キヴォトスの皆様!お待たせいたしました! 作:全身鱗マン
D-DAY AM 12:20
子ウサギタウン 子ウサギ公園入口
カンナは天井を見上げた。快晴のぎらつくような太陽光はさえぎられ、天幕へ印刷されたRABBITのロゴを裏返しに浮かび上がらせている。設営されてからどのくらい経ったのだろうか、テントの表面はそれとわかるくらい土埃を被り、隅には木の葉が堆積していた。あふれかえる生活感のすべてが、ここが人の住む場所であるという事を、カンナの直感へ訴えかけている。
「お待たせ、まあとりあえずくつろいでよ。敵だった人間の本拠地でくつろげないかもしれないけどさ」
奥の空間に目をやると、黒い影が弾薬箱の中を漁っていた。周囲には各種弾薬やロケット弾、雑多な兵器が山積され、その隙間をどこからか拾ってきたであろう廃棄品のレトルト食品が埋めている
「コーヒー? それとも紅茶?」
ごとり、と鈍い金属音を響かせて、モエがやかんをシングルバーナーにかけた。
「ありがとう。じゃあ、コーヒーで。というか選べるのか……」
「毎回手土産をおしつけてくるおせっかいさんが二人くらいいてね。普段の食事は廃棄弁当だけど、お客さんに出すティーバッグくらいならある」
だから、ここでの暮らしも結構悪くないよ。公安局長さんもどう? ぞんざいに問いかけたまま、モエは新しい飴をポケットから取り出す。
「いや…遠慮しておく。それより、田中カクエについて聞きたい」
カーキ色の室内に似合わない、赤い派手な包装の飴を、モエは黙って剥いでいた。そのカサカサという音だけが室内にこだまし、外の世界を満たす蝉の声はどこか遠かった。
かつて狂犬と呼ばれたカンナの鋭い視線は今、テーブルの上に落とされている。ドローンの航空写真をコラージュして作られたより大判の航空写真に、半透明の戦術用地図が重ねられていた。真俯瞰で見ると、白亜の巨塔はただの白い円のように見える。
「公安局長として関わったある事件で疑念を持った私は、田中カクエの出生地とされる場所を訪ねた」
「それで?」
「どこにもなかったんだ。田中カクエが生まれ育ったという痕跡が」
数旬の沈黙ののちに、ぎしり、と椅子に深く座りなおす音がした。
「へえ、どうにも胡散臭いと思ってたけど、そういう系か」
モエは飴を口にくわえようとして、それをまた手元に戻す。
「……うちはサキが完全に肯定派で、ミヤコが迷っていて、ミユはその間でおろおろしててね」
「何の話だ?」
「私は田中カクエのことを完全に疑ってた。だから事件が終わっても勝手に調査を継続してたんだ」
モエはPCの画面を切り替え、あるフォルダを開いて見せた。野外作戦用の堅牢そうなラップトップの画面に、子ウサギタウンの再開発状況や、重機のレンタルリース契約資料といった捜査資料がずらりと並んでいる。どれも方々のサーバーへハッキングを仕掛けて手に入れたものだった。
「私達は一度、防衛室の口車に乗って田中カクエを襲撃した。それはカイザーコーポレーションが田中カクエの私企業を利用して仕掛けた失脚工作だったんだけど、全部終わった後にどうにもおかしいというか、飲み込めないなーと思って」
「ちょっと待て、全部初めて聞いたぞ」
モエは制止するカンナに構わず、ある電子資料を開いて見せた。
「これは」
「まー黙って読んでよ。読んだらわかるから」
全体を斜め読みしたカンナは、すぐに内容を理解して、顔色を変えた。それはある土地開発会社による、用地の買収計画だった。D.U.沖の今年になって埋め立てられた一帯を購入し、カイザーコーポレーションと共同開発する旨が記述されている。問題は、その土地開発会社のオーナーだった。
「用地を買ったのも、そもそも埋め立てたのも、田中カクエの私企業のグループ会社じゃないか……」
