流天の剣/女(るてんのけんにょ) -剣豪少女と意志持つ妖刀-   作:境 仁論(せきゆ)

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カクヨムにも投稿している伝奇作品です。対戦よろしくお願いします。


佐々木迷宮
佐々木迷宮-1


 年季の入った古い電車に揺られながら手帳をめくっている。そこにはここから向かう場所への道順が簡単にまとめられていた。バイト先だ。

 

 自分と同い年くらいの人はスマホのメモ機能を使ってこういうのを保管しておくんだろうけど、俺は少し時代遅れのメモ書きタイプだ。

 

 生きて17年。学校だと手書きでの記録を推奨しているが、周りはこっそりと電子機器に直接記録するなどしている。なんでも、そっちの方が効率がいいんだと。ノートにとったところで見返さないし、それなら絶対に使うスマホに書いた方がよっぽどいい、なんて。俺は別にそうは思わない。変なこだわりだけれど、『文字を打つ』のと『文字を書く』のとでは後者の方が圧倒的に覚えやすいんじゃないかって思う。

 

 ……実際の成績は、抜きにして。

 

 

 

 脳内で独り言をつぶやきながら周りを見渡す。自分以外の乗客は誰もいない。がらんとした雰囲気。窓から見えるのは立ち並ぶ木々が過ぎ去っていく光景だけ。天気も曇りで、なんとも微妙な環境で気持ちも上がってこない。せっかく自分の腕が買われた初めてのバイトだというのに。メモ帳のページを少し戻してバイトの内容を再確認しておく。

 

 俺をバイトとして雇ってくれたのは親戚の瀬古(せこ)逸嘉(いつか)さんだ。俺はその人についてあまり存じ上げてはいないのだが、どうやら高校の新聞部としての活動を耳にしたらしく、ぜひ働きに来てもらいたいと両親伝にオファーがあったのだ。自分は記者のようなことをしているのだが、いつかの自分の書いた記事を読んだ(どこで読んだかは知らないが)瀬古さんはその文章の在り方に感動したんだと。

 

 瀬古さんとはまだ直接会ったことはなく、電話越しで話したくらいだ。かなりクセの強い人だったと記憶している。

 

 

 

「君が楢葉(ならは)高校新聞部のエース、近衛(このえ) (まき)君だね! 君の活躍はかねがね聞いているよ! 是非ともお話がしてみたかった。僕は君の書く文のファンでね……」

 

 

 

と、とても長い時間、俺の記事をお褒めくださった。あまりに興奮しながら話すものだから段々とこっちも恥ずかしくなってきてしまった。

 

 

 

「ええと、それでそれで……ああ! 伝え足りないが仕事の時間が! 続きは直接会った時にしよう! それで率直に言おう。是非君の腕を買わせてほしい。僕の、「お話屋」の仕事を手伝ってはくれないか?」

 

 

 

 ここまで自分の実力を認めてもらって断らない理由はなかった。結果として俺は仕事の内容を聞く前に承諾してしまい、お話屋が具体的に何をしているお店なのかも聞きそびれてしまったのだ。

 

「なんて返事が早い……! では、とりあえずの僕の指定するある物件に行ってみてほしい。その中に入って見たものをそのまま、君自身の文で表現してきてもらいたい」

 

 

 

 そこが今俺が向かっている場所だ。番地など具体的な場所の情報は伏せるが、人の少ない住宅街に建っている空き家らしい。数十年前に佐々木という苗字の家族が住んでいたらしいのだが急にいなくなってしまって、以来そのままの状態で残っているらしい。

 

 ……曰くつきの物件なのは明らかだ。その場の勢いで行くと言ってしまった俺も悪い。よりにもよって微妙な天気であるのがまた緊張に拍車をかけている。しかし仕事は仕事。俺の腕を買ってくれたのだ。逃げるのも悪い。それに瀬古さん曰く、仕事仲間が先に行って待ってくれているらしい。

 

 

 

「一人、僕の頼もしい友人が待っているから是非仲よくしてやってほしい。屈強で逞しいやつだ。頼りになるぞ?」

 

 

 

 何をするのかは未だによくわかっていないが、とりあえずはその人を頼ろうと思う。それにしても屈強で逞しい奴……それはそれで怖いな。ヤンキーみたいな人だったらどうしようか。

 

 

 

