今日の昼ごろ、数か月も不在だった悠君がアメリカから帰国した。度々電話で連絡を取ってはいたが、これほど彼が今の家を離れるのは初めてだったらしい。主に植物の世話などで長期不在にすることができず、それゆえに旅行にも行かなかったようで、オレが留守を守ってくれて助かったと言っていた。
依頼を完遂するのに時間がかかり、ビザ・ウェーバー・プログラム(ビザ免除プログラム)の九十日を過ぎて、短期観光ビザまでどうにか取ったそうだから、酷く大変だったのだろう。まずは無事に帰宅できて何よりだ。
夕方に悠君の仕事内容の報告を聞きに来た風見さんを出迎えに、オレは玄関に向かう。流石に数か月監視なしだったため、経緯を訊ねなくてはいけないからだ。ドアを開けた先に立っていた風見さんは、何故か少し戸惑っているように見えた。
「こんばんは、風見さん。どうかしましたか?」
「こんばんは。いや、降谷さんも来ているのか?」
ああ、駐車場のすでに停められている車を見たのだろう。風見さんから報告を受けるはずの上司が、部下よりも先に来ていたら困惑するのは当たり前だった。幼馴染の行動力に振り回され慣れているだろう風見さんでも、今回のゼロの訪問は想定外だったらしい。半笑いを浮かべているオレに気づいた風見さんが眉を顰めていたが、オレは見ればわかりますとしか、あえて返さなかった。いや、ちょっと言葉にするには差支えがあるという理由もあるけど。
訝し気になりながらも、風見さんはオレの後に続いて玄関を潜った。談話室の扉に近づくにつれ、中にいる人物の声が微かに聞こえてくる。風見さんもゼロと悠君の二人分の声に気づいたのか、何の警戒もなしに彼は部屋の中に入ってしまった。
「いつもそうだいざというときにはあいつはぜんぜんやくにたたない」
「いつもなんですねぇ」
「ここからはじぶんのしごとじゃないとかいってるがじぶんのしごとすらかんすいしてないだろなんでぜんぶぼくにおしつける」
「サボりは困りますねぇ」
「しまいにはのっくでえふびーあいだとふざけるなぜったいさくせんじっこうのきょかえてないだろぼくのにほんにもうくるな」
「無許可は駄目ですねぇ」
抑揚無くぶつぶつと途切れず愚痴り続けるゼロと、どこか遠くを見る目で相槌を返す悠君。視界に入った、ソファーに座る悠君の膝へ縋りつく上司の姿に、風見さんは言葉を失っていた。……まあ、当然そうなるよな。
オレは旅行ガイドのように、手の平を上に向けて二人を指す。あちらにご覧いただけますのが、ってな。
「見ての通り、限界を迎えたゼロです」
「明日の休みを申請しておく」
「お願いします」
額に手を当てた風見さんはとても頭が痛そうだが、ゼロの代わりに手続きをしてくれるだろう。あの二人の横では報告が出来そうにもないため、オレ達は応接室へ移動した。
まずは口頭ではなく悠君が作成した報告書を差し出し、風見さんに読んでもらう。しばらくして読み終わった後、風見さんは両手で顔を覆って項垂れてしまった。さもありなん、魔法士という存在が如何に強力であるか、そして悠君が普段自分を律して生活し、オレ達(公安)に配慮してくれているかをよく理解させられる内容だからだ。
「ビルの最上階の依頼人の元に箒で飛んでいくのは、まあいい。以前にも確認しているからな。だが、監視カメラをイイ感じに魔法で誤魔化したとは?」
「悠君、そこの詳細は教えてくれなかったんです。乱用してよいものではないので、と」
「正論ではあるんだが、うん……」
おそらく、公安からの依頼でもその手段は使用しないと告げているのだろう。監視カメラをどうこうできるのなら、どんなビルでも侵入し放題になる。多分、鍵開けとかも魔法で出来そうであるし、な。
「伝手のある弁護士を経由して、現地の児童虐待問題に強い弁護士を雇う」
「以前万屋で相談を受けた相手の紹介だそうです」
確か、故郷の公害に関する裁判の、証拠集めを手伝ったときの依頼人だったと思う。相手の弁護士が甘いこともあって、どうにか一審目は勝ったと聞いている。その後もしっかりコネ作っているのが悠君らしい。
「雇った弁護士から保護局に通報、連絡が取れた実父の到着まで依頼人の心身をケア。実父と楽しそうに過ごす姿も調査員に確認させ、養子同意が如何に本人の選択を故意に狭めた上での、苦渋の決断であったかをアピール」
「依頼人は養父から父親に母親の死を連絡したと聞いていたようですね」
養子にするために情報を止めたとしか思えない証拠だったらしい。実父と依頼人の証言が食い違って、二人ともとてもショックを受けていたようだ。依頼人は父親に見捨てられたと思っただろう。……子供にひどいことをする。
「結果、養子縁組の解消と、養父は児童虐待については法に則って処罰。今後依頼主に接触禁止と裁判をしないという条件で慰謝料日本円にして五千万円程を支払わせる」
「相手を追い詰め過ぎず、自分を表に出すことなく、真っ当な法の下に目的を達成する……悠君らしい結末ですよ」
