【
正直、なぜ連れてこられたのか分からない。まさかベルの借金返済を手伝えとか言うんじゃないだろうな? まあ、それなら別にやぶさかではない。元々手伝うつもりだったし。
「おーい、ヘファイストスー? ボクの自慢の眷属を連れて来たんだけどさー」
ノックもせずに他所の【ファミリア】へとどかどか入っていくヘスティアに戦慄が止まらない。やめろこのズボラ女神。頼むからこれ以上恥を重ねないでくれ。
などと考えていると店の奥から紅眼紅髪の眼帯をつけた女神が歩いて来た。見たことあるぞこの人。
「待ってたわよヘスティア。物はもう出来てるわ。……それであなたがこの子の眷属くんね?」
「お初にお目にかかる、神ヘファイストス。タチバナ・コウスケです。うちの駄女神が大変お世話になったようで……」
「いつもの事だから気にしないでちょうだい。それにしてもこの子が主神だと大変じゃない?」
「こ、こら、ヘファイストス! いくらなんでも失礼じゃないか!?」
「慣れましたよ。もう
「どういう意味だそれはーーッ!?」
落ち着きが足りないぞ主神様。しっかりしてくれ、そういう所だぞほんと。
うがーッ、と叫びながら暴れるヘスティアの頭を撫でながらヘファイストスに顔を向ける。
「申し訳ない神ヘファイストス。俺は今日この主神に何も聞かされず連れて来られたんだが……」
「……あんた、何も説明してなかったの?」
「うっ、時間がなかったというか……驚かせたかったというか……」
ヘスティアの言い訳に頭を押さえる。この反応からして借金の事ではなさそうだ。
「……私がベル・クラネルに武器を作ったのはあなたも知っているでしょう? でも眷属の片方にだけ贔屓するのはよくないからって、あなたの分の武器も作ったのよ」
「───は?」
俺の疑問など聞こえない、という風に店の奥へと進んでいく彼女に俺達も付いて行く。
行きついた場所は鍛冶場───ではなく、執務室だった。
執務机、金属塊などが飾られたクリスタルケース。だが一番目を引いたのはそれらではない。
机に置かれた漆黒の刀。それを持ってヘファイストスは俺とヘスティアの元まで戻ってきた。
「これがあなたの武器よ。素材も効果もベル・クラネルに作ったナイフと同じもの。ヘスティアの手で【
刀を、受け取る。するとまるで心臓のように脈動した────気がした。
生きた武器。日本刀とは少し違うようだが、剣に詳しいわけでもない俺にはよくわからない。だが同じ『
正直嬉しい。とても嬉しい。だけど───
「……ヘスティア、なんで俺の分まで依頼した?」
───どうしてこんな事をしたのか、わからない。
俺の質問にヘスティアは顔をしかめて俯く。恐らく聞かれるだろうと想定していたのだろう。それなら尚更だ。
「作るならベルの分だけでよかったはずだ。俺は魔導士型、ベルが成長すれば俺が近接する必要もなくなる。わざわざ借金までして俺の武器を作る意味が分からない」
そもそも膨大な借金をするほど俺に価値はない。いずれはいなくなってしまうのだから。確かに俺の事情は伝えていないが薄々感じてはいただろう。形の残るものはいつも断ってきたからな。
「ヘスティアはね、最初はベル・クラネルの分だけ作って欲しいって言ってたのよ」
ヘファイストスの言葉に思わず目を剝く。そして再度ヘスティアを見ると更に顔を俯かせていた。
そんなに見られたくないのかコイツ。
「『多分本人は受け取ってくれない』『形の残る物は喜ばない』ってね。だから私が進言したのよ。特定の
「不和って……俺がそういうの気にしないタチだって知ってるだろ。それにベルのナイフだけで二億ヴァリス。俺の分まで追加したらいくらになるか………」
「だって───」
俯いたままのヘスティアがぼそぼそと喋り出す。俺は口を閉じて耳をすませた。
「───君は、ボクの最初の眷属だ。こんなボクの手を取ってくれた初めての
「……力って、一体なにを───」