 電車から降りて数分、知らない町を散策する。その町は都心から離れたところにはある、地元の商店街という感じだった。歩いている人は少数でそこまで栄えている町には思えない。手書きの地図を頼りに目的地へ向かう。途中でコンビニを見つけて何か飲み物を買っておこうと立ち寄った。中には気怠げな店員と、アイスコーナーを物色している少女がいるだけだった。適当なスポーツ飲料水を選んでレジに行くと店員は適当に商品をバーコードリーダーにかざして、ダルそうな声で値段を読み上げた。とりあえず俺も適当に小銭を投げておいた。店から出るころにはアイスの少女はいなくな……ってはおらず、二つのアイスを手に取って比べていた。どちらにしようか決めかねているみたいだった。

 

 

 

  街路を歩きながら瀬古さんの連絡先に電話を掛ける。

 

「おかけになった電話は電波の届かない……」

 

  聞きなれたアナウンスが流された瞬間に切る。最初に電話したっきり全然応答してくれない。両親にも相談したが、どうにも瀬古さんの素性はあまりよく知られていないらしかった。親戚なのに。瀬古さんの言う「お話屋」が何なのかを聞かなければ何のバイトをするのかもわからないし、そのまま働くことになるので心配だった。思い出せば思い出すほど、あの声色がうさんくさいおじさんのものに思えてきた……。

 

「……あ」

 

 しまった……電話をかけながら歩いていたせいで道を見失った。手帳を取り出して再び道順を確認する。一応周辺の地形も書いていたので助かった。致命的なほどに道を外したわけではないらしい。腕時計を見て確認する。予定の時間までまだ余裕はある。まあゆっくり行こう。

 

 

 

 

  ……十分くらい遅れた。知らない町に来て浮かれていたのか、時間を忘れてゆっくりと歩いてしまった。もう例の人は来ているだろうか……。

 

「……うわ」

 

 早歩きで進んで目的の物件に辿り着く。頭には同行してくれるという人にどう弁明しようかという思案しかなかったが、その家屋を見て一瞬で悩みが吹き飛んだ。

 

 入りたくない。

 

 見るからにボロボロな廃小屋というわけでも、奇抜な美術館というわけでもない。至って普通な、綺麗な二階建ての一軒家だ。しかしあまりにも、綺麗すぎる。

 

 

 

 無償に身体が震えている。無意識化で家そのものに対して恐怖してしまっている。数十年前に空き家になったという情報から考えていたイメージと違っていたためにそのギャップに驚いているだけなのだろうか。

 

 両隣にある建物も至って普通な建築物だったが少し距離を離して建てられているように見える。この家だけ隔絶されて孤立している。何か間違いがないかもう一度手帳を確認してみる……間違いなくこの家だ。もうすでに引き返したくなってきた。

 

 

 

 例の人は周囲を見渡しても見つからない。というか、人一人見当たらない。流石に、この建物に一人で突っ込んでいくのは怖い。ちょっと待つか……。

 

 

 

 十数分、電柱に寄りかかってじっとしていたが本当に人が来る気配がなかった。飲料水を飲む。手持無沙汰なので手帳を取り出し、家の外観を記すことにした。

 

 

 

『〇〇市〇〇町〇番。数十年前に夜逃げして以来空き家となっている佐々木家宅の様子。第一に人はまず寄り付かないであろう不気味な雰囲気がある。露骨なほど邪悪な空気感というよりは、目に見えない潜在的な不気味さが周囲一帯を覆っている感じ。見た目自体は普通の二階建ての一軒家。白い壁に三角型の茶色い屋根。ツヤのない黒いドア。閉められたカーテンが見える窓。洋風の雰囲気。全体としてそうだが数十年も空き家のはずなのに古びた様子がない。特にカーテンは白いままで穴も空いていないように見える。誰かが掃除しにきていると考えれば妥当だが、自分にはまだ家の中で人が生活しているように思える。どうしても空き家とは思えない。今でも誰かが大事に家を守っているような。守るために他者の侵入を許していない。それゆえにこの拒絶缶が周囲に蔓延しているのだろうか』

 

 

 

 観察して得た主観をまとめておく。なるべく詳細に。後から見返したときに鮮明にその記憶を再生できるように。俺にとってメモとは映像の記録媒体と同じだ。書くという行為を通して、より鮮明に、細やかな部分でさえ脳内に映像として残す。カメラも使ったことがあるが、あれは基本的に画角全体を記録するもので一つ一つのパーツを明細に保存するわけじゃない。もちろん使い方によっては脳内映像と同等のクオリティで記録することができるだろうけど、生憎そこまで通ではなかった。だから手帳に書くのが一番低燃費で正確に記録できる唯一の方法だった。

 

「周囲の建物は、若干、離れた位置に、建てられているため、より一層孤独感を、強くしている……」

 

 口に出しながら書くのは癖だ。

 

「家の前に、女の子が一人、歩いて止まった。カラフルな帽子に赤いジャージ……縞格子のスカートで軽そうなリュックサック、……身長の半分以上はありそうな、細長いものを入れた紫の袋も背負って……ん?」

 

 あれ、女の子?

