負けヒロイン、即ち死   作:獅子志士姫

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私の光が、再び燈る時

 

 

「お邪魔します!」

 

 帰宅と同時に、聞き慣れない元気の良い声が玄関に響く。

 

「た、ただいま〜」

 

 いつもと変わらないはずの我が家の玄関だが、隣に居る星華を意識すると新鮮に感じた。

 

 私と星華が帰宅を告げると、奥のリビングからドタドタと誰かがやって来る足音が聞こえてきた。

 

「おかえり、飛彩。それから久しぶりね、星華ちゃん!」

 

 リビングの扉を開き現れたのは、エプロンを掛けたお母さんであった。おそらく料理でもしていたのだろう、うれしそうな表情でお母さんは私たちを出迎えた。

 

「ただいま、お母さん」

 

 私がそう言うと、続けて星華は頭を下げ、丁寧な礼をしてから声を上げた。

 

「久しぶりです。恵美さん!」

 

 誰?

 

 口に出そうになるのを私は抑え、社交的な笑みを浮かべる星華の顔を見つめる。

 

 初めて私の家に星華を連れて来た時にも、そう驚愕したことを覚えている。意外な事に、星華は敬語を使えるし、敬意を払うべき相手には礼儀も覚えるのだ。

 

「外、寒かったでしょう?どうぞ上がって。今ご飯も出来た所だから、よかったら星華ちゃんもどうかしら?」 

 

「本当ですか!オレ、ちょうどお腹すいちゃってて、恵美さんのご飯、食べたいです!」

 

「あら、丁度良かったわ。星華ちゃんの口に合うと良いのだけど。それじゃあ、準備してくるわね」

 

 星華とお母さんそう話すと、お母さんは嬉しそうに笑いながら扉の向こうへと姿を消した。

 

 普段の喋り方に慣れると、むしろ普通に話す星華の方に違和感を覚えてしまう。

 

「……ん?なんだ、飛彩?どうかしたか?」

「……ううん、何でもないよ!それより、ほら、ここじゃまだ寒いから、早く上がろうよ」

 

 久しぶりの星華の豹変ぶりを目にした私は、懐かしい気持ちを胸に抱きながら、クスリと笑い答えた。

 

 私は首を傾げる星華を誘導するよう、星華の前を歩いてリビングへと入った。

 

 扉を開き、中の様子を伺うようにリビングへと踏み入ると、暖かさを感じると共に食欲をそそる良い匂いが香った。

 

 多分、お母さんの料理の匂いだろう。テーブルの方に目を向けると、そこには料理の盛られたお皿を4人分並べているお父さんが居た。

 

「あぁ、飛彩、おかえり。今ちょうど母さんが晩御飯を作り終えた所だ。星華ちゃんも来てるだろう?彼女の分もあるから、手を洗って来なさい」

「…うん、わかった、お父さん」

 

 本来行くはずだった塾をサボったのだ。もしかしたら怒られるかも、とも思ったが、今の所はお父さんに怒気を感じない。

 

 私が返事をすると、今度は後ろから星華がリビングへとやって来た。それから星華はお母さんにしたのと同様、丁寧な礼をしてから挨拶をした。

 

「建人さん。久しぶりです!今回は急な訪問になってしまい、すみません」

 

 本当に珍しい光景だ。星華の丁寧な物腰に物凄くギャップを感じるが、お父さんにとってはこれが普通の星華なのだろう。

 

 お父さんは特に驚く様子も無く、笑顔を浮かべ星華へと返事をした。

 

「いや、構わないよ。むしろ久しぶりに会えて僕も嬉しいよ。(しょう)さんと花蓮(かれん)さんには連絡済みだ。今日は(うち)で夕飯を済ませるといい」

「はい!ありがとうございます!」

 

 その言葉に星華も笑みを浮かべ、嬉しそうに頷いた。

 

「えっと、星華。洗面所あっちだから…」

「あぁ、まずは浄化だな。深淵の底より深きオレの(カルマ)を果たして洗い流せるものか……ククク」

 

 謎の笑い声を上げながら私の指差した洗面所へと向かう星華。こんな感じで、私とか仁と話す時はいつもの星華に戻るんだけど……何でなんだろう?

 

 別に星華の行動や話の根底は変わっていないのだが、なら、どうして私たちの前だとあの話し方をするのだろう?

