「お食事をお持ちいたしました」
ニックは手に持った籠から、パンやチーズを取り出しこちらに差し出す。
「ニック、久しぶり、いや、それより、その首輪は……」
私は色々と聞きたいことがあったが、まずはニックの首に嵌っている奴隷用の黒い首輪に目が行く。
「これは……私はエスメさまの所有物ですので、その証です」
ニックが申し訳なさそうに答える。
「私のお母さんの、所有物……? 冗談はよしてよ」
私の言葉に、ニックも困ったように答える。
「いえ、冗談ではなく、本当にそうです。私の所有権はエスメさまにありますし、それにこの首輪には魔法がかかっていて、エスメさまの許可なく外すことはできません」
「そ、そんな、嘘でしょ? 何があったのよニック!?」
「……それは、話すと長くなる」
そう言って、ニックは私にパンを手渡した。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
食事をしながら、私とルーナ、ニックの三人で話す。
彼は私を救い出したあと、自分の父親を殺したという。その罪により奴隷の身分に落とされ、村で使役されるようになった。
殺人による犯罪奴隷なので、フリース=ホラント部族法では一生解放されることはない。
しかしながら結局村全体では持て余していたので、エスメの宿で買い取ったのだという。
「ニック……」
私は絶句するしかなかった。ルーナが、彼に問いかける。
「それで、今は宿屋のお手伝いですか。この食事も宿から?」
「はい。巡礼団の方々にご利用いただいているので。僕もいつもは給仕やお客様のお相手を……」
「もういい!!」
私は思わず叫んでしまった。
「なんで、なんであなたまでこんなことになっているのよ!」
私が叫ぶと、ニックは俯いて黙り込んでしまう。
「あなただけは、私の勝手な押し付けだけど、綺麗でいて欲しかった、幸せでいて欲しかった、誰か素敵な人と結婚していて欲しかった! なんで、なんでこんなことに……!」
私は涙をこぼしながら叫んだ。
「ごめんな、アーデルヘイト」
「なんであんたが謝んのよぉ!!」
癇癪を起こした子供のように泣き喚き、せっかくの食事を彼に投げつけてしまう。
「それ以上いけませんよ、アーデルヘイトさん」
ルーナが私の腕を捻り上げる。
「あぁーっ!! ごめんごめんごめん! 落ち着くからやめて!」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
腕が折れるかと思ったところで、ようやく解放された。
私は涙を拭い、呼吸を整える。
「はぁ、はぁ、ありがとう、ルーナ。冷静になったわ。正直やり過ぎだと思うけど」
「どういたしまして」
彼女はにっこりと笑う。
「頭が冴えてくると、あれね。私は母親に対する怒りが沸々と湧いてきたわ」
しかしながら、奴隷の使役は正当な権利ではある。そして、それを裁く法はない。
だから、彼女がやった事を私は許せないけれど、私には彼女を糾弾することはできないのだ。
「ねぇ、ニック。あなたは私のお母さんのことを恨んでいる?」
「……好きではないかな。だって、君を傷つけたんだから」
「気が合いますね、ニックさん」
ルーナが口を挟んでくる。
「私もあの人のことは嫌いです。私の親友アーデルヘイトが傷つけられたのですから」
そう言って、ルーナは微笑む。
しかし、どうやって立ち向かえばいいのだろうか。違法なことは何もやっていないし、むしろこの村では貴重な収入源だ。
「……そろそろ戻らないと」
ニックはそう言って立ち上がる。
「もう行くのですか?」
「まだ仕事があるから」
そう言って、彼は立ち去ろうとする。
「待って」
私は彼を呼び止めた。
「あなたが私をあの時救ってくれたように、あなたのことを必ず助けるわ。それまで待っていて欲しいの」
「わかった、待っているよ」
ニックは少し微笑んで去っていった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
翌朝、凍えながらルーナと二人目を覚ます。
「この時期野宿は堪えましたね」
「そうね……ごめんなさいルーナ、寒い思いをさせてしまって」
「大丈夫ですよ、寒くてもあなたとなら平気です」
ルーナがそう言って笑ってくれる。それだけで少し暖かくなった気がした。
