十二時間の長いフライトに耐え、ようやくアメリカのボストン空港に着いた僕は、まず手頃なアパートメントホテルを探し部屋を借りた。
アパートメントホテルを簡単に説明すると、家具家電付きの短期滞在用のアパートのことだ。普通のアパートは契約期間最短一年以上が基本だから、僕は借りることができないという理由もある。ホテルよりは安くスペースも広い、契約者以外も入室可能で他者の清掃も入らないアパートメントホテルにした。
借りた部屋に各種防衛魔法を存分にかけて拠点を構築した後。僕はこれからの予定を組むために情報収集を始めたのだけど、調査を進めていくにつれ浮かび上がってきた事実に愕然とすることになった。
一つ目は依頼主の所在の確認をしたときのこと。僕は現地の鳩さん達に聞き込みをした後、近くの店で購入したパンと引き換えに更なる情報収集をお願いした。その結果判明したことが、依頼主の年齢が御年十歳だということ。
さらに、シンドラー社のビル最上階の一室に軟禁されており、現地で話題の人工頭脳の開発を”強制的に”させられていることがわかった。これでまず僕の仏の顔は一つ消費される。
二つ目は、養子として引き取ったというのに、シンドラー氏は依頼主と一緒に生活をしていなかったこと。依頼主は最上階で寝食をしているが、シンドラー社長はそれより下の階が拠点だという。
そのうえ、子供の健全な精神の育成に必須な接触コミュニケーションをとることもなく、しまいには毎日顔を合わせることもなくだ。あからさまに養父としての責任を全うしていない。僕の仏の顔がさらに一つ消費された。
三つめは、そもそも何故依頼主が養父に扶養されるようになったのかを調べたところ、実の母親が亡くなったためとデータにあった。
いや、実の父親はいったいどうしたのかと更に調べると、どうやら離婚しており、依頼主は母親と共にアメリカに移住してきたらしい。
いやいや、離婚したからといって母親が亡くなったのに、どうして父親が依頼主を引き取ってないのか。疑問に思って奥の手を使って調べてみたら、なんと依頼主の父親は元妻が亡くなったことを連絡されてなかった。父親は今でも依頼主が母親と元気に暮らしていると思っているらしい。
どうやらその辺の情報を全く通達していないから、父親が依頼主を迎えに来なくて、シンドラー社長が養子にとったらしい。──なにやらとっても意図的なものを感じますね? 当然、僕の仏の顔は一つ消費された。
つまりは、僕はとても怒っている。
「呪いをかけても良いと思うんです」
『良くわからないがもの凄く怒っているのは理解した。でもダメです』
僕が電話でヒロさんに愚痴ると、本気の声で止められた。僕だって本気で呪いをかけるつもりはない。ヒロさんは止めてくれるとわかっているから、甘えて愚痴を言っているだけだ。ヴィル先輩クラスなら、さらりとかけられるのだろうけど、流石に練習不足だからどんな効果が出るか不安すぎる。
「いっそ潰してもいいのではないでしょうか、こう、会社ごとグシャッと。社員も当然知っているでしょうし、見て見ぬふりしていますよきっと」
『うん、物理もやめておこうな。変にマスコミが湧いて、その依頼主の責任にされるかもしれないだろ?』
「──はい、確かにそうですね。すみません、短絡的でした」
ヒロさんの冷静な声に、いつの間にか頭に上っていた血が少し下がったように思えた。ちょっと僕の地雷にかすっているからといえ、八つ当たり気味になっていたことを自覚する。それは、いけない。理不尽な対応だけは、してはいけない。適切な、法に則った、正統な裁きを。僕はもう、子供ではないのだから。
「彼の今後の生活費用として、しっかりと慰謝料を分捕るためにも、きちんと会社が存続していないといけませんからね」
『あれ、これは宥めるのを成功したのか? 別の方向に進路を決めただけじゃ……』
法的に問題ない手段なら、いくらとっても大丈夫ですよね。そう僕が伝えると、ヒロさんは通話先で深いため息をついていた。まだ僕から詳細は伝えていませんが、依頼主の現状を知ったらヒロさんもきっとOKしてくれると思いますよ?
* * *
朝に小鳥の伝言を受けてから、僕は夜までそわそわしっぱなしだった。夕方にいつものスーツのおじさんが持ってきた夕食を食べる気にもならなくて、行儀は悪いけれど僕はソファーに転がったままノートPCを触っていた。この角度だと、カメラに画面が映らないからね。
すでにノアズ・アークは完成しているけど、シンドラーさん達には報告していない。僕はこっそり彼にデータを与えて、学習を進めていた。
そうして時間が過ぎるのを待っていると、朝と同じようにコツコツとガラスを突く音が聞こえてきた。僕はすぐに動きたくなる気持ちを抑えて、ゆっくり動くように気を付けた。……ちょっと早足になったのは許してほしい。窓に近づいてカーテンを引くと、予想どおり、朝の小鳥がそこで僕を見上げていた。
窓をスライドさせて開けると、小鳥は羽ばたいて飛んで、肩に止まったんだ。僕のではなくて、バルコニーの真ん中の、宙に浮かんだ藁帚に腰かけた、きらめく星空を背にして黒いローブを纏って微笑む、その人の肩に。
魔法使いだ、と僕は小さく呟いた。その人が着ているのは、とても細かい模様がきれいなローブだけど、暗い色がほとんどだから一見とても怪しく見えた。でも何度目をこすってもそこで箒が浮いているし、その人の足も地面についていない。何度も視線を移動させる僕に、困ったような笑みを見せたその人は、お待たせしました万屋灰猫ですと名乗った。
魔法使いはバルコニーに降り立って、僕の元へ歩み寄ってきた。身長は、僕よりもずっと高い。でも、顔立ちは黒い髪も黒い目も持ったアジア系、おそらくHPのドメインからして日本人だろう。
つい、と魔法使いが指を振ると、キラキラとした光が部屋の中に流れて巡った。これでカメラは大丈夫、という声に思わずポカンと見上げると、視線に気づいた魔法使いはしゃがみこんで僕と目線を合わせ、パチリとウインクをした。
「君にこれを」
「旅行鞄、だよね?」
「ええ、持っていきたいものを入れてください。見た目以上に物が入るので、遠慮はなしですよ」
魔法使いから手渡しされたカバンは古い革の旅行鞄のようで、入り口がチャックではなくベルトと金具でしめるタイプだった。大きさはA4サイズの書類がようやく入るってくらいだったのに、促されて持っていくつもりがなかったノートPCを差し入れてみたら、どう見ても大きさが小さいのにすっぽりと入ってしまった。
驚いてカバンを持ち上げてみても、ノートPCの重さには到底足りない。何処に行ったの僕のノートPC、と慌ててカバンの中に手を突っ込んだら、あっさりと手にノートPCを掴んで取り出せた。よかった。
胸をなでおろしている僕を見て、魔法使いはくすくすと笑っていたけれど、じゃあちょっと工作をしてくるねと言って立ち上がった。
「工作って、何のかな?」
「ちょっと依頼主殿が自力で脱出したように見えるように、ね」
「こっそり行ったりはできないの? 魔法使いなのに」
「もちろんできますよ。でも、工作した方が色々と都合がよくなるんです」
あとで説明しますね、と徐に部屋の扉から廊下に出ようとする魔法使いに、僕は慌てて声をかける。
「待って! 廊下やエレベーター、階段にも監視カメラがあるんだ」
「……そうなんですね。でも大丈夫、僕には魔法がありますから」
笑いながらパチリと指を鳴らしたら、魔法使いは僕の姿になった。驚いている僕の頭をなでると、荷造りを進めておいてくださいね、と言って廊下に出てしまった。
うん、彼がそう言うのなら、きっと大丈夫なのかな……たぶん?
* * *
「さあて、がんばるかな」
依頼主の姿で廊下に出た僕は、無効にした監視カメラを見上げてストレッチを開始する。監視カメラは僕がそのフロアにいるときだけ、過去の映像をループするように魔法で仕込んである。図らずとも自ら魔導工学が科学に応用できることを証明してしまったけれど、要はバレなければいいのだバレなければ。
さて、僕がわざわざ依頼主の幻影を纏ってまで、彼が自力で脱出したように見せかけるのには、もちろん重要な理由がある。
まず、何も工作しないで依頼主を連れ出した場合、アメリカの警察に逮捕されるのは僕である。児童誘拐だからね、当たり前だった。
次に、依頼主が自力で軟禁された部屋から出て、たまたま出会った他人(僕)に保護を求めた場合。それは虐待に耐えかねて逃げ出したと受け止められ、シンドラー氏の元に戻されることはまずない。
もちろん日本の児童相談所に当たるCPS(Child Protect Service)も子供の言い分を鵜呑みにはしないけれど、調べて出てくるのは本来の保護者の連絡を絶った上での養子・軟禁・養育の一部放棄・児童遺棄・児童労働で完全アウトな事実。確実にシンドラー氏は接触が禁止される上に、一時的に親権は凍結される。
ちょっと工作をするだけで、僕とシンドラー氏に向かうダメージが激変するのだから、やらない理由はない。
一呼吸をしてから、非常階段の防火扉を開いた。エレベーターは使用しない。後々を考えるとシステムに手を加えるのが面倒な上、会社のエレベーターから子供が一人で出てきたら、流石に警備員に止められてしまう。
トントン、と音を鳴らしながら、僕は依頼主が降りれそうな速度で非常用階段を降りていく。防犯上、非常階段は一階まで直通ではないので、三階からは中の階段を使用することになる。但し、まだ勤務中の社員が沢山いるため、正面の扉は開いているが、そこは使用できない。
そこで僕が目を付けたのは、従業員用入り口の近くにおいてある、台車に乗せられた段ボール箱の山だ。事前に中身を確認したところ、シンドラー社のノベルティのグッズが収められている。週末にあるイベントの為、荷物を運び出すことは調査済みだった。
僕は人気がないことを確認して、その段ボールにもぐりこんだ。もちろん、もぐりこんだ振りであるけれど。僕は幻影を纏っているだけで、身体自体を小さくしたわけではないからね。実際には横に立って姿を消している。
台車に段ボールを載せ終わったのか、作業員が台車を移動させていく。その後に姿を消してついていくと、作業員がバックグラウンド用の出口にカードキーを提示し、警備員に承認されると出口の自動ドアが開いた。
ガラガラと音を立てて動く台車の後を、こっそりついていく僕。まったくこちらに気づかない様子に、少し悪戯を仕掛けたくなったのは内緒だ。しばらく移動して作業員はトラックの近くに台車を止めた。台車を押していた作業員が離れた隙に、段ボールから脱出する──ように見せる。敷地から出る姿を外部のカメラにあえて捉えさせ、自力で逃げたように見せかけた。
よし、結構うまくいったのではないだろうか。ビルの間取り把握のため、猫達に協力をお願いした甲斐があった。僕よりもスニークは得意だからね、彼らは。
背の高い植え込みに潜り込み、纏っていた幻影を消す。一人だけだからと転移魔法を利用して部屋に戻ると、突然現れた僕に目を瞬かせる依頼主が、ガチャンとハードディスクを床に落とした。……驚かせてごめんね。
* * *
いつの間にか戻ってきていた魔法使いに驚かせたことを謝られた。僕としては、今日の朝からいっぱい驚かされているんだけど、今更じゃないかな。
タイミングよく、ノアズ・アークを電話回線から送る準備ができた。魔法使いに送り出す準備と荷造りができたことを伝えると、魔法使いは頷いた。
「まずは彼を脱出させないと。準備はいいですか?」
「──うん。先に行っててね、ノアズ・アーク」
エンターキーを押す。画面上をプログラムが走り、ノアズ・アークの出港準備が整っていく。今頃、僕を監視している人は大慌てだろう。僕は、今までずっとおとなしくしていたのだから、電話の一般回線で人工頭脳を逃がすなんて思わないはずだ。
モニターをじっと見つめる僕の肩を抱き、魔法使いは僕をバルコニーへと促した。
箒の柄をカバンの取っ手に通して紐でぐるぐる固定した後、箒にまたがる魔法使いに促されて、魔法使いの前に僕も同じようにまたがった。
「しっかり捕まっていてくださいね」
思っていたより、がっしりした腕が僕の胴に回された。魔法使いが僕に声をかけるとすぐ、箒はふわりと宙に浮かぶ。僕は慌てて箒の柄と魔法使いの腕をつかんだ。
みるみる高くなっていく箒と僕ら。いつの間にか足元だったあのバルコニーが、僕のつま先よりも小さくなるくらいの高さにいた。
「せっかくです。しばらく空の散歩に付き合っていただいても?」
「──うん!」
にこやかな魔法使いの提案に、僕も笑顔で頷いた。
上から見るボストンの町の景色は、光が瞬いてキレイだった。通い、見慣れた筈のマサチューセッツ工科大学のキャンパス。その近くにあるハーバード大学のキャンパス。この時間でも誰かが残っているのか、明かりが点いた窓がいくつか見えた。
僕と魔法使いは随分と高いところにいるはずだけれど、上を見たら星々はさらに高くて。うっすらと見える雲だってまだ手が届きそうになかった。魔法使いに抱えられているからか、風は感じるのに寒いとは思わなかったけど。
──そういえば、お母さんが病気で死んじゃってから、町を出歩くこともなくなったっけ。
あのホットドッグ屋のおじさんは、僕をまだ覚えているだろうか。公園で毎朝散歩していたおばあさんは、明日も元気に歩いているだろうか。
辛いこと以外にも、思い出がこの町にはたくさんあったのに、すっかり忘れてしまっていた。
「ねえねえ、ボストン観光したことある?」
「いいえ、まだないですよ」
「今度、僕が案内してあげるね。美味しいホットドッグのお店があるんだ」
「……はい。楽しみにしていますね」
僕と、魔法使いと……お父さんと。一緒にこの町を観光できるようになれたらいいな。お母さんと行った場所を、教えてあげたいんだ。
──あ、北の方はセイラムがあるから、魔法使いは近づかない方がいいかもしれない。魔女がシンボルだから、見つかったら大変だよね。