 

 私の目の前を歩く星華の後ろ姿を見ながら、星華の独特な言動の正体に思考を巡らせるが、その答えが出る前に私たちは洗面所へとついた。

 

 先に洗面所に着いた星華が蛇口を捻り、水を出して自身の手を洗い出す。そんな様子をぼうっと眺めていると、手を洗う星華は顔だけこちらに向けて話しかけて来た。

 

「な、なぁ。ちょっと聞いていいか?」

「え、なに急に…良いけど…」

 

 星華は妙に緊張した面持ちでそう尋ねた。なんだからしくない態度を不思議に思いながらも私は頷いた。

 

 星華はごくりと喉を鳴らしてからゆっくりと息を吐き、それから再び口を開いた。

 

「そ、その……なんだ、仁とは学校、一緒だろ?なんか特別なイベントと、とか……あったり?」

 

 星華は目線をきょろきょろと辺りに泳がせながらそう尋ねてきた。

 

「え?仁と、イベント?」

 

 いまいち何を聞きたいのか分からなくて、私は聞き返してしまう。

 

 「そ、そうだ。オレは翔蘭(しょうらん)だろ?だけどお前たちは同じ学校だからさ、そのぉ…なんというか……」

 

 「なんというか?」

 

 星華にしては珍しい煮え切らない質問に対し、私は続き促す。

 

「つ、つき……で、デートとかしたり?」

 

 デートと言う単語に恥ずかしさを覚えたのか、若干頬を赤く染めながらそう答える星華。

 

「…………はぁ!?」

 

 私は星華の言う言葉の意味が一瞬理解出来ず、数秒置いてから漸く驚きが口から漏れた。

 

「い、いやいやいや!!私と仁は、そんな感じじゃないし!クラスだって違うし、最近は気まずくてあんまり関われてないってか…そもそも、そう言うのよく分かんないし……」

 

 私は星華の口から出ると思わなかったその質問に動揺してしまう。

 

 だって、星華なのだ。今までの星華はそう言った、その……い、色恋沙汰に興味はあんまりないって言うか……いや、中学生にもなれば興味を持つのが普通?なのだろうか?

 

「ほ、ほんとか?な、ならいいんだけどな!い、いやー、恵美さんのご飯、楽しみだなぁ!?」

 

 私の言葉を受けた星華は誤魔化すように大声でそう言いながらタオルで手を拭き、そそくさと洗面所を出て行ってしまった。

 

 一体何だったんだろうか……。嵐のように去って行った星華の後ろ姿を見届けた後、私は自分の手を洗うため蛇口を捻った。水が私の掌へと流れ落ちる。

 

「……星華も、そういうの興味あるのかなぁ」

 

 自分のこれまでを振り返り、そう呟いた。何だか置いてかれた様で、少しだけ寂しさを覚える。

 

 仁のことについて話していたから、もしかしたら星華は仁のことが恋愛対象として好きなのかもしれない。

 

 そう考えた途端、私の脳裏には楽しげに笑い合う2人と、それをずっと遠くの暗闇で見つめる自分の姿が浮かんだ。

 

『お前だけが独り』

 

 私はそんな考えを振り払うよう、指先に触れる水の冷たさに意識を集中させた。

 

「……早く行こう」

 

 私は蛇口を捻り、水を止め、近くの壁に掛けてあるタオルへで手を拭いた。それから星華と、お母さん達が待っているリビングへと移動した。

 

 リビングに戻ると、食事用のテーブルの上には4人分の食事が並んでおり、どれも出来立ての湯気を立てていた。

 

「うわぁ……美味そう…」

 

 テーブルの上に並ぶ料理を見て近くに立っていた星華がそう呟いた。

 

「うふふ。嬉しいわ。さ、飛彩も来たことだし、ご飯にしましょう?」

 

 星華の呟きにお母さんは嬉しそうに声を弾ませた。そうしてお母さんに促されるようにして、みんなが席へと着く。

 

 長方形のテーブルを囲む。お母さんとお父さんは私の対面に、いつもは空いている私の隣に星華が座った。

 

「な、なぁ……もう食べていいのか?」

 

 星華は隣に座る私に小声でそう聞いてくる。落ち着きのない星華に、ご飯のお預けを食らっている犬を連想する。

 

 そういえば、私の家に来ても、お夕飯を一緒に食べる機会はなかったかもしれない。

 

 そわそわと私の顔を見つめてくる星華に私は思わず笑みをこぼした。

 

「ふふ、別にいつ食べたって良いと思うけど……そうだね、じゃあ、いただきます!」

 