 

 はっとなって前を見ると確かに一人少女が家の前に立っている。あの子はさっき見たぞ。確かコンビニでずっとアイスとにらめっこしていた子だ。観察に集中しすぎて少女がここに来た瞬間がわからなかった。音も聞こえず、すっと現れた感じだ。

 

 しかし奇妙だ。どうしてこんな家の前にわざわざ止まったのだろう。俺だったらすぐに無視して見なかったことにしたいけど……バイトで来ざるを得ない状況以外は。

 

 ペンを止めて暫く少女を見ていた。少女はその場でぴったりと留まって家をじっと見つめていた。……もしや、この家に何か縁のある人だったりするのだろうか。ひょっとしたら何か知っているかもしれない。

 

「……あ、ちょ!?」

 

 しかし突然状況が変わって声が漏れ出てしまった。

 

 少女が突然エンジンを吹かしたモーターカーのような勢いで走り出し、そのまま中に入っていってしまったのだ。いつのまにかドアが開いていたことは別として、少女の初動の速さに呆気とられた。ドアはぎいぎいと音を立てながら開いている。

 

 俺は少女を追いかけるようにその家に向かっていった。

 

 

 

「失礼しまーす……」

 

 囁きと大差ない挨拶をして玄関に足を踏み入れる。足音を立てないようにそろりと中へ。周囲に警戒しながら前進していく。

 

 中は薄暗く、入り口からの光を頼りにしないと見えにくいがかなり丁寧に掃除された空間だった。思った通り人の手がこの家を綺麗にしている。だというのにここはあまりに人の気配がない。さっき入っていった少女もいるとは思えなかった。靴置き場には何も置かれていない。あの子は土足で入っていったのだろうか。しかしそれなら足跡が見えるはずだが、それらしい汚れも見えなかった。まるであの少女が幻だったと思えてしまうほどに。

 

 

 

 靴を脱いで上がる。敷かれたマットを踏むと柔らかな感触があった。明らかに最近のものだ。そのまま一階を散策することにする。手帳とペンを手に持ちながら。とりあえず一部屋ずつ回っていくことにした。

 

 テレビとソファが置いてある部屋に入る。家族団らんを過ごすための部屋に思える。ソファに触れるとこれも古くないもののような柔らかさがあった。ソファの前には角の丸い木材のテーブル。軽く小突くとコンと硬い音が帰ってきた。そしてテレビの方も最近の液晶画面のもので、指でこするとキュイと、よく磨かれているのがわかる音がした。埃はついていなかった。代わりに指紋がついてしまったので咄嗟にハンカチで拭きとった。閉じられたカーテンからはほんの僅かに外の明かりが漏れている。少し捲るととんでもない景色が……あるわけでもなく、ただ外の町が見えるだけだった。

 

 キッチンらしき部屋に入る。キッチンといえばよく汚れてしまうイメージがある。流石にここは多少汚くなっているだろうと思っていたが、さっきの部屋同様、綺麗なものだった。食事はここで取るのだろう。部屋の中央には背の高い濃い茶色のテーブル。棚に納められている真白の皿。棚はガラス窓が透き通りすぎていて、向こう側にある食器の美白さをそのまま芸術品のように映していた。忍びないがシンクを覗いてしまった。しかしこれもまた驚くべきことに水垢一つ見えない。まるで新品のものをそのまま残しているようだ。隣のコンロも焦げ跡のない漆器のような黒さを保っている。特にこれ以上調べることもないので部屋を出ようとすると冷蔵庫から、さー、といった音が聞こえた。動いている。この家にはまだ電気が流れている。わざわざ開けようとは思わなかった。

 

 

 

 他にもある部屋を回って見たが変わらず手入れがされていて、空き家ならではの理由のない不気味さを感じ取れなかった。家の外観とは真逆。

 

 外から見た家は近寄りがたい拒絶感、純潔さゆえの不気味さがあった。しかしその中は人を受け入れる準備が整っている美しさがある。矛盾……とまでは言わない。ギャップのような印象。

 

 置かれているもの全てが隅々まで整えられている。まるで、まだ使われてすらいないように。しかし同時にそこに人の手が加えられていたことが直観的にわかってしまう。だって、あまりにも手入れされすぎている。新品以上に、純潔を貫かれている。

 

 あまりにも人の痕跡が見当たらないと感じてしまうほどに人の手が伸びている。誰かが定期的にここに訪れては掃除をしているのは確実だろう。この所感をそのまま紙に記していく。俺の考えすぎってことも否めなくはないけれど。

 

