静かな部屋、埃ひとつない床。壁には赤黒黄色と様々なダンベル。どれも丁寧に手入れがされているようでまるで今なお艶やかに輝いている。
そんな部屋の中。布団も敷かず、天をつくような黒いモヒカンを空に向け、男が寝ていた。どういう原理か、そのモヒカンもダンベルと同様に輝いている。
そんな部屋の床に置かれた黒いスマートフォン、そこから突如としてライオンの鳴き声が響く。
「電話とは珍しい。一体誰からだ」
男はゆっくりと体を起こし、電話を手に取る。
「ふむ、知らぬ番号だな。だが、俺の熱烈なファンかもしれん。出るほかないか」
男はスマートフォンに表示されている受話器のマークを押し、耳に当てる。
「私メリーさん。今、東京湾にいるの」
電話の向こうから聞こえたのは幼い少女の声だった。既に外は日が暮れており、携帯にも夜3時と表示されて居たはずだ。そんな時間にこんな少女から電話がかかってくる。この状況から男が導いた答えは一つだった。
「東京湾?!まさか悪い者たちに襲われているのか!今直ぐ行く!」
「え、ちょ」
そこからの男の動きは早かった。
「噴ッ!」
男が全身の筋肉に力を入れると服をまるで脱皮のように脱ぎ捨てると素晴らしい肉体が現れる。小高い山のように上腕二頭筋。買いたての食パンのような腹筋。それはまるで生まれたての赤子のような輝きを持ちながら、彫像のように完全な調和が出来ている。
そして男はクローゼットから赤いスーツを取り出す。一見彼の肉体では着ることなどできなそうな大きさのそれだが、どういう理屈か男の体にしっかりとフィットした。そして、少女からの再度の連絡に備えてスマートフォンを握る。
「今行くぞ!」
男は勢いをつけ、扉からではなく、窓を突き破って外に。ガラスが飛散するがそんな物では彼の肉体を傷つけることはできない。ただ、彼を引き立たせる脇役にしかなれない。
そして、ベランダに足をつき、力を込める。そんな彼に横から声がかけられる。
「あらあら、モー・ヒカンさんどこかへ行くのかい?」
そこに居たのはベランダに置かれた椅子に腰掛け、パイプを吸うおばあさんだった。推定だけでも年齢は90を超えているだろう。
「あぁ、急用だ。さらばだトシ子さんッ!」
「はいはい、いってらっしゃいな」
モー・ヒカンは両の足に込められた力を解放し、空へ。どうやら重力も彼の肉体を妨げることができないようで男が空を飛んでいく。鳥さえも追い抜き、空を切って飛ぶ男。彼にとって距離もまた問題ではない。数秒の間に東京湾にたどり着いた。
「少女よ。どこにいる」
東京湾上空に浮かぶ男。そんな男の手に握られたスマートフォンに着信。
「少女か、今どこにいるんだ!」
「私メリーさん。あなたの真下の倉庫にいるの。というかどういう原理で飛んでるのよ。って、あなた達誰?」
再度電話が切れる。
「なんだ。一体何があった!」
当然電話の先から返信はない。男は真下へと着地する。いや、正確には着弾と言った方が正しいか。地面は砕け、砂塵が舞う。魚を釣って居た釣り人が目を丸くしていたが、その男の特徴的な赤いスーツを見て納得したようで釣りを再開した。
「すまん、釣り人達。緊急事態だ。ここで少女を見なかったか?」
モー・ヒカンはその釣り人たちに再度声をかける。釣り人達は少し何かを相談した後、おそらくあの子だろうという結論に至ってか、男の裏に立つ巨大な一つの倉庫を指差す。そこはここらでも有名なギャング達が屯することで有名な場所であった。
「やっちまってくれよ。モー・ヒカンさん。警察もあいつらには手を出さない」
「うむ、任されよ」
男は再度力を入れると目の前にある倉庫へ向かう。入口など、彼にとっては意味をなさない。故に彼は、突進する。ただ、彼の肉体から繰り出されるそれは常人のそれとは違う。猪突猛進、ただ、イノシシなどと小さな生物ではない。それはサイ。言うなれば犀突猛進。ギャングの根城となっていた倉庫には綺麗な大穴が空いた。
既に根城と化した倉庫内には、数十人のギャングたちが屯していた。そして、突然の襲撃に驚き、騒然となるがすぐに各々の武器をその襲撃者に向ける。
「メリーという少女はいるか!?」
しかし、モー・ヒカンは一切動じずに周囲を見回し、少女の姿を探す。幸運にも周囲には無骨な男ばかり、すぐにメリーだと思われる少女を発見する。
まるで玉座への道のように積み上げられたコンテナの上で、倉庫の外から漏れ込んだ月光の反射する綺麗な金髪を持ち、黒いワンピースを着た少女が目隠しをされたまま両の腕を鎖で吊し上げられている。
その前にはオーバーサイズのパーカーを被った男が立っている。表情からして凶悪な彼の手には先端の折れたナイフが握られている。
だが、モー・ヒカンが見ていたのはその脚だ。象のように太くもありながら、絹のように繊細な筋肉が遠目にも確認できた。
「な、なんだお前?!あの肉体、まさかモー・ヒカンか!野郎ども行くぞ!ボスの儀式を邪魔させるなよ!」
「今度は一体なにって、なにあの男!それに儀式?!私に一体なにをするつもりなのよ!」
「儀式だと!貴様らまさか少女に何かする気か......許さん!」
焦って鎖から逃れようともがく少女を見て、動き出そうとしたモー・ヒカンに向けて四方から大量の鉛玉が飛来する。しかし、男の筋肉の前にそんなものはファンファーレと同義。全くダメージが与えられないどころか、いくつものマッスルポーズをとりながら余裕の表情を浮かべている。それだけの銃撃を浴びてなお、男の身体には傷一つない。
「ふむ、銃器など子供の武器よ。己の筋肉でかかってこい!」
「いや、そんなわけないでしょ!」
一部のギャング達はその異常な男に恐れをなして蜘蛛の子のように逃げたが、それでもまだ数人彼の前に立ち塞がる。各々無骨な木製の大槌を持ち、半ズボンにタンクトップ。相撲取りのような体格を持つ男達が立ち塞がる。
「鍛えられた良い体。だが、美しさとはほど遠いな
小馬鹿にされたことに激昂してか男達が一斉に手に持った大槌を振り下ろす。確実に直撃した3つの大槌、しかし。折れたのは大槌の持ち手の方であった。
それを目の当たりにした3人は膝を突き、その肉体美を崇めるかのように片膝を突いた。
「もうほんと一体なんなのよ!」
それを見た玉座の上にいた男が降りてくる。そしてそのままモー・ヒカンの前に来る。
「破ッ!」
そして全身に力を込めたかと思うとパーカーが弾け飛び、その下から火に焼けた肉体が顕になる。張り裂けんばかりに膨れた上腕二頭筋。まるで滑り台のような僧帽筋。彼もまた、素晴らしい筋肉の調和の持ち主であった。
「おぉ、これほどの筋肉。どれだけの努力をしたのか」
それを見たモー・ヒカンは思わず息を呑む。そして、握手を求めようと手を出す。
「いや、お前の筋肉も素晴らしい。だが、我々は一度決着をつけなければならない。私はギャング。お前はヒーローなのだからな」
悲しそうな顔をしたモー・ヒカン。しかし、すぐにその表情はヒーローのものへと変わる。
「いやそんなの良いから一回私をおろしなさいよ!」
「だが、私は君ほどの筋肉調和を持つ者が悪人だとは思えない。ここは一つ、筋肉談義で決めよう。だがその前に君の名前を聞かせてくれ、この結果に関係なく、知っておきたいんだ。
「その談義、受けよう。俺の名はクリス」
「クリスか。良い名だな。私の名前はモー・ヒカン」