「「「いただきます」」っ!」

 

 私が手を合わせ、そう言うと、他3人も続くようにして手を合わせ、4人での食事が開始された。

 

「す、すげぇ……メチャクチャ美味い…こんなに美味いご飯、久しぶりに食ったかも…」

 

 勢い良く食事へと箸を伸ばした星華は、唐揚げを頬張り、目を見開いてそう言った。

 

「まぁ!星華ちゃんったら嬉しいこと言ってくれるわね!」

 

 その言葉を聞いたお母さんが両手を顔の前に合わせ、嬉しそう笑顔を浮かべる。

 

 些かオーバーなリアクションな気もしたけど、そういえばと、私は星華のお母さんについて思い出した。

 

 花蓮さんという名前だっただろうか、実際に会った事は無いが、何時であったか、星華は花蓮さんの料理に対して感想を漏らしていた。

 

『食事とはまだ不完全な領域にいる陽の光の下にいる人間の話だ。本来闇の住人であるオレに食事など要らないのだが、今は現世に溶け込むため……え?普段はどんなもの食べてるかって?えーっと……や、闇鍋?』

 

 その時は何かの冗談かと思ったが、運動会の日に星華が持ってきた弁当箱の中には、確かに闇鍋(ダークマター)が詰まっていた……つまり、花蓮さんの料理は多分……うん、今はとにかく満面の笑みで頬を膨らませてる星華が見れれば十分だ。

 

「いや!本当に美味いです!最近は食事を抜く日も多かったので、尚更」

 

「ん?そうなのか?星華ちゃん、まだ若いんだ、食事は大事にした方がいいと思うが……」

 

 お父さんが怪訝そうな表情でそう問いかけると、星華は自身の頬を掻きながら答えた。

 

「あー……しょ、諸事情で最近は忙しくて……」

 

 分かりやすく目を泳がせて誤魔化すように話す星華。どうやら触れてほしく無い話題だったらしい。

 

「あー、そうだよね。私もだけど、この時期は星華も勉強とかで忙しいもんね」

 

 私は助け舟を出す意味も込めて話題の転換を図る。

 

「あー、そうよねぇ。星華ちゃんも受験が控えてるものね」

 

 お母さんがそう言うと、星華は安堵したように息を吐き出した後、口を開いた。

 

「そうですね……単純な勉強もですけど、魔法の方も色々とやらなきゃいけない事が多くて……」

 

 その言葉に私は少しの驚いた。同時に、私は階段で窓越しに見たあの火球を思い出す。

 

 あれは星華が使った魔法だったのだろう。

 

 星華が通う翔蘭(しょうらん)魔法中学校は入学の際、魔法適性による足切りのない、主に魔法適性が低いが、それでも魔法関係の高校への進学を目指す人が多く通う学校であった。

 

 この三年間、星華は努力を重ねて魔法高等学校を目指していたのだろうか?いやそれでも適性Dの星華がたった数年であのレベルの炎魔法を扱うのには無理があるような……。

 

「そうか……それは君も、幽川さん達も大変だろうな。魔法高校への入学となると、どこも倍率は高いだろう……色々、思いやられるな……」

 

 お父さんはため息をこぼしながらそう話した。星華に向けられているはずのその言葉が、何だか私に対しても向いているようで、居たたまれない気持ちになってしまう。

 

「…………」

 

 私は反射的に視線をお父さんの方から自分の手に持つお茶碗へと落とす。

 

「ちょ、ちょっとあなた?今は星華ちゃんも居るんだし…ねぇ?」

 

 後ろ向きになった私の心がこの場の空気にも影響した。そのことに気付いたお母さんがお父さんの発言を咎める。

 

「あ、いや、その……すまなかった」

 

 お父さんも私を叱るつもりなんて無かったはずだ。だが私が勝手に落ち込んでしまったせいで和気藹々としてた食卓の空気を一変させてしまった。

 

 その事実が、さらに私の肩に重く伸し掛かり、もっと情けなくなる。

 

 しかし、お母さんの言う通り、今日は星華もいるのだ。家族間の問題で星華に気を遣わせてはそれこそもっと情けない話だ。

 

 私は首を振って、下に向けていた視線を戻すよう、顔を上げてから笑顔を作った。

 

「う、ううん。別に私気にしてないよ!そんなことより、ほらせっかく出来立てなんだし、冷めちゃう前に早く食べよ!」

 

