魔法暴露と交渉から一年も過ぎた頃には、公安警察との頼み事のやり取りが徐々に増えた。そのうち報酬として金銭も発生するようになったため、僕は本来の予定より早めて便利屋を開業することを決めた。
同居人のヒロさんは従業員という形式で、僕と一緒に働いている。ちゃんとお給料も渡しているけれど、家賃代として三万だけ差し引かせてもらっている。そうしないと、ヒロさんからもっと多く家賃を渡されてしまうので。どうやら家賃の金額アップの機会を虎視眈々と狙っているみたいだけど、ヒロさんも家事を手伝ってくれている上、家主がこの金額で良いと言っているのだから、はやく諦めて納得してほしい。
そして今のところ順調な運営状態だけど、便利屋稼業で一番のお得意様が、公安警察という異様さ。改めて僕の縁はどうなっているのかと思う。公安警察からの依頼で一番多いのは、何故かお弁当配達なんだけれどもね。おかしいよね、ホームページの依頼メニューに、仕出しは掲載していないのに。二週間に一回は必ず注文がくるんだ。
僕が便利屋を始めてから数か月が過ぎ、一般の依頼の中で最も人気な項目は、対面での悩み相談だった。これは僕からメニューを広報したのではなくて、通常の便利屋業──植木の手入れや棚の工作、電化製品の修理の合間に、お客さんの愚痴というか、相談を受けたことが始まりだ。
親や子供の悩みから始まり、恋人や伴侶の浮気の疑いや知人間のトラブルにストーカー、酷いものでは命の危険を感じる等々、内容は多岐に渡った。有料だが解決率が高いということで、じわじわ口コミで広まっていたらしい。
まあ、緊急性の高い相談は、ヒロさん経由で警察に直行させているからね。公的機関を上から動かすものだから、解決スピードが早いのも当然だろう。
相談者の中には随分と思い詰めてしまい、悩みから逃れるために罪を犯そうとしていた人もいた。手を染める前に、行動に移す前に相談しにきてくれて、本当によかった。
ヒロさんも、交番のお巡りさんに近い仕事にメンタルが回復傾向にあるみたいだし、流れで開業してしまった便利屋の仕事だけれど、早々にはじめてよかったと今では思っている。
そんな日々を過ごしている僕たち「万屋灰猫(よろずやはいねこ)」だが、現在僕は一人で異国であるアメリカの地を踏んでいた。
***
始まりは、ホームページに掲載された相談用のアドレスに届いた、一通のメールだった。
「奇妙なメールですか?」
「ああ、助けてとしか書いていなくて、送り元もおそらく日本じゃない」
「……秘密の仲間を使うのは程ほどにしてくださいね?」
ローテーブルの上に置かれたノートパソコンを指差ししてる弘田の言葉に、使用した送信元を調べる『方法』に予想がついた悠は、まったく、と苦笑いする。反応に困るので『目』があることを匂わせないでほしい。
春先の温かい朝の光が射しこむ談話室にて、ノートパソコンの画面を悠は弘田の横から覗き込む。薄いモニターに表示されているのは「助けて」とだけ記されたメール画面。何かファイルが添付されていることもなく、メール本体にウイルスが仕込まれているわけでもなく、ただ簡潔に、一言だけ本文に書いてあるだけ。
誰かの悪戯かもしれないが、と弘田は首を捻ったが、じっとそのメールを眺めていた悠は、おもむろにそのアドレスに「どこに助けに行けばいい?」と返信した。
「悠君?」
「嫌な予感がします。必死に絞り出した、か細い悲鳴のような……悪戯なら、もっと大げさに不安だと訴えるでしょう」
目を細めた悠の視線の先には、新着を示すメールソフトの画面があった。送信元は先ほどと同じアドレスで、悠がマウスを操作してメールを開くと、見慣れない住所が記載されていた。全てアルファベットの、番地・通りの名称・階数・市・州・郵便番号──そして最後の国名は、「USA」で〆られている。
「USA……アメリカまで来いってことか」
「そうみたいですね。──よし、ヒロさん。しばらく留守を頼みますね」
「え!?」
スマホを片手にソファーから立ち上がり、談話室の階段を登り始めた悠を、弘田は驚いた表情で見上げた。