「……って、こんなことしてる暇じゃなくて」

 

 さっき入っていった子はどうしたんだ? 全然気配を感じない。入ったことさえも勘違いかと思ったが、さっき見た走る後ろ姿は絶対に現実のものだろう。

 

「二階……」

 

 階段の奥を見る。とにかく黒い。電気は通っているらしいので明かりはつけられるだろうけど、見渡す限りそれらしいスイッチは見つからなかった。とにかく少女の行方が心配なので、スマホのライトをつけてそれを頼りに進むことにした。こういうことでしかスマホを使わないのは、それはそれでどうなんだろうか。

 

 ぎしりぎしりと軋む音のなる階段。進めば進むほど黒の範囲が広くなっていく。見えない手すりを掴んでゆっくりと上がる。明らかに一階とは雰囲気が違う。ここから先は足を踏み入れてはいけない領域だと危険信号が鳴っている。

 

「こわ……こわい……」

 

 人って怖い状況に陥ると勝手に独り言をしてしまうんだな。もう手帳に状況を書いている場合ではなかった。

 

「……帰ってよくない? でもあの子は……」

 

 入っていった少女の安否が気掛かりだ。家に入っていったときの少女の様子は普通じゃなかった。まるで何かに突然とりつかれたかのように走り出していた。約束の人は来ないし、すぐに家から出たいしで足がすくんでいたが、最低でもあの子だけでもここから引っ張り出さないといけないと感じていた。

 

とにかく、進むことにした。

 

 

 

 二階は一切の光のない暗闇の世界だった。足元をライトで照らさないとまともに歩くこともできない。窓が遮光されて外の光が入ってきていないのか……。歩くとぎしぎしと嫌な音が立ち、足の裏に木造の板がへこむような感触が伝わってきた。一階の整えられた新品のような雰囲気とは打って変わって、年季の入った建物になっていた。

 

「誰か、いませんかー?」

 

 全く反響しない声にはなんの反応も返ってこない。仕方ないのでそのまま進んでいくことにする。

 

 足元だけを見ながら進んでいく。真っすぐな道が続いていて、曲がり角とか何らかの部屋の扉といったものも見えてこない。ざらざらした木の板が床に並べられているだけだ。ただ……

 

「……長くね」

 

 体感でしかないが一分くらいは歩いたはずだ。なのに、まだ壁に行きつかない。

 

 かなり奥行のある建物? いや、外観はそんな風に見えなかったし、一階だってここまで面積があるようには思えなかった。

 

 不安になって立ち止まる。知らないうちに汗をかいていたらしく額に嫌な冷え水が伝っていた。前後から果てのない虚無が自分を追い詰めているようだった。ゴールのない永遠の一本道でありながら、徐々に押し迫ってくる壁のようでもある。長いのに、短い。矛盾を孕む空間に僅かな吐き気を催す。ここから先に行くのは、きつい。

 

「戻ろう、戻ろう、戻ろう」

 

 何度も「戻ろう」という言葉を口の中で転がした。ゆっくりと後ずさりしながら、頭の中では、振り返ったら走って逃げようと考えていた。

 

「三秒、三秒数えたら……」

 

 三秒カウントしたら実行に移すことを決めた。

 

「三……二ぃ……一ぃ……」

 

 吐息交りの数字が震えて聞こえる。そして脳裏に0という数字が浮かんだ途端に振り返った。

 

「ゼロッ、いたっっ!?」

 

 理解が追いつかない。脳がバグる。だって走ったと思ったらいきなり顔面を殴りつけられたような衝撃に襲われたのだから。

 

「はあ、なんで?」

 

 とても平面なツヤのない黒。壁だ。壁ができていた。触ることができるのだから、壁だろうこれ。壁以外の何物でもないだろこれ。

 

「は、はあ?なんでだよ」

 

 ドンドンと強く叩くが微動だにしない。

 

 来た道が消えていた。最初からそこになかったかのように。

 

 もう一度振り返ると変わらず黒い一本道が続いていた。また振り返ると壁は消え……てはいなかった。

 

「……」

 

 この先に進むしかなくなってしまった。

 

 

 

 道がいくつかに別れた。右に、左に、そして前に。そして前に進むとまた左右に道が現れる。真っすぐ進むのも気が狂いそうだったので何度か曲がってみたがまた似たようなところに行きつくだけだった。歩き始めて数十分、いや、もう一時間は超えているだろうか。何かを考える気力も起きない。歩く力しか残っていない。

 

 右、左、左、右、右、右、まっすぐに……。

 

 ふと自意識が帰ってくると疲れを認識してしまって膝から崩れ落ちてしまう。

 

「——————」

 

 声も出ない。空気が漏れる。飲料を取り出して飲む。

 

 振り返ると、やっぱり壁ができていた。何度歩いても壁はぴったりと付いてくるし、走っても距離は変わらない。

 

「……帰らせてくれ……」

 

 ガタンッッ!!