「巧妙にごまかされてるけど、実態は全部田中カクエとカイザーに抱え込まれてたってわけ。そんでこっちの資料は官製談合の痕跡。くひひ……びっくりしたよ。だってこんなに大きなスイッチが転がってるんだから」
モエは恍惚とした顔で何もない空中を触っていたが、彼女の目にはしっかりと、そこに大きな押しボタンが見えていた。薄いガラスケースで保護された空想上の赤いボタンは、黄色と黒の警告色に彩られた台座に設置されている。
「押したら、大変なことになっちゃうよねぇ……」
資料を読み耽るカンナを置き去りにしたままひとりでに興奮したモエは、腕を振りかぶってそのボタンを押そうとした。だが彼女のインカムに入ってきた叫ぶような入電が、彼女を一気に現実に引き戻す。
「こちらキャンプRABBIT。なにかあった?」
『こちらRABBIT2……ポイントBを放棄して沖合に退避する……その前に現在の状況を報告……いや、とにかくニュースを見ろ!そっちのが速い!』
サキがここまで曖昧な報告をよこした例を、モエは知らなかった。違和感と若干の焦燥感が胸に満ちるのを感じながら、動画サイトのリアルタイムニュースを開いたモエは、しばらく呆然とした後に、今起きている事が思っていたより複雑だという事を悟った。
「なんだ……これは……」
いつも興奮気味でやかましいニュースキャスターの声が、スピーカーからカンナの両耳に絶え間なく注がれている。だが今この時ばかりは騒音も気にならなく思えた。
画面の向こうで、ジックラトが轟音を立てて崩れ落ちている。巨大なコンクリート塊が落下すると、マイクに遅れて音が拾われる。
カンナは咄嗟にモエの顔を見た。いつもはだらしなくにやけているその口元が、さっきまでとはまるで別人のように凍り付いているのをカンナは目撃した。12時半の出来事である。
----------------------------------------------------------------
D-DAY PM 00:35
多目的施設ジックラト 中枢メインタワー内
不知火カヤは昔から悪運が強い女だった。
まず前提として人並みの野心はあったものの、彼女が連邦生徒会防衛室長という今のポストにたどり着けたのは、あきらかに運とタイミングの要素が強かった。偶然目の前で防衛室長の席が空いて、偶然カヤが条件を満たしていたため、室長の席に収まる事ができたのだった。それを超人の天運だと勘違いしたのはいつからなのだろう?
防衛室長になってからのカヤは、仕事を適度に防衛室の人員に投げつけながら、もっぱら権益の拡大に執心した。それは一個の政治マシーンとしてはこの上なく正しかったのだが、同時に行政を担うものとしては先がなかった。実際、
残酷な話だが、蓋を開けてみれば、カヤにカヤが考えていたような超人の才能は無かった。積み上げてきたものが全部崩れ去った後、最後に残ったのはただの悪運が強い女だった。
だから崩壊したメインタワー内で最初に意識を取り戻したのが彼女だったのも、何かのめぐり合わせなのかもしれなかった。
「う……」
連邦生徒会の白い手袋が汚れた床を彷徨い、大きなコンクリート片に当たって止まる。力を入れてぐっとふんばると、カヤは引き倒されていた上体をようやく起こす事ができた。細かい砂埃が周囲の暗闇に散る。
「一体何が……う……」
傷を負っていたようで、久しく感じていなかった体の痛みに、少し声が漏れた。周囲の地下空間は電源を喪失し、非常灯の赤い不吉な点滅が遠くに見える。カヤは座り込んだまま、必死に起こった事を思い出した。断片的にこれまでの事がよみがえってくる。エデン条約、巡航ミサイル攻撃、そして……。
「飛行船が突っ込んで……」
ふらつく足で立ち上がり、ブリッジから下を見下ろすと、ゲヘナとトリニティの生徒たちが一様に倒れ伏していた。この管制室の構造に損傷はないようだが、内装が落下して皆ダメージを負っている。
