宿坊には立派なテルマエが存在した!やはりキョーコは大喜びである。
「お風呂!お風呂!沐浴ばかりだったからすっごい嬉しい!」
ニホンでは毎日のように風呂に浸かるというので、なんとも潔癖な国だ。さながらかつての帝国人である。
しかしながら、私たちとて嫌いな訳では無い。莫大な時間と燃料費がかかるので余程の金持ちか温泉地の住民でないと頻繁に入浴することはかなわない。
だがこのガリバルディ修道院はその余程の金持ちに該当する。助修士として雇われた地元のオークの少年少女たちがせっせとお湯を沸かし、張ってくれた。
湯に花まで浮かべてあってなかなか洒落たものだ。
なんと、砂漠世界産の高級薬用石鹸まで用意されている。遠慮なく使わせてもらい、体をきれいに洗った。
「あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛~、極楽極楽……」
浴槽の中で寛ぐ私の横で、同じく湯船に浸かったキョーコがおっさん臭い声を上げる。
パメラは身体をリリに洗ってもらっている。
「すまないねぇ、クサヴェルくんを呼んでこようかねぇ」
「クサヴェルさんが我々の裸を見ることになりますが、それはいいのですか」
「はっはっはっ……そんなの嫌だ!!彼が他の女の裸を見るなんて!!」
急に激昂する彼女を見て私は苦笑するしかなかった。
ところで、キョーコが柱を見ながらブツブツと独り言を言っている。
「また来たの……もう、今お風呂なんだからゆっくりさせて……ええ?いいよそんな事しなくても」
こ、こわい……何らかの精神的な何かが起きてしまったのだろうか?心配になった私は彼女に声を掛けた。
「どうしたの、キョーコ」
「ほら、そこに聖エドゥルネの彫像があるじゃない」
「……無い、わよ?」
そこにはただの石造りの柱があるだけだ。しかし彼女は自信満々に言う。
「いやいや、あるよ、よく見てって」
「えぇ……?」
困惑しながらその柱を見つめる私。……いや、何もない!
「え、じゃあ私にしか見えてない……?」
「聖者が現れるというのは奇蹟よ、いいことじゃない。何か言ってた?」
「べ……別に、何も!」
そう言って彼女は俯いた。どうしてしまったのよキョーコ!?
「何かお告げがあるかもしれないから、今日は早めに眠りなさい」
「うん、そうする」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
翌朝、キョーコはグッスリと眠れたようだ。
「もうね、朝まで快眠、元気満タン」
ニコニコとしている。テルマエと高級な部屋、ふかふかのベッドが疲れを溶かしてしまったのだろう。
そりゃあ良かったかもしれないけど……。
さて、名残惜しいが巡礼団はニカイスの街を出立することになる。さて今度こそトゥーロ・マルテへと向かう。
その道中でも、キョーコはブツブツと喋っていた。バルトロ修道士が怯えている。
「おお、神龍よ、彼女をお救いください!」
「きっと故郷からこっちに来て長いこと経つから、精神的に参っているのよ」
私は適当にごまかしておいた。実際、そうなのかもしれない。ここは私がしっかりせねばなるまい。
「霊的なもので無ければよいが……いや、精神が参っているのはよくない!」
何やらぶつぶつ言いながら考え込んでいる様子のバルトロ修道士。独り言仲間が増えてしまった。
とにかく、私たちは一路トゥーロ・マルテへと旅立ったのである。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
数日ほど歩き、ようやく我々はトゥーロ・マルテに到着した。軍港都市であり、城壁に囲まれている。
多くの造船所と商館が立ち並び、活気に満ち溢れていた。この街には軍の士官学校も存在し、船乗りや軍人を目指す若者や士官候補生たちが大勢いる。
そして、岬の先に聖堂が存在する。あれこそが聖エドゥルネを祀る聖堂だ。
「やっと着いたわね、長旅だったわ」
「これで一段落だな」
院長はホッとした表情を見せている。聖職者たちにとっても聖地であるのだ。私もほっと一息ついた。
すると、キョーコがまたもやブツブツと言っている。
バルトロは不安がってるし、マシニッサくんも心配そうな表情をしている。
「キョーコ、振る舞いに気をつけなさい。まるで……」
いや、彼女は元々まあまあ狂人か……。
「今失礼なこと考えなかった!?」
「考えてないわ」
「ふーん?」
疑いの眼差しを向ける彼女だったが、すぐにいつもの調子に戻った。どうやら落ち着いたらしい。
ともかく巡礼団は岬へと向かうのであった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
聖堂に入ると、そこは静寂に包まれていた。
荘厳な雰囲気の中、祭壇の上に祀られている聖エドゥルネ像だけが私たちを見守っている。
「キョーコは聖人への祈りはまだ教わってなかったわね」
「今日は聞いているだけでいいですからね」
私とリリの言葉に、キョーコは黙って頷く。
この聖堂の司祭が前に立ち、祈りの言葉を唱え始めた。我々もそれに続いて復唱する。
「聖者よ、どうかお出でください。あなたの心の輝きで我らを照らしてください。あなたの導べなくては、人の御霊から愛は儚く消え、誰も正しく生きることはできません。側に立ち、喜びを分かち合い、苦しみを支え合ってください。穢れを清め、荒みを癒やし、痛みを取り除いてください。願わくば──」
「そこまでだ!!」
突然、大声が響いた。声の方を見ると、キョーコが立ち上がっていた。
「貴様ら、いつもいつも求め過ぎだろうが!我輩は単なる治癒師だ!聖者などではない!」
彼女が怒鳴ると、辺りは静まり返る。誰もが唖然としていた。
「ちょっと、キョーコ、何を……」
「今はキョーコではない、我輩はエドゥルネ、貴様らが聖者と崇め奉る者だ」
彼女ははっきりとそう言った。周囲の視線が彼女に集まる。だが当の本人は意に介さず言葉を続けた。
「貴様らが敬虔な龍の信徒であるというのはわかるが、我輩とてなんの見返りもなく貴様らを守るのも限度がある」
「何を言ってるッスか!彼女は、キョーコちゃんはどうしちゃったッスか!?」
マシニッサが駆け寄ると、彼女は彼を手で制した。そしてゆっくりと語りかける。
「我輩は我輩自身の恨みと貴様らの信仰により、未だこの世を魂として彷徨っていたのだ。キョーコは莫大な魔力を持っているのでな、依代として使わせてもらった。男の趣味もいいしな!」
彼女は不敵に笑った。事実だとすればとんでもないことだ、まさに奇跡を目前にしている。
キョーコは確かに変わった子ではあるが、こんなことをするような子ではない。
まさか、今まで聖エドゥルネ像が喋るだの見えるだの言っていたのも、全て本当だった……?
