トリックスターの歩む道   作:保泉

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全力で誤魔化す

 

 僕は呆然として動かなくなってしまったその人を、服の中から両手ですくい上げ、服のすぐ横に降ろした。だって、いつまでも此処にいるわけにもいかないし。

 丸まってしまった服を畳み、靴をカバンに常備していたレジ袋に入れて、服や携帯・財布に割れていなかった試験管と共にエコバッグに入れ込む。最後に呆けたままの猫を抱き上げ、我が家へ帰ろうと歩きだした。

 

 何処に連れていくつもりだ、と猫語で男性──顔が見えなかったけれどお兄さんでいいや──お兄さんがこわばった声で尋ねる。そうだよね、不安だよね本当にごめんなさい。

 お兄さんに、このままでは風邪引くので、とりあえず僕の家に行くことを伝える。自前の毛皮があるとはいえ、もう十二月だから辛いだろう。そう僕が言うと、お兄さんは毛皮、とポツリとつぶやいた。はい、毛皮です。貴方の。

 

 僕もお兄さんも黙ったまま、僕の足音だけが暗い路地に響く。偶然の事故とはいえ、未確認な魔法薬を人に浴びせてしまった。NRCなら、最悪クルーウェル先生に泣きつけばどうにかできるが、この世界で魔法薬を錬金できるのは僕だけだ。つまり、解決できるのも僕だけとなる。

 

 ああ、どういう罪になるのだったか……んん? ここツイステッド・ワンダーランドじゃあないから、別に犯罪じゃない、のかな?

 

 ……いやいや、何を学園長のようなことを考えているんだ僕は。最低限の礼儀も忘れるつもりかと、心の中で自分を叱咤する。魔法を抑止する法律なんてこの世界にはないからこそ、僕はあちらの魔法士としての倫理感を失うわけにはいかない。このお兄さんを巻き込んだからこそ、しっかりアフターケアまで万全にしなくては。

 

 ──ただし、魔法のことをお兄さんに話すわけにもいかない。

 

 この世界に戻ってきてから、僕は色んな本を読んだ。その中で見つけて驚いた事実──魔法を使わなくても、錬金術は可能ということだ。

 

 万物の小さな粒である原子は、陽子と中性子と電子で出来ているのは、化学を習った人なら知っているだろう。例えば水素は陽子と電子が一つずつ、ヘリウムは陽子と中性子と電子が二つずつ。陽子と中性子の数によって、原子が様々な種類に分類されるやつだ。

 

 実はこれ、電気の力で陽子や中性子を組み替えることは、現代の素粒子物理学でも可能なんだ。ただし、莫大なエネルギーが必要で、出来る金の量に比べてあまりにも割に合わないだけで。お金がかかりすぎるってことだね。数年ごとに増える原子の数は、学者さんの研究によって増やされている。

 

 他にも、ケイト先輩みたいに、魔法で洋服を作ることも、理論上は不可能ではない。詳しい話は省くけど、もの凄く強いエネルギーがいっぱいギュッと集まると、粒子と反粒子に変換される。宇宙の始まりだね。でも、粒子と反粒子はくっ付くと、元のエネルギーに戻ってしまう。

 僕らが物質として存在するためには、粒子と反粒子の組み合わせが完全な対だと不可能になるけれど、粒子十億二個に対して反粒子十億個の組み合わせなら──二個分の物質(陽子と電子が一つずつ)が残ることになる。

 

 なぜそうなのかはまだ分かっていないようだけど、重要なのはどうしてそうなるかの部分じゃない。

 ──この、物質を生み出すほどのもの凄く強いエネルギーに値するものが、『魔力』ならどうだろう。

 

 あの世界では、電気ではなく魔力を使用した『魔導工学』があった。この世界と同じように、スマホやPC・インターネットがあった。そこからわかるのは、魔力は電気というエネルギーに変わることができるということだ。

 

 そして、『魔力』の持つエネルギーの強さは、電気と比べ物にならないということ。

 

 もし、この世界の電子機械に、魔力が使用できたなら。

 もし、それをこの世界の住人が知ってしまったら。

 もし、魔力を持っているのが、僕だけだとわかってしまったら。

 

 ──この世界は、エネルギー不足だ。性能を上げ続ける電子機械に、エネルギーの供給はいずれ追いつかなくなるかもしれない。そこに、環境を破壊しないエネルギーがあり、その血族の犠牲だけで世界が豊かになると分かれば──あとはわかるだろう?

 

 中世の魔女狩りの如く、僕と僕に連なる子孫は──少なくとも、幸せにはならないだろう。

 

 だからこそ、知られるわけにはいかない。決して誰にも、たとえどんなに信用が置ける相手でも。

 

 ……知られるわけには、いかなかったのになぁ。僕は正直、もう泣いてしまいたかった。大体、魔法薬を家から持ち出した時点で、気が抜けていたんだよ、僕の馬鹿野郎。

 

 上手く誤魔化せるかなぁ、と現実から逃避をしながら、腕の中のあたたかな毛並みを感じつつ、足早に僕は帰路についた。

 

* * *

 

「こちらへどうぞ」

 

 オレは布張りのソファーの上へ降ろされ、ようやく見知らぬ青年の腕の中から解放されたことに安堵の息を吐いた。青年は、肩にかけていたエコバックから、オレの服や携帯などを取り出し、ソファーの前のローテーブルに並べていく。

 今いる部屋はとても広く、ソファーの向こう側には暖炉が見える。家──規模は屋敷だけど──外観を見た時も思ったが、随分と古く、そして広い家のようだ。それなのに青年の他に住人はいないのか、室内はしんと静まり返っていた。

 

「そうだ、鏡見ますか? 持ってきますが」

『いや、いいよ。また混乱してしまいそうだから』

 

 おそらく好意で言ってくれたのだろうが、青年の申し出を断った。オレだって、青年に抱えられて移動しているときに、通常より音が聞き取りやすいことや、物を見やすい目などでいつもの体ではないことは実感している。でも、目視してしまえばせっかく落ち着いた精神が揺らぎかねない。まだ、この青年がどういった人物かもわかっていない状態で、それは避けたかった。

 

 オレが観察していることを気にもせず、青年はマッチで暖炉に火をつける。うわあ、本当に使用できるんだそれ。少しわくわくした気持ちになったが、すぐに自分の置かれている現状を思い出して冷静になった。落ち着けオレ。

 

 手にブランケットを持って戻ってきた青年が、話しやすいようにか、少しスペースを開けて隣に座る。寒いでしょうから、とブランケットをオレに羽織らせるようにかけてくれた。……第一印象は人が良さそうなんだけどなぁ。

 

「猫のお兄さんに紅茶を出すわけにもいきませんし……では、僕の自己紹介から。僕の名前は本田悠、お兄さんは?」

『……緑川唯だ』

「緑川さんですね。……つかぬことを伺いますが、呪泉郷などに行って溺れた覚えは?」

『ないなぁ』

 

 ああ、その漫画オレも知ってる。格闘ラブコメ漫画のやつだよな、とオレが言えば、それですと本田は頷いた。この家といい、彼の所作といい、育ちが良さそうなのに古い漫画を読んだことがあるようだ。

 

『本田さんこそ、あの液体はいったい?』

「それが、僕もどうしてアレがそうなったのか──人を猫に変身させるなんて代物ができたのかわからないんです」

 

 困ったように眉尻を下げる本田は、次のように語った。

 彼は、植物等を使って自作の化粧水や乳液などの化粧品を調合していること。オレが被った液体は、最近研究していたちょっと毛をふさふさにする効果を期待するものだったこと。ただし、調合の際の想定した反応が出なかったため、経過を観察して香りを確認しようと蓋を開けた時に、オレと接触したこと。

 

 ──嘘は言っていない。じっと彼の瞳孔や瞬きの頻度を確認していたが、特に差異は感じられなかった。

 

 だが、故意の作成ではなく何かしらの要因で出来上がったとしても、その元となったレシピがあるはずだ。もし、人を猫にするなんて薬が出まわったら、社会が混乱どころではない。犯罪に使用されることも考えられるだろうから、どうにか元からデータを抹消しないといけない。

 

「緑川さんが元に戻る方法ですが……念のため、お風呂入ってみますか?」

『……やってみようかな』

 

 お湯を被るという漫画の中の対処法ではあるが、他に方法も浮かばないため、試しにやってみることになった。蛇口をひねることができないため一人で入れず、本田に手伝って貰いながら。──残念ながら、戻れなかったけどね。

 

* * *

 

 やりました。とうとう、緑川さんからの視線に含まれる、疑惑の色がなくなりました。

 

 バスルームで手作りアミノ酸シャンプーを紹介し、それで彼を洗ったのもよかったのかもしれない。ええもちろん化粧品は自作ですよ、それ以外も作っているけれど。

 

 なんとか嘘を言わずに説明出来たけれど、まだゲームは終了していない。次は僕が彼に聞くターンだ。

 

 魔法薬を浴びたそもそもの原因として、僕にぶつかる程慌てた状態で暗い路地を走っていた緑川さん。

 彼がなぜ急いでいたのかを、僕はまだ聞けずにいる。緑川さんが、頑なに名前以外の情報を提示しようとしないからね。僕からはあれこれ聞き出そうとはするので、その手管といい、緑川さんが非社交的だということではないはずだ。

 

 ドライヤーで緑川さんの毛も乾かしおわり、そろそろ世間話もつきる頃。仕方なく僕から促してみることにした。

 

「緑川さん、ご家族の方に連絡はどうしますか。もう夜も遅くなりますし、心配されてるかと」

『あ、いや、オレは一人暮らしだからそこは大丈夫。でも、仕事仲間には連絡しておかないとな』

「職場は確かに。メールを打つなら手伝いますよ」

『いや、電話で連絡するから』

 

 え、どうやって?

 首を傾げた僕に合わせて、緑川さんも小さな首を傾げる。かわいい。……いやいや、そうではなくて。

 

「もしかして、緑川さん気付いてないです?」

『何をですか?』

「貴方はいま、猫の言葉で話されていますよ」

『ねこのことば? ……猫の言葉? え? 本田さんと言葉が通じてるよ?』

「それは僕が猫語を話せるからです」

 

 ああそうか、僕が普通に理解してたから気付かなかったのか。困惑した緑川さんを見て、僕はようやく失敗に気付いた。本人も猫の言葉を違和感なく聞き取れているなんて、完成度高い変化薬だ。後々こっそり成分を再検証しなくては。

 しかし、どうやったら信じてもらえるかな。猫語を録音しても、再生するときには言語で聞き取ってしまうだろうし。

 

『今は猫語を話していますが……何か違いを感じますか?』

『あ! わかる! なんかいまの方が聞き取りやすいな』

『それはなにより。まあ、そんなわけですから、職場の方へ口頭での説明は難しいかと』

『そっか……』

 

 しょんぼりと耳が垂れた緑川さんがかわいい。僕は成人男性であろう緑川さんの姿をちゃんと見ていないので、これが本来の姿だと錯覚しそうになる。落ち着け僕、成人男性を撫でまわすなんて相手にとって拷問だぞ。よく知らない相手に撫でられるのは、セクハラでしかない。

 僕は一つ咳ばらいをして、代替案を提示した。

 

「至急連絡が必要なら、職場の方にこちらまで来ていただくのはどうでしょう」

『本田さんの家に?』

「僕の口から説明したとして、知らない人間から言われても、緑川さんの現状は受け入れがたいと思います」

『確かに』

「こちらに来ていただければ、一見でわかりますし。本人かどうかの証明は……そうですね、あいうえお表を作って前足で指してもらえれば、何とか納得いただけるのではないでしょうか」

