触り心地がいい。
「また、ですか……?」
「別にいいだろ。もう裸も見せ合った仲だ」
無抵抗に撫でられながら問いかけた彼女に、グレイは鼻を鳴らしてそう告げた。
その言葉にリューは頭を爆発させて「な、何を言い出すんですか!?」と声を荒げるが、彼は気にせずに彼女を撫でる。
自分だけが慌てているようで情けなさを覚えるリューだが、彼の耳が赤くなっていることに気づいて微かに笑った。
「何かおかしいか?」
「いいえ」
その笑みにグレイが疑問符を浮かべると、リューはそっと彼の耳に触れた。
彼は照れたように顔を背けると、リューはここぞとばかりに彼の耳に触れ、耳朶を摘み、引っ張る。
彼女の髪を撫でるグレイと彼の耳を弄るリュー。
何とも不思議な光景が広がる中、グレイがリューに言う。
「昨日のことだが──」
「あれは私の不注意です。申し訳ありません」
彼の言葉に被せるようにリューの謝罪が放たれ、彼は言葉を無くしてしまう。
「お目汚しをして、しまいましたね……」
顔を俯け、自分の体を見ながらそう呟く。
アストレアのように豊かなわけでもないエルフによくある線の細い体。
それにいくつもの冒険で大小様々な傷痕が残る体は、見ていて気分のいいものでもないだろう。
「何を言ってんだ」
そんな自嘲するリューをグレイが鼻で笑う。
ただ真っ直ぐに彼女を見下ろしながら、一言だけ告げる。
「綺麗だよ。今まで見た何よりも、綺麗だった」
彼女の魂も、彼女の正義も、そして彼女の肢体も。彼女を彼女たらしめる全てが、目が眩むほどに美しい。
彼は微笑み、ただ愛おしそうに彼女の頬を撫でる。
「…………」
彼の言葉とその表情に、頬を撫でる温もりに、リューは言葉を無くしていた。
面と向かって言われると凄まじい衝撃があるのだなと他人事のように思いながら、無意識のうちに彼の手に自分の手を重ねていた。
世界を救い、命を護り、あらゆる武器を操る悪魔の手も、こうして触れてみれば人間と違いはない。
心地よい温もりが、優しさを滲ませる手つきが、彼の想いを伝えてくれる。
「リュー?」
頬を撫でる手に擦り寄る彼女にグレイが首を傾げると、彼女はハッとして手を離した。
「いえ。その、これは……」
「別に構わねえよ。誰かに甘えたくなる気持ちもわかる」
何か言い訳を探す彼女を笑みを向ける。
「貴方にもあるのですか?」と問いかけられ、「まあな」と曖昧な表情で肩を竦めた。
その反応にリューはなるほどとと頷くと、何かを考え込むような素振りを見せた。
何を考えているかはわからないが、碌なことにはならないだろうなと今までの経験で何となく察してしまうグレイだが、今はいいかと話題を戻す。
「とにかくこれで昨日のいざこざは終わりだ。……掘り返すなよ」
「はい。お互い、その方がいいでしょう」
昨日浴場で何があり、何を思ったのか。それはお互いの胸の内に秘め、墓場まで──とは言わずとも、しばらくは話題に出すことはしないだろう。
「それでお姫様。いつまで寝ているつもりなんです?」
「もうしばらく、このままでお願いします」
「へいへい」
リューの我儘に苦笑しながら、言われるがまま枕役を続行するグレイ。
悪魔と妖精の朝の戯れは、やはり【アストレア・ファミリア】の少女達と女神に目撃されることになるのだが、今回は呆れよりも安堵の雰囲気が強いかった。
下手に喧嘩して関係が険悪になるならと、仲裁の構えをしていた女神や団員も肩の力を抜き、朝の準備へと戻っていく。
彼女らの視線に気づきながらも無視していたグレイは、視線をリューへと向ける。
昨日色々ありすぎて眠れていなかったのか、穏やかな寝息を立てて眠ってしまっている。
そんな彼女の髪を撫で、グレイは苦笑した。
