とある山奥。
翼か強靭な足腰を持ち、尚且つ竜達を退ける実力がなければ、早々訪れる事の出来ないような秘境。
そこにはライダーがオトモンと共に泊まれるような温泉宿があった。
複数のオトモンと共に浸かれるようなとても広い温泉と一つ一つの部屋。それらをもてなせるだけの従業員達。
引退したライダーとオトモン達も数多く務めるようなその場所は、未だライダーの肩身は広いとは言えない昨今としては、オトモンと共に羽を伸ばせる数少ない宿という事で、秘境であろうとも、料金がそれ相応に高くとも、毎日のように繁盛していた。
その日も、ライダー達が竜や古龍が温泉に入っている。
人には入れないような熱湯に浸かるのは火山に住むようなディノバルドやブラキディオスなど。
その二匹はどうにも仲が悪いようで。人と生きる事を決めた彼等は直接的な争いこそ起こさないものの、ひたすらに睨み合っている。
火山に住む彼等であれど、その熱への耐性はアグナコトルやヴォルガノスのように流石に溶岩に入っても問題ない、というレベルではない。
そんな二匹が鉢合わせて自ずと開かれた我慢大会は、次第におかしな様相を見せていた。
熱湯の中に緑色の粘菌が垂れ流れていく。
最初こそ大切に外に出していた尾が力なく温泉の中にずり落ち、強い硫黄成分で急激に錆びていく。
それでもその二匹はそれぞれを睨み合い続けて。
最終的には見かねたライダー達に強制終了させられ、のぼせ上がった二匹はいつの間にか自力で動く事すら出来ずに引き摺られて行った。
逆にぬるま湯もいいところの場所では、珍しい古龍が温泉に入っていた。
長く鋭い尾を持ち、鱗の上に特殊な鉱石による鎧を纏うその古龍はイヴェルカーナ。ぬるま湯の中でも姿勢も表情もほぼほぼ崩さないその古龍は、見た感じでは温泉というものを楽しんでいるのかすら分からなかったが、それでも一時間以上はそうしてじっとしていた。
きっと、それなりに楽しんでいるのだろう。……元から入っていたベリオロスなどの竜達が怯えて下手に動けなくなっているのを面白がっているだけかもしれないが。
段々と辺りが暗くなり、空に月が登ってくる頃。
そんなイヴェルカーナが何かに気付いたかのように空を見上げた。
月が登ってくる方角から、四つ足と翼を持つ……自身と同等の力を持つであろう古龍がやって来ていた。
銀と赤を基調としたその古龍は、月夜を背に妖しく輝いているよう。
思わず目を細めてしまうそれは、イヴェルカーナが今まで見た事のない古龍であった。
ふわりと着地したその古龍、メル・ゼナから男が降りてくる。
「今年もよろしくお願いします」
オトモンと共にやってきた従業員に、降りて来た男が頭を下げて宿泊代を渡す。
その男は体躯こそ良いものの、そう鍛えられていない肉体であり、またその身はとても軽装だった。鎧はおろか、武器も持っていない。
更には、ここに居る人達は幼子でもなければ、誰もがいつでも身につけているそれ……絆石すらも身に付けていなかった。
即ち、彼はライダーではないという事。メル・ゼナもオトモン、絆で結ばれた関係ではなく、野に生きる個と何ら変わらない事を示していた。
それを分かっているように、従業員は絆石を渡す。
「外さないでくださいね」
「ええ」
不慣れな手つきで男はそれを身につけ、そして案内に応じていった。
*
「はい。夕飯は暫く後との事で。
そうですね。月が高く登りきる頃になりそうです」
浴衣に着替えた男は、公共の浴場に出ていく最中、目に見えない誰かと話すように口を開いていた。
また、その体には何かを隠すようにサラシが巻かれている……が、だからと言って鍛えられたような肉体でもなく、サラシで巻かれていない部分に傷跡などは一つも見当たらない。
そして何よりも目立つのは乗って来た古龍と似たような赤と銀の色をした瞳。
温泉までの道中を一人で歩くその姿。傍から見れば見た事もない古龍と絆を結んでいる男。
ただ、彼は同時にどうにも近寄りがたい雰囲気を出しており、そのまま一人で温泉にまで着くと。
「挨拶……ですか? ええ、はい。それまで私は温泉に居ますので」
