流天の剣/女(るてんのけんにょ) -剣豪少女と意志持つ妖刀-   作:境 仁論(せきゆ)

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佐々木迷宮-3

 頭がふわふわする。あと、くらくらする。視界にぼうぼうと靄がかかっていて、この部屋が明るいのか暗いのかがよくわからない。

 身体が浮いているみたいだ。幽体離脱? それとも、ただの夢? 風船みたいに上へ上へと。

 いや、昇っているというよりは引っ張られている。どうやら上だと思っていたところが下みたいで、この肉体は落下しているらしい。一片の紙みたいに。吹けば暴れる埃みたいに。

 ゆっくり、ゆっくりと。とても穏やかに俺は墜落していった。

 

「———ん」

 とても嫌な目覚め。覚醒の準備が整う前に起きてしまった。まだ寝足りなかったが、二度寝しようとは思えなかった。

 身体が重い。主に肩の辺りが押さえつけられているような感覚があるし、眩暈もやってくる。昨日のことで体調が悪くなっているのだろうか。とりあえず一階に下って、朝食をとることにした。

「槙、顔色悪くない?」

「ん……なんか気分悪い」

 母さんが俺の顔を訝し気に覗いてきた。

「今日学校休もうか」

「いや大丈夫だよ。これくらいで」

「休んだ方いいって。すっごい青ざめてるよ? 鏡見てきな」

 そんなに酷いのかと思い洗面台に向かう。確かに、足取りも少しおぼつかない。

「……うわ」

 鏡には血の気のない死体のような顔が映っていた。頬の辺りに触れるとあまりにも冷たくて指先がひくついた。気温が低い……だけじゃ説明つかない。まるで氷水にしばらく浸かっていたみたいだった。

「今日は休みなさい」

 流石にこの状態で登校するのはまずい気がした。今日は大人しく休むことにしよう。

 

 布団に包まるが眠気はなかなか訪れない。寒気はないけれど定期的に身体が震える。相変わらず体の調子は悪いものの、朝起きたときより幾分かはマシになっていた。

「……うーん」

 目を閉じていてもダメだ。すっかり冴えてしまっている。なんとなく落ち着かず、ベッドから降りた。なんというかこう、外の空気を吸いたい気分だ。部屋の空気が悪い。換気しよう。

 窓を開ける。快晴。真っ白な陽光が眼に痛い。でもすぐに慣れる。冷たい朝の風が顔に当たるが悪くはなかった。ずっと布団にくるまっているよりかは遥かに気持ちがいい。

 ますます目が覚めていく。もう学校に行っても何の問題もないのでは?

 ……いや、今日一日はもうサボるつもりで過ごそう。欠席理由もちゃんとしたものだし。もしかしたらこれから悪化するかも……しれないし?

 自分にそう言い聞かせてあと一、二分、外の風を浴びていようと思った。

「すぅー、ふぅー」

 なんとなく深呼吸してみる。胸が下ろされると自然と視界が下の方に向いた。

「……ん」

 何か、見つけた。

「……んー?」

 いる。いるな。電柱の影に潜んで、こっちを見てるな。見たことのある子が俺を見てるな。

「天……?」

 昨日と全く同じ服を着ていたからとても分かりやすかった。昨日知り合った少女、天がなぜかうちを張り込みしていてじっとこちらを観察している。……いや、なんでうちの場所知ってるんだ?

 ずっと俺の方を見ているのでなんとなく見つめ返す。

「……」

「……」

 沈黙。

 風と車の音と隣の家のテレビの音だけが聞こえる。特にどっちかが話しかけることもなく、まっすぐな視線だけが重なっている。

 ……なんだこれ?

 とてもシュール。何か、何か変な感じだ。少し何か奇をてらいたくなってくる。

零点コンマ秒の思案の果てに、ちょっとした動きを入れてみることにした。

「……(手を振ってみる)」

 片手をひらひらと振ってみた。とてもさりげなく。ゆっくりと。窓の下から徐々に手を挙げていって、なるべく自然な感じで手を振ってみた。

「……(目を見開く)」

 お?

 天が気づいたらしい。とても驚いたような顔をしている。

「!……(電柱の裏に隠れる)」

 すると突然姿を眩ましてしまった。いや、わずかに顔を出してちらちらと覗いてきている。

「……猫?」

 野良猫を触ろうとして互いに動きを読み合った少年の日の思い出。

 あのときの猫もこんな感じだったな……。

「てーん。何してんのー?」

 呼びかけてみると天はまたびくりとして完全に裏側に隠れてしまった。今度はこっちが観察している気分になって妙に楽しくなってきた。天が今度はどんな動きをするのかを見ていたい。とりあえずじっくり見守る方向性で行こう。

「……」

 天との心理戦が始まる。一体何が勝利条件なのかわからないまま。

 彼女が再び頭を出す。しかし俺が見ていると気づくとすぐに引っ込んでしまう。

「それなら……」

 俺の方が隠れる。しゃがんで天の視界から消えてしまう。するとどうだろう。天は俺を見失って慌ててしまうんじゃなかろうか。十秒くらい隠れてから少し頭を出して見てみる。

「お、ぷふっ」

 天が出てきて少し忙しなくしていた。あわあわしている。その様子を見ただけで吹き出してしまった。

「よし」

 驚かせてやろ。

「わっ!」

「ひあぁあっ!?」

 大声を出しながら勢いよく頭を出すと天は素っ頓狂な声を上げて跳び上がった。

「あははっ」

 笑う。

 頭上にはてなマークを三つくらい浮かべていそうな表情を見てさらに笑う。

「何笑ってるのー?」

 一階から母さんが聞いてきたので声を抑えた。

 

「……え、ずっと見張ってた? 一晩中?」

 天は頷いた。

 玄関の前に出て天と話していた。外に出た瞬間にむっとした表情の彼女がずしずしとやってきて面白かった。しかし話を聞いてみると、

「昨日の夜からずっと、ここを見張ってた」

と言うのだ。

「……ええ……」

 昨日の夜はそれなりに寒かったような気がするが……。

「お話屋の勧誘? それなら別にやる気はないし……」

 しかし天は首を横に振る。

「じゃあ、なに?」

 神妙な面持ちでじっと見つめられる。少したじろぐ。

「ついてます」

「何が?」

 ゴミだろうかと頭を掻いてみる。

「昨日のが」

「昨日の……?」

 顔に何か傷でもついているのだろうか。頬の辺りを擦ってみる。

 別にこれといった痕のようなものはないように思う。汚れだったらちゃんと昨日身体を洗ったし。

「何がついてるんだ?」

 天は少し言い辛そうにしていたが、目線を下に向けるとぼそりと呟いた。

「昨日の女の子、憑いてます」

「……は?」

 

 変な遊びをしている場合ではなかった。思った以上に事態は深刻らしい。

「昨日、逃げていた時、たくさんの手が追いかけてきた、と思います」

 その出来事を思い返す。あの暗くてどこまでも長い廊下を走っていた時、確かに蛆虫の大群のような手に追いかけられ続けた。思い出すだけでも気分が悪くなる。

「その内の一本が、多分、あなたに触ったんだと思います」

「……そんな感覚なかったけどな」

「実体のない……幽霊みたいなもの、だから」

 幽霊、か。確かにその通りだ。

 あの部屋にいた女の子は、信じられないけど霊的なモノなんだろう。そうじゃなきゃ説明がつかない。

 というか、”生きている存在じゃない”ってどうしてあのとき気づけなかったのか。

「体、冷たいです、よね」

「ん……まあ冷えてるっていえば冷えてる。でもなんか変なんだ。熱があるって感じはないし、寒気のようなものもない。たまに震えるけど。なんというか……冷たいのは肌の表面だけ、っていうか。これが憑かれてる証拠なのか?」

 天は咄嗟に俺の手を取る。ツンと来るような冷たさでつい目を閉じてしまう。何かに触れると勝手に火傷してしまいそうだった。

 天に風邪がうつったらまずいと手を放そうとするが彼女は思いのほか握力があり、なかなか放してはくれなかった。

「今日はずっと私が見ています」

「見るって……」

「なので、大丈夫です」

「槙―、寝てないと身体悪くなるでしょー。あれ。何、外にいるの?」

 玄関から母さんの声が。

「やば……」

 こっそり外に出て人と話してるなんてところを見られたら、まずい。

 すぐに戻ろうとしたらドアの方が先に開いてしまった。

「……お友達? 学校の」

 母さんが俺の後ろにいる天を見つけた。

「いや、この子は……」

「学校に行かないでお見舞いに来てくれたの? あらあら寒かったでしょう!」

 なんとか言い繕うとしたが母さんは勝手に解釈して勝手に納得してしまった。

「ちゃんとありがとうって言いなさい槙」

「え、あ、ありがとう……?」

 その場の流れで頭を下げると天も下げ返してきた。

「入って入って。友達思いの子には御馳走しなくちゃ」

 なんというお節介。母さんに背中を押されて天は我が家へと入っていった。天はまた頭の上にはてなマークを浮かべていそうな顔をしていた。

 そして母さんはすれ違いざまに、

(彼女?)

と聞いてきた。

「違う違う!」

 全力で否定の素振りを見せたが母さんは悪戯っぽく笑った。とんでもない誤解を生んでしまった気がする。

 

 病人は大人しく寝てなさいとのことで自室に追い返された。というわけで大人しく寝ている。意識はあるけど。

 下の階では母さんと天が何やら話している声がしている。あとテレビの音。随分とくつろいでいるらしい。気前のいい母さんのことだからお菓子とか色々あげているんだろう。

 ……気になる。なんの話をしてるんだ。さっき天のことを彼女だとか訊いてきたから不安だ。変なこと訊いてなければいいけど。

「はぁ」

 とりあえず今は寝ていよう。眼を瞑るだけでもマシだろう。

 布団に身体を任せて視界を黒くする。自然と眠気はやってきて、脳が蕩けるように夢の世界へ入っていった。

 

 からからからから。

 がららららららら。

 ざらり、ざらり。

 ぎり、ぎり、ぎり、ぎり。

 奇怪な音。引っ掻くような音。絡まって蠢く何かの音。

 幾つもの腕が渦のように廻りながら、その身体を迎え入れる。蝸牛。蟻地獄。または台風。その中心に帰ってきた彼が捧げられる。

「おかえり、おかえり」

 ふわふわと降ろされていく。頭の方から呑まれていく。

 かの愛し子は求めている。帰ってくるはずの家族を欲している。故に捉えては囚え、二度と外に出すことはなかった。いくら逃げようとしたところで道は矛盾し、循環し、永続的にこの家は閉じ込める。尾を食う蛇のように、新たな家族は廻り続ける。そして彼は、自分が最初から家族の一員であったと自認するようになる。

 ゆえに、迷宮。佐々木迷宮。

 佐々木家が遺した稚児は、いつかその家を変貌させた。家族を求める純粋な本能が、たった数十年でその異界を作り上げたのだった。

「おかえり、オカえり」

 それまで何人もの人間を取り込んだのだろう。その痕は見る影もない。形が壊れるまで使い古し、廃れるまでごっこ遊びを繰り返す。

 誰も外に出さない。ずっと、遊び続けるために。誰も行かせない。もう独りにならないために。

「———それを繰り返して、意味はあるのか?」

「ウ——————————?」

 呼んでいない来訪者。いや、確かに一度彼女を迎えはしたが。

 今そこにいるアレは、求めていない。

「永遠を求める、という意味では私も同じ」

 異物は、取り除かなくては。

「デテイケ」

 少年を取り囲んでいた腕が一斉に襲い掛かる。しかし遅い。

 ソレは壁となった肉を業物で薙ぎ払う。線の数は三つ。するとばたばたと羽虫は落ちていった。

「お前の永遠はただの遊び」

 崩れる壁の隙間から、剣女は少年の死相を見た。目は曇り、色は暗く、命の灯っていない人形。それが今にも取り込まれようとしている。

 一つ、呆れの混じった溜息を吐く。少しは助けを乞うような顔をしろ、と思いはしたものの、そんな一瞬の邪念はすぐに捨て去った。

「永劫を生きてきたモノの力を、見せてやる」

 二つに、深い呼吸で最後の切り替えを身体に示した。

 

「槙、夕飯の時間―。お友達もう帰っちゃったよー」

「……」

「あらら、寝ちゃってる」

「……スゥー……」

「かわいい顔しちゃって。まだ小さかったころみたい」

「……」

「ご飯、置いとくからね」

「……」

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