「無防備がすぎるぞ、お前は」
その呟きは誰にも届かない。
そして彼自身気づいていない。彼の前だからこそ、こうして無防備でいられるということに。
そんな朝からの騒ぎを潜り抜けたグレイは、昨日決めた通りに【ヘファイストス・ファミリア】に顔を出した。
追い返されるならそれはそれでよし。その時はアポをとって後日来ればいいだけと軽い気持ちで顔を出したのだが。
「もう一回言ってくれないかしら。あの装備、どうしたって?」
主神ヘファイストスの執務室に通された彼は、女神の前で正座させられていた。
にこにこと笑いながら、けれど露骨なまでに不機嫌そうな声音での問いかけに、グレイは怯む様子も見せずにさも当然のように返す。
「壊れたから捨ててきた」
「……そう」
悪びれた様子もなく放たれた言葉にヘファイストスは嘆くようにため息を吐き、「まあ、私の仕事が悪かったのもあるわね」と眉間の皺を揉みほぐす。
ヘファイストスとしても改良の余地を残したまま押し付けた未完成品。
それに関しては言い訳もしないが、それでも鍛治神がその手で用意したものに違いはない。
下界に生きる者ならば全財産を叩いても欲しがるだろうそれを、彼はあっさりと壊れただの捨ててきただのと豪語するのだ。
「でもあれを使い潰したの?ほんの一月で?」
「ああ。いや、ダンジョンの戦いでほぼぶっ壊れたから一日保たなかったな」
確認するように投げられた問いかけに即答する。
妹との戦いに『
たった三つの戦いで全損した装備にグレイも愛着というものはないのだろう。
「こっちもほつれちまったし」と今も着ている
「なんか適当に見繕ってくれねぇか。フレイヤのところの奴らとやりあってさ」
適当な服屋に入って、偶然目に入った店員に対するような気軽さで、天界が誇る鍛治神に頼むグレイ。
女神は額に手をやりながらため息を吐くと「嫌よ」とあっさりと返す。
「なんで!?金だったらある程度ならあるぞ!?」
「お金の問題じゃないわ。確かに貴方の全力に耐えられる装備を用意できるのなんて、私かゴブニュくらいでしょうけど」
「ゴブニュ?」
おそらく神だろう知らない名前にグレイが首を傾げ、ヘファイストスはそれも知らないのかと半ば嘆くように息を吐いた。
「オラリオにいるもう一柱の鍛治神よ。まあ、あっちに行っても断られるでしょうけど」
「だからなんでだよ!?」
ヘファイストスの言葉に困惑の声を返すグレイに、女神は淡々と告げた。
「何から何まで私が用意したら、
その目は鍛治師としてではなく、眷属の成長を見守る主神としての鍛治師達の保護者としての慈愛と期待に染まっている。
正邪の決戦において、オッタルやアレン、ガレスといった最前線で戦った冒険者達の装備はほぼ全損した。
それが防具であればその身を犠牲に主人を護りきったと胸を張れるが、武器となれば話は変わる。
武器とは冒険者の半身にして、命を預ける相棒だ。
それが冒険者の戦いに耐えられないとなれば、彼らの命に直結する。
何かあっても彼らは武器のせいにはしないだろうが、鍛治師はそうはいかない。
今回の戦いで冒険者達のレベルは上がったが、武器や防具の性能が追いついていないことが明確になってしまった。
ヘファイストスは、そしておそらくゴブニュもそのことを嘆き、眷属達に成長の機会を与えようとしているのだ。
「貴方が本気で使っても壊れなければ、他の冒険者でも大丈夫でしょ。もちろん私の目で合格をあげたものだけを融通するつもり」
「俺は
グレイは半眼になりながらため息を吐くが、同時に納得もした。
自分ほど適した実験相手もいない。オッタルやフィンのように派閥に属しているわけでもなく、超がつくほど優秀な武器もあり、万が一に何かあっても生還できる術もある。