「君がボク達に何かを隠していることは知っている。何を隠しているのかは聞くつもりはないけど、君の目的が何であれ、ボクは君達の力になりたい」
「……ッ」
目的は知らない、だけど力になりたい? 俺が悪人だったらどうするつもりなんだ。そもそも自分の血と髪を材料にしてる時点で重いわ。
ヘスティアは紛れもなく善神だ。だが余りにも甘すぎる。たかが一眷属にどうしてこんな────
「はあ~~~~~~~~~~~~~~~~ッ」
大きく、大きく、息を吐く。肺の中の空気をすべて抜くように。胸の中の『迷い』を捨てるために。
その様子にヘスティアの肩がビクッ、と震えた。怖がらせてしまったか。
「ごめんティア。俺が悪かった。お前にそこまで言わせたんだ、俺も覚悟を決めるよ」
「コウスケ君……」
ヘスティアの頭を撫でる。実に撫でやすい高さだ素晴らしい。でもこのリボンは邪魔だな。
「神ヘファイストス。この刀、ありがたく頂戴いたします。……ちなみにおいくらほどで?」
「そうね……まあサービスってことでナイフと同じ値段でいいわ」
「つまり二億……合わせて、四億……」
四億……オッタルの『覇黒の剣』っていくらだったっけ……泣きそう。
刀を鞘から抜いてみる。鞘の方にはヘファイストスのロゴタイプが刻まれており、柄も刀身もすべてが漆黒、刀身には【
「お金は何とかして返済します」
「い、いやこれはボクの個人的なものだっ。ボクが何百年かかってでも絶対に返済するっ!」
「いや、お前のバイト代だと千年はかかりそうなんだが……」
じゃが丸くんのバイトって時給30ヴァリスだろ? だったら単純計算でも1,522年かかるぞ。勿論これは24時間365日働き続け、尚且つ給料をすべて返済に充てた場合だ。
断言しよう。絶対に無理です。
「元々ベルのナイフについては俺も協力するつもりだったんだ。そこに自分の分が加わった、それだけの事だろ。それに働きすぎてまた倒れられても迷惑だ。……お前が俺達の力になりたいって思ってくれてるように、俺達もお前の力になりたいんだよ。言わせんな恥ずかしい」
そのくらい察しろ。何年女神やってんだ。あーもう、恥ずかしい恥ずかしい。
「コウスケ君……」
「うるせぇ、何も喋るなこっちを見るな」
何をニマニマと気持ち悪い笑みを浮かべてやがる。そのツインテール引っこ抜くぞ!
「あーもう、嫌だ嫌だ。……それで神ヘファイストス。この刀の銘はなんと?」
「その刀は『
「黙れ。なんだそのゴミみたいな名前は、ふざけるのも大概にしろよ。そんな刀は今すぐ返品だこの野郎」
何が『
「もっと他にあるだろ。天鎖斬月とか日輪刀とかさ」
「それはダメだと思う。分からないけどダメな気がするよ」
「だったら『
なにそれカッコイイ。必殺技みたい。
「これだよ、こういうのを求めてるんだよティア。俺達下界の住人はこういうのが好きなんだよ」
「ええ~、まあ君がいいならいいけどさ……ええ~」
そりゃあ俺だって痛々しい二つ名とかは嫌だけどさ、武器にはカッコイイ名前を付けてあげたいだろ。フッ、所詮
「───ありがとうございます、神ヘファイストス。ありがとう、ティア。大事に……部屋にでも飾っておくよ」
「頼むから使ってくれよ!! そうじゃないとボクの土下座が無駄になっちゃう!!」
「アハハハッ! あんた面白い子を見つけてきたわねぇ」
髪を逆立てて暴れ狂うヘスティアとお腹を抱えて蹲るヘファイストス。場は混沌としているが同時に俺の目指すべき戦闘スタイルが固まった。
「───魔法剣士、か。道は険しそうだなぁ」
◇
『魔法剣士』
魔法剣士と
勿論、『魔導』は魔法の威力を底上げさせるかわりに魔力暴発を引き起こす可能性が高くなるが、だからこそ魔法剣士は多くのファミリアで重宝される。
ただでさえ難易度の高い並行詠唱、それを近接戦闘中に行うのだから求められるレベルの高さが分かるだろう。戦闘に集中すれば魔力を制御できず暴発、かといって魔法に集中すれば敵に殺される。故にほとんどの魔法剣士は『魔法も剣も中途半端などっちつかず』になりやすい。
