”横須賀鎮守府の一角。深海棲艦との戦いで、様々なドラマを生んだこの部屋で、ある提督が任命された。数々の武勲を上げ、深海棲艦との講和条約の立役者になった青年提督の戦歴はここから始まった”
小説『提督たちの航跡』まえがきより切り抜き
半年前、提督養成機関を出て配属先を待っていた俺は、
「津田宏武一尉、入ります!」
「駆逐艦漣、入ります!」
俺と付き添いの漣――俺にとっては「初期艦」になるだろうか?――が勢いよく名乗りを上げた。この時はまだ、速く終わって欲しいなどと考える余裕があった。
だが、初めて会う雲の上の人物は、沈痛そうな顔で席を薦めた。
これは、ただ事ではないとはっきりと感じるようになっていた。
「
生唾を呑み込む。次にやって来た強い吐気を抑え込んで、司令の顔を見返した。
ありえない。木葉先輩が簡単にいなくなる筈がない。きっと何か裏があって、本当はぴんぴんしているに違いない。
そんな淡い希望は、綾郷指令の表情で断たれた。
漣が、小さく震えているのが分かった。彼女は、俺を提督に教育する為に出向してきた艦娘だ。本来の所属は
俺だって同じだ。
せっかく手にした希望はするりと手をすり抜け、水底へ消えて行った。
「おめぇさんには、後任として、丹賑に行って貰いてぇんだ」
『無理です!』と。
反射的にそう言いかけた。先輩の代わりが務まる提督など存在しないとすら言いたかった。組織人として上の命令をはねつけられるわけもないが。
「不安なのは分かる。だが、木葉は何かあったら後任はおめぇさんにと強く推していたんだ」
「……それは、冗談か何かでは?」
つい口走ってしまう。あの人なら言いかねない。
先輩の他に先輩は居ないのだ。
「本当だよ。硫黄島作戦を提出してきた段階で、ワシにその事を取り付けて行きおった」
先輩が、俺を?
「養成機関の成績も見せてもらった。評価こそ凡庸だが、なるほど面白い発想をする」
人事評価のファイルをぽんぽんたたき、綾郷はにっと歯を見せる。
それは褒められているのか、自分にも分からない。
「お待ちください。丹賑島の司令なんて、花形人事の筈では? なり手は山ほどいるのではないでしょうか?」
綾郷司令は苦味の聴いた顔を、さらに苦虫の走ったように歪める。
「……海軍の、いやこの国の誰かさんは、
「!!」
「そして、木葉もそいつらの手にかかった。勘のいい奴は気付いているから、誰も火中の栗を拾いたがねぇのさ」
乾いた口がどうにも不快で、手を付けなかったお茶を流し込む。
「それは……」
それ以上を言葉にするほど俺も馬鹿では無かった。
後ろから撃った。そう言う事だ。
お茶をもう一口飲もうとして、噛みしめている奥歯に気付いた。
艦隊、つまり艦娘たちが勝って損をする者。
「この国」と言うなら諸外国ではあるまい。現在日本の周辺国は、シーレーンの防衛を艦娘に依存している。将来的には脅威となっても、今は首の皮一枚で助けられていると言うのが本音だろう。
となると、「
「しかし、現状艦娘がいなければ国どころか世界は持ちませんよ。彼女たちを排斥し、干上がった日本で徹底抗戦を叫ぶつもりなのでしょうか?」
硫黄島を落とす事が出来れば、日米及びカナダを結ぶシーレーンを脅かす深海棲艦は激減する。艦娘への不信感で、そのようなチャンスを不意にすると言うのか。
「まだ連中の力が大きくなりきれねぇのはそれだろうな。だが、奴らには”何か”がある、正確にはあると信じてるみてぇだ。艦娘と深海棲艦を同時に排除する何かをな」
沈黙で答える。
もしそうだとして、俺に何ができる? いややらなかったとして、俺はこれから何もせず生きてゆけるのか?
そんな内面を見透かしてか、
「どうでぇ? 木葉の仇を取って、それからあいつの守ってきた
受け継いで何ができる? 自分が先輩と同じ事が出来るのか?
図上演習なら何とか互角に持ち込んだこともある。が、致命的に人徳に自信が無い。先輩の人柄で結束していたであろう艦娘たちに、後からやって来た俺が何をできると言うのだ?