「代わりに安くしておくわ」
自分の立場を自嘲する彼にヘファイストスは一応のメリットを口にした。
世界が誇る【ヘファイストス・ファミリア】の武具を安くしてくれるというのは確かにありがたいことなのだろうが、
「
正座をしたまま、悪びれた様子もなく残酷なまでの言葉を吐き出す。
ヘファイストスは柳眉を歪めながら彼に問う。
「なぜ?」
「
彼は肩を竦め、あっさりとそう言い捨てた。
かつて妹がガレスの武器を──
「買ったものだけでダンジョンに行けって言われたら?」
「なら素手で行った方がまだマシだ」
ヘファイストスが念のための確認のように問いかければ、彼は真剣な声音と表情でより辛辣な言葉が放たれる。
「……厳しいわね」と女神が目を細め、「当たり前だ」とグレイは腕を組んだ。
「あいつらには悪いが、あれに命を預けられねえ」
「そういう割には防具は欲しがるのね」
「まあ、外面は大事だからな」
「……呆れた。見た目がよければ何でも良いの?」
小さく鼻を鳴らしながら告げられた言葉に、不満そうにしながら問いかけるヘファイストス。
愛する
だがグレイは「まあな」と笑い、ヘファイストスへと鋭い目線を向ける。
「あんたが作ったものでも一月で壊れるなら、誰が作っても同じようなもんだろ」
別にお前が作ったものもそこまで信頼していないぞと言いたげな目線に、ヘファイストスは隠そうともせずに大きめのため息を吐いた。
鍛治神を前に『お前の防具はクソだ』と言外ながらも伝えてくる相手が下界のどこにいるというのか。いたわ、目の前に。
「そもそも当たらなけりゃいいんだしな。万が一の保険だ保険」
そして机上の空論でしかない理論を恥じる様子もなく口にするその様は、夢見がちな子供のようですらある。
だがそれができてしまうのがこの男なのだ。
そんな彼と真っ向から斬り合えるのが『覇者』とまで呼ばれた者達なのだ。
「で、誰に頼めばいいんだ?」
グレイは悪びれた様子もなく、ちらりと執務室の扉へと目を向けた。
「お前か?」と僅かに開いたそこに声をかければ、ゆっくりと扉が開く。
そこにいたのは鋭い目線を向けてくる椿だった。
先程までの発言を聞いていたのだろう。だが怒っているわけでもなく、けれど確かな不満を腹に抱えているように見える。
椿は無造作な足取りで彼の前まで来ると、布に包んで抱えていたものをグレイに差し出す。
グレイはそれを受け取ると布を解き、姿を見せた柄に手をかけた。
鞘と擦れる音と共に鏡のように磨き上げられた刃が姿を見せ、グレイの顰めっ面を映し出す。
グレイは「これが、なんだ?」と疑問符を浮かべると、椿は「どう思う」と手短に問いかける。
彼は刃と椿を交互に見つめ、彼女を見つめながらただ一言。
「言う必要あるか?」
柄を握る手に僅かに力を入れただけでヒビが入り、布に包まれた鞘からも同じように何が割れる音が漏れ聞こえた。
「そうか〜」と頭を掻きながら天井を仰いだ椿は、その豊満な胸を持ち上げるように腕を組んだ。
鍛治師として長年武器を打ち続けてきた。来る日も来る日も、指が焼けようが目が潰れようが、構わずに鉄と向き合い続けてきた。
神ならざるこの身で、至高の一振りを産み出すために心血を注いできた。
そんな経験の全てを注いだ一振りをゴミ扱いだ。本当、どこまで規格外なのだと怒りを通り越していっそ笑えてしまう。
「お前を唸らせるものを打ってやる。首を洗って待っていろ」
だが次の瞬間には表情を消し、瞳に戦意を漲らせ、絶対に見返してやると獰猛なまでの笑みを浮かべた。
「俺の首を斬れる武器ができたらな」
彼女の宣戦布告にグレイも笑みで返し、トントンと手刀で自分の首を叩いて見せた。
ふふふふふと二人で不気味に笑いながら睨み合う二人に、ヘファイストスはため息を吐く。
