流天の剣/女(るてんのけんにょ) -剣豪少女と意志持つ妖刀-   作:境 仁論(せきゆ)

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海の玉並べ-8 死/神

 光も届かない、深い深い海の底。その場に連れて来られたと気づいてもがく。上へ上へと四肢を動かそうとする。しかし石の中に閉じ込められたみたいで、ちっとも上手くいかない。下へ下へと、重力が足を掴んで引きずり降ろしていく

 口をあげて悲鳴をあげる。その瞬間に肺が海水で満たされていく。圧で内臓が次々に潰れていく。意識は朦朧とし、視界もまた一段と赤黒くなっていく。

 音にもならない躯体の破裂。各箇所にヒビが入り、人だったものは紙屑のように潰れていくのだった。

 

という夢を見たのだった。

 

 

「……天が死んだって、冗談はよしてください。笑えませんよ」

 

 しかし瀬古さんは焦ったような表情を変えなかった。

 

「僕がこの顔で冗談言うわけないだろ? とにかく来てくれ」

 

 瀬古さんに連れられ、部屋の外に出る。天の部屋はすぐ隣。その扉の前で女将さんが心配そうに自分たちを待っていた。

 

「すみません、入らせていただいても?」

「ええ……」

 

 そのまま瀬古さんは俺の手を引っ張って中に入っていった。明かりをつける。

 

「……」

 

 部屋の中央には綺麗に用意された真っ白な敷布団。その中で天が真っすぐな仰向けの姿勢で眠りについている。ように、見える。しかし寝息も聞こえなければ、呼吸しているような動作も見られなかった。ただそこに置いてあるだけの、実物そっくりのマネキンのようだった。

 

「額に、触れてみなさい」

「はあ? いやそんなこと言われても」

「触れなさい。それだけでわかる」

 

 瀬古さんに詰められ、仕方なく天の眠る場所に近づいてく。足音をなるべく鳴らさずに。そしてゆっくりとしゃがみこみ、指先を彼女の額に当てた。

 

「……!」

 

 信じられなくて、飛び退いた。

 

「わかっただろ」

 

 震えながら頷く。

 部屋が冷えていたからだとか、元々体温が低いとかそういう次元ではなかった。

 

「死体っ、て、こんな」

 

 無機質的な感覚だった。道端にある石ころのようだった。この指には、肉体の温かさがちっとも感じられなかったのだ。

 

「瀬古さん」

「槙君、落ち着きたまえ。まずは状況整理をしよう」

「いやいや……! 警察呼んだ方がいいでしょ!? あと救急車……だって、死んでるんですよ!?」

「公共機関は呼べない。僕らで解決しないとダメだ」

「はあ? だからなんで」

 

 落ち着き払っている瀬古さんに苛立つ。

 

「息を落ち着かせろ」

「はあ、はあ……」

 

 音が外に漏れ出たかと思うくらいに心臓の鼓動は加速していた。

 

「ふぅー……」

 

 平常心を取り戻すと、視野が広がった。瀬古さんの伸ばしていた手を取って立ち上がる。まだ少し、吐き気のようなものがあったがなんとか飲み込んだ。

 

 瀬古さんは部屋のあちこちを探っていた。

 

「窓の留め具は内側で閉じられたまま、か」

 

 俺も回るように部屋中を観察する。この部屋にあるのは、テーブルと、電話と、テレビと、天のリュックと……

 

「剣、は」

 

 慌てて他の場所を探す。押し入れや机の下を探していく。浴場も手洗い場も。

 

「…なら」

 

 天の布団を躊躇なく引きはがす。白い寝着姿の天が顕わになる。しかしそれでも、天が肌身離さず持ち歩いていたはずの剣は見当たらなかった。

 

「瀬古さん、あの剣は?」

「……僕にもわからないな」

「祟りやも、知れませぬ」

 

 後ろで眺めていた女将がそんなことを言った。

 

「そちらの方、昨日海の方に?」

「……はい」

「……急に亡くなられてしまうということは……何かしらの一線を超えたのかも……」

 

 女将が言っているのは恐らく、昨夜語ってくれた神様の話だろう。

 

「昨日の話ですか? でもあれは、砂浜に死体を置くことがダメだったはずです。天は、生きていた」

「それは、そうなんですがねえ……」

 

 震えている様子の女将を見て、語気が強くなっていたことに気づいて顔を背けた。

 

「……いや、間違っていないかもしれない」

 

 顎を親指と人差し指で挟みながら瀬古さんが呟いた。

 

「海の近くに人の死体を置くことが条件なら、成立している」

「……どういうことですか?」

「……いや」

 

 瀬古さんは押し黙る。

 

「教えてください。どういうことなんですか?」

「……天だ。僕はさっき、天が死んだと表現したが」

 

 目を合わせて話してくれない。何かやましいことがあるかのよう。

 

「実際には、天は最初から死んでいた」

「……いやちょっと待ってください。ますますおかしいですよそれ。何を言ってるんですか? 混乱させるようなこと言わないでください」

「僕も本当は言うつもりは無かったんだが、事態が事態だ。槙君。天は、本当に死人なんだ。だからここの神とやらが目覚める条件は成り立っている」

 

 目が眩む。一気に状況整理ができなくなる。苛立ちの感情が膨れ上がっていく。

 

「天は、生きていたんです。だから、死んだんじゃないんですか? 元から死んでる人がまた死ぬとか。ゾンビじゃ、ないんですよ」

「近衛君。確かに天は生きていた。いや、生かされていた。あの剣に」

「は、はあ?」

「あの剣を持っている間だけ天は生き返ることができる。最初からそういう存在だったのさ。僕が初めて彼女と会った時から……いや、それよりもずっと前からそうだったんだろう。僕はそんな彼女の力を借りるためにお話屋に引き抜いたんだ。しかし、今ここには、肝心の剣がない」