 

「うわっ!?」

 

 呟きが何かのキーになったのか、目の前に扉が現れた。二階の雰囲気に合わない、一階にあったような洋風の扉だった。茶色の木製で表面に光沢がある。

 

「……」

 

 後ろにあったはずの壁は消えていた。代わりに道が伸びていた。

 

「…………」

 

 普通に考えて、選択肢は一つだろう。

 

 

 

 久々の明かりを受けて目を瞑る。カランカラン、シャランシャランと可愛らしい鈴の音が耳を撫でてくる。足裏にカーペットのふわりとした柔らかな感覚。瞼の裏を通る輝きに眼球が慣れてきたところでようやく眼を開く。

 

「……うお」

 

 この家に入ってからずっと意外なものばかり見つけてしまうせいか素っ頓狂な反応をしてしまう。

 

「目に優しい……」

 

 目元を擦りつけて僅かな涙を拭い、部屋を見渡す。

 

 子供部屋だった。上の電灯が部屋を暖色色に染めている。肌色を薄くしたような壁紙。ピンク色のカーペット。色とりどりのカラーボックス。柔らかそうな素材でできた籠の中にはいくつかの女の子のフィギュアが。ベッドの近くで回り続けている遊園地のようなおもちゃがあり、そこから懐かしいような音が鳴っている。

 

気が緩んで体の緊張が解れ、眠気が訪れる。自然とベッドの方に身体が動いた。

 

「ふう……」

 

 ベッドに座ると程よい弾力が返ってきた。寝転がってしまいたいが流石にそこまでは……。

 

「遊んでくれるの」

 

「ん……え?」

 

 横を見るとパジャマを来た幼女が座っていた。

 

「え、え、えーと」

 

 呆気に取られてしばらく押し黙る。幼女のくるりとした黒い目が自分を真っすぐに見上げていた。

 

「遊んで」

 

 小さな手が自分の服を引っ張る。

 

 この子は、なんなんだろう。

 

「……君は、誰?」

 

「遊んで」

 

 ぐいぐいと僅かな力で衣服が引っ張られる。

 

「ねえ、遊んで。遊んで」

 

「わかった、わかったよ」

 

「やった! やった!」

 

 名のわからない子供はぱっとした笑顔になってベッドから飛び降りた。そしておもちゃ箱の中に手を入れてガサゴソとかき混ぜている。そして一体の人形を引っ張り出した。

 

 ロングヘア―の女性の着せ替え人形。

 

「……?」

 

 あんなにごちゃごちゃと中身を探っていたのに髪の毛が綺麗に整えられている状態で出てきたのが気になった。

 

「遊ぼ! 遊ぼ!」

 

「何をして遊ぶの?」

 

「お話するの!」

 

「……お話し?」

 

「うん!」

 

 おままごとかなと思いながら動向を見守る。あどけないその子は、床に置かれていたミニチュアで作られた部屋に人形を置いた。

 

「……あれ」

 

 こんなものあったっけ。

 

「あたしがお母さんで、あなたがお父さん!」 

 

 男性の人形を差し出されて素直に受け取る。

 

「やろ! やろ!」

 

「あ、うん」

 

 自分も人形を置いてこの子の遊びに付き合うことにした。

 

「あなた、おかえりなさい。ごはんはもうできてるわよ!」

 

「今日のメニューはなんだい」

 

「オムライス!」

 

 お互い人形を向い合せの椅子に座らせる。前にある机にオムライスのミニチュアが置かれる。

 

「どう?」

 

「美味しいよ」

 

「嬉しい!」

 

「いつもありがとう」

 

「ダメ!」

 

 急にダメ出しをされた。

 

「お父さんは、ありがとうなんて言わないの!」

 

「……ええ?」

 

 いや、言ってもいいだろう。

 

「前よりマシって言うの」

 

「……前より、マシ」

 

「次はもっと上手くなるわ!それよりあなた、今日はいくら稼いできたの?」

 

 生々しくなってきたな?