「それにしても、あの方が例の幼馴染さんですか。優しげな方でしたね」
「昔はもっと、溌剌としていたわよ」
私は昔のことを思い出す。彼と初めて会った時は確か7歳の頃だっただろうか。
彼はやはりその時も、私を連れ出して遊ぼうとしてくれた。当時の私はそれがとても嬉しかったことを覚えている。
「あいつはもっと、強引なやつよ」
「そういう方が好みなのですね」
「……そうかもね」
私はなんだか気恥ずかしくなって、顔を逸らす。
「さて、じゃあ巡礼団に合流しましょうか。もう聖務を始めている頃でしょう」
「院長も、よりによってうちの宿に泊まらなくてもいいのに」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ヴェネトリオ修道院の院長、アルノー・クルツも考え無しに宿を決めたわけではなかった。
宿に訪れた日のこと、彼はアーデルヘイト審問官と初めて会った日のことを思い出していた。
(まだ幼かった彼女に何たる仕打ち、神龍クピドに対する背信である……)
法が許しても神龍が許すまいてっ! そう思いながら、二人の修道女を呼び出した。
「お呼びでしょうか、院長」
パメラとキョーコである。
「パメラ、君はこの地の法にも通じているな」
「もちろんですねぇ。二番の大棚、右から二列目、下から三段目、右から四冊、『諸部族の法規』の第二章……」
パメラは得意げに答えるが、院長はそれを制止し話を戻す。
「もうよい。キョーコを伴い、近くの寺院を訪ねてほしい」
「えっと、私もですか院長」
キョーコが戸惑いながら尋ねる。
「そうだ、君の能力が重要だ。そしてパメラ、この紙に指示を書いている、これに従い行動せよ」
彼はパメラに一枚の紙を渡す。彼女はそれを広げて読み始めた。
「……これはこれは院長、とんだ任務ですねぇ」
「クサヴェルとマシニッサがもう馬の準備をしている頃だ。急げよ、あまりに長くの滞在は不自然だからな」
「しかし、院長。ここまでしてやる義理があるんですかねぇ」
パメラは意地悪そうに笑いながら言う。
「君ならどうする、パメラ?」
「そりゃあもちろん、やるに決まってますねぇ」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
修道女たちを見送った晩、アルノーはアーデルヘイトの父ロブレヒトと彼の妻であるエスメの三人で話す。
「我が巡礼団を受け入れていただき感謝いたします」
アルノーはエスメに頭を下げる。
「いえいえ、とんでもない。こちらこそ、わざわざ来ていただいてありがたいです」
エスメは愛想よく答えるが、その目は冷ややかであった。
「それより……あなた」
「エスメ」
夫婦の再会であるにもかかわらず、二人は険悪な雰囲気を漂わせている。
「死んだかと思っていたわ」
「残念ながら、死に損なった」
ロブレヒトは自嘲気味に笑う。それを見てエスメは呆れたようにため息を吐く。
「……お前と、娘の人生を狂わせてしまって、本当にすまなかった」
「今さら謝っても遅いわ」
彼女は冷たく言い放つ。
「……そうだな、その通りだ」
「何もかもめちゃくちゃよ。アーデルヘイトはいなくなるし、再婚相手は息子に殺されるし」
肩をすくめて、やれやれとでも言いたげな口ぶりであった。
「……アルノー院長、アーデルヘイトは今日来ているんでしょう?」
突然話題を振られ、アルノーは一瞬戸惑う。
「はて、アーデルヘイトとは?」
「誤魔化さないで。ニックから聞いたわ、あなたたちの修道院にいるんでしょう? ならここに来ていてもおかしくはない」
「お答えはできませんな」
「なぜ? あの子に会いたいわ」
「それを決めるのはあなたではありません」
アルノーは毅然とした態度で拒絶する。
「ふん、まあいいわ。この辺りで宿はここにしかないもの、そのうち会えるでしょうしね」
彼女はそう言って立ち去ろうとする。
「待ってくれ!」
しかし、彼女の夫はそれを引き止める。
「何かしら?」
「元の、三人の家族に、戻ることはできないのか、エスメ!」
彼は絞り出すように声を出す。しかし、妻は首を横に振る。
「無理よ。私もアーデルヘイトも、そしてあなたも、汚れ傷つき過ぎたわ」
そう言うと、彼女は部屋を出ていった。
残されたロブレヒトはしばらく呆然としていたが、やがて力なくテーブルに突っ伏すのだった。