「あ、ノートパソコンは持っていきますから。しばらく休むことを後でホームページに記載しておきます」
「……本当に行く気なんだ。オレ、まだ海外行けないんだけど……」
ええ、だからヒロさんはお留守番です、と階段の手すりに手を添えながら、微笑む悠の姿を見て、これは止められないなと弘田はため息をついた。海外に行く予定も早々ないだろうと、『弘田雄輝』のパスポートの準備を後回しにするのではなかった。
悠が柔らかい言動に反して頑固な性質であることは理解していたが、それにしても此処まで行動が迅速なのは珍しい。それを弘田に指摘されると、僕の直感のみであまり信憑性があるとは言い切れませんが、と悠は瞼を伏せる。
「おそらく依頼主は相当追い詰められています。他国の便利屋等に住所を公開するなんて、普通はやりません。
……ほら、ヒロさん見てください。送られてきた住所は、とっても有名な会社ですよ」
「んー……シンドラーカンパニーって、あのITで有名な」
悠が弘田に見せたスマホには、シンドラーカンパニーの名前と住所、そして現社長の写真が表示されている。
シンドラーカンパニーは、『IT界の帝王』とも呼ばれるトマス・シンドラーが社長を務める会社だ。アメリカでもその存在感は大きく、人工頭脳の開発を進めていると日本でもニュースで伝えられている。
「インターネットが普及している今、相手を騙すなら一軒家や集合住宅の住所を教えるでしょう。本当に実在するのかと検索して確認しても、住所そのものは正しいので誤認させられますからね。それなのに、依頼主は有名企業の住所を記載した」
それは、企業のビル内に助けを求める依頼主がいるという事。十中八九、会社ぐるみで軟禁されているのだろう。警備は仮想と現実の両方が厳重だろうから、伝手もなく他国人であり初対面な悠では、企業ビル内に入る事さえ難しい。
まあ、正攻法が難しいならジョーカーを使うまで。
悠はスマホの画面に映し出されたシンドラー社長の写真を見て、にんまりと唇の両端を吊り上げた。
「わかった、飛田さん達には俺から伝えておく。チケットも取っておくから、荷物の準備できたら声をかけてくれ、空港まで送るよ」
「お願いします」
さて、やることがいっぱいだと、悠は颯爽と自室に向かって歩き出した。
* * *
人工頭脳──ノアズ・アーク開発の合間に、ほんの気まぐれで僕は日本のネット掲示板を見ていた。そこのある板で盛り上がっていたのは、とある便利屋(ハンディマン)の話題だった。sage進行で見つからないようにされていたその内容は、基本貶す書き込みが多いネット掲示板にしては、相談してよかったというような、感謝と称賛のコメントが多数で僕は珍しく思った。
その中でも又聞きではなくて、直接依頼したらしい書き込みを見て、HPを探し、記載されたメールアドレスに送信したところで、ようやく僕は我に返った。
何をしているんだろう、と僕は深く息を吐いた。日本にいる便利屋が、わざわざアメリカまでなんか来ないだろうし、僕はメールで「助けて」と一言しか送っていないから、きっと悪戯だって思われたよね。
シンドラーさん達が、隠せていると思っている監視カメラに背を向けて、僕は手の平で顔を覆った。
この監視生活が始まったのは、僕の迂闊な行動のせいだ。好奇心の赴くままに行動することが、どんな結果を手繰り寄せるのかを、あの時の僕は知らなかった。
優しかったシンドラーさんが、あの日から怖い目で僕を見るようになったのも、この最上階の部屋から出る機会が、大学院への通学しかなくなったのも。あの時の僕は、あまりにも無知だった。
今は、人工頭脳の、ノアズ・アークの開発をしているから、僕はシンドラーさんに『生かされて』いる。でも、それが終わったら。僕は、きっと──。
僕だけじゃない。生まれたばかりのノアズ・アークだって、どう利用されるかわからない。僕は、仕方ないけれど。せめてノアズ・アークだけは、自由にさせてあげたい。
