『ツイステッド・ワンダーランド』という世界をご存じだろうか。
『地球』と異なる点といえば、まずは妖精や獣人、人魚が人間と同じようにそれぞれの環境で生活していること。次に魔法が存在すること。そして魔法を専門に扱う職業を魔法士と呼び、専門の学校が存在すること。
細々とした差異を挙げればきりがないが、おおむねファンタジーと現代社会が混ざったような世界観だということだ。
そんな『ツイステッド・ワンダーランド』に、僕こと『本田悠(ほんだ ゆう)』は訳があってとても馴染みがあった。十五歳のある日、目を覚ませば棺桶の中にいた衝撃と、どう見ても大きな猫っぽい動物が人語を話している混乱と、迫りくる青い炎の熱と共に、強制的に『ツイステッド・ワンダーランド』デビューを果たしてしまったからだ。
いつの間にか魔法学校『ナイトレイヴンカレッジ』の入学式典に混ざりこんでいたとか、魔力がないのに呼ばれたとか、はたまた異世界に連れてこられたというのに帰り道がわからないとかから始まり、なんだかんだと騒動に巻き込まれる日々だった。ほんっとに僕に原因がない騒動ばかりだった。
色々あって、学生として卒業まで在籍していたが、魔法関連の知識と、対人関係のスキルと、荒事に対する身体能力と、騒動に対する判断力と強かさ等がきっちりと学べたことは幸いだ。
──先ほど、卒業まで在籍していたと言ったが、正確に表すならば僕はまだ卒業していない。あの世界の記憶は、卒業式前日に、いつものようにベッドに潜りこんだところまで。
さあ、今日は卒業式だと目を覚ましたら、眠る前の部屋とは違う天井に絶句した僕の気持ちを察してほしい。卒業式当日まで何か騒動が、と慌てて起き上がってみれば、その部屋は僕の部屋だったのだから。
ああ、僕の部屋だとも。『ツイステッド・ワンダーランド』に迷い込む前の、中学生の僕が寝起きしていた部屋だ。そう、僕は突然自分の生まれた世界に戻ってきていた。それも、四年前の十五歳の姿で。
* * *
「うわぁ、若い」
鏡でまじまじと自身の顔を覗き込んで、悠は幼くなり幾分まろくなった頬をつまんでみた。想定通りの柔らかさに、思わずため息をついてしまう。
寝巻の長袖をめくってみれば、荒ぶるNRC生活でついた傷が一つも見当たらない。枕もとの目覚ましのデジタル時計には『ツイステッド・ワンダーランド』に迷い込む前の、本来起きたら迎えるべき日付が表示されている。
「年も同じということは、時間が経過していない……いや、そもそもこの体はあの世界に行っていない?」
胡蝶の夢という有名な説話がある。わかりやすく言えば夢オチだが……あんな濃い世界と人物達が自分の想像力で作り出せるとは、悠には思えなかった。そして何よりも『物証』が掛け布団の足元に存在していたことで、より頭を抱えることになる。
一つ目は、きれいに畳まれた『式典服』。あの世界に迷い込んだその日に、いつの間にか悠が身に纏っていたそれ。
二つ目は、紫色の石が嵌められたペンダントトップ。相棒たるモンスターが身に着けていたものに、とても似ている。
この二つのものは、あの世界で悠にとって印象深いものであり、あの日眠る前までにはこの世界に存在しえなかったものだった。
「なんで畳んで置いてあるの――はっ、まさか学園長? あのカラスの仕業? ぐあー、否定できないのが怖い」
手慣れた様子で道化の振る舞いをする、頭のてっぺんから足の先まで胡散臭い極まりない人物の笑みを想像して、悠はこめかみの辺りがひどく痛んだ。まさか、卒業させると卒業者リストに名前が載るからって強制的に帰したってことはないよね、と胡乱な目で式典服と魔法石(仮)を悠は見た。
──ヤツならやりかねない。まったく信用がない保護者だったので。
悠は、一つ深呼吸をするとベッドから起き上がった。これ以上考え込んでも現状は変わらない。時間はすでに八時を過ぎている。今日は確か、学校に休みを申請していたから、その予定をこなさなければならない。