「そりゃあ、なれる事なら魔法剣士になりたいけどさ……正直かなり厳しいぞ。今の俺は魔法と剣、どっちも中途半端だ」
だがヘスティアの想いを無駄にはしたくない。だから刀を使わないという選択肢は無い訳だが、かといって
魔法は今まで通り練習していくとして、問題は刀か。オラリオで刀を使う者はかなり珍しい。極東出身の者かその関係者くらいだろう。誰かに師事したい所だが……ヘスティアの伝手でタケミカヅチ辺りに頼んでみるか。
「そういえばティア、この後用事はあるか?」
「うん? ないよ。どうかしたのかい?」
「ちょっと確認したいことがあってさ……」
頭に?マークを浮かべるヘスティアに対し、俺は指を地面に向ける。正確にはその更に下を。
「地下水路、行ってみないか?」
今の俺は不敵に笑っているだろうか。それとも引き攣っているだろうか。それは神のみぞ知るってね。我ながら上手い事言った。
◇
「地下水路なんかに行ってどうするんだい?」
メインストリートを外れ、狭い路地の先へと歩く。ヘスティアの疑問ももっともだ。普通に暮らしていたら地下水路に行くことなんてないだろう。
「ちょっとした確認だよ。ただ、危ないかもしれないからティアを連れて来るかどうかは悩んだけど」
「地下水路ってそんなに危険なのかい!?」
路地を抜けた先には石造りの小屋がぽつんと建っている。入口の扉には鍵がかかっておらず、ギィィ……と音を立ててゆっくりと開いた。
「なんならダンジョンよりも危険かもしれない。フィリア祭でベル達がモンスターと戦ってる時にこっちもゴタゴタしてさ」
小屋の中には何もなく、床の中央に下へと続く螺旋階段のみが存在した。ヘスティアを連れて足を踏み入れ、階段を下りていく。
「ゴタゴタ?」
「ああ、【ガネーシャ・ファミリア】が関与していない新種のモンスターが町中に現れた。まあ【ロキ・ファミリア】の手で殲滅されたが、モンスターの
魔石灯で道を照らして先に進む。ここには先日現れた食人花がいるはずだ。とは言っても時間的に考えて既に【ロキ・ファミリア】のベートによって駆逐されているとは思う。わざわざヘスティアの要件を優先したのはそのためだ。
そうまでして自分で出向いたのは、自分の目で確かめて安心したかったからというのもある。
「ティア、念のためにこれを持っててくれ」
「うん? なんだいこの袋」
「もしも敵が現れたらこの袋をできるだけ遠くに投げろ。いいか自分の進行方向には投げるなよ」
「敵ってなんだい!? そんなに危ないなら帰ろうよ!」
ここまで来て何を言ってるんだ。もうそんな段階は過ぎている。きびきび歩かんかいオラァ。
やや狭苦しい道をしばらく歩くと、音を立てて水が流れる広い主水路に出た。雰囲気にビビっているヘスティアを先導して壁に空いているいくつもの横道、あるいは階段、そして対岸にかかる橋などを越えて行く。
「な、なんだかダンジョンみたいに入り込んでるね。ねぇ、そろそろ帰ろうよ、ベル君も待ってるぜ?」
「……そう、だな。まあ大丈夫ならいいんだけど……んん?」
気配を感じて魔石灯で先を照らす。そこにはこれまで目にしたことのない鉄の門扉があり、その傍に
「───んっ? あれって……ロ、ロキッ!?」
「あん? ……て、ドチビ! なんでお前がここにおるんや!! ハッ、まさかうちを付けて……?」
「ハア~~~ッ!? だぁれが君みたいなペッタンコをストーキングするもんか! 鏡を見て出直してくるんだね!」
「なんやとドチビのくせに! そのちっこい背ぇ、さらに縮めたろか!?」
「なにをぅ!?」
「なんやねん!?」
ヘスティアが突っかかって言った通り、【ロキ・ファミリア】の主神であるロキだ。参ったな、【ロキ・ファミリア】が既に終わらせたと思って探索しに来たのに、まだ居るという事は
「大体君はいつも」
「はいそこまで! 落ち着けよティア、主神としての威厳を保ってくれ」
「おん? あんた、フィリア祭の時の……」