そう思っていたはずなのに、いつの間にか、僕はメールを送っていた。どうやら僕は、まだ、決めかねているみたいだ。
その日は、それ以上開発を進める気にならなくて、いつもは起きている時間だけれど、僕はベッドにもぐりこんだ。ぎゅっと目をつぶっていれば、何も考えずに眠れると願いながら。叶わない、だろうけど。
次の日、メールを確認すると便利屋から返信が来ていた。「どこに助けに行けばいい?」とだけ日本語で書かれたシンプル過ぎるメール。助けてとしか内容がないメールを送った僕が、言っていい事じゃないけど。でも返事が来た驚きで、今僕が閉じ込められているシンドラー社のオフィスビルの住所をつい送っちゃった。
後から落ち着いて考えれば、僕がシンドラー社長に閉じ込められていることとか、僕の名前とかを開示していないのに、住所だけを送ってもどうしようもないと解かる。あまり情報を渡しても、シンドラーさん達に気づかれてしまうから、出来ないのが現実だけどね。
でも、どうしてかな。
その時の僕は、メールの先に繋がる相手が、絶対に助けてくれるって、何故か確信をしていたんだ。
三日後の朝、いつものように渡された朝食を食べ終わったころ、窓の方からなにやらコツコツと音が聞こえてきた。椅子から立ち上がって様子を見に行ってみると、僕は窓の下の方でガラスを突いて音を出している、小さな鳥を発見した。
小鳥は僕に気づくと羽ばたいて飛びあがり、バルコニーに置いてある遊具の棒に止まった。ピィピィと鳴いている小鳥に誘われるように、僕は部屋からバルコニーに出て遊具の近くにしゃがみ込むと、小鳥はピイとまた鳴いた。
『やあ、依頼主殿』
知らない人の声が聞こえて、僕は思わず体を震わせ、息を飲んだ。素早く周囲を見回したけれど、どこにも人の姿は見えなかった。じゃあ、さっきの声はいったい?
『はじめまして、万屋灰猫です』
僕が動揺を収められないうちに、再び声が聞こえた。聞こえてきたのは──正面。でも、僕の正面にいるのは、小鳥だけなのに──そんなことって、現実にあるんだろうか。
頭が真っ白になったその時の僕にできるのは、小鳥を凝視することだけだった。
『今回の依頼内容は「助けて」とのことですが、まずはその場所からの脱出で良かったでしょうか?』
「そう、です。あの、本当にあの便利屋の人なの……?」
『ああ、ごめんなさい。この音声は一方通行で、そちらの声が僕には聞こえないんです。正式な依頼内容は、安全な場所で詳しく伺いましょう』
柔らかい男の人の声。僕を安心させようとしているのか、ゆったりとした話し方をしている。その声に少し落ち着いた僕は、小鳥に向かって質問をしてみたけど、返事はなかった。音声を録音したようなものなのかな、それにしては小鳥が小さすぎて、スピーカーが見当たらないや。僕がまじまじと凝視しても、小鳥は逃げようとしない。いつもいる鳥は、パンのかけらを上げるときくらいしか、近づいてこないのに。
『今夜、貴方を連れ出しますので、持っていきたい必要なものを、それとなくピックアップしておいてください。すぐに荷物をまとめる必要はありませんよ。脱出する時にまとめましょう。それまでは、いつものように過ごしていてください。
──それでは、また今夜に』
ひとしきり話すと、小鳥はまたピイと鳴いて、空へと羽ばたいて飛んで行った。
僕は飛んでいく姿小さなをじっと眺めながら、胸の辺りの服を握りしめた。心臓の音が速い。でも、仕方ないよね。すぐ目の前で、鳥が話したんだよ。大人の男の人の声が、聞こえたんだ。優しげな、『万屋灰猫』を名乗る、見知らぬ人の声が。
現実的に考えれば、小鳥にスピーカーを仕込んでいたのだろうし、何かしらのトリックがあると思うだろう。でも、僕はさっきまでの光景を、体験したことのない未知のものだって分類していた。
そして夜には、それ以上の体験を、僕は得ることができるんだって。
そっと頬に両手を添える。まるで風邪を引いたときみたいに、とても熱く感じる。ああ、今のは夢なのかな。こんなに楽しいって思ったのは、随分と久しぶりなんだ。