朝日が昇る時間帯。まだ静寂が街を包んでいる中、装備を整えた俺はダイダロス通りの側にある少し開けた広間に来ていた。
昨日ベルから無理矢理聞き出した結果、あちらも想定通りアイズと特訓を行う事になったという。期限は【ロキ・ファミリア】が遠征に赴くまでの七日間。
そしておそらくオッタルもまた、ベルにぶつけるためにミノタウロスを鍛えている頃だろう。ミノタウロスを鍛えるって冷静に考えると頭おかしいな。
「────お待たせしました」
凛とした声音が広間に響く。ようやく来たかと後ろを振り返ると、そこには緑色のフードとマスクをつけた不審な人物が───
「ガチ装備じゃないですか……」
「? 修行というものは本気で取り組まなければ意味がありませんから」
「うーん、ど正論」
リューの言葉に思わず頷く。
とはいえ木刀に小太刀まで。いまからあれでボコられると思うとちょっと憂鬱気味になる。
「では早速始めましょうか」
「よろしくお願いしま───」
言い切る前に背筋に悪寒を感じて上体を逸らす。
するとヒュンッと風を斬る音が耳に届き、目先を木刀が通過していった。
……うーん。
「リューさん、ひょっとして馬鹿ですか?」
「始める、と言ったでしょう。戦場では開始の合図などありませんよ」
「わかりましたもう一度言います。あんた馬鹿か!?」
振り下ろされる木刀を、《炉神の刀》で受け止める。だがその重みを受け止めきることが出来ず、ミシミシと音を立てる刀を両手で支えながら片膝をつく。
「ッ、おぉ……!?」
「『力』に差がある場合、正面から素直に受け止めるのは下策だ」
フッ、と重圧が消える。
だがその直後にリューの振り抜かれた右足が俺のわき腹にめり込んだ。
「………ッ!」
吹き飛ばされ、地面を転がるもその衝撃を利用して立上り、追撃に備えて刀を構える。
……これ、何の修行だったっけ。
「……驚きました。冒険者歴一ヵ月少々の動きではない。俄かには信じがたいですが、これならば【ランクアップ】も近いかもしれません」
俺とは対称的に構えを解いたリューはおもむろにそう言った。
「であればもう少し、実戦的な修行に移りましょうか」
「今のは実戦ではなかったと!?」
だったら今のは何だったのだ。まさかウォーミングアップだなんて言わないよな。そんな準備体操感覚でボコられてたの?
「先ほどはタチバナさんのことを試すような真似をしまい、申し訳ない」
「いや………まあ、別にいいですけど……」
頭を下げるリューの姿に思わず毒気が抜かれる。
ダメだ、この人にペースが崩される。やり辛い。
「本来、駆け出し冒険者の大半は痛みに慣れていないことが多い。そのためまずは痛みに慣れてもらうところからと思ったのですが………貴方はその辺り問題なさそうですね。よほどの修羅場をくぐったということでしょう」
「はあ、どうも……」
まあ修羅場はくぐりましたね。わりとガチ目のやつ。
「戦闘勘も悪くない。となるとやはり実戦の中で鍛え上げていくのがいいかと思います」
「あれ、剣術の基礎的なものは教えていただけたりは……」
というかそういうのを期待していたんですが。
「見たところ、基礎は大体できています。まだ動きがぎこちないですが、それは経験を積むことで解消できる」
リューは言う。俺に必要なのは経験だと。術理だのなんだのはその中で自ずと身についているのだと。
なんだかインチキ臭くなってきた。
「貴方は剣を武器として意識し過ぎている。もっと身近に、それこそ自身の身体の延長として扱えなければなりません」
「は、初めて剣を握って一月のガキになんて無茶な……」
だが彼女の言わんとしている事は理解できる。例えば手足を動かすとき、『どのように動かすか』は考えても『どうやって動かすか』は考えない。
そもそも武器の類が身近になかったのだから当たり前だが、それが出来なければ咄嗟の時に戦えなくなる。
俺と同じく
その点に関してはベルの方が先に進んでいるかもしれない。少なくともベルがナイフを握る姿からは、所謂『違和感』といったものを感じない。
「そして自己評価の低さが貴方の悪い所だ」
鼻先に、木刀の切先が突き付けられる。
「───構えなさい」
「ッ!」
瞬間、辺りを充満した剣気。動かなければ首をはねられると確信してしまうほど濃密な殺意。