 

「そんなことより、もっと楽しい話をしようよ」

 

「ねえ、いくらなの?ねえ、ねえ」

 

「ちょっと待って」

 

 遮るように声をかける。

 

「……おままごと、こんな感じで楽しい、かな?」

 

 大分言葉を選んだ。この子は不思議そうに首を傾げながら、

 

「うん」

 

と言った。

 

「そっか……」

 

「続き!」

 

 遊戯の続行を急かされる。仕方ないので従うことにした。

 

「いくら稼いできたの?」

 

「今日は一万円くらい。大金だよ」

 

「あらそうなの。もっと期待してたのに」

 

「ご、ごめんね」

 

「まあいいわよ!」

 

 すると人形遊びは次のシーンに移っていった。

 

「お風呂湧いてるわ」

 

「じゃあ先に入らせてもらうよ」

 

 お父さんを浴場らしきところへ移動させる。白い筒の中に人形を入れておく。次はどうするんだろうとその子を見やると、じっと自分を見つめていた。何かのリアクションを待っているのだろうか。

 

「……気持ちいいなあ」

 

「そうでしょ!」

 

 するとお母さんが浴場に入ってきた。

 

「私も入るわ!」

 

「……あー、と」

 

 どう反応すればいいんだ?と迷っているうちに二体の人形が同じ桶の中に入った。

 

「、こらこら。びっくりするじゃないか」

 

「いつものことじゃない!」

 

 ……この子の中では微笑ましい夫婦生活なんだろうか。

 

「さ、やりましょ」

 

「何をだい?」

 

「いつもやってるでしょ」

 

 お母さん人形の背中側をお父さん人形に向ける。そして、

 

「あん!あん!」

 

「……ええ?」

 

 ぶつけだした。何度も何度も打ち付けるように。

 

「今日は静かね」

 

「……」

 

 流石についていけない。

 

「じゃあ、もっと早くするぞ(やめよう)」

 

 ……あれ。

 

「ああ、いいわよ!あなた!」

 

「まだまださ」

 

 手が勝手に人形を動かしている。口からは意図しない言葉が吐き出されている。やめようと言おうとしたのに邪魔をされた。

 

「気持ちいいわ!気持ちいいわ!」

 

「ふっふっふっ」

 

 子ども相手に、なんて気持ち悪い。止まれ、俺。

 

「ああ、ああ」

 

 止まれって。

 

「……ふう」

 

「よかったわ。あなた」

 

 自分に対して吐き気を催した。

 

 

 

 今はこの子は一人で人形遊びしている。二体の人形を寝かせて、何やら歌を歌い聞かせている。

 

「……」

 

 俺はとりあえず、正気に戻っている。どうしてあのようなシチュエーションに乗ったのか、それはわからずじまいだ。

 

「なあ」

 

「?」

 

 その子に話しかけてみる。

 

「君のお父さんとお母さんは?」

 

 こんなことをしているから何か変な事情があると思って聞いた。

 

「……」

 

 流石に、禁句だっただろうか。あの子は黙ってこちらを見ている。

 

「お仕事」 

 

 まだ帰ってこない、ということだろう。

 

「さっきのは、お父さんとお母さんのまね?」

 

「うん」

 

 素直だ。日常的に子供のいる前でそんなことを……

 

「お父さんね、いい人」

 

「そう、なんだ」

 

「うん。いつも怒るけどやさしいの。よくあたしとお母さんをぶつけどすぐなでなでしてくれるの」

 

 典型的な児童虐待……。

 

「お母さんもね、お料理上手でね、出来立てのお料理すぐ食べさせてくれるの。すっごく熱くてヒリヒリして美味しいの」

 

「でも、痛いだろ」

 

「痛くてうれしいの!」

 

 人形二つを見せびらかす。この子的にはほとんど虐待のようなことを愛情表現だと思っているのか。

 

「……そっか」

 

 他に返す言葉がない。それは本当はダメなことなんだよって諭すべきなんだろうけど、この子はもうそういうものだと認知している。ただの高校生の俺がそれを覆すなんて、まず無理な話だ。それに今の俺の目的は……

 

「……あ」

 

 そうだ。忘れていた。この家に入っていったあの少女を探すために来たんだろ。どうしてそんなことを忘れていたんだ。この部屋にいる場合じゃない。

 

「どっか行っちゃうの」

 

 立ち上がる途中で話しかけられた。じっと自分を見ている。

 

「うん。人を探してて。そうだ、君は見たかな。帽子を被ってる女の人なんだけ———」

 

 突然足元にしがみついてくる。か細い腕で自分の足を抱いている。

 

「ダメ。もっと遊ぼ」

 

「ごめん。俺は行かないと」

 

「ダメ」

 

 中々腕を解いてくれない。仕方ないから少し強引に腕を引き離そうとする。

 

「……かたっ」

 

 掴んだその子の腕は石のような硬さだった。足にかかる力はそれほどでもないのに。

 

「ちょっと、放して」

 

「ダメ。ダメ」

 

 顔を埋めながら繰り返す。

 

「ダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメ」

 

「うおっ!?」

 

「遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ」

 