また独り言をぶつぶつと呟くと、男は温泉の端の方で一人、サラシを巻いたまま浸かり始めた。
宿からやや離れた場所で、二頭の古龍が対峙していた。
聡く、元々は野に生きていたイヴェルカーナは、目の前の初めて見る古龍が絆というもので人間と結ばれていない事に気付いた。
同時に、何かもっと別の代物で結ばれている事も察知する。
……異質だ。
また初めて見る古龍に対して、それがどのような力を持ち、自分とどれだけの力の差があるのか、試したくなって堪らなくなる。
ここで争ったとしたら、力を合わせれば古龍をも超える連携を見せるライダー達が数多にやってくるだろうと知りつつも、血が騒いで収まらない。
そんな様子をメル・ゼナはじっと見つめ、そして体を広げる。
そしてイヴェルカーナにとって何よりも腹が立つのは、月夜の下でのその姿は、自分よりも映えると認めてしまえるところだった。
見下されている。そう感じたイヴェルカーナは尻尾をするりと動かし、しかしその直後、目にも止まらない速さで翼の鉤爪がひたりと首元に当てられていた。
「ギュ……」
体格自体はそう変わらない……が、肉体の質は別物と言って良い事をそこでイヴェルカーナは初めて察した。
肉弾戦では敵わないとそれだけで分かる程に、力強さとしなやかさを備えたその肉体。鉤爪を当てられたまま顔を近づけられ、口から鋭い牙が覗いてくる。
観察するように全身を目で舐め回された後。
「フゥー……」
思わず目を場所が場所だから、これ以上は止しておいてやるよ、と言うように息を吐き。
悠々と背を向けて去っていった。
「出身はどこ? あの古龍とはどうやってオトモンになったんだ?」
「見たところライダーとしての経験はまだそんな積んでなさそうだけど、運命的な出会いでもあったの?」
「その目、珍しいけど生まれつき? それとも……絆石の影響だったりするのかしら?」
端にひっそりと居ても、見た事のない古龍に乗ってやってきてしまえば、それを見ていたライダー達に質問攻めにされ。
一応それぞれに偽りの答えを用意してはいるが、質問が段々と鋭くなってくるに連れて少しずつ答えあぐねていき。
……メル・ゼナ様、助けてください……。
颯爽と現れたメル・ゼナは、しっしと群がるライダーを追い払って、男の壁になるように温泉に浸かった。
一人が呟く。
「……やっぱりあいつ、ライダーっぽくないよな」
*
ハンターやライダーの手が届かない辺境においては、古龍の縄張りの一部となる事で安全を手に入れている地も少なくない。
その男が住む場所もその一つであり、その対価は美味い血を持つ人間の人身供養であった。
とは言え、命を奪うわけではない。その家系から死なない程度に血を恒久的に頂くのだ。
メル・ゼナとそのような形で付き合い続けてきた家系では、メル・ゼナと共鳴という現象を起こす事も少なくなく、主従の関係を長年続けている。
温泉から出た男は、メル・ゼナと共に他の人の目の入らない個室に通される。そこには男に用意された、通常の倍以上の馳走が並べ立てられていた。
全て、男が食すものであり、その本質は男が味わう以上にメル・ゼナが男の血をより美味しく頂く為の代物である。
精がつくものをふんだんに使いながらも、メル・ゼナが嫌うようなきつい臭いを放つものは使われていないか、丁寧に臭いのみが取り除かれている。
メル・ゼナは用意された料理に顔を近づけ、臭いを確かめてから、男にさっさと食うように急かす。
「それでは、いただきます」
気品を崩さず、それでいながら主を待たせないように凄まじい勢いで食べていく男。それでも、メル・ゼナは待ちきれないように男の背後に回り込み、浴衣を切り裂き、そしてサラシも剥いでいく。
剥がれたサラシの下からは、首筋から肩にかけてメル・ゼナの歯形がくっきりと付けられている。同じ場所から何度も血を吸われたその痕跡はもう消える事はないだろう。
用意された夕飯は男にとっての馳走であったが、メル・ゼナにとっての馳走もその男の中で作られ始めているという期待感。
感じられる鼻息、いつもと違って少しばかり落ち着きがなくなっているのを男は背後から感じている。
ここの食事は自分の血の味もより良いものにするらしい。