男がはち切れんばかりに伸びた半ズボンを脱ぎ捨てるとそこには黒いボディビルパンツ。それが月光に照らさ、輝いている。
モー・ヒカンも赤いスーツを脱ぎ捨て、赤いボディビルダパンツだけの姿になる。2人の圧倒的な筋肉調和に先程膝をついた男たちが思わずたじろいだ。
「ねぇ、実は聞こえてないの?その談義をする前に降ろしてよ!」
ついに少女の声が届いてか、2人が振り向く。
「あの少女をおろしても?」
モー・ヒカンが窓を少女を指差す。
「あぁ、突然背後から刺されてしまってな。当然刃など通らないが、それを部下に見られてしまったが故に、形として捕らえていただけだ。折角だ。彼女にこの勝負の見届け人になってもらおう」
2人の男が玉座を登り、少女を下ろす。腕に巻かれた鎖を優しく外した。
「もう一体なんなのよ......わーお」
降ろされた少女が目隠しを自力で解くとそこにあったのは。
筋肉だった。
美しすぎる筋肉は時に存在が脅威となる。それを一気に二つも目にしてしまった少女はその場にへたれ込んだ。
「おっとすまない。刺激が強すぎたな。そのままでいいから聞いてくれ。我々はこれから筋肉談義を始める。君にはその見届け人になって欲しい。なに、難しい事はない。ただ、聞いてくれれば良い」
言葉が出ずに何度も頷く少女ににこやかに笑いかけ、モー・ヒカンは正面のクリスに向き直る。
「始めようか」
「あぁ、まずは無難にサイドチェストから、俺が最初にやろう」
それにモー・ヒカンは頷き。腕を組む。するとゆっくりとクリスがサイドチェストを始める。ゆっくりと流動する筋肉。まずは下半身を固定する。そして、体をひねり、にこやかな笑みを浮かべた。
おぉっと玉座の下から2人を見上げていた男達が歓声を上げる。一方のモー・ヒカンは拍手でクリスのポージングを讃えている。そのまま数秒が経過するとクリスがポージングをやめた。
「素晴らしい筋肉だ。一つ質問なんだが。いつも脚をどうやって鍛えている?食生活も含めて教えてくれないか」
「あぁ、勿論だ」
それからは時の流れが速かった。お互いにポージングを取り、褒め称え、食生活やトレーニングの方法を伝え合う。そしてより高みに行くために、お互い改善案を出し合った。
気付けは夜は開け、鳥が鳴き、玉座には彼らの汗によって出来た水溜まりが生まれていた。時折、クリスの部下が買い出しに向かい、水分を補給していたために最悪の事態は免れたが、流石の2人にも限界が来た。
「素晴らしい。なんと有意義な時間だろうか。私はこの勝負。引き分けでいいと思うんだが、少女はどう思うかな」
汗で濡れた体を陽光で輝かせながら少女にモー・ヒカンが問いかける。
「は、はい。いいと思います」
突然話しかけられた事に驚いた様子の少女だったが、その答えだけは変わらなかった。私に彼らに順位付けすることなんてできない。
「引き分け。前代未聞ではあるが、良いだろう。素晴らしい筋肉だった。ありがとう」
クリスが手を出し、それに笑ってモー・ヒカンが応じた事によって熱い友情の握手が行われた。それを見た玉座の下の3人が涙しながら拍手をし、少女はそれを見守っていた。
「あ、あの。あの時は刃物で突然襲ってすいませんでした。烏滸がましいのは重々承知ですが、良かったら私にもトレーニングを教えてくれませんか?」
まだ握手をし、互いを称賛していた2人が同時に少女に振り向く。
「「あぁ、勿論だ」」
この後、この町を守っていた筋肉ヒーローが2人になったり、電話に出ると私メリーさんと言いながら突然背後に現れて筋トレとプロテインを強要する都市伝説が出来たりとなんか色々あったがそれはまた別の話。