 喋りが段々と早くなっていく。これは流石に、おかしい。

 

「———遊ぼ」

 

 顔を上げた。

 

 頬の肌の肉が爛れ、真っ黒な眼孔が見えた。

 

 

 

「———うあああああああ!?」

 

 後ろに倒れ込むとドアにぶつかって壊れた。真っ黒な廊下にまた出る。さっきまで見えていたファンシーな子供部屋は見るも無残な廃墟の一室に変わっていた。すぐ目の前には衣服も肌もぼろぼろな、死体のような人形が。

 

「遊ぼ、遊ぼ」

 

 声色は変わらず。まるで手招きをしているようだ。死神、みたいだ。

 

「はっ、はっ」

 

 視界の突然の変化に理解が追いつかない。段々と恐怖が頭を覆っていって、ついに背中を向けて走り出した。

 

 黒い一本道。だが蛇のように曲がりくねっている。とぐろを巻いて、また元の位置に誘致する。また扉が見えて、また逆方向に逃げていく。

 

 

 

 しばらく走り続けて、疲労困憊だった。どれだけ走ったのかもわからず、どうして走っていたのかさえわからなくなった。

 

「あ、……ぐ」

 

 転ぶ。そして肺から空気がどばりと噴き出る。

 

「っくはぁっ……な……なんでだよ……」

 

 果てのない恐怖。終わりのない苦しみ。

 

「……帰らせてくれよ……」

 

 そのとき。

 

「———あ」

 

 その声に呼応するかのように、救いの手を差し伸べるかのように。

 

扉が現れた。

 

 

 

 開けると子供部屋の中央で幼い女の子が一人遊んでいた。その子が自分に気づいて、にんまりと笑った。

 

なんとなくほっとけなかったので、一緒に遊んであげることにした。

 

 

 

「———うあああああああ!?」

 

 後ろに倒れ込むとドアにぶつかってコワれた。マックロな廊下にまた出る。さっきまで見えていたファンシーな子供部屋は見るも無残なハイキョの一室に変わっていた。すぐ目の前には衣服も肌もぼろぼろな、シタイのような人形が。

 

「アソぼ、遊ぼ」 

 

 声色は変わらず。まるでテ招きをしているようだ。死神、みたいだ。

 

「はっ、はっ」

 

 視界の突然の変化に理解が追いつかなイ。段々と恐怖が頭を覆っていって、ついに背中を向けて走り出した。

 

 黒い一本道。だが蛇のように曲がりくねっている。とぐろを巻いて、また元の位置に誘致する。また扉が見えて、また逆方向に逃げていく。

 

 

 

 しばらく走り続けて、疲労コンパイだった。どれだけ走ったのかもわからず、どうして走っていたのかさえわからなくなッタ。

 

「あ、……ぐ」

 

 転ぶ。そして肺から空気がどばりと噴き出る。

 

「っくはぁっ……な……なんでだよ……」

 

 果てのない恐怖。終わりのないクルしみ。

 

「……帰らせてくれよ……」

 

 そのとき。

 

「———あ」

 

 そのコエに呼応するかのように、救いの手を差し伸べるかのように。

 

扉が現れた。

 

 

 

 アけると子供部屋の中央で幼い女のコが一人アソんでいた。その子が自分に気づいて、にんまりと笑った。

 

 なんとなくほっとけなかったので、一緒に遊アソんであげることにした。

 

 

 

「———うあああああああ!?」

 

 ウシろにタオれ込むとドアにぶつかってコワれた。マックロなロウカにまた出る。さっきまでミえていたファンシーなコドモ部屋はミるもムザンなハイキョのイッシツに変わっていた。すぐメの前にはイフクもハダもぼろぼろな、シタイのようなニンギョウが。

 

「アソぼ、アソぼ」

 

 コワイロはカわらず。まるでテマネきをしているようだ。シニガミ、みたいだ。

 

「ハッ、ハッ」

 

 シカイのトツゼンのヘンカにリカイがオいつかない。ダンダンとキョウフがアタマをオオっていって、ついにセナカをムけてハシりダした。

 

 クロいイッポン道。だがヘビのようにマがりくねっている。とぐろをマいて、またモトのイチにユウチする。またトビラがミえて、またギャクホウコウにニげていく。

 

 

 

 しばらくハシりツヅけて、ヒロウコンパイだった。どれだけハシったのかもわからず、どうしてハシっていたのかさえわからなくなった。

 

「ア、……ぐ」

 

 コロぶ。そしてハイからクウキがどばりとフき出る。

 

「っくはぁっ……な……ナンデだよ……」

 

 ハてのないキョウフ。オわりのないクルしみ。

 

「……カエらせてくれよ……」

 