とりあえずシャワーでも浴びようと、悠はタンスから着替えを取り出した。
* * *
薄れていた『前日』の記憶を掘り出し、悠が本日の予定を思い出した頃には、すでに昼も近い時間になっていた。冷蔵庫の中身を確認するが、食材になりそうなものは何一つ入っていない。『十五歳の悠』は調理ができなかったため、食料はもっぱら外食かコンビニ弁当だった。
昼食ついでに食材を買い出しに行こうと、ジャンバーを羽織り、財布をつかんで悠は意気揚々と外に出る。
あの世界は、西洋風な学校の佇まいに相応しく、大食堂で提供されるものは大抵ヨーロッパ圏で食べられるものだった。たまに、どう見ても中華料理やどうやって普及したのかわからない納豆、日本の魔改造洋食などがあったようだが、日本食を外国クオリティでさらに魔改造した逸品ばかりで、正統な日本食に悠は飢えていたのだった。
久しぶりの真っ当な日本食、とウキウキしながら歩く彼は──はっきり言って浮かれていた。
「──うわぁっ!?」
「わっ!?」
あの世界で培った危機察知能力と反射神経を活かせず、停車していた車から飛び出した男とぶつかってしまう程度には。
「す、すみません!」
「あ、いえ、特に怪我していないので大丈夫です」
ぶつかった男がひどく慌てており、開けたままのドアの先の、紙袋からコードの束のようなものと金色に光る細い線が描かれた板に、運転席にいる男が何か握りしめているのを、無警戒にまじまじと見てしまう程度には。
「携帯電話とコードの束とこれは基盤──遠隔操作用の端末と、電子回路か?」
「!?」
こわばった顔の男たちを見て、致命的な一言をつぶやいてしまう程度には。
「テレビでやってた、爆弾犯?」
久しぶりの故郷に、浮かれていたのだ。
「──そいつを後部座席に乗せろ!」
「わ、わかった!」
「え? ──あぐっ!?」
華奢な体躯の悠は、男によって容易く後部座席に放り込まれた。反対側のドアに頭をぶつけ、うめいている間にぐるぐるとガムテープで手足を拘束される。手早い行動に彼が半ば呆然としているうちに、ドアは閉まり、勢いよく車が加速した。
「どうするんだよコイツ!?」
「顔を見られたら、やることは一つだろうが!」
「こ、殺すのか……!?」
「それしかねぇだろ! ──くそ、誰か通報しやがったな!?」
体を座席シートに押し付けられつつ、悠はアイデアロールの結果を口に出したのは失敗だったな、と反省していた。浮かれていた自分を客観視したら、次に考えることはこの状況の改善だ。
犯人たちは安全なところに逃げ切るまで、悠を手放すまい。すでに警察に追われているようであるし、追い詰められて切羽詰まった時の人質にもなる。二人の男は、どう見ても荒事が得意そうな様子ではないので、撲殺されるにも絞殺されるにも犯行に時間がかかるだろう。
その犯行の間に逃げられる距離を考えれば、安全地帯に逃げ込むまでは悠の命が保証される。後部座席にいる男の方が、穏健派のようだし、と悠の体を抑えつつも体重をあまりかけようとしない犯人に、小さく息を吐く。
口にもガムテープを貼られているため、犯人を宥めることもできないことだしと、悠はのんびりと思考を巡らせる。四年間の学校生活によって、故郷の事件発生率をすっかり忘れていた。あの世界のマブ達に、故郷の犯罪発生率を話せばドン引きしていたことを彼は思い出す。
『いや、お前、それ……うわぁ』
『だ、大丈夫なのか監督生……?』
『大丈夫じゃないかな、実際。僕の両親も交通事故で亡くなったし』
『監督生サン! ずっとこの世界にいなよ、ねっ!』
『監督生……この世界の方がよっぽど安全だろ。態々危険な場所に戻る必要はねぇんじゃねえか?』
『死ぬな! 人間!』
『しー、しーっ! セベク声大きい。いやいや僕死んでない……死んでないよね。実はマンションに爆弾仕掛けられてて、寝たまま死んだとかないよね?』