 なるべく明るい声を出すように試みる。チラッと星華の表情を伺うと、さっきまでの楽しげな表情から一転、眉尻を下げ、どこか不安そうな表情を浮かべていた。

 

 その光景に、私は失敗を悟った。

 

 昔からそうだった。星華は常に明るい空気を自然と作ってくれる、だけどその反面、私と仁が喧嘩したりすると、普段の頼りがいがある姿とは正反対の、困ったような姿を見せるのだ。

 

 変わらないあの頃と同じ表情を浮かべる星華に、私は安心を覚えると同時に申し訳なさを感じた。

 

 あぁ、また迷惑をかけてしまった。

 

 小学生の時から、あの日から……いや、ずっと昔からだ。お母さん、お父さん、仁や星華。私は守ってもらってばっかで迷惑でしかない。

 

 あの日、決別を胸に刻んだ時から、せめて、せめて仁と星華(ふたり)にだけは迷惑をかけないと決めていたのに。

 

 私はその事を表情には出さないよう、スカートの裾をテーブルの下握りしめて堪えた。

 

「そ、そうね……幽川さんも心配するでしょうし、早く食べちゃいましょうか」

 

 お母さんがそう言うと、お父さんも星華も、表情に曇りは見えるが、止めていた箸を再び動かし始めた。

 

 無言のまま、私も食事を再開する。ぎこちない笑顔は固くなってしまい、もう動かないようで、不自然な表情のまま静かに咀嚼をする。

 

 みんながそうだった。自然を保とうと、不自然になってしまう。我が家のよくある光景だった。

 

 きっとこのまま沈黙が続き、誰も気づかない暗いゆっくりとした暗闇が、私たちの間の本音を覆い隠してしまう。

 

 そう、なるはずだった。

 

「……一つ聞いていいか?」

 

 そんな我が家において不可侵であった壁へと立ち向かったのは、隣で箸を置いて私の目を見つめる星華だった。

 

 言葉の矛先は私へ。

 

「え、えっと……うん。いいよ…」

 

 何だか真剣な星華に若干気圧されながら私は頷く。

 

「飛彩はさ、多分だけど、蒼聖煌学園への入学を目指しているんだよな?」

 

 その言葉に、お母さんとお父さんも含めて星華以外の全員が驚き目を見開く。

 

 蒼聖煌学園。それは誰もが知る、おそらく日本で一番有名な学校の名だった。

 

 魔法科学、魔法解析学、魔法分類学……およそ魔法と名のつく学問の全てを学ぶ学舎であり、研究機関でもあり、優れた魔法能力者を育てるために創立された日本随一の魔法学園都市。

 

 私が入学を目指している目的地点でもあった。

 

 しかし、その発言は地雷なのだ。ついさっき踏みかけたその地雷の上を、再び踏みに戻るような、そんな発言であった。

 

「う、うん……一応、希望進路は、蒼聖煌学園だけど……それが、なんで?」

 

 星華によって持ち込まれた唐突なその問いに、私は動揺しながらも答えた。緊張をしているからか、口の中の水分が足りていないような、乾きを感じた。

 

「いや。単なる確認だ。飛彩はこれから何を目指すのか、その確認だ。だけど……」

 

 そこまで言って、星華は深呼吸と共に瞑目した。

 

 3秒程度の沈黙を経て、再びその目は開かれた。

 

「それは本当に……お前の望んでいる未来なのか?」

 

 その言葉に、場の空気は変化の兆しを見せた。全員が動きを止め、視線を真っ直ぐに星華へと向けた。

 

 それは、本当に、私の望んでいる未来なのか。

 

 たったそれだけの言葉が、なんでか私の腑の底まで響いているようで、何か喋ろうにも上手く言葉が出なかった。

 

「……それは一体、どう言うことかな?」

 

 何も語らない私の代わりに反応を示したのは、お父さんだった。

 

 お父さんは、喜怒哀楽をあまり表に出さない故誤解されやすいが、その本心優しい人である事を私は知っている。だから滅多に声を荒げないし、怒るのにだって慣れていない、そんな人だった。

 

「……言葉の通りです。建人さん。飛彩は自分の意思で蒼聖煌学園に行きたいって、そう思っているのかを聞いてるんです」

 

「なるほど。だが、それは…」

 

 だが今星華と相対して話すお父さんの言葉には、確かに怒りか、それに近しい感情が込められていた。

 

部外者(きみ)が知る必要はない様に思えるが」

 