 そのとき。

 

「———あ」

 

 そのコエにコオウするかのように、スクいのテをサし伸べるかのように。

 

トビラがアラワれた。

 

 

 

 アけるとコドモベヤのチュウオウでオサナい女の子がヒトリアソんでいた。そのコがジブンにキづいて、にんまりとワラった。

 

 なんとなくほっとけなかったので、イッショにアソんであげることにした。

 

 

 

「———ウアアアアアアア!?」

 

 ウシロニタオレコムトドアニブツカッテコワレタ。マックロナロウカニマタデル。サッキマデミエテイタファンシーナコドモヘヤハミルモムザンナハイキョノイッシ”ニカワッテイタ。スグメノマエニハイフクモハダモボロボロナ、シタイノヨウナニンギョウガ。

 

「アソボ、アソボ」 

 

 コワイロハカワラズ。マルデテマネキヲシテイルヨウダ。シニガミ、ミタイダ。

 

「ハッ、ハッ」 

 

 シカイノトツゼンノヘンカニリカイガオイツカナイ。ダンダントキョウフガアタマヲオオッテイッテ、ツイニセナカヲムケテハシリダシタ。

 

 クロイイッポンミチ。ダガヘビノヨウニマガリクネッテイル。トグロヲマイテ、マタモトノイチニユウチスル。マタトビラガミエテ、マタギャクホウコウニニゲテイク。

 

 

 

 シバラクハシリツヅケテ、ヒロウコンパイダッタ。ドレダケハシッタノカモワカラズ、ドウシテハシッテイタノカサエワカラナクナッタ。

 

「ア、……グ」

 

 コロブ。ソシテハイカラクウキガドバリトフキデル。

 

「ックハァッ…ナ…ナンデダヨ……」

 

 ハテノナイキョウフ。オワリノナイクルシミ。

 

「……カエラセテクレヨ……」

 

 ソノトキ。

 

「———ア」

 

 ソノコエニコオウスルカノヨウニ、スクイノテヲサシノベルカノヨウニ。

 

トビラガアラワレタ。

 

 

 

 アケルトコドモベヤノチュウオウデオサナイオンナノコガヒトリアソンデイタ。ソノコガジブンニキヅイテ、ニンマリトワラッタ。

 

ナントナクホットケナカッタノデ、イッショニアソンデアゲルコトニシタ。

 

 

 

……………………………………………………………………………………………………

 

 

 

 走って逃げて足を回して、果てに現れるドアはオアシスみたいだ。ここに来れば休めるよ、と。遊ぼうよ、と。開いた扉からざわりざわりと手の花々が誘っている。

 

 拒否する理由はない。だって、そこは楽しそうなんだもの。

 

『来て。来て』

 

 疲れた身体に子供の呼ぶ声はよく通る。つい笑顔になって、そこに手を伸ばしたくなる。

 

『遊ぼ。遊ぼ』

 

 ああ、そうだね。少しだけ、少しだけ遊ぼうか。何して遊ぶ?君の好きなことをしていいよ。

 

『たくさん遊ぶの!色んなことするの!』

 

 そっか。なんでも付き合うよ。俺も、懐かしい気持ちになってきた。

 

「もうすぐでそっちに行くから、待ってて」

 

 あまりに急かすものだから宥めてみたけれど、我がままを言いたいお年頃らしい。ずっと来て、来てと言っている。

 

 もう少し急いで行こう。じゃないと、怒らせてしまうから。

 

あと数歩。

 

 九歩。八歩。七歩。

 

『まだ?まだ?』

 

 六歩。五歩。

 

『早く!早く!』

 

 四歩。三歩。

 

『もう少し!もう少し……』

 

 二歩。

 

 一ポ、

 

 

 

———————————————————————————————————ザン。

 

 

 

 糸が、切れた。

 

 俺を引っ張り続けていた誘惑が掻っ切れた。

 

 正気に戻る。自分と扉の間に、上から何かが落下していた。

 

「———あ」

 

 理解に数秒。

 

 それは人だった。

 

 

 

“カラフルな帽子に赤いジャージ……縞格子のスカートで軽そうなリュックサック”

 

 突然この家に飛び込んでいった、あの少女だった。

 

 少女は片膝を立てて着地している。上着がふわりとなびいていた。その手には長くてキラリと煌めくものが。光のない世界の中で唯一妖しく、硬い白光を掲げるそれは、日本刀のように見えた。

 

「……いた」

 

 ようやく少女を見つけた安堵でそうぼそりと呟くと、少女の眼球はこちらに向いた。そしてそのまま翻るように回り、手に持った業物で俺の身体を横に薙いだ。

 

 

 

 

 

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