カヤはスマホの電灯で辺りを照らした。コユキは爆発の衝撃で机につっぷして気絶しており、カクエの姿はその少し遠くにあった。足を引きずるようにして、どこかへ向かおうとしている。
「カクエちゃん! 大丈夫ですか!?」
「あ……カヤ先輩……あれを……」
カヤは駆け寄って肩を支えた。漏れ出るカクエの声は、カヤが聞いたことのないような弱々しい声で、思わず息を飲む。
「あれを取らなきゃと思って……」
「あれ?」
カクエの指さす方に視線を向けたカヤは、茫然として立ちすくんだ。目の前に、大破壊の中、一つだけ生き残った電灯にまるでスポットライトのように照らされて、金庫が置いてあった。
震える腕でゆっくりカクエを地面に降ろすと、カヤはその壁際まで近寄って行く。さして特徴のないその黒い金庫の表面には、ダイヤルロックと指紋認証がつけられていた。
田中カクエ襲撃事件の際、カヤがヴァルキューレの捜査に乗じて中身を回収しようとした金庫だった。中に何があるかはわからないが、あるルートから得た情報によると、そこに田中カクエの権能の一部が収められているらしい。超法規的組織であるシャーレ同様の、カヤに理解できない何かが。彼女はずっと、それが欲しかった。
それを手に入れれば、自分よりも超人に近い位置にいたカクエを蹴落として、超人になれる気がしていたから。
気付いたらカヤは金庫の近くまで来ていた。表面をよく見ると、一度停電した影響か、あるいは単にかけ忘れていたのか、指紋認証は既に外れている。あとはダイヤルロックを外せば、中のものが手に入る。
「カクエちゃん、番号はっ」
カヤは背後を振り返った。カクエは糸が切れた人形のように、顔を下にして地面にうずくまってしまっている。返事は無い。
「1111、1234、あるいは9999……」
その時、か細い声が聞こえた。コユキが意識を取り戻していた。
「にはは……PCのパスワードより簡単です……世の中の金庫の六割は、出荷時の設定のまま使われてるんですよ」
種明かしをしたコユキは椅子の上で薄目を開けて、天井を見上げている。カヤはこの少女がミレニアムから貸し出されてくるとき、無闇にパスワードを開けて余計ないたずらをしないよう、セミナーの会計に厳命されていたことを思い出した。
物理学者のリチャード・ファインマンは、ロスアラモス研究所で原子爆弾の開発に従事していた際、馬鹿馬鹿しく大仰な機密保持に業を煮やして金庫破りを繰り返した事があった。その種もまた、金庫のロックが出荷時の設定のまま雑に使われている事にあった。
カヤはダイヤルロックに手を伸ばした。手汗で滑るダイヤルを、ぎこちない手付きで、つっかえながらも全部のパターンを試す。
微かな手応えと開錠音があったのは、数字を9999に合わせた時だった。カヤは金庫の扉を開く。自分も普段から開閉するような、何でもない金庫の扉が、ひどく重く感じる。
中にあったのは手に収まるサイズの板だった。カヤは汚れた手を服で拭い、それを取り上げる。
それは何の変哲もない、少し前時代的なデザインのスマートフォンだった。画面は小さく、全体もさほど大きくない。裏返してみても、ロゴマークも何もないのは奇妙だ。何か特別な物であることは間違いない、とカヤは直感した。あれ程欲しかった、私を防衛室長から引きずり下ろした権力の源が、今自分の手の中にある、と彼女は理解した。全身の血が逆流するかのような感覚が襲う。
これさえあれば、今の立場を逆転できるかもしれない、と思った。自分がやったことを許され、田中カクエにほだされはしたものの、それまでの人との関係性を顧みずに最善手を打てるのが超人なのではないか? という考えがカヤの中で首をもたげた。今までは雌伏の時だった、という事にできるのでは? と。
休職中に保留にしていた負の感情が、カヤの全身から噴き出さんと、出口を捜してもがいている。コユキも、カクエも、もはや暗闇の中で沈黙していた。今にも消えそうに瞬く電灯が、カヤを蒼白く照らし出す。