 その声は冷ややかであった。自分より幼い子供である星華に向けるには大人気ない程の高圧的な態度であった。だがそれほどまでに、お父さんにとって譲れないものがそこにはあるのだろう。

 

「……確かに、オレが聞く内容じゃないかもしれません。オレは飛彩と学校も違えば、仁と違って家も遠い。小学校卒業から今日に至るまでほとんど話してないレベルの……浅い関係のオレが口を出していい事じゃないかもしれない」

 

 浅い関係。その言葉に私は再び心臓を掴まれたような、恐怖に似た感覚を得た。

 

『お前だけが独り』

 

 ぐらりと視界が一転するような、思わず倒れてしまいそうな錯覚を覚える。

 

「だったら…「だけど!」…っ」

 

 お父さんの声を遮るような大きく、力強い声が星華の口から放たれた。その声に私はハッとなって視線を宙から星華へと移す。

 

「だけど!飛彩が、俺の友達が苦しんでるなら、俺はそれを……放っておきたくない!」

 

 星華は声を荒げ、訴えかける。

 

「どうしても俺じゃだめなら、貴方の口から!建人さんの言葉で、飛彩に聞いてみてくれよ!」

 

 その言葉に、お父さんは目を見開き、短く息を止めた。

 

「そ、れは……」

 

 星華とのやり取りは、偶然にもあの日を思い出させる言葉だった。私が聖葉に入る事を決める前に起きた、あの日の親子喧嘩を思い出させる言葉であった。

 

「……本当は、オレが言うべきじゃないって、分かってる。でも、飛彩の高校の話になった途端の貴方達は、あんまりにも不自然だった……」

 

 ――オレの知っている桜堂家は、そんなんじゃなかった。

 

 星華は一瞬だけ視線を下に向けてそう言った。星華の膝の上には力強く握られた拳があった。

 

「もっと本音で話して……全員で優しく笑い合っている…それが、オレの知ってる桜堂一家だ。今の状態を普通と言うには、不健全が過ぎると思う」

 

 その言葉に思うところがあったのか、お父さんは目を伏せ、隣で2人の話を聞いていたお母さんも、考え込むように眉を顰めていた。

 

「……それでも、僕たちは飛彩のために…」

 

 その言葉が始まりだった。

 

 体が鉄のように固くなり、硬直する。

 

 全身の血の気が抜けてしまったかのように、無機質な冷たさが体に伝播していく。

 

 理解してしまった。今、星華とお父さんが言い争っているその原因は、他でもない私にあるのだと。

 

 今、渦中のその外で傍観者のように眺めてる私こそが、全ての原因なのだと。

 

『どうしてお前だけが楽な道を選ぶ?』

 

 その声は呪いのように頭の中に纏わりついた。

 

 私の中で、何かの封が切られたようで、心の中の、堰き止めていた何かが溢れ出すのを感じ取った。

 

「……オレから言える事は、これくらいかも知れません。でも!もっとちゃんと話し合って「やめてよ……」ろにって…飛彩?」

 

 気づくと、その言葉は自然と口から漏れ出ていた。容量がいっぱいになった心が吐き出した、私の本心だった。

 

 私は俯いた状態のまま、今まで出したことのない様な大声で叫んだ。

 

やめてよ!!!!

「っ!……」

 

 悲鳴のような叫び声が私の口から発せられる。

 

 私はゆっくりと顔を上げ、星華の方へと向いた。私の大声に、星華は驚き、信じられないものを見るような目でこちらを見ていた。

 

「……ひ、いろ?」

 

 多分、星華は困惑しているのだろう。突然私が怒鳴るような声を上げたことにも、そもそも私が星華の言葉を否定するような言葉を口にすることも。

 

 さっきまでの力強い口調から離れた、不安そうな声で私の名前を呼んでいた。 

 

『ば、化け物…。』

 

 関係ないはずなのに、小河さんの怯えた声が、私の名前を呼ぶ星華の声と重なるように思えた。

 

 そこまで行くと、もうダメだった。

 

 あぁ、と、ため息のような、嗚咽のような吐息が口から吐き出された。

 

 バンっ、と大きく机を叩きつける音が食卓に響いた。私の手がテーブルを叩きつけた音だった。

 

 それから寸分の間もなく、私は席を立ち、リビングから二階に続く階段へと走り出した。

 

「ひ、飛彩!待ちなさい!」

 

