トリックスターの歩む道   作:保泉

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幕間:過ぎる日々とお兄さん

 

 十二月にしては天気も良く、気温は冷たさを増してきた早朝に、僕は泥除け防止のエプロンを身に着け、菜園の手入れに精を出していた。ここには魔法薬に使用する頻度が高いものが植えられており、水やりや手入れをするのが僕の朝の習慣だった。ちなみに作成する魔法薬とは化粧品・洗剤類の生活必需品である。

 

 僕がせっせと並べた鉢植えに水やりをしていると、そこを通りかかった雀が二羽僕の肩に降りてきた。

 

『やあ、ユウ! 今日もいい天気だね』

『おはよう、今日はどうしたの?』

『そうそう、聞いておくれよユウ。実は最近、この周辺にカラスが縄張りを変えてきたのか増えてさ。もう怖いのなんのって』

『カラスが? うーん、どこかマンションの改装でもしているのかな』

 

 傍目にはチュンやらチチチやら聞こえていると思うけれど、雀語も対象内な僕にとっては立派な井戸端会議相手だった。特に、雀視点のニュースやらを教えてくれるから、彼ら独自の発想がとても面白い。

 

『それならワタシ知ってるわ。ここから東にちょっと行ったところに人用の古いマンションがあるでしょ、あそこ老朽化で立て壊すみたいよ』

『ああ、あのマンション。確かカラスがいっぱい住んでるって前聞いたことがあるよ』

『なにぃ! ユウ、ちょっとその工事止めたりできない?』

『僕の権限じゃ無理だなぁ』

 

 彼らは偶に、自分たちにとって手が負えないものを、言葉が通じる僕に相談してくる。対応できるときは手伝ってみたりもするけれど、今回ばかりは無理そうだった。雀君はやっぱりだめかー、と落ち込んだがすぐに立ち直り、じゃあまたねと飛び立っていった。流石野生動物、切り替えが早いなぁ。

 

 軽く手を振る僕の横で、近くまで寄ってきていた緑川さんが、しばらく一緒に飛び立つ雀を見送っていたが、ちょいちょいと僕の肩を指で突いてきた。

 

「悠君、悠君」

「どうしました緑川さん」

「もしかして、雀とお話してた?」

「はい」

 

 見慣れてきた何とも言えない表情の緑川さんは、そっかぁ、と深々とため息をついていた。会話可能なの猫だけじゃないんだ、という問いかけに、犬と鳩と烏も可能ですと告げたら、思ってたより多いと途方に暮れた声音で呟いている。どうやら精神的なダメージが加算されたらしい。慣れですよ、慣れ。

 

「そういえば、悠君はどうやって習得したの」

「習いました。まあ、先生とはもう連絡取れませんけどね。もう冥界にいってしまったので」

「そっか、悪い」

「いいえ」

 

 すまなそうに頭を下げる緑川さんは、いい人オーラがにじみ出ていた。その反応に僕の良心がチクチクと痛む。あの世界で動物言語の補習に付き合ってくれたのは、オンボロ寮のゴースト達なので冥界に行ったことは間違いではないが、本人の気分でまた現世に戻ってくるためシリアスな事態ではないので。

 

 会話が途切れ、少しだけ静かになった空間に、かさりと音が聞こえてきた。音の先を振り返ってみると、近所の飼い猫であるヒサ君が薬草の間から顔を出していた。あ、ちゃんと薬草を踏まないようにしてくれてる。

 

『あれぇ、庭でなにしてるん、悠ちゃん』

『ヒサ君こんにちは。枯れた植物を抜いてるんだよ』

『精がでるわねぇ。そちらのお兄さんははじめましてやね』

 

 とてとてと近寄ってきたヒサ君が、僕の足にすり寄った後緑川さんに向けて声をかけた。ああ、いけない。猫語を通訳しないと緑川さんわからないか。

 

『ヒサ君、緑川さんは猫語が──』

『わかる』

『……え?』

『今までまったく気付いてなかったけど、オレ、猫語が、なんかわかる……!』

『ええっ!?』

 

 ヒサ君に向けていた顔を上げると、頬が桃色に染まっている緑川さんがいた。あ、ヒヨコを見たデュースみたいになってる。

 

 いやそれよりも、猫語がわかるってそれ魔法薬の後遺症では? スキャン結果では肉体面では問題なかったけれど、そういう技能方向で残ってたか!

 たしかに脳みその中までは確認してないけど、ほ、他にもあったりして……いやでも、あったとしても、頭の中を確認なんてプライベートだから出来ないよ。

 

 とりあえず、他の後遺症がわかり次第解決策を考えようと、僕は問題を横に置いておくことにした。ほら、緑川さんの前で考え込むわけにもいかないしね。

 

 二人と一匹で確認してみたところ、緑川さんの猫語の習得状況は、聞くのも話すのもOKで完全にマスターしていた。……僕のあの頃の努力はいったいなんだったのかと憤りたくなるほど、羨ましすぎる状態だった。あの薬、猫語の習得に利用できるなんて、学生時代に作れてたらなぁ。

 

「あの猫化の後遺症、と判断していいのでしょうか」

「オレとしてはメリットしかないけどな」

「言葉がわかるとなると、動物達も仲良くしてくれますから」

「今現在実感してる」

 

 現在、座って胡坐をかき、何匹もの猫を膝にのせて口元をもごもごさせている緑川さんは、きっとにやけそうになる表情を引き締めているのだろう。膝に乗っている一匹であるヒサ君が、てしてしと緑川さんの腕を前足で叩いた。いいなぁ。

 

『お兄さん、もうちょっと腕広げて』

『ん、わかった。これくらいでいいか?』

『ありがとね。──ほれ、あんたも入りんさい』

『ありあとー。んしょ、んしょ』

 

 ヒサ君の要望に応じて、緑川さんが猫たちを抱えていた腕を外側に広げると、膝の横にちょこんと座っていた子猫が、彼のズボンを登り始めた。あ、緑川さんが猫の癒し動画を見たイデア先輩みたいに両掌で顔を覆って天を仰いでいる。

 

「──悠君、猫達だけアップで写真撮ってくれないか」

「お任せあれ」

 

 僕はこっそりエプロンのポケットの中に携帯を召喚し、サイレントモードで猫たちを撮りまくった。緑川さんは断固として写真NGでした。うん、犯罪組織に命狙われているなら当然だよね。

 

 

* * *

 

 

「緑川さんって変装できますか?」

 

 朝食後の洗い物が完了し、ソファーの背もたれに体を預けている緑川に、悠は思い立ったように尋ねた。

 

「いきなりどうした。帽子被ったりサングラスかけたりくらいしかやってないよ」

「明日、買い物の手伝いをお願いしたいので、ちょっとメイクしてみていいですか」

「あ、ああ。いいよ」

 

 真顔でいつになく押しの強い悠の態度に、困惑を隠せない緑川は、了承の返事をしつつもいったい何を購入するのか問いかける。近所のスーパーで年末に向けての特売があるため、それに参加したいと悠は言った。あと二週間でクリスマスシーズンに入るため、今のうちに正月の準備を始めるのだという。

 外に出てOKかどうかは自分だけでは判断できないからと、緑川が飛田達に許可を求めることを告げれば、悠はそれは当然ですと頷いた。

 

「さて。緑川さんの目は綺麗なつり目ですけれど、印象が強すぎるので、まずはここをタレ目風にします」

「えっ。タレ目にできるのか?」

「できますよ、まかせてください。その前に洗顔して基礎化粧品をつけましょうね」

「いやそこまでしなくてもいいんじゃ」

「つけましょうね?」

「ハイ」

 

 悠の部屋に入り、鏡台の前に座らされた緑川は、鏡越しに部屋の内装をまじまじと見ていた。悠は視線が移動する緑川の後ろに立ち、顎を右手の指で固定して顔のスキンの状態を確認している。少し乾燥気味の肌に、土台から整える必要があると彼は判断した。

 

 基礎化粧品にとんと縁がなかった二十代男性の緑川は、手間がかかるだろうと思って断ろうとしたが、悠の目のハイライトがない微笑を見てコクリと頷いた。なんかいつもの悠君じゃない。

 

 洗顔のやり方から指導され、さっぱりした顔と疲弊した精神のまま、緑川は元の悠の部屋の鏡台前に座らされる。そして悠によって化粧水と乳液を施された。

 

「男性も基礎化粧品は必須なんですよ。──ほら、自分のお顔を触ってみてください」

「もちもちしてる。うわー……」

「緑川さんは肌荒れもなくて、なにもしていない男性にしては綺麗な方ですけれど、やはり冬ですから大分乾燥していますよ。オイリー肌にならないように、洗顔の後は必ず化粧水と乳液をつけてくださいね」

「了解」

「さて、五分くらい時間を空けましょう。すぐにメイクを始めると、崩れやすいですから。ファンデーションの付け方は後で細かく教えるとして、まずはアイブロウですね──」

 

 その後も悠によるメイク講座は続き、気を付けるポイントなども伝えながら、二十分ほどで終了した。いかがですか、と悠が感想を緑川に尋ねると、うっわ、本当に垂れ目に見えると彼は驚きを返した。

 

「追加に髪にワックス軽くつけまして……あとはこれ、ダークグリーンの太目のスクエアフレームです。これをつければ……はい、ほぼ別人です」

「すごい」

 

 さらさらストレートな緑川の髪質を、軽めのワックスでざっくばらんに整える。毛先に動きがある髪型と、垂れ目風のメイク、最後に印象に残りやすいスクエアフレームでほぼ別人のようだった。

 まじまじと鏡に映る自身の姿を見ている緑川の横で、悠はメイク道具を片付けていたのだが、ふと何かを思いついたように手を止めた。

 

「今日確か、飛田さんがいらっしゃる予定ですよね」

「そう、昼の三時頃かな」

「ではでは、これから僕もメイクするので、一緒に驚かせてみませんか?」

「──悪い子だなぁ」

「ふふ」

 

 にんまりと笑う悠に目を見張る緑川だったが、面白そうだったのでささやかな悪戯にGoサインを出した。悠のデスク用の椅子に腰かけ、鏡台の前の椅子を悠に譲る。しばらくは楽し気に悠のメイク手順を眺めていたが、途中から彼の口はぽかんと開かれたままとなった。

 

 柔らかなカーブを描く眉に、目元を彩るやや暗めの赤をメインとしたアイメイク。ビューラーを使わずにマスカラだけ使用しているため、伏目がちな印象がけだるい色気を漂わせている。それを中和するかのように、微かなチークとオレンジ系の口紅を塗った唇が健康的な印象を持たせた。

 

 鏡台の引き出しからロングヘアのウィッグを取り出し、頭に装着して流れを整える。元より所作が綺麗な悠は、高い身長という不利をものともせず、見事にたおやかな女性の姿へ変身していた。

 

「あとは、胸の辺りを誤魔化せるような服を着たら完成です」

「待って、悠君待って。……本当に悠君?」

「本当に僕ですよ。目の前でメイクしたでしょう。似合ってますか?」

「似合ってるけど、えー……すごいしか言えない」

 

 パチパチと手を叩く緑川は、呆然と悠の姿を眺めていた。彼の知る、変装の達人のような特殊メイクではないのに、すっかり別人に見える悠の技術。非常に役に立つため、しっかり教わったことを復習しようと、緑川は意気込んだ。

 

 余談ではあるが、二人の正体に気づかなかった飛田が、ネタ晴らしをされた後ひっそりと落ち込み、二人が一生懸命励ますという一幕があった。

 

 

* * *

 

 

「あの、緑川さん。ちょっと相談が……」

 

 悠君との暮らしにも大分慣れてきた頃、いつものように菜園の手入れを手伝っていると、おずおずと悠君がオレに声をかけてきた。浮かない顔をしているが、どうしたんだろうか?

 

「実は、知り合いのお兄さん達と定期的に僕の家で飲み会というか、食事会をやってまして。その連絡が来たんです」

「あー……」

 

 手に持った携帯を指差しながら、悠君は眉尻を下げたままの表情だ。知り合いのお兄さんで定期的に食事会ってことは、班長達のことだよな。悠君はオレが警察官って知らないし、班長達と顔見知りということも知らないから、気を使ってくれているのだろう。

 オレとしては、公安に所属していることを伝えるわけにもいかないので、大変申し訳なくも断ってほしいのだが……。

 

「断ったり、とかできない?」

「……萩原さん、ええと、メンバーのうちの二人なら、まず僕の予定を聞いてくれるのですが、今回の幹事というか連絡係というか、その人は色々省くことが偶にありまして」

 

 言いづらそうな悠君が差し出す携帯の画面を見れば、『明後日の16時に三人で行く 食材は昼に届くから受け取りよろしく』とだけ記載されている。おい、決定事項じゃんか、家主の許可取れよ。送り主は……松田、お前か。

 

「何というか……一方的なメールだなぁ」

「ま、毎回こうじゃないんですよ? 仕事で忙しい時とか、余裕がない時に連絡する時にこうなるだけで」

「必死の弁明しなくてもいいからね」

 

 知人の悪評を一生懸命庇おうとする悠君。食材がもう発送済みのため、断れなかったのだろう。幸い、悠君のこの家はとても広いから、部屋に引きこもっていれば早々に顔を合わせることはないだろうしな。

 

「じゃあ、オレは部屋に籠っておけばいいんだね? 半日程度なら全然平気だぞ」

「それなんですが、その人たち、すごく観察力というか判断力とか優れていまして。トイレの音とか些細な違和感を察知する可能性が」

 

 なので、三階に臨時の緑川さんのお部屋を作りますと言って、意気込んでいる悠君。うん、アイツらの優秀さはオレもしっかり理解しているから、そこまで気合入れなくていいんだよ?

 

「こちらの304号室を使ってください。正面と談話室の反対側なので、光漏れも音漏れもしにくいはずです」

「ありがとう」

 

 鍵の束を持った悠君の後をついていき、三階まで階段を登った。確か三階には、小さ目の談話室とタレット(小塔)があったはず。わざわざ用があるような設備ではなし、さらに二階が間に入っているから、下手に音を立てなければ大丈夫そうだな。

 

「この階の談話室には冷蔵庫もありますから、こちらに夕ご飯と飲み物を入れておきますね。……流石に、冷めてても食べられるものになってしまいますが」

「そこまで気を使わなくてもいいよ」

「あっ、電気ポットも置いておきます。これで温かいものも飲めますよ!」

「悠君聞いて?」

 

 何故か悠君は設備を充実することに、とても意欲的だった。今までになく生き生きとしていないか? 快適にするために作業を惜しまないというか、接客業とかも向いてそうだ。ああ、だから便利屋志望なのかもしれない。

 その日は結局、オレが悠君の勢いを止めることはできなかった。だって、正直助かるし……本人が楽しそうだったから、いいかなと思って。

 

 二日後の食事会当日。オレは三階の304号室に籠っていると、一階の玄関に仕掛けた盗聴器から外の門のベルの音が聞こえてきた。時計を確認すると十六時、予定丁度に来たようだ。

 

『やー、悠ちゃん。今日もありがとうね』

『松田がお前の予定を聞かずにセッティングしたんだって? 悪ぃな、詫びの松田の金で買った牛肉だ。悠だけで消費してくれ』

『悪かった』

『お仕事お忙しかったのでしょう? でも気を付けてくださいね』

『お、おう』

 

 懐かしい声がイヤホンから聞こえて、少しこみ上げるものがあった。が、いつもより冷え冷えとした悠君の声音に、その気持ちはすぐに霧散することになった。オレに松田の弁明していたけれど、実はきっちり怒ってたんだね悠君。

 

『……あらら、悠ちゃん結構怒ってるっぽい?』

『予定があったのかもしれねぇな、後でもう一発入れとくか』

 

 松田は班長からすでに殴られているようだった。よくやった班長、と思わず拳を握ってしまったが、声は出さなかったのでOKということで。

 同期たちが十六時という早めの時間に来た理由は、料理の手伝いをするためのようだ。まあ、悠君が既に焼き物以外は全部作り上げていたけどな。それに気づいたのか、手伝うっていったろと嘆く萩原の声が聞こえてきた。多分だが、材料を事前に郵送しておくと、悠君全部作ってしまうぞ。一緒に持ってこないのは、酒を飲むため駅からこの家まで徒歩で来ているからだろうけれど。

 

 料理の準備が終わったのか、談話室の盗聴器から話し声が聞こえてきた。カンパーイという音頭に合わせて、オレも悠君が用意してくれたノンアルコールビールのプルタブを引く。わざわざこういうもの(ノンアルコールビール)を用意されると、悠君が本当の所属先を知っているんじゃないかと、オレが疑ってもしょうがないと思う。いや、気が回る性質なんだろうけどな。

 用意された料理(お弁当)を食べていると、向こうはアルコールが入っているから当然ではあるが、会話の声が大きくなってきた。

 

『萩原さんって彼女いたんですね』

『えっ、悠ちゃんにとって俺はモテないと見られてた……?』

『いいえ、モテそうだけど花から花へ飛び回る蝶くらいには思ってました』

『そんな節操ないわけじゃねぇよ!?』

『でたー、悠の剛速球な口撃!』

『いや否定のしようがねぇな!』

『お前らぁ……』

 

 偶に吹き出しそうになる会話内容を耐えるのが辛い。素で悪意なく悪気もなくそう思っているらしき悠君の声音に、打ちのめされた萩原の声と、囃し立てる松田と班長の声は卑怯だろ。

 

『班長はともかく陣平ちゃんはいつ彼女を作るんですかー?』

『うるせー、そのうちだそのうち』

『松田さんまさかの童貞説浮上……?』

「ぶっ、あ、やば」

 

 ちょうど口に含んでいたノンアルビールを少し吹いた。……さっきから悠君はなんなの、オレの腹筋を試そうとしているの?

 イヤホンからも、向こうのメンバーが飲み物を吹いたらしく、苦しそうに噎せる声が聞こえる。特に萩原は噎せながら笑っているためとても苦しそうだ。楽しそうでもあるけど。

 

『グフォッ、ゲホッ、苦し……。で、どうなのよ陣平ちゃん?』

『ゆーうー? まさかテメェ、酒飲んでねぇだろうなぁ? あ?』

『飲んでないですおやめください梅干しの刑はおやめくださいああああ!』

『犯行は?』

『未遂だな、これはただのジンジャエールだ』

 

 復活した松田に〆られている悠君の悲鳴をバックミュージックに、淡々と検証している班長と萩原の声の対比がひどい。アルコール入っていないのにあの感想って、悠君の本来のテンションは今のようなものなのだろうか。オレの中に築かれていた今までのイメージがガラガラ崩れていくんだが。

 

『そういやさー、警察学校時代に合コンしたじゃん? その時の子に聞いたんだけどよ、ゼロの性癖が年上の女医ってマジ?』

『ん、そういやあん時遅れてきてたな萩は』

 

 待って。

 萩原その話題ちょっと待って。多分この場にいないし、悠君は知らないだろうからってことで話題に出したんだろうけど、知ってるから。本名知らないけど知ってるんだその子、面識あるんだって。

 

『ゼロさん?』

『俺らの同期の一人でな、そりゃーもうえげつないほど優秀なヤツだったぜ』

『で、ほんとはどうなのよ』

『大マジ。女探すために警察入ったって聞いたぜ』

『えー!? あのゼロが?』

 

 ごめんゼロ、オレは無力だ。大体、身を潜めているオレができることは何一つなかった。なるべく後から悠君の記憶に残らないようにフォロー……できるか不安だが、何とかやってみるから許してくれ。

 

『もしかしてヒロもゼロと同じように……?』

『ない、とは言い切れねぇな。幼馴染だろアイツら』

『あ、仲良かったもう一人の同期のことな。二人揃って音信不通になりやがったんだが……』

『音信不通ですか』

『まあ、生きてはいるだろうがな』

『──なあ、班長! 絶対胸派だよな!』

『いーや尻派だろ!』

『何の話だ? 俺はナタリー派だ』

『班長じゃねぇ、ヒロのことだって』

 

 なにもオレまで飛びさせなくてもいいだろう?

 あと松田と萩原、絶対殴るから未来で会ったときは覚えていろよ。オレの性癖を勝手に予想するんじゃない。なんてことを悠君に吹き込むんだ。談話室に行きたい衝動を耐えていると、班長が悠はどうなんだそこんとこはよ、と矛先を変えてくれた。本当に助かった、今度こっそりなんか贈るから。

 

『司法修習でお姉さん達との出会いはなかった?』

『なかったです』

『うそでしょー、若い司法試験合格者に近づかないわけないし?』

 

 確かに、悠君は容姿も整っている方だし清潔感もましてや上品さもある。そんな青年が十七で司法試験を通っているのだから、一般的な女性は機会があれば目を付け……声をかけるだろう。

 

『嘘は言ってませんよ。僕も話をしたかったけれど……お兄様方に“僕が”ガードされていたので近づけませんでした』

『うっわ、若い男を団結して女性陣から遠ざけたな……』

『やることが姑息だが効果的』

 

 成程、あえて悠君を囲んで共に行動し、接触を全部カバーする方向になったか。警察学校の合コンの時の萩原を思い出せば、女性陣に悠君を一度囲まれてしまえば、それ以上男としては手が出せない。何やっても僻みと捉えられるからな。

 

『やたら奢られたりしました。美味しかったです』

『何も気にしてねぇぞコイツ』

『流石悠ちゃん、図太い』

 

 薄々気づいていたけれど、悠君の中で食事の占める割合ってとても大きいな? 自分好みの美味しいものも好きだが、他人が作った食事が一番好きみたいで、オレが作った食事を食べる幸せそうな顔を思い浮かべる。

 年上だからと飯を奢ったのだろうが、あれほど幸せそうに食べている姿を見れば、きっと隔意を持ち続けるのも難しかっただろう。おそらく、最後の方は女性陣そっちのけで構っていたのではないだろうか。主に餌付けする感覚でだろうが。