悠君の第一印象として、誰もが共通する点は品の良い青年だということ。そんな人物が最上階から子供を連れ出し、逃亡を偽装工作し、万全に依頼を達成するために暗躍したとは、アメリカ側の関係者は誰も想像しなかっただろう。
依頼人は法に触れそうな後ろ暗い部分は悠君から聞いておらず、依頼人の実父は彼との契約は話さずに偶然保護したと伝えているようだから、真実をすべて知るのは悠君のみ。
彼がその気になれば、物理法則に則った完全犯罪なんて出来て当たり前なんだろうな。悠君にとって余程のメリットがなければ、やらないだろうけど。
報告書を前に風見さんと二人で唸っていると、コンコンとドアをノックする音が応接室に響いた。あれ、聞こえてきたのは廊下側ではなくて食堂側のドアからだ。どうぞ、と声掛けをすれば、ティーセットを載せたトレーを持った悠君が部屋に入ってくる。
「こんばんは、飛田さん。先ほどは挨拶をせず、すみませんでした」
「いえ、アレはできないでしょうからお気になさらず。お久しぶりです。……降谷さんは?」
「愚痴が周回するようになったので、眠らせてベッドに寝かせてきました」
良い笑顔の悠君に生温かい笑み浮かべる。どうやら強制的におやすみさせたらしい。実にお疲れさまでした。
悠君がアメリカに渡った直後に、ゼロが潜入している組織で騒動があった。ゼロとオレが一緒に組むことが多かった組織の幹部、ライの正体がFBI捜査官だと判明したからだ。
どうやらFBIの仲間を引き連れて、別の幹部であるジンを捕獲しようとしたようだが、作戦がバレて失敗したらしい。その結果、ゼロはその前に公安警察所属とバレたオレに、今回NOCバレしたライ。二匹のネズミと接触が多かったということで、コイツもNOCじゃないかと組織から疑惑を向けられた。最近は試すような難易度の高い仕事ばかりが回されていたようだから、ろくに休めていないのだろう。
ゼロは玄関で迎えた時も無言でじっと立っているだけだった。反応がないアイツの腕を掴んで談話室に引きずって連れていけたと思ったら、ソファーに座っている悠君の腰に抱き着いて愚痴りだしたからな。悠君の目があんなに淀んでいる姿を初めて見たぞ。まったく、いったい何徹したんだか。
「飛田さんも一緒に夕食を召し上がってください。安室さんだけだと材料が半端に余ってしまうので、是非」
「いえ、本田さんは帰国したばかりでしょうし、お疲れでしょう。報告が終わればすぐお暇しますので」
「悠君、夕飯はオレが──」
帰国したばかりで疲れている悠君に作らせるわけにはいかないと、ソファーから腰を上げようとしたとき、キラキラした光が顔の横を素早く通り過ぎ、ローテーブルの上にアフタヌーンティーセットが現れた。わあー、美味しそうなケーキ……なあ、これ全部種類が違うんだけどいつ作ったの悠君。
「出来上がったらお呼びしますので、それまでそちらをつまんでお待ちくださいね」
にっこりとした有無を言わせない笑みを浮かべる悠君に、オレは強制コースだなと白旗を上げる。言うだけ言って颯爽と扉の向こうに消えた悠君は、いつになく余裕がないみたいだ。
「風見さんすみません、付き合ってもらえませんか。悠君だいぶストレスを溜めているみたいなので」
「そう、なのか。確かに少しつっけんどんだなとは思ったが」
「依頼主の養父に対してかなり怒っていましたから。電話で『呪いたい』と言われたときはどうしようかと」
「のろい……」
「相手がなりふり構わなくなって借りた拠点や依頼人達が襲撃される可能性も考えて、あちらではあまり眠れなかったみたいで。──そして止めがゼロのアレです」
「大変申し訳ない。今度何かお詫びを持ってこよう」
しばらく報告がてら風見さんと二人で突発的なケーキバイキングに舌鼓を打っていると、食堂側の扉から悠君が顔を出した。どうやら夕食ができたらしい。
「いっぱい作ってスッキリしました」
「それは良かった。いや、でも作ったなぁ」
テーブル上に並べられた料理は一皿の量こそ多くはないが、品数が凄い。おいおい、大人の男四人でも消費は確実に難しい量だぞ。全てとても丁寧に盛り付けられた皿は、本職と遜色なかった。やり切った爽やかな表情を浮かべるいつもの悠君に安堵しつつ、オレは近くのポテトサラダを自分の皿に取り分ける。あ、リンゴ入りのヤツだ。
「残り物は作り置きにしますよ。あ、飛田さん。先に差し入れ用で重箱に詰めてあるので、どうぞお持ち帰りください」
「ありがとうございます」
お土産まで準備したから、この品数で一皿の量は比較的少なめなんだな。重箱何段分作ったのか後で確かめて、多すぎだったら流石に注意しよう。
モクモクと食べ始めたはいいものの、ついついチラリと横の席を確認してしまう。オレの隣の椅子に座っているゼロだが、オレと風見さんが席に着く前には着席していた。ぼんやりした様子で、食堂に入ってきたオレ達に視線も向けなかったけれど。今は手にスプーンを握りしめたまま、悠君が取り分けたパエリアをゆっくり口に料理を運んでいる。いや、これ、ゼロのヤツ寝ながら食べてないか?