 

 瀬古さんの中でだけ話が進んでいっているようだった。

 

「あーますますわかんなくなってきた。剣がなんですって? 剣が天の命ってことですか?」

「そうだ」

「信じられるわけないじゃないですかそんなこと!」

 部屋に自分の怒声だけが響き渡り、数秒の冷たい間ができてしまった。それでも瀬古さんは顔色一つ変えないまま俺に向き合った。

 

「事実だ槙君。聞け。まだ天が息を吹き返す可能性は残っている。女将さん、この宿に監視カメラはありますか?」

「あります、けれども」

「確認させてほしい」

 

 瀬古さんが部屋を出て行く。わけのわからないままだった俺は、天の部屋に立ち尽くしたままだった。

 

「……天」

 

 ずっと動かない彼女を見る。

 最初から死んでいた? 剣がないと生きられない? 

 

「天……君は一体、なんなんだ?」

 

 当然、返答はない。仕方なく瀬古さんの後に着いていくことにした。

 

 

「天の部屋の窓の鍵は内側だから、外から何者かが侵入したわけではない……」

 

 昨日深夜に撮影された館内の映像を倍速で見ている瀬古さん。

 

「……天が部屋の外に出た様子もない。何者かに剣を奪われた、というわけではない。いや、部屋に最初から誰かがいたと考えるのが現実的か?」

「そんな……部屋の中に通り道があるなんてことは」

 

 怯えたままの女将を笑顔で宥めた。

 

「ええ、その線もありえないでしょう。この場所にそのような隠し場所がないのも、入った瞬間にわかりましたから」

「……どうしてですか」

「特殊能力ってやつさ。天と似たような、ね」

「はあ……具体的には?」

「建物の構造を見破れる」

 

 理解できない説明が次々に開示される。脳内での情報処理が間に合っていない。

 とりあえず、今まで聞いた情報を事実とした上でまとめよう。

 まず、天はそもそも死体で、剣を持つことで生き返ることができる。天が死んだ原因は、その剣を奪われたから。

 次に神様の話。神は住処に人の死体があると怒り、その要因となったものを海に引きずり込んでいく。

 

「やはり神様に取られた線が強いかなあ」

「瀬古さんは、この話知ってたんですか」

 

「……いや、資料室で見ただけだよ」

 

 その返答には間があった。

 

「また俺と天を使って、その話を調べようとしてたんじゃないんですか?」

「……」

「なんで何も、言わないんですか」

「僕がここに来たのは、天に海を見せたかったからだ。それだけ。そもそも君はお話屋の一員じゃないだろう? 巻き込むわけにはいかないさ」

 

 優し気な口調で諭される。気が削がれて、余計怒りが湧きそうだったがなんとか抑え込んだ。

 

「……だとしても、やっぱり信じられませんよ。神様が天を連れ去ったなんて」

「正確には、あの剣が。剣が死人である天を連れてきたと捉えるなら」

「瀬古さんはあくまで、神様が本当にいるものとして考えてるんですね」

 

 呆れながら聞く。胡散臭い大男は、またあのにやけ顔を見せてきた。

 

「君だって、本物の怪異を体験しただろ?」

「規模が違いすぎますよ」

「規模が桁違いでも、あり得ないものはあり得てしまうんだよ」

 

 そう言いながら瀬古さんは立ち上がる。

 

「でもまあ、神様の話を信用するのは早急すぎるかもしれないね。風に飛ばされたりだとか、それともどこかに置き忘れたとか、そういうこともあるかもしれない。とりあえず宿の中を隈なく探してみよう」

 

 瀬古さんは女将に案内を頼み、部屋から退出していった。

 一方の俺は、瀬古さんが部屋からいなくなったのを見計らって外に出たのだった。

 

 

 自分でも信じられないが、あの神話を事実だと信用してしまっている。だからこうしてコートも着ずに必死に海岸まで走ってきたのだ。昨日とは打って変わって雲一つない青空が広がっていた。まるで、憑き物が取れたかのようだった。

 

「天———!」

 

 彼女の名を叫ぶ。そして走り回る。

 返ってくる音はただ波打つ音だけ。それでも叫ぶことはやめない。

 

「くそ、天……!」

 

 海面に足を突っ込ませる。

 

「おい! 出て来いよ! 天を連れてきたのは俺だろ! なら俺の方を連れて行けよ!」

 

 遠い水平線に向かってそう叫ぶ。

実際、天のためにここまで息を切らす理由はない。でも今自分がこんなに必死になっているのは、天を怒らせたままだから? 仲直りができていないから? 

 多分、違う。答えは多分、俺が天を知り足りていないからだ。

 俺は天のことをまだ深く知らない。知ったつもりになっても、それはただの氷山の一角で、天はもっと俺の理解が追いつかないところにいる。

 こうして駆けているのは、どうしようもない理由だ。恐ろしい目に巻き込まれるとわかっていても、彼女のことをもっと知りたいと思ってしまったんだ。

 死人である彼女に、世界はどう見えているのだろう。彼女にとって、命とはなんなんだろう。それを改めて、知りたい。当たり前を当たり前と思えずに生きるしかなかった彼女を知りたい。

 ただ、そんなわけのわからない動機のためにこの足を走らせていたんだ。

 

「……あ」

 

 叫びすぎて、喉がひりついた。同時に眩暈がする。

 平衡感覚が失われ、音を立てて沈んでいく。

 喉が痛いだけで倒れるなんて、どれだけ自分は追い込まれてるんだ。もっと、普段みたいに落ち着くべきだっただろ。

 そんな風に考えながら、ぼやけていく景色に身を溶け込ませていく。

 

 海の中から、黒い柱が立っているのが見えた。

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