別に彼の装備を作らせるのは椿に限った話ではないのだが、まあ椿がやる気になってくれたのならいいだろう。
「とにかく、今は防具ね。椿、頼める?」
「おうとも。では採寸から始めるとしよう」
椿はさあ立て!と彼の手を引いて歩き出し、正座のせいで痺れる足を引き摺りながら連行されていくグレイ。
ヘファイストスはやる気になった眷属の背中に期待しながら、少しの心配を孕んだ瞳を細めた。
グレイという
その刺激がいい方向に転ぶのか、悪い方に転ぶのか、それは全知たる神にすらわからない。
「未知こそが下界の楽しみ、とはいうけれど」
これで大丈夫かしらと、隻眼の鍛治神は嘆息するのだった。
グレイの注文は単純明快だった。
最優先は軽さ。動きやすさも重視しつつ、防御力はある程度捨てていいが最悪心臓を守れるだけの装甲を。
手っ取り早く言えば、ヘファイストスが用意した決戦用装備を改良したものが欲しいというのが、彼の要求だった。
椿は唸り、頭の中で設計図を書き上げていく。
彼の要求を満たすためには竜種の素材は必須だ。軽さと硬さを両立する皮膜か、あるいは鱗皮か、とにかくそれらの素材がいる。
対物理は素材と製法でどうにかできるが、対魔力防御はどうするべきか。
精霊布は使えない。悪魔の魔力と相性が悪いのは知っている。彼が本気で技を撃った瞬間に
むむむむむと唸る椿は、その手は黙々と大剣を研いでいた。
砥石と大剣が擦れる──正確には一方的に砥石が削れていく音だけが部屋に響く。
この際、素材にグレイの魔力をこめるなり、血に漬けた糸を縫い込むなりしてみるか。などと突飛な考えもよぎるが、それは自分の作品ではなくグレイの作品ではないかと自問が溢れる。
彼女は唸りながら天を仰ぎ、そのまま固まった。
「椿?」
グレイがそんな彼女を心配してか声をかけるが、その声が届いていないのか反応がない。
大剣を取り返して帰ってしまおうかと手を伸ばすと、彼女は「よし」と頷いて彼の方へと向き直った。
「明日、ダンジョンに行くぞ」
「理由は?」
「何でもいいから実験用に素材が欲しいのと、お前の動きを間近で見たい」
彼女は装備を作るからには使い手を知りたいという原点に立ち返り、グレイに同行を求めながら大剣を差し出す。
鏡のように磨き上げられた大剣を見つめてやれば、ご機嫌そうに刃が煌めいた。
「流石に俺とお前だけじゃロイマンがうるさそうだ。黙って行ってもいいが、リューか、せめて【アストレア・ファミリア】の誰かを同行させりゃあの豚も納得するだろ」
「面倒だのぉ、お前は。だが【疾風】が同行するからむしろ歓迎か」
大剣を背中に戻しながら告げた言葉に椿は頷き、何なら連れてこいとでも言いたげな様子で返す。
「あいつらが暇ならな」とグレイが肩を竦めると、椿はずいっと身を乗り出した。
彼に顔を近づけ、じっと瞳を覗き込む。
「な、なんだよ」
鼻先が触れ合うほどの距離で見つめてくる椿にグレイが狼狽えていると、彼女はニンマリと笑って見せた。
「では、明日の十三時にバベルで会おう。ちゃんと飯を食べてくるのだぞ」
「わかった」
彼女の気遣いとも取れる言葉に頷き、今度こそ部屋を出ていくグレイ。
椿は狼狽えた彼の顔に悪戯成功と言わんばかりに得意げな表情になると、自分の考えを纏めるように羊皮紙に書き殴っていく。
それが行き着く先が神々の武具に並ぶ至高の武器なのか、あるいは魔性を宿す深淵の武器となるかはわからないが、やってみなければ何もわからないのだ。ならばやってみる価値はある。
「滾ってきたな」
椿は獰猛な笑みを浮かべながら、空想の中にしかないものを現実に持ってくるように、筆を走らせた。
椿との面談を終え、『星屑の庭』に帰還したグレイ。