気が付いたら俺の身体は後ろへと跳び、刀を正面にして構えていた。
「良い構えだ。身体に力が入りすぎない、自然な体勢。すぐにでも動けるよう重心も意識されている。誰かに習った……というより見て盗んだ、といった所でしょうか」
「全部見抜かれてる……」
だけどすべて納得した訳ではない。
俺の悪い所は自己評価が低い所だと? そんな馬鹿な。俺ほど調子に乗りやすい奴はそうそういないぞ。
「タチバナさん。貴方は貴方が思っているよりも数段強い。それは生来の素質ではなく、このオラリオへ来てから積み上げたものでしょう。誇りなさい」
「えっ、ちょっ、ええ!?」
一瞬で距離を詰められ、木刀による連撃が襲い掛かる。
その剣戟の嵐の中でなぜかお褒めの言葉を頂いたのだが、そんなこと構っている余裕はない。
「自身の程度を正しく認識しなさい。でなければ相手との力量差を正確に把握することはできません」
「……ッ」
正面から受けるのは駄目だ。威力を受け止めきれない。
刀身の側面を使え。
止めるのではなく受け流せ。
よく見ればリューの動きは捉えられる。一応は手を抜いてくれているということだ。
「眼だけに囚われてはいけない。五感全てを使いなさい。敵は目の前の相手だけとは限りません」
木刀が手の甲に叩きつけられて刀を落とす。
痛みで視界に火花が散る中、歯を食いしばって回し蹴りを見舞う。
「───今のは良い動きです。ダンジョンでは武器を失くすと‟死”が急に身近に感じることでしょう。その恐怖に呑まれ慌てて武器を拾おうとしてはいけない。そんなことをすれば敵に無防備な姿を晒すだけだ」
リューは涼し気に蹴りを受け止めて、その一連の動きに対する評価を告げてくる。
マジですかこの人。マジですね。
左足を掴まれて身動きが取れない。であればその左足を起点にして右足で蹴りつけ───
「機転もよく利く。戦闘中は一秒たりとも無駄にはできない。一秒もあれば人は簡単に死にます」
───る直前、リューの足がブレて俺の身体は地面を転がった。
「ぶぇ……あばっ……ごばっ……」
訂正。転がったのではなく跳ね飛ばされた。
全身砂まみれになりながら震える身体に鞭を打って立ち上がる。
「イテテ……ぅぇ、口に砂入った……」
「では次は魔法を使ってください」
口内に感じる違和感に顔を顰めていると、リューはまた突拍子もないことを言い出した。
魔法……並行詠唱を磨きたいと言ったからだろうけれど、魔法か……。
「こ、こんな街中で、ですか? 攻撃魔法以外だとしても、さすがにダンジョンとかの方がいいんじゃ……」
「……………………………それも、そうですね。失礼しました」
本当に大丈夫だろうか。今更ながら人選ミスだったのではと後悔し始めていた。
◇
「今日は本当に驚かされる。まだ未熟ながらも並行詠唱ができています」
「褒めながら打つのやめてもらっていいですかね!?」
場所を移してダンジョン5階層。端の方にあるそこそこの規模の広間で俺は一方的に殴られていた。
『詠唱』と『戦闘』を同時にこなす魔法剣士。どちらかを、ではなくどちらも高水準で行えるようにならなければならないため非常に難易度は高い。
「頭の回転速度、思い切りの良さ、どちらも素晴らしい。ですが貴方は考えすぎている」
迫る木刀を受け止めようと刀を盾にして構える。
この連撃をいなしながら『魔力』という爆弾を制御仕切って詠唱を完成させる。口にするのは簡単だがこれがどうして難しい。
「貴方は『詠唱』に意識を割きすぎだ。『戦闘』7、『詠唱』3程度の割合を意識しなさい」
「メチャクチャ言うなあ!」
「滅茶苦茶などではありません。後衛魔導士ならばともかく、近・中距離を縄張りとする魔法剣士は『詠唱』よりも白兵戦技術の方が求められます」
一度リューの攻撃が止んだ。
「貴方は魔法を怖れている」
「怖れて……」
「タチバナさん、貴方は魔法というものを特別視し過ぎだ。だからこそ魔法の運用に神経を削られている。純粋な後衛魔導士であればそれでも構わないでしょう。ですが貴方が目指すのは白兵戦もできる魔法剣士。であるのなら魔法を、魔力を自分の手足と同様当たり前に操れなければならない」
それは先ほど剣の時に言われたことと似ている。
当たり前のように、扱う。この身の内に荒れ狂う劇物を?