『ぎゃあああああッ!? 子分が死んじまうんだゾー!?』
『むぐっ、グ、グリム。顔にくっ付くのはやめて。窒息死する』
『ふなぁ!?』
『死なない、まだ死なないから落ち着いて! 言い方悪かったから!』
あの後引っ付き虫と化していたグリムを宥めるのが大変だった、と悠が遠い目をしているうちに、犯人と警察のカーチェイスが佳境に入っていた。必死にハンドルを動かす犯人のドラテクを見て、なかなか逃げるのがうまいと感心していた。技術はあるのに、コミュニケーション能力が低いタイプだろう。
顔を見られたとはいえ、街中で人を連れ去るという行為は、あまりにも人目に付きやすい。緊急性が高いからすぐに通報されるし、車のナンバーも控えられやすいだろう。
場当たり的な行動に、悠は犯人の一人の精神の未熟さを感じとる。金銭を要求していたことも相まって、楽な方法に流されやすいようだと判断した。
これは、早々に止めないとさらに大事故を起こしかねない。悠が両手足と口を拘束された状態で何ができるか考えていると、突然体が宙に浮き、運転席の背もたれに強かに打ち付けられた。
痛みに顔を顰めながら周りを見回すと、窓の外の景色はコンクリートの壁と動いていない青空だった。どうやら犯人の車が事故ったらしい。
運転席の男は体を完全にシートに預けていて、身動きしていない。悠を押さえつけていた男は、悠の足に座ったまま、うめき声をあげていた。まずいな、このままでは逃げられない。ここまで車が破損してしまうと、ガソリンに引火して炎上する可能性がある。
ガチャガチャと外から音が聞こえていた。どうやらドアがロックされているようで、解除しようとしているのだろう。そのうち開いたドアから警察と思わしき人影が覗き込んでいる。悠が、把握できたのはそこまでだった。
* * *
よォ、陣平ちゃん。なに、待っててくれたの? ──今日? あー、今日はちょっとパス。合コンもパスするよ……そこまで驚かなくてもいいでしょーが。俺だってナイーブになるときはあるのよ。
そ、今日の事件のこと。一般市民にさ、被害が出たんだって。ぶつかった男が爆弾犯だと気づいちゃって、連れ去られたって。そのことについてはさ、その場にいない俺がどうこうできるわけじゃねぇし、俺は俺の仕事として爆弾の解体をしていたんだけど。
……爆弾犯が、携帯電話で遠隔操作をいつでもできたって隊長に言われた。爆弾犯がタイマーを止めたってことは、タイマーを動かすこともできるって俺、全然頭になかったんだ。たまたま、一般市民の子供が犯人の気を引いていたから、スイッチが押されなかったのかなって。
そう、子供だって。中学生。爆弾犯が車でカーチェイスして、クラッシュして、大怪我したらしい。その子はまだ意識が戻ってない。犯人は戻ったっていうのにな、頭を強く打ったみたい。
それで、病院に搬送されて、保護者を呼ぼうとしたらしいんだけど……来たのは弁護士だったらしい。ご両親がひと月前に交通事故で亡くなって、親戚も誰もいなかったから、相続とかの件で相談していた弁護士が代わりに呼ばれたそうだよ。
俺、それ聞いてどう思うって隊長に言われて。その子が心配だって言ったら、顔も見たこともない子どもをお前は心配できるんだな。なら、毎日顔をあわせてる俺達が、防護服を着ないお前を心配するのをどうして気づかないんだって。
──ようやく気付いたか、って。ア、イタタタタ、ちょ、陣平ちゃんタンマ、アイアンクローやめて。……ゴメン、俺、調子に乗ってた。アクセルを踏む方向を、完全に間違ってた。
それに気づいて自分の言動振り返るとさぁ、もー、黒歴史決定。カッコ悪すぎて合コンなんか行けねーよ。って、俺さっき断った、強制? 班長からの通達? あー、わかったわかったって。行くからその拳は保存して置いてね、ね!?
──ありがとな、陣平ちゃん。