どうやら向こうも俺のことを思い出したらしい。いや忘れてくれたままでいいんだけどさ。
「お久しぶりです、神ロキ。【ヘスティア・ファミリア】のタチバナ・コウスケと申します」
「ほぉん、なんやドチビんとこの
「なんだとぉー!! 君よりかはずっっっとマシだと思うけどね!!」
「落ち着けって言ってるだろ。……すみません、こんなのでも一応恩がありますので。───では俺達は帰ります! お疲れさまでしたー!」
ヘスティアを抱えて回れ右! 彼女らがいるという事はここはまだ
「まあまあ、そう焦るなっちゅうねん。少年かてここに用があって来たんやろ?「───おいロキ、んな雑魚ども放ってさっさと行くぞ」あー、ちょっと待ってな、ベート」
「こらロキ! ボクの大切な眷属に触れるんじゃない! 貧乳がうつったらどうするんだ!?」
「うつるかああああああっ!!!」
背を向けた瞬間に肩を掴まれる。どうやら逃がしてくれる気はないようだ。そしてヘスティアもまた飽きずに喧嘩を吹っ掛けるのだから胃が痛い。
「おい。行くのか行かねえのかハッキリしろ、ロキ。行かねえなら帰るぞ」
痺れを切らしたベートが額に青筋を浮かべて己の主神を睨みつける。だがその視線を飄々と流した件の女神は、尚もこちらに視線を向けたまま笑みを浮かべた。
「まあ察するに少年もここを調べに来たんやろ? ならうちらと一緒に行こうや。あっ、怖いなら別に構わんよぉ? うんうん、怖いならしゃーないわぁ~」
ニマニマと腹立たしい笑みを浮かべるロキだが、これは明らかに挑発だ。俺のプライドを煽って同行させようという腹積もりなのかもしれない。
俺にプライドなんかないんだがなぁ!
「いやぁ~俺怖がりなんで遠慮しま「なんだと!? 誰が怖がるもんか! いいさ、いいとも、行ってやろうじゃないか! ねえコウスケ君!!」───は?」
「おお、そうかそうか。ほなベート、頼むわ」
「……チッ」
ロキの言葉にベートは一つ舌打ちをして錠前を破壊する。それはもうあっさりと門扉を解放する光景に愕然としてしまった。
「ほな行こか」
笑みを張り付けた朱髪の女神が振り返る。
俺はここに来てしまった事を全力で後悔した。
それとヘスティア。お前マジで説教な。
◇
「おいおい、水浸しじゃないか」
門扉を越えた先は通路と水路の区別なく浸水していた。魔石灯で照らせば水深はさほど高くないことがわかる。
「ベート、おんぶして?」
「あぁ?」
「うちらのラブラブっぷりをあのドチビに見せつけるんや! だから、おんぶ!」
「ざけんな!? んなことに俺を巻き込むんじゃねえ!!」
ロキとベートの漫才にヘスティアはハッ、と鼻で嗤って首を振る。
「ロキってば全然眷属に愛されていないじゃないか。ボクがお手本を見せてあげるよ」
意味の分からないことを呟いたかと思うと、両腕を俺に突き出してきた。まるで自分を抱えろと言わんばかりに。
「……おい」
「………」
「………」
「………」
「……はぁ、わかったよ」
無言で腕を突き出し続けるヘスティアに等々折れてしまった俺は、観念してその場で屈む。
すると「わーいっ」とヘスティアが背中に飛び乗ってきた。落とさないようにしっかりと支えて立ち上がる。
横ではベートも同じようにロキを背負っていた。この人も大変だな。メチャクチャ同情する。それはそうとサイン貰えないかな。
「よし、いくんやベート! うちは乗り心地にうるさいで!」
「それを本気で言ってやがるなら、水没させてやるからな」
「コウスケ君! ロキなんかに負けちゃ駄目だからね!」
「……これ勝ち負けあるの?」
背中でワイワイと騒ぐヘスティアに溜息を吐きながら水流の中を歩く。でも人の背中で喧嘩するのは止めてほしい。
「えっと……ベートさんも大変ですね……。主神がこうだと」
「話しかけんな雑魚が。そもそも誰だテメェ」
背中のうるさい神々は放っておいてベートに話しかけてみる。だが返ってきたのは拒絶に近い言葉だった。