アリーゼ達はどうせ見回りだろうと適当に決めつけていたが、今日はどうやら違うらしい。
悪魔の敏感が過ぎる聴覚が、談笑するアリーゼ達の声を拾い上げる。
珍しいなと思いつつも、毎日見回るのも大変かと彼女らの若干の同情を向ける。
玄関を潜り、アリーゼ達の声に誘われて向かうのは居間だった。
複数の
「リュー。明日ダンジョンに行くことになったんだが、着いてきてくれねぇか」
「いく」
到着早々、碌に誰がいるかも確認しないで投げかけた言葉に、確かに返答はあった。
本来ならここにいないはずの幼女の声で、しかも足元から。
グレイが恐る恐る足元に目を向けると、そこにはようやくやる気になってくれたのかと目を輝かせるアイズがいた。
金色の瞳に期待を膨らませ、「明日。わかった。準備する」と話を進めてしまう。
グレイが居間へと目を向ければ、そこには頭を抱えるリヴェリアと困り顔を浮かべるアストレア、そして「
肝心のリューは部屋の隅に控えていたが、ため息混じりにグレイへと近づいていった。
「なんかやっちまったか?」
「つい先程リヴェリア様と【剣姫】が訪ねてきたのですが……」
リューはどう説明したものかと迷う素振りを見せるが、すぐに回りくどい言い方を諦めたのか簡単に告げる。
「【剣姫】が新しいスキルを試したいとだだを捏ねたそうです。そこで貴方と直接具体的な日程を組みたいという話になったそうなのですが……」
「そこで俺の帰りを待っていたところに、帰宅早々『明日にしようぜ』的なことを言っちまったと」
「はい……」
「何でここで話してんだ。応接室はどうした」
「ちょうど掃除をしていました……」
リューがばつが悪そうに呟いた言葉に、グレイもまた露骨にため息を吐いた。
アイズに目を向け、今更なしだとは言わせない雰囲気を放つ無邪気な顔に再びため息を吐く。
「明日の十三時。バベル集合で椿と一緒にダンジョンを探索することになった。来たけりゃ、来ればいいんじゃねえか」
「わかった!じゃ、また明日!」
彼の言葉にアイズは即頷き、彼の脇を抜けて出ていってしまう。
「待て、アイズ!」とリヴェリアが呼び止めるが、それも無視である。
彼女は頭痛を堪えるように額に手をやり、柳眉を歪めながらグレイを睨んだ。
「もう少し空気というものを読んで欲しかったが」
「俺にそういうこを求めちゃいけねぇよ。こう見えてフィンをチビ扱いした男だぜ?」
「そうだったな。まったく」
悪びれた様子も見せない彼にリヴェリアは思い出したように苦笑すると、紅茶を飲み干してから席を立った。
「では、明日会おう。余裕があればフィンと連れていく」
「あいよ。ついでに魔具も椿に見せてやれるか」
彼女は退室する間際、グレイの隣でそう告げると部屋を出ていく。
グレイも肩を竦めながら胸中手間明日は大変そうだなと嘆き、リューへと目を向けた。
「で、お前は来てくれんのか?」
「はい。リヴェリア様もいるとはいえ、貴方は久しぶりのダンジョンですから」
「私も行くよ。他の派閥の人もいるみたいだし、怪我したら大変だから」
グレイがリューとの同行を取り付けていると、ちょうど応接室の掃除を終えたのか、箒などと掃除用の
アリーゼは「誰かは残っておかないと」と留守番することに決め、他の団員達と似たようもの。
「なら決まりだな。さっきと言ったが明日の十三時、バベルに集合だ」
パンと手を叩きながら二人にそう告げ、「で、今日はどうする?」と問いかけるグレイ。
そのままリューが彼の手を掴み、「勉強の続きです」と書斎まで手を引いていった。
女神と少女達はその背中を生温かい目で見送ると、彼女らの日常へと戻っていくのだった。
感想等ありましたら、よろしくお願いします。