少女は僕に手を振った。
※インターネット都市伝説杯参加作品です
夕方、高校から家に帰った僕は双眼鏡を持って屋上に出る。
マンションの屋上は高いフェンスが敷かれている代わりに出入りが自由で、僕はここから双眼鏡で街を眺めるのが好きだった。
今にして思えば、人の生活を盗み見る――盗撮――に近いドキドキ感に魅せられていたのかもしれない。
夕日に赤く染まった街を双眼鏡でなんとはなしに見ていると、ずっと遠くで幼稚園くらいの女の子が坂道を下っているのが視界に入ってきた。
手を振って走っている姿を見るに、どこかに親か友達でもいるのだろう。
微笑ましい気持ちでその女の子を眺めていると、何か違和感がある。
近くに人はいなさそうだし、何より
そんなわけはない。彼女から僕が見えるわけない。
気持ちを落ち着けるために一旦双眼鏡から目を外して、深呼吸。
それから再び例の坂道を覗いて、再び驚く。
さっきまで幼稚園くらいの女の子だったはずだ。
ところが今は頭身が変わって小学生低学年くらいの見た目になっている。
服装が一緒だから見間違うわけがない。
笑顔で手を振りながら、相変わらず僕と目を合わせてくる。
まっすぐ僕を見る少女が走る。
その進行方向の先には僕がいる。
その事実に気づいて三度驚かされる。
偶然にしては重なりすぎじゃないのか。嫌な汗が背中を伝う。
双眼鏡から目を離して逡巡する。
逃げるべきか。
いやしかし、彼女がここに来るには、まだ随分と時間がある。
結局、恐怖よりも好奇心が勝ってしまった。
やばそうになったら逃げればいいわけだし。
そう思い直し、再び双眼鏡を覗く。
――少女は中学生になっていた。
長い髪を頭上でまとめ、セーラー服を着ている。
もはや別人かとも思ったけど、面影は残っている。
少女は相変わらずこちらに手を振りながら走って近づいてきている。
ゴクリ、と喉がなる。
何かの撮影でもしているんじゃないか、と思わせてくれるほどの美少女だ。
錯覚であれ、こんな子に笑いかけてもらえるなんて、ちょっぴり嬉し恥ずかしい。
もう僕のいるマンションのすぐ傍まで来ている。
逃げ出すのならば今なんだろう。
けど、僕は動けずにいた。
――少女は高校生になっていた。
瑞々しい肌、花が咲いたような笑い顔、しなやかな手足。
僕はこの不可思議な少女に会いたいと思ってしまっていた。
たった数分で同い年くらいの見た目になった彼女に、恋に落ちていた。
少女がマンションに入ってくる。
もうすぐに屋上までやってくるだろう。
何を話そうか。
期待と興奮で手が震え、喉はカラカラに乾いている。
双眼鏡を外し、階段を見据える。
夕日に向かってカアカアと鳴くカラスが、胸に言いようもない懐かしさをもたらしてくれる。
さぁ、恋をしよう。今日はふたりにとっての記念日だ。
日が沈む。
夜になる。
星がきらめく。
月が白熱灯のような色をして、僕を照らす。
少女が来ない。
かれこれ三時間は待った。少女が来ない。
最初のうちこそマンション内で迷ったのかな、とか肯定的に捉えもしたが、さすがに理解する。
少女は別に僕に手を振っていたわけじゃなかったんだと。
マンションのどこかの住人で、そこに向かって手を振っていたにすぎないんだろう。
なんて恥ずかしい勘違いだ。
胸のドキドキを、僕の初恋を返してほしい。
諦めて帰ろう。きっと怒った母親と冷たい夕食が迎えてくれる。
鉄製のドアを開いて階段を下りていく。
途中、お婆さんがぜえはあと荒い呼吸をしながら倒れ込んでいたので、僕は119を押して救急車を呼んであげた。
電話先からその場を離れないように言われたけど、ここの住所も伝えたし離れても大丈夫だろう。あぁ、お腹が空いたなぁ。
※インターネット怪談『猛スピード』(もしくは『双眼鏡』とも)を題材にしてます。