『それしかなさそうだなー』

 

 耳も体も伏せてブランケットに包まれる緑川さんを膝に抱えて、アドレスを教えて貰いながら僕の携帯からメールを送信する。なんでも、携帯が壊れてしまったらしい。自分の携帯から連絡できない理由って何だろうなー、怖いなー。

 僕は職場の人が組員とかだったらどうしようと不安に思いながら、あいうえお表を作成しつつ、送ったばかりのメールの返信を待つのだった。

 

* * *

 

 酸素を欲した肺の痛さに、僕は足を止めた。路地の壁に寄りかかり、粗い呼吸を整え、深く息を吸う。数時間動き続けた体は、鍛えているとはいえ相応の疲労を感じている。

 

 本当は、足を止めている暇などない。誰よりも先にアイツを見つけなくては、その後に待っている光景は──。頭を振って、浮かんだ映像を消そうとするが、どこかこびりついた様にそれは離れなかった。

 

 わずかな休憩を終え、僕が再び動き出そうとしたとき、上着の内ポケットに入れていた携帯が震えた。発信者を見て、静かな声で応答する。

 

「──どうしました」

『諸伏から連絡が来ました』

「ッ! おや、今どちらに?」

『一般人宅だそうです。住所は──』

 

 通話先から聞こえる部下の声を、自分の脳内に焼き付ける。伝えられた住所は此処から少し離れた場所で、閑静な住宅街の一角だった。徒歩で行くには時間がかかりすぎる程度、僕の車は駐車場に止めてあるので、置いて行っても問題ない。

 

「わかりました。今、××にいますので、迎えに来ていただけますか」

『了解です。ただ、発信元のアドレスがその一般人のもののようで』

「そちらの調査はまだ?」

『すでに完了しています』

 

 ではお待ちしています、と一言を伝えて電話を切った。壁から体を起こし、指定した待ち合わせ場所へ足を急ぐ。まだだ、まだ安堵するなと自制を呼びかけないと、感情が溢れてしまいそうだった。

 

 待ち合わせ場所に一台の車が停車している。顔を覗き込めば待ち合わせの部下だったので、滑り込むように後部座席に乗り込んだ。

 

「こちらが報告書です」

「ああ」

 

 車が発進してから、書類を受け取る。ぺらりと表紙をめくれば、今回アイツが頼った一般人の情報が綴られていた。やけに詳しいな、と眉を顰める。平和な日常を過ごす一般人の場合は、調べても家族構成や学歴くらい、それに大体の人格が載る程度だ。

 しかしこの人物は、家族構成や学歴はもちろん、「非常時に有効な能力」の詳細まで記載されている。今までに犯罪にでも巻き込まれたのかと読み進めていけば、規模の大きい事件が二つに小さいものが十数個……巻き込まれすぎではないだろうか。

 見れば、一度はICUに入っている。今回、一般人が巻き込まれた原因の背景を思うと、以前の事件と危険度は変わりない。

 

「これはまた、特異な経歴の持ち主だな」

「中卒で司法試験合格、ですからね」

「それもそうだが、当時十五歳で銀行強盗に遭遇、少女を庇って被弾し出血多量の状態で、拳銃所持の成人男性三人を制圧? いったい何処の工作員だ。それに……交流のある人物に非常に見覚えのある名前が並んでいるんだが」

「月に数回、今向かっている一般人宅で食事会をしていると」

 

 見知った同期の名前に、眉間にしわができるのを感じる。どうしてお前らが出てくるんだ。こめかみが痛くなった気がして、ぐりぐりと指で揉み解す。月に数回って多いな。未成年宅に集まりすぎだろう。

 

「まだ、白とは確定していない。警戒心を忘れるなよ」

「はい」

 

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