 突然の私の行動に驚いたのか、遅れてお父さんから静止の声が聞こえた。

 

 だけど、もう止まれなかった。

 

 私はその声を背に受け、振り返ることもしないで私は階段を駆け抜けた。

 

 それから2階の廊下を通り、自分の部屋に雪崩込むように入ると、扉を背にしながら、部屋の鍵を閉めた。

 

 扉越しに耳を澄ましてみるが、大きな足音は聞こえない。どうやら追ってきてはないらしい。

 

 1人きりになった事を確認した私は、しばらくその場に立ち尽くした。

 

 心臓の音は、走ったからか少し速い。だけど、それ以上に心の動揺が大きかった。

 

 私は灯りのついてない暗い部屋の中、俯き、目を瞑る。

 

『だけど!飛彩が、オレの友達が苦しんでるなら、オレはそれを……放っておきたくない!』

『……それでも、僕たちは飛彩のために…』

 

 瞼の裏側に、ぽつりぽつりと投影された様に、先程の光景が映し出される。

 

 何年も離れていた私のために真剣な表情でお父さんへと訴える星華。

 

 声を荒らげる事は得意ではないのに、私の将来のためにと怒りを顕にしたお父さん。

 

 そんな、2人の真剣な心が、私に向いている事に、どうしようもなく私は安心してしまった。

 

「最低だ……私」

 

 誰に聞かせる訳でもない声量でポツリと呟く。

 

 傍観者気分で、自分の将来すらあやふやなまま、何も決めれないくせに、衝動だけで怒鳴って否定して、その上、心の底では自分に向けられる心配に安堵していた。

 

 自分が何をしたいのか、分からなくなる。自分の中の境界があやふやになって、私と言う存在がすごく希薄であるように感じる。

 

 いっその事、空気に溶けて消えてしまえたらと願う。最初からいなかったみたいに。

 

 扉に背中をもたらせ、そのまま膝を曲げて座り込む。

 

 それからしばらく、暗い部屋の中、扉の前で座り込んで、何をするでもなく黙って自分の膝を眺め続ける。

 

 こういう時、涙でも出るのかと思ったが、私の目からは一滴も涙は出てこなかった。

 

 少しして、扉の向こうから階段を上って来る足音が聞こえた。急いでる様子はなく、歩いている足音だった。

 

 足音は私の部屋の前まで来て、止まる。それからノックの音がすぐ後ろから振動を伝って聞こえてくる。

 

 返事をしようとして、でもなんて言えばいいか分からなくなって、結局黙ってしまう。

 

「飛彩?大丈夫?」

 

 声は、お母さんのものだった。心配していることが声から感じ取ることができた。

 

「あのね、お父さん、別にあなたを責めようって思っている訳じゃないの。星華ちゃんに対しても、別に悪意があって言い合いになった訳でもないの……」

 

 言葉尻に近づくにつれ、段々とお母さんの声に張りがなくなり、弱弱しいものへと変わっていく。

 

「本当に、あなたの事が大事で……でも、お母さん達、何も、あなたに……ごめんね……」

 

 やがて言葉には涙が滲みだした。聞いていた私も、何だか目の奥が熱くなってくるようで、哀しみとか不甲斐なさとかで心が落ち込んできた。

 

 それから少しの沈黙。鼻をすする音が数回聞こえた後、落ち着いたお母さんの声が聞こえてくる。

 

「……ご飯、リビングに置いてあるから、好きな時に食べに来てね……無理に食べに来なくても、いいから……」

 

 それから私の返事を待たずに、扉の向こうから歩き出す音が聞こえ始めた。

 

 その足音を聞きながら、私は静かに泣いていた。いろんな感情が混ざり合って、結果耐え切れなくなった心から溢れ出す、そんな涙だった。

 

 それからしばらく泣いて、泣き止んでから顔を上げて、部屋の中を見渡す。窓の外から見える空の色は公園から歩いてきた時よりも暗く、止んでいたはずの雪は勢いを増して降っていた。

 

 私は窓から部屋についている時計に目を移す。あれから一時間ほど扉の前で蹲って時間を過ごしていたらしい。

 

「星華……」

 

 気付くと、脳裏に過っていたその少女の名前を口にしていた。

 

 もう、帰っただろうか。お父さんと口論になった末、あんな結果だ。そのまま食事を続けているとも考えづらい。

 

 きっともう既に家に帰り、自分の部屋かどこかで過ごしているだろう。

 

 私は再び俯いