「しらない」
「どんな姿してるの?」
「しらない」
「本当は知ってるんでしょ?」
「しらない」
これは僕が高校時代、ボランティア活動をしていた頃の話である。
内申点が上がるから、という動機で二人のクラスメイトと一緒に参加した。
児童施設で三日間、子どもたちのお世話をして一緒に遊ぶ。
ボランティアの内容としては、実に楽なものだった。
ただし、子どもたちが怪我をしないようちゃんと見なければならないので、当然その辺りは責任感を持って務めた。
もっとも、聞き分けの良い素直な子ばかりだったので、そこまで苦労することはなかったが。
内申点目当てだったが、もともと子ども好きだったこともあり、結構楽しめた。
無邪気に懐いてくる子どもたちにも愛着が湧き、気づけばやりがいを感じていた。
……ただ、その施設では不気味な出来事が起きていて、僕はそれが気味悪くてしょうがなかった。
今でも忘れることができない。
その施設では、動物の死骸が毎日出るのだ。
「ここ最近、ずっとなんだよ」
施設の人は、顔を青白くさせてそう言った。
初日は腹が引き裂かれたトカゲの死骸が発見された。
二日目は真っ二つにされたスズメの死骸。
最終日は、施設で飼っているウサギのバラバラの死骸だった。
不審者が夜な夜な忍び込んでいるのかもしれないということで、監視カメラを設置していたが、それらしき人物は映っていなかった。
だが、動物の死骸は必ず毎日発見された。
この手のものが苦手なクラスメイトの一人は、すっかり怯えて最終日を目前にして来なくなってしまった。
「なんか、気味が悪いな……」
真面目なクラスメイトは最終日に渋々と来たが、許されるのならば早く帰りたそうにしていた。
僕も立て続けにショッキングなものを見たせいで、正直言えば足を運びたくはなかった。
とはいえ、僕たちまでサボったら施設の人が困ってしまう。
とりあえず今日を頑張って乗り切れば終わる。
そう自分に言い聞かせて僕は最終日に臨んだ。
不安は子どもたちの相手をしている内に吹っ飛んだ。
外で一緒にサッカーをしながら体を動かすと、実に爽やかな気持ちになれた。
動物の死骸さえ出なければ、きっと楽しい思い出で終わっただろうに。
「あっ! きらきらさんだ!」
ふと、子どもの一人が何もない場所を指して、そう言った。
「本当だ! きらきらさんだ!」
「おーい、きらきらさーん!」
他の子どもたちも同じ場所に注目した。
中には楽しそうに笑顔で手を振る子もいた。
……しかし、子どもたちの目線の先には、何もいなかった。
「ねえ、きらきらさんって何?」
僕は内心の恐怖を押し隠し、なるべく優しげに子どもたちに尋ねた。
「きらきらさんはね、ここに住んでるの」
子どもの一人がそう答えた。
「ぼくたちが帰るとね、どうぶつさんたちと遊んでるんだよ」
ゾクリ、と背筋が凍るような心地がした。
もしかして、動物を毎日殺しているのは、その「きらきらさん」とやらの仕業なのだろうか?
「その、きらきらさんって、どんな姿をしてるの?」
もしも不審者なら、施設の人に報告しなければならない。
そう思って子どもたちに尋ねたが……。
「しらない」
子どもたちは、ほぼ同時にそう言って、両手で目を塞いだ。
その異様な光景に、僕は息を呑んだ。
さっきまで可愛らしく思っていた子どもたちが、急に薄気味悪く感じてしまった。
何だか外にいるのが怖くなって、施設の中に入った。
施設内には、男の子が一人残ってお絵描きをしていた。
「何描いてるの?」
怖さを紛らわすため、ニコニコと男の子に話しかけた。
男の子は照れくさそうに笑いながら、ラクガキ帳を見せてくれた。
「おにいちゃん描いたの!」
どうやら僕の似顔絵を描いてくれたらしい。
心がポカポカと温かくなった。
「これ、おにいちゃんにあげる!」
「いいの? ありがとう!」
男の子は似顔絵が描かれたページを剥がして、僕にプレゼントしてくれた。
最終日に良い思い出ができた。そのことに僕はなんだかとても安堵した。
「お絵描き、好きかい?」
「うん! いろいろ描くよ! チョウチョウとか! イヌさんとか! ネコさんとか!」
男の子は嬉々とした様子でラクガキ帳を捲り、僕に絵を見せてくれた。
僕は「上手だね~」と褒めながら、男の子が喜ぶ様子を微笑ましく見ていた。
「あとね! あとね! これはトカゲさん! これはスズメさん! これはウサギさん! あとこれ……きらきらさん!」
その名前が男の子の口から出てきた瞬間、僕はスッと体温が引いていくのを感じた。
どうしてかわからないが、ページを捲ろうとする男の子の手を反射的に掴んだ。
男の子はキョトンと僕を見ていた。
「ねえ、外で遊ばない? みんな、サッカーしてるよ?」
何か急き立てられるように、僕は男の子に提案した。
男の子は首を横に振った。
「やだ。もっと絵見て」
「もう、充分見たから」
「見て。ぼくの絵、見て。きらきらさん、見て」
男の子の手がググッと持ち上がる。
子どもとは思えない力に、僕は驚いた。
ページが捲れていく。
僕は必死に男の子の手を抑えつけた。
気を抜くと、あっという間に力負けしてしまいそうだった。
「見て。見て。見て。見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て……見ロヨ」
男の子の声と一緒に、何か、異質な声が混じった。
ヒトの、声ではなかった。
怖い。
あんなに愛らしかった子どもたちが怖い。
ここの子どもたちは、何か、よくないものに魅入られている。
両目を手で塞ぐ子どもたちの異様な光景が思い出される。
その瞬間、僕は咄嗟に口を開いた。
「絵じゃなくてさ、口で教えてくれないかい? きらきらさんって……どんな姿してるの?」
ほぼ無意識の内に出た言葉だった。
そのときは、直感的にそう言うべきだと思った。
握っていた男の子の手の力が弱まる。
男の子はラクガキ帳から指を離して、ゆっくりと両目に手を置く。
そして。
「しらない」
男の子はそう言った。
ラクガキ帳に描いたのに。
その姿を知っているから描いたのに。
まるで「そうしなければならない」とでもばかりに、男の子は他の子どもたちと同じように両目を塞いだ。
僕は逃げるように、その場を去った。
ボランティアは無事に終わった。
帰り道、僕とクラスメイトは押し黙りながら駅まで歩いた。
「……お前、何か見たか?」
駅のホームで、クラスメイトは恐る恐る僕に尋ねた。
「……見たって何を?」
「その……変なものとか」
「……いや」
きっとクラスメイトは「きらきらさん」のことを言いたいのだと思った。
でも、正直その話題は勘弁してほしかった。
「……レポート、提出しないとな」
「そうだね」
レポートを仕上げるのは、お互いさぞ苦労するだろうと思った。
ボランティアの内容なんて、もうほとんど頭から抜け落ちていたのだから。
数日後。
一緒にボランティアに行ったクラスメイトが、恐る恐る僕に話しかけてきた。
「さっき、先生が電話で話してたの聞いちゃってさ……あの児童施設で事件があったらしいぜ」
「事件? それって……」
思い出されるのは動物の惨殺死体。
クラスメイトは僕の予想を察してか「いや、動物の死骸じゃないらしい」と言った。
「何かさ……職員の何人かが、失明したらしいんだ」
「失明?」
「ああ……どいつもこいつも、急に自分で指を目に突っ込んだそうなんだ」
頭が真っ白になった。
言いようのない感情が込み上げてきて、手足が震えた。
「妙な発作を起こす奇病じゃないかって、捜査が進んでるみたいだ。たぶん俺たちも、この後いろいろ聞かれるかもしれないぞ?」
クラスメイトの言葉は、もう半分以上は耳に入ってなかった。
発作?
奇病?
……違う。
原因は、そんなものじゃない。
僕の中に、何か確信めいたものがあった。
『見て。ぼくの絵、見て。きらきらさん、見て』
あの絵だ。
きっと「きらきらさん」が描かれた絵を見てしまったのだ。
理屈抜きに、そう考えてしまう自分がいた。
『しらない』
そう言って両手で目を塞ぐ子どもたち。
まるで、何かから目を守るように……。
見えているのに、知っているのに、その姿を決して口にしない子どもたち。
そして、その存在を絵に描き起こしてしまった男の子。
あの男の子は、無事なのだろうか?
そして、あのラクガキ帳は、まだあの施設に残っているのだろうか?
数年経った今でも、確認する勇気は湧かない。
ただ……あの児童施設では、いまだに動物の死骸が発見されているそうだ。
元ネタ【きらきらさん】より。