「今は意識して制御しているそれを、無意識下で扱えるようになりなさい。息を吸って吐くように自然と。そうなれば誰も貴方を止められなくなる」
近・中・遠。攻撃・防御・回復。それらすべてを万全に扱えれることができたのなら、相手がよほどの格上でもない限り敵ではないと、彼女はそう言った。
「後衛魔導士であれば攻撃と防御を捨て、回避のみに絞るよう助言するでしょう。ですがその選択肢は貴方にはない」
そうだ、その選択肢は俺にはない。
難しいことなんてとっくに分かっていたことだ。それでもこの道を選んだのは他の誰でもない俺自身。
なにより、彼女がここまで言っている。これほどまでに評価してくれている。
だったら、それを裏切れるはずがない。
「全力で来なさい。その剣と魔法が完全に馴染んだ時、貴方は更なる高みに至っているでしょう」
「押忍!」
それからは毎日早朝にダンジョンへもぐり、リューとの修業を繰り返した。
詠唱しては殴られ、剣を振っては蹴られ、魔法を発動したと思えばいつの間にか後ろに回り込まれ。何なんだこの人、化物か?
早朝の修行が終わればベルたちと合流して再びダンジョンへもぐり、探索を済ませると換金してホームに帰る。
夕食を摂った後、素振りをしながら魔法を展開。今はひたすら剣と魔法に慣れることを優先させる。
眠る前に
ヘスティアの恩恵を受けているためあながち間違いでもないのだろうが、これって逆に大丈夫なのか?だんだん犬猫に近い愛着が湧いてきたぞ、剣なのに。
「聞いてくれよコウスケ君! ベル君ってばボクに内緒で【剣姫】と密会してたんだぜ!? これはもう浮気だよ浮気!」
「あーはいはい、わかったわかった。俺疲れてるから寝させてくれ……」
体力も精神力も削られて疲れ切っている中、ヘスティアのせいで寝させてもらえない日もあった。
「聞いてくれよコウスケ君! 今日は帰り道で闇討ちにあったんだよ! ほとほとロキのところは物騒で困るね!」
「もうわかったって。今度俺の方から言っておくから寝させてくれよぉ……」
「言っておくって、誰にだい?」
やれ馬鹿強い集団に襲われただの、やれベルの勇姿が格好良かっただのと一々報告してくる。
わかったから本当寝させて欲しい。なんでこんなに元気が有り余ってるんだこいつ。ちゃんと働け。
そんなこともあり、修行・探索・『豊穣の女主人』の手伝いを繰り返してあっという間に一週間が過ぎた。
「【いかなるものも打ち破る我が───】っ……!」
「受け流すときは腕だけではなく体全体の関節を意識しなさい!」
繰り出される連打をいなして躱す。合間に攻撃を挟もうとすると
だけど段々とリューの『呼吸』とも言えるものを感じ取れるようになってきた。
「【卑小のこの身に
横薙ぎに振るわれる木刀を刀身で滑らせながら懐に潜り込む。
「!」
「【救え浄化の光、破邪の刃。払え平定の太刀、征伐の
詠唱がスルスルと奏でられる。ここに来てようやく掴んだ詠唱のコツ。
突き出した黒刀は顔を逸らすことで躱される。だがそれでもなおもう一歩前に踏み込む。
今、俺とリューの間には隙間がほとんど存在していない。これだけ接近してなお、内なる『魔力』は凪いだ水面のように静かだった。
木刀と黒刀による鍔迫り合い。だが『力』で劣るこちらが不利。現にもう押し返され始めている。
だが端から鍔迫り合いで競り勝とうなどと思っていない。
「!?」
声には出さないが、リューの驚愕が感じ取れる。
俺は握っている刀を手放してわざと態勢を崩し、空中で身を捩じることで蹴りを叩き込んだ。
「【今ここに我が
「今のは良かった。まさか自分から武器を手放すとは。本来であればそんなもの愚策だと切って捨てるのですが、予備の武器を持っている状況であれば相手の虚を突くことが出来る」
隙を作れたと思ったのだが、リューは腕でしっかりと防ぎ切っていた。
そしてお褒めの言葉を頂いたのが、残念ながら予備の武器など持っていないため今のは愚策扱いにされるらしい。
だが。
「【天より
詠唱を紡ぐ時間は作れた。ならばあの場での選択としては間違いとも言い切れないかもしれない。
「【フツノミタマ】」
発動と同時に頭上へ巨大な光剣が出現する。だがそれが振るわれることはなく、魔法の発動を解除した。
さすがにこんな閉鎖空間で【
「お見事でした。最初に比べて『並行詠唱』の精度がかなり上がりましたね」
「ありがとうございます。一度リューさんのお手本を見せていただいたおかげですよ」
やはり本物を見るのと見ないのとでは全然違う。リューの並行詠唱は真似をするにはまだまだ高度な技術だが、自分のと比べて何がどう違うのか客観的に理解することができた。
であれば後は少しずつ改善していくだけだ。そういう地道で気が遠くなるような作業は得意である。
「…………一週間、か」
「ええ、まさかこの短期間でここまで成長するとは思いませんでした。指摘した点を修正する速度が速い。」
どうやら俺の言葉を違う意味で解釈したらしい。
別に指摘する意味もないため、そのままリューの言葉に耳を傾ける。
「努力は決して裏切らない。届かないということはまだ足りなかったということ。……少々酷な言い方かもしれませんが」
「ハハハ、でもまあ、理解はできます。これだけやって届かないのであれば、それは俺の問題だ」
『技』は磨いた。『力』も付けた。あと必要なのは『勇気』だけ。
格上を相手に全てを出し尽くしたギリギリの死闘。正直それを思うと心臓が早鐘を打つ。
「……タチバナさん、ここからは老婆心になりますが、いいでしょうか?」
「え、あ、はい。どうぞ」
思い詰めていた俺を諭すように、リューは語った。
「人の数だけ、それぞれの冒険には意味があります」
「は、はあ……」
「貴方が直面する冒険は一体どういったものになるかはわからない。ですがその冒険から、その冒険の意味から目を逸らさないでください」
冒険から、冒険の意味から目を逸らす。
それはどういう意味なのだろうか。少なくとも俺は目を逸らしたくないから強くなりたいと思っている。
だけど、もしかしたらそれが目を逸らすということなのだろうか。俺にとっての冒険の意味を、俺は見落としているのだろうか。
「貴方は、冒険者だ」
だがリューのその言葉だけは、ストンと胸に落ちた。
「貴方が望むものが何かはわかりません。ですがその先でしか手に入らないものだと私は思います」
俺の、望むもの。俺が、望んでいるもの。
ああそうだった、俺としたことが強くなることに夢中でまた大事な事を忘れていた。
「……いえ、あまり気にしないでください。私の勘は、よく外れる」
「そんなことありません。俺もリューさんに言われるまで『強くなりたい』と思った理由をど忘れしてた」
初志貫徹。自分の忘れっぽさに嫌気がさす。
ああクソ、俺にとってそれこそが一番の目標だってのにまた忘れてしまっていた。
別に【ランクアップ】することを、格上を倒すことを目標に鍛えて貰ったわけじゃない。それらすべては手段に過ぎないのだ。
俺は、ベル・クラネルという少年が英雄になるまでの道のりを最も近くで見ていたい。英雄の誕生を見届けたい。
同じ場所で、同じ高みで、同じ景色を見てみたい。俺が強さを欲するのは単にそれだけが理由だ。
富も名誉も必要ない。だってそんなもの、あの白い輝きに比べれば粗末なものだ。
そのためなら、牛だろうが巨人だろうが戦ってやる。
「俺にとっての戦う理由は確かにあった。なのでもう大丈夫です。あとはリューさんから学んだすべてで必死に抗っていきますよ」
「……ええ、それならばよかった。私も、この一週間は存外充実していました。……私で良ければまた力をお貸ししますのでお声がけください」
「はい。その時はよろしくお願いします」
こうして俺の一週間に及ぶ修行は終わった。やってることは『洗礼』と大差ないが、やはり指摘してくれる相手がいると効率が違う。
待ってろよミノタン! 二人がかりでボッコボコにしてやっからな!
それはコウスケがリューと、ベルがアイズと、ミノタウロスがオッタルと修行していた時のことだった。
「む………」
ダンジョンが哭いた。
それはあるいは産声であり、嘶きだったのかもしれない。
確かなのは、神々を殺戮するための刺客が迷宮内に産まれ落ちたということ。
その存在に気が付いたのはオッタル唯一人。
「明らかに逸脱している」
階層を隔ててなお届く‟圧”に目を細める。
ベル・クラネルへの試練はこのミノタウロスだ。それは既に決定事項である。
ならば新たに誕生したこの怪物はどうするか。
感じる『強さ』は明らかに中層域のそれではない。本来であれば今のうちに始末しなければならないのだろうが、オッタルは別の用途を見出した。
「……これも試練、か」
それは女神からの指示ではない、完全な独断。
もとは自分でベル・クラネルから引き離そうと考えていたが、この際だ。利用しない手はないだろう。
「超えてみせろ、タチバナ・コウスケ。貴様の見るべきはものは前だけだ。
───ダンジョン15階層。
母なる迷宮に産み落とされたソレは、己が使命を正しく認識していた。
それ即ち、
そのためならば、同胞であろうが食い殺して糧にする。
「────────」
産み落とされた、白き翼。
本来は中層域にて稀に出現する稀少種。
「……グ、グルルルァァァァアアアアアッッ!!!」
雄叫びが響き渡る。と同時にソレは
ソレの中には怒りも憎悪もない。あるのは純粋な殺意のみ。
白き『絶望』は鱗を怪しく輝かせ、地上を目指して彷徨い歩く。
すべては、創造主たる母のために。
次回『コウスケ死す~永久に失われた甘味。悪いのはオッタルですフレイヤ様~』お楽しみに