きっと……ここを訪れる全てを支配出来る程の力があったのならば、メル・ゼナ様はここをもう縄張りとして扱おうとするのだろう。
来る度に、男の家系は似たような事を思っている事を、メル・ゼナは知っていた。
そして流石にそこまでの力を持っていない事を、少しばかり疎ましく思うのであった。
メル・ゼナに血を捧げ続けてきた男の家系は、食物の消化も早い。
食べ終えて程なくして膨れた腹は元通りになりつつある中、男はメル・ゼナに向き合う。
「いつでも大丈夫ですよ」
メル・ゼナは前足で男を鷲掴みにし、口元にまで持っていく。誰も見ていない空間ではあるが、癖のように翼で口元を覆い隠した。
何度かその首筋を舐めて綺麗にしてから、はむ、と男の首筋に歯を合わせ、僅かに力を込めた。
血が静かに流れ出す。
人は小さい。竜などと比べれば、腹は早々満たされない。だが、ありのままに生きている竜の、ありのままの味とは違う、嗜好品としての味を提供してくれるのは人以外には未だ見つける事はできていなかった。
そして温泉に入り、人にとっての美味いものを食して、心身ともに充足した状態での男の血の味は、更に一段階上の味を見せてくれていた。
飲み干したくなる。食い千切ってしまう程に深く噛みついて、はしたなく吸い付いて、喉を鳴らす事も厭わずに、その最後の一滴まで吸い尽くしたい。その充足はきっと、己を絶頂へと導いてくれるだろう。
とは言え、その為だけにここに居る全てを敵に回せる程の力がないのも、そしてその後にこの家系との関係も切れてしまうであろう事も思うと、男の体から力が失せていくところで止めざるを得なかった。
口を離し、開いた傷口を舐めて止血してから男を降ろす。
倒れた男。
「……すみません」
申し訳なく、力無く男は声を漏らすが、それに対してメル・ゼナは何も不満を漏らさず、敷かれた布団の上にまで男を運んで布団を被せる。
複雑な思いを抱きながらも、再び外に出ようとした時。
「……私の旬が過ぎるのであれば、その時はいつでも」
所有物である男は、メル・ゼナのおかげで家系はおろか、村全体に安寧を齎されているが故に、それでも良いと心から思っている。
だが、馬鹿を言うな、とメル・ゼナはそれを一蹴する。
自らの所有物、嗜好品として扱いつつも、共鳴まで起こしている男に愛着が湧いている事も事実だ。
きっと、己はこの男も最期まで看取るのだろう。これまでもそうしてきたように。
三叉尾で器用に戸を閉めると、空高くに上がった満月がメル・ゼナを迎える。
複雑な気分も払って、気を取り直して再び温泉へと足を運ぶ。
あの若造をまたからかうのも一興だろう。
そう思いながら、この宿で唯一絆を結んでいない古龍は歩いていった。
*
翌朝。
復活した男は朝からまた大量の飯を食い、そして程々に血を吸われる。
昼を迎える前に、男は身支度を整えてメル・ゼナと共にこの地を去ろうと挨拶をする。
「それでは、十の月が巡る時にまた来ます」
「絆石は、やはり要りませんか」
「ええ。私達の関係はこれで良いんです。
……それに、どうしてでしょうね。羨ましいとも思わないのですよね」
メル・ゼナを頂点とした生態系。男の家系は、その村はそれに完全に組み込まれていて、既に馴染みきっている。
竜や古龍と対等な関係を築くライダーとして傍から見れば口を挟みたくなる気持ちもあったが、崩す事は逆に不和を起こすのだろう。
「そうですか。でも、もし必要になったのならば、いつでも渡せますので」
「はい、ありがとうございます。
今回もお世話になりました。それでは、また」
そうして男はメル・ゼナの背に乗り、メル・ゼナは翼を広げて空へと飛んでいく。
辺りを見回せば、ブラキディオスとディノバルドがガンを飛ばしながらそれぞれのライダーを乗せて山道を下っている。
イヴェルカーナが口惜しげにこちらを睨みつけながら、成長を志していた。
「いつになく上機嫌ですね?」
男が聞けば、からかい甲斐のある奴を見つけたと返す。
次が楽しみだ、と。
「そうですね、次も楽しみです」
……けれど。
男とメル・ゼナがその地を訪れたのは、それが最後だった。