「男の趣味だと!?」
「くっ、一体誰が好きなんだ!」
「ま、まさか、私!?」「あんたは女よ」
修道士たちがざわめいているが、魔力とか依代とかよりそっちが気になるの!?私も気になるけど!
「では男の趣味がいいキョーコの体を借りて命ずる。司祭よ、今後はこの岬から海へと供物を投げ入れろ」
「供物、ですか……!?」
「そうだ、我輩、聖エドゥルネの導きに従い、この地の安寧と繁栄のために、捧げ物をするのだ」
彼女は尊大な口調で言い放った。しかし司祭様は困惑している様子だ。
「そ、そんな……それは困ります、我々は日々祈りを捧げておりますゆえ……!」
「黙れ、祈りで腹が膨れるか?」
彼女の威圧的な言葉に司祭様が黙り込む。他の修道士たちも狼狽えていた。
「わかりました……では、私の命を……」
「いらんわ!そういう事ではない!まずは魔石、これは絶対だ。そしてできれば甘いお菓子や美味しい料理なども欲しいな」
彼女は腕を組みながら言う。なんとも俗っぽい聖女様だ。いや、もともとは若い治癒師だ、これが本来のエドゥルネなのだろう。
「あ、そうだ!キョーコが言ってたコスプレ写本も欲しい!それから小説だろ、楽器に、あとは……」
「ちょ、ちょっとお待ちください!誰か、書き留めよ!」
慌ててメモを取る修道士たち。私はなんだかおかしくなり笑いそうになったが我慢した。ここで笑ってはいけない気がする。
「……ふうむ、まあこんなものか。他に欲しいものがあれば随時要求するからな!」
そう言うと彼女は満足げな表情をした。しかし、私は一つ質問を投げかける。
「ちょっと待って、あなたはキョーコの身体を今乗っ取っているのよね?」
「その通りだが」
「じゃあ、キョーコはどうなるの?あなたに乗っ取られたまま、一生を終えるというの?」
「そんなわけないだろ!男の趣味がいいのに!きちんと返すわ!」
「そ、そう、それを聞いて安心したわ」
男の趣味はともかく、私がホッとしていると、修道士の一人がおずおずと発言した。
「あのう……聖エドゥルネ様、あなたの亡骸がこの岬に眠っているというのは本当なんですか……?」
「事実だ。正確には、我輩の心臓が眠っている。我輩はバラバラにされたのでな、他は知らん」
「えーっ」「なんと恐ろしい!」
修道士たちは口々に驚きの声を漏らす。
「もう、質問はないか?そろそろキョーコの魔力が切れそうでな」
そう言って彼女は目を瞑った。すると途端に脱力したようにその場にへたり込んでしまう。私たちは駆け寄った。
「大丈夫!?しっかりして!」
「うーん……あれ、アーデルヘイトさん……?」
「大丈夫そうね」
「うん、なんか変な夢見てたみたい……って、なにこれ!?なんでみんな集まってんの!?」
キョロキョロと周囲を見回すキョーコを見て、私たちは安堵感を覚えた。
「よかった、いつものキョーコね」
聖エドゥルネは奇跡を起こしてみせた!
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「へぇ、そんなことが……」
「そんなことなんてものじゃないですよ!奇跡ですよ奇跡!」
「今後は聖キョーコとお呼びしなくちゃならないかもね」
巡礼団の面々は興奮冷めやらぬ様子で話していた。無理もないだろう、本当にすごい事が起きたのだから。
「それで、今後どうするの?」
「とりあえず巡礼は続けるわ。数日はこの聖堂でお世話になることになるわよ」
巡礼団には宿坊が用意されていた。しかしながら、聖堂の聖職者たちは話を聞きたそうにしているのでなかなか落ち着いて休めないかもしれない。