ゼロの向かいの席に座る悠君に聞いてみると、声をかけたら食べると言われたから連れてきた、と苦笑いを浮かべている。
「まあ、食べてはいるな」
「一応、安室さんのお皿は食べやすい様に、具材が細かいものを選んでいるので、喉に詰まるとかは大丈夫だとは思います」
「あ、これはもう動いてないのでは……ああ、寝てますね」
「では部屋まで運びましょうか」
ピタリと停止したまま、動かなくなったゼロの顔を風見さんが覗き込んだが、首を横に振って意識の有無を伝えられた。こんな状態のゼロはオレも初めて見る。
悠君が指を振ると、ゼロの服がワイシャツとスーツのスラックスから、薄い青色のパジャマ上下に変わる。椅子にも魔法をかけたのか、足がつかない程度に浮かんだ椅子が、食堂の出口へと滑るように動き出した。いやあ、便利だなぁ。
「──ところで、先ほど安室さんの愚痴でノックだとかFBIとか聞いたのですが」
「うぐ」
食堂に戻り、食後の紅茶を飲んでいると、不意に悠君が呟いた言葉に噎せそうになった。やっぱりソコ突っ込まれるよな。風見さんも目をつぶって天を仰いでいる。オレの幼馴染が本当に申し訳ない。普段はこんなことやる奴じゃないんです。
「本田さん、是非とも聞かなかったことに」
「かまいませんが……安室さんは大丈夫なんですか?」
快諾してくれた悠君は、眉を下げて心配そうに言う。なんかもう、全部彼の中で予想付けられているっぽい。察しが良すぎる。それに自分も疲労困憊の時に、あのゼロの面倒見たうえでこう言ってくれるのだから、本当に彼は人が良いと思う。
「いまのところは、と付きますね。先日までは監視がついていたようですが、今はもういないそうです」
「それで気が緩んだんだろうなぁ、本当にごめんな悠君」
「いいえ、安室さんがああなるってことは、本当に大変だったのでしょうし」
プライドが高いでしょうから、正気に戻った時が心配ですけど、と苦笑いをする悠君に同意しかない。アイツ明日起きてこれるだろうか、朝にちゃんと理性が息をしているか確認しておこう。
「まあ、偶に愚痴を聞くくらいならOKですので。遠慮なくいらしてください」
「本当に申し訳ない」
深々と頭を下げる風見さんには、今度何かオレからも差し入れしようと思う。
想定通り重箱五段以上になっていた差し入れを持たされて、門から出ていく風見さんの車を見送りながらふと思う。今回の依頼人は未成年で、依頼料の支払い能力がない。保護者である父親も、依頼について知らないから、悠君に依頼料を払うわけがない。
悠君が非常に意欲的だったことを踏まえて、無償奉仕ということもありえなくはないが……それにしてはかかった費用が大きすぎる。なにせ、数か月単位の仕事だ。その間にできただろう仕事を思えば、損害費用は百万を軽く超えるはずだ。
いったい、悠君は何を対価として依頼人から受け取ったのだろうか。まあ、疲れてもう就寝している悠君にすぐ尋ねる事ではないと、オレもその日は早々に部屋に戻った。
* * *
「居心地はどうですか?」
「それはよかった。しばらくは此処を拠点に沢山学んでくださいね」
「では、これからよろしくお願いします。──ノアズ・アーク」