――かつて大切なものを見捨てて、尻に帆をかけて逃げ出した自分に。
胸がむかつく。全てぶちまけてしまいたい。
軽蔑はもうされ過ぎる程されている。俺は、卑劣漢なのだから。
沈黙は、傍らの初期艦が破った。
「ご主人様、やってください! ううん、やりましょう!」
いつものおどけた態度は無い。とても真摯な目。
俺が目にした事がない初期艦の姿があった。
「
多分、俺は人生の岐路に立っていて、羅針盤を動かす権利を得ているのだろう。
自信はない。もし先輩から引き継いだ鎮守府で大きな犠牲を出したら、俺は発狂すると思う。
だけど……。
今この瞬間、命を預かる覚悟をする。
意志を引き継ぐ覚悟を。
「……内部の敵は洗い出せているんですか?」
「ご主人様!」
漣がやっと破顔する。
ほんと、情けないご主人様で申し訳ない所だが、やるべきことをやって返そう。
「調べとるがなぁ、木葉の奴は秘書艦の加賀と〔オスプレイ〕で横須賀を目指す途上で連絡を絶った」
「加賀さんが……」
漣がつぶやいた。ショックだろう。先輩の艦隊は今まで轟沈を出していない筈だ。初めて失う戦友と言う事になる。それも最悪な経緯で。
「出迎えの基地航空隊と接触する直前だから、偶然とは考えにくい。誰かがフライトプランを流した。ワシはそう見てるな」
「……つまり、”敵”は内部だけでなく、鎮守府内にも存在する可能性が?」
艦娘は独立したユニットではない。人間のサポートを得て初めて戦える。艤装は整備兵のメンテナンスを受けねばならないし、資材の他にも3度の食事が必要だ。
各鎮守府では最小規模でも百人程度の軍人・軍属が働いている。
その中に深海棲艦に情報を流す者がいるかもしれない。考えたくはないが、何らかの理由で艦娘の中に内応者がいるかもしれない。
「最初の関門だ。おめぇさんならどうする?」
着任早々のスパイ狩りは不味い。信頼関係もあったもんじゃないし、いぶり出せるかも分からない。
かと言って信頼を得てから、などと言って硫黄島攻略を優先させると、後ろからバッサリといかれそうだ。
ここは考え処だが……。
「バカの振りをしましょう」
「ほう?」
「無能を装って水面下で硫黄島攻略を進めます。日米の通商路を復活させた立役者となれば、
綾郷司令は即答を避けて考え込む。
やがて首を振りかけて、ふっと息を吐く。
「漣、おめぇはどう思う?」
「やれます!」
彼女の方は即答だった。
綾郷もそうかと笑う。
「なら任せた。津田宏武一尉、本日付で海軍大佐に任命する。直ちに任地に迎え!」
「はっ!」
俺たちは立ち上がり、揃って映画のような敬礼をした。
硫黄島北西600km、東京都の東南600km、その島は突然隆起した。同様の事例が米西海岸や欧州などで複数確認されており、世間では天変地異だ何だと大騒ぎになった。
新天地の扱いには揉めに揉めた。大量の海底油田の存在が示唆され、各種レアメタルも確認されたからだ。野党と一部周辺国の反対で対応が遅れたものの、島は日本国に編入された。
日本国に富をもたらす事から、豊穣の神から名を貰い「
その数年後、深海棲艦の襲撃。
東京爆撃に端を発する異形のフネたちとの戦いに追われる中、この島の戦略的価値が再認識される。島から採掘される資源もさることながら、アラスカのダッチハーバーと硫黄島、2つの深海棲艦拠点を連携させない楔になり得ると。
日本国は少ない戦力から艦娘を選抜して孤立した島の救援を命じる。その司令官が俺の先輩、木葉樹提督だ。
彼の指揮で丹賑島は守られる。1人の轟沈も出さず敵の戦力を削り取り、深海棲艦の一大拠点である硫黄島奪還作戦発動直前までこぎつけ――。
そして、消えた。
俺は、先輩が行方不明になる前、何かあった時にはと後事を託されていた事になる。
山ほどの厄介事と一緒に。