 

 その後もわいわいガヤガヤと何かしら盛り上がっていたが、同期達は酔い潰れることもなく、しっかりとした足取りで帰っていった。聞き耳を立てているだけなのに、やたら疲労を感じるのはアイツらのせいだろう……自業自得でもあるが。報告書では食事会と書いてあったけど、悠君が飲んでないだけでほぼ飲み会だったぞ。

 

 ため息をつきながらも盗聴用の機器を片付けていると、コンコンと部屋のドアが叩かれた。

 

「お疲れ様です。もう帰られたので部屋から出ても大丈夫ですよ」

「了解。……楽しかった?」

 

 ノブをひねってドアを開けると、いつもよりほわほわした雰囲気の悠君が立っていた。アルコール摂取してないんだよな、班長達も警察官だからさせないはずだけども。そんな内心を表に出さずに感想を聞けば、輝かしい笑顔で楽しかったですと返された。ううん、邪気のない笑顔が眩しい。同期が慕われて嬉しい反面、もうちょっとオレにも懐いてくれないかなとも思う。

 

 悠君は、隠し事をいくつも持っている。

 

 一つは、ふとした瞬間に視線を感じること。

 振り向いた先には悠君がいて、ただいつもこちらを見ていない。視線を感じるといってもジロジロ見るような強いものではない。ひっそりと観察するような、色も温度もないソレ。野生動物のような、酷く薄い気配がオレの動作を追っていた。

 

 一つは、庭に育てている植物の使用先。

 彼が化粧品や洗剤を手作りしているのは間違いないが、育てている植物の中には、明らかにそれらに使用しない毒性の強いものもある。花を楽しむためのものではなく、掘り返した跡があるということは、毒性の強い根を何かに利用している。

 

 一つは、化粧品や洗剤を作成する場所。

 オレがこの家に来てから、悠君は自作の薬品を作ろうとしない。必要な時のみ道具を取り出して、通常は片付けられているのかもしれないが、どこに仕舞っているかすら特定できない。ただ、成分を抽出するような機器は頻繁に移動させるには、取り扱いが難しいはず。作業の度に取り出すには、手間がかかるだろう。

 

 一つは、オレが猫になった時のこと。

 突然猫になった俺を見て、彼が本気で驚いていたのは間違いない。想定外のトラブルに冷静であれるというのも、悠君の得難い能力の一つだろう。

 だが、未知ではなく既知だったのではないだろうか。彼は、オレのケース以外で、人が猫または動物に変身することを見たことがあるのではないだろうか。

 

 悠君が雀と話していた日に、オレが猫語を引き続き話すことができることを知り、彼は非常に驚いていた。それは人が動物に変わったあの日よりも、ずっと。

 

「悠君」

「はい?」

「あのオレが被った薬品は、身体が完全に猫になることは想定していなくても、常識外の結果になるとは思っていただろう?」

 

 階段を下りる悠君の後ろ姿に、オレは静かに声をかける。

 

「あの時君が驚いていたのは、オレが猫になったからじゃなくて」

 

 この問いをした後、彼がオレをどうするかはわからない。衝動のまま不安定な道を進んでいるのは理解している。

 

「本来の薬品の効果と違っていたことだけに、驚いていたんじゃないか」

 

 ただ、彼はオレの恩人であることは変わりがなくて。悠君が今日まで見せた姿がすべて偽りだとも思えなくて。公安という職務では脅威の薬品を作成できる彼を、見過ごすことなどできなくて。悠君にできる事ならオレ達の味方で在ってほしくて。

 ──その時のオレは、縋るような目をしていただろう。

 

「──では、補足を説明しましょうか」

 

 階段の途中で振り返った悠君は、いつもの清楚な姿や屈託なく笑う姿からは想定できないほど、蠱惑的で、妖しくも美しい微笑みを浮かべている。

 

「この前の二人、安室さんと飛田さんに──緑川さん達が最も信頼できる上司の方を合わせて、三名」

 

 誘いこまれるような声音が、耳から入って脳を刺激する。意識を悠君から反らすことを、感情が拒否する。このままではいけないと、理性が忠告しているというのに──

 

「僕の──秘密の部屋への招待状を、差し上げます」

 

 どうしてオレは、頷いているんだろう。

 

 ぼんやりとした思考の中、一瞬、悠君が寂しそうな顔をしているような、そんな気がした。

 

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