「あ、すみません。俺はコウスケっていいます。あなた方に助けていただいた『トマト野郎』と同じ【ファミリア】の者です」
「……あぁ?」
「もっと言えば先日のフィリア祭で【剣姫】達に助力して新種のモンスターと戦いました」
「あぁ!?」
「そうだ、サイン頂いてもいいですか?」
「何言ってんだテメェ!?」
何と言われても、自己紹介ですけど。
その後もベートと他愛もない話(一方的なもの)をしながらざぶざぶと前に進んだ。先ほどまでいた場所も迷宮の様だったが、ここら辺はさらに複雑になっている。
「フィリア祭の後、ギルドはここまで調べたんかなー」
「人の臭いは残ってる。水のせいで薄れちまってるから、上手く嗅ぎ分けられねえが……」
背負われる傍ら注意深く周囲を窺うロキの言葉に、ベートはすんと鼻を鳴らす。
魔石灯を前に突き出し暗がりを照らして先に進む。すると、その『穴』は現れた。
「なっ!?」
「……派手にやられとるなぁ」
石材をぼろぼろに崩れさせ、大きく壊れた水路の壁面。それはまるで何かが壁の奥から破って出て来たかのような大穴だ。
「ま、待ってくれロキっ! 君は、いや
「あ? なんや自分、その少年からなんも聞いてないんか」
背中から伝わる動揺。ここに来てようやく、ヘスティアは自分たちが何らかの事件に巻き込まれつつあることを自覚した。でも俺説明したよね? 町中に出た新種のモンスターのこと。
「ロキ、下りろ」
「ティアも、悪いが下りてくれ」
有無を言わせない一言に、ロキとヘスティアは素直に従う。
俺自身は何も感じなかったが、ベートは目つきを鋭くしながら闇に塞がる穴の奥を見据えた。
「……おい、ここはアマゾネスどもが調べたんじゃなかったのか?」
「ああ、ティオネ達は何もなかったって言うとったが」
ロキが続く中、剣呑な空気を纏い、「どこを調べて回りやがった」と吐き捨てる。
「しっかり
ベートに導かれるまま奥へと向かっていく。穴の道は水路の壁を数回にわたって貫通しており、何度も辻を越える事となった。
やがて冷たい水の感触が消え、硬質な床を踏みしめる。すぐに一本道だった水路は開けた。
「ここって……貯水槽?」
ヘスティアの声が響く。ロキは魔石灯をかざしながら、広い空間を見渡した。
長方形の広間にはまるで柱廊のごとく太い柱が林立しており、大きな等間隔を空けて並んでいる無数の石柱は頭上の天井を支えている。
水は長らく溜め込まれていなかったのか空堀状態。この貯水槽もかろうじて魔石灯が生きていた。
「【我が手に降れ】───【スペルズ・マギナ】」
詠唱を終えて魔法を発動。ヘスティア達はそれに対して声を上げようとするが、ずる、ずる、と何か引きずられる音が届き、ばっとそちらに視線を向けた。
間もなく闇をかき分け、黄緑の体皮があらわになる。
巨大な体躯をくねらせ、絡み合ったような格好で出現したのは複数の食人花。
こちらの気配を補足したのか、広間の奥から大蛇の様に這いよってくる。
毒々しい極彩色の花弁を広げ、牙の並ぶ醜悪な口を晒し、モンスターは頭上高くから俺達を見下ろした。
その姿を見たヘスティアは、顔を真っ青にして俺にしがみついてくる。
「な、なななな何だいあれはッ!? どうしてダンジョンの外にモンスターが!?」
「ベートさん! 二人は俺に任せて食人花をお願いします!」
ヘスティアを無視してベートに心配しなくていいという趣旨を伝えるが、それよりも速く臨戦態勢に入っていたベートは振り向くことなくモンスター目掛けて疾走した。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』
計三体の食人花。その内の最も早く接敵する正面の個体に狙いを絞り、踏み込んで、その長い右足を振り上げる。
「臭ぇんだよ、てめぇ等!」
『!?』
モンスターの顔面を蹴り上げる。激しい鈍音を散らして長大な体が宙に大きく仰け反った。
速度で翻弄し、鋭い攻撃で八つ裂きにする。だからこそ彼に付けられた二つ名は【
「すげぇ……速すぎて全然わかんねぇ……」
灰色の斜線が走ったかと思えばモンスターが吹き飛んでいく。戦況はベートが圧倒的に有利なのだろう。だがまだ有効打を与えられていない。
合流してきた残りの二体も合わせて合計で三体のモンスターを同時に相手取っている。この広い戦場が功を奏しているが、決定打を与えられていない以上ジリ貧だ。
「魔法でサポートに入るか……」
だが数瞬の後に全身を悪寒が走る。俺は本能のままに、振り返らずロキとヘスティアを抱えてその場を離脱した。
すると……。
『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』
「「どひゃーー!」」
「口閉じてろ! 舌噛むぞ!」
頭上からびりびりと響く吠声。鞭のように飛んできた触手を間一髪で躱す。
「うおおおおー! あかんあかんあかん、追いつかれるで少年ー!?」
「うわあああー! コウスケ君走って走ってぇー!!」
「うるせぇ! さっき渡した袋を投げろや!」
俺の声が届いたのかヘスティアはすぐさま袋を投げつけた。すると食人花はこちらを追いかけるのを中断して袋に喰らいつき、飲み込んだ。
あの袋に入っていたのは魔石だ。こいつらが魔力や魔石に反応することは知っていたから念のため持ってきていたのだ。使わないなら使わないで売ればいいだけだし。
だがこれで少しだけが時間が稼げた。いくら恩恵を受けているとはいえ、
ベートがこちらに走ってくるのが遠目に見える。ならばそれまで何とか逃げ切って見せなければ。
「【
「───アァッ!?」
唱えるのは超短文詠唱。呼び起こすは【剣姫】の付与魔法。
肩に担がれているロキの驚く声が聞こえるが構っている余裕はない。
「【エアリエル】」
『魔法』の発動と共に、風が生まれた。
形として確認できるほどの大気のうねりが俺達を包み込む。
「シッ!」
体や武器に風の力を纏わせ、対象を守り、攻撃を補助し、速度を上げる『風』の
『魔力』に反応して食人花が一気に迫ってくる。だが『風』を纏っている今の俺の方がほんの少しばかり速い。
迫りくる食人花を躱し、ベートの方に向かって走る。今回、なぜ身を守るための結界魔法ではなく【エアリエル】を使ったのか。理由は二つ。一つは詠唱が短く、なおかつ万能で使い勝手の良い魔法だったから。そして……。
「ベートさん!!」
「ッ!」
ベートの両足、白銀のメタルブーツに全ての『風』を送り込む。
第二等級
「てめ───っ」
「お願いします!」
驚愕をあらわにするベートの横を通り抜けることで
「……………ハッ」
風の力を手に入れたベートは嗤って疾駆した。それは先ほどまで以上の速度であり、本当に目の前から消えた直後、食人花が空高く打ちあがり、その肉体を爆散させた。
『──────────────────ッッ!?』
「───蹴り殺してやるぜええええええええ!!」
「お、おおぅ……」
フロスヴィルトの攻撃力と『風』が合わさることで速度・威力共にとんでもなく向上している。何アレとんでもないよ本当。俺もあのブーツ欲しい。
間を置かず、床に着地したベートを逆襲とばかりに残りのモンスターが襲い掛かるがベートの蹴り一つでその長い胴体を縦に真っ二つ。その体を灰へと変えて崩れ落ちた。
ブーツの力で吸収した風とLv5のステイタス、そしてあの鋭い蹴り技も相まってまるで名剣のごとき切れ味を可能にしていた。
「す、すごい……」
「ああ、わかってたことだけど……改めて凄いな……」
ヘスティアが感嘆の声を上げ、それに同調して頷く。
目の前では最後の一匹がベートによって蹴り飛ばされ、その身を灰へと変えていた。
「派手やなぁ」
静まり返った大貯水槽にロキの呟きが響き渡る。
モンスターの屍の上で佇むベートの姿は、なるほどこれは『英雄候補』と言っても過言ではないだろう。
戦いが終結した薄闇の中で、通常の状態に戻ったメタルブーツが、美しい白銀の輝きを辺りに散らしている様子を見て、そう思った。