「いや……超人は、」
カヤは震える手で、スマートフォンをカクエに差し出した。もう気絶してしまったのか、
「棄てるんじゃなくて、超克するから、”超人”ですよね」
カクエがスマートフォンを握った感触が、指先を伝わってくる。
カヤは安心して、そのまま地面に座り込んだ。いくらヘイローでダメージが肩代わりされたとはいえ、今日のところは限界が来ていた。痛みが遠くなり、代わりにまどろみが襲ってくる。
彼女は、意識が遠くなる瞬間、カヤ先輩、と話し掛けられた気がした。
----------------------------------------------------------------
D-DAY PM 00:40
多目的施設ジックラト 中枢メインタワー内
「ありがとうございます」
倒れ伏して眠るカヤ先輩にそう話し掛けて、私はなんとかスマートフォンのロックを解除した。
血で滑って上手く操作できない。苦戦して電話アプリを呼び出しながら、力を振り絞ってなんとか再び立ち上がり、その場から移動する。ゲヘナとトリニティ生徒たちが折り重なって気絶しているのを慎重に避けながら、メインタワー内のある部屋を目指して。
スマートフォンの電話口から呼び出し音が数度響くが、それが廊下のむこうからも聞こえていることに気付いた。足音と着信音を反響させながら、その男はゆっくりと、瓦礫を踏み越えてやってくる。
「マエストロ……」
「その手に持つのが例の箱の
「崩れ落ちたバベルの塔なんて、実にありふれたモチーフでしょう? そんなことより」
「急いては仕損じるぞ。あまり急ぐものではない」
「あの飛行船は、少なくとも私の知っている未来ではゲヘナに贈られるはずのものだった。だけど途中で私がそれを妨害したから、飛行船はまだアリウス自治区の手の中にあるはず。てっきり建造自体を中止したと思ってたけど……」
頭がまだくらくらしていて、まるで独り言のように思考が口に出てしまう。
「アリウスの者たちによって
「マエストロ!」
アリウス自治区の行動は二つ考えられた。
一つ目は、ここを潰したうえで、あらためて古聖堂に巡航ミサイルを打ち込み、原作通りに地上部隊を進めるルート。この場合、アツコは原作通りにエデン条約の権限を発行できないはずなので、最初から苦戦を強いられるはずだ。強行する可能性も考えられられるが、低いと判断する。
二つ目は、このジックラトにアリウス・スクワッドを進出させる可能性だった。原作の古聖堂での動きと同様に、地上構造物を破壊して混乱させた後、地下でエデン条約を乗っ取りユスティナ聖徒会を召喚する。遺跡の移送はできるだけ露見しないように行っていたが、ジックラトを潰しにかかられた以上、どこからか筒抜けになっていてもおかしくない。
一つだけ、さえたやり方が残されていた。それは、私が絶対にするまいと思いながら、残してしまっていた選択肢だった。
「ここに宣言する! 連邦生徒会財務調整室長、田中カクエが、エデン条約の盟主である! そう戒律に書き加えなさい!」
木偶人形は、その肩をゆらりと揺らすと、いつもの芝居がかった動作で両腕を開いた。それはまるで、誰かを抱擁しようと待ちかまえているかのように見えた。
「それがそなたの選択か。よかろう」
再び全員が眠りについた空間で、何かが落ちる音がした。
財調室から、いや、その遥か以前から、田中カクエと共にずっとあった一枚の絵だった。なんの変哲も無い静物画だが、良く見ると暗闇の中に髑髏が描かれている。その絵は硬い金庫の上面に衝突し、ガシャンという音を立てて額が天からまっぷたつに分裂した。
中につまっていた複雑な金属部品が、まるで臓器が零れるように飛び散る。知識がある人がそれを見たら、マイクロフォンと送信コイルを組み合わせた物だとわかるだろう。それは声の振動だけで発電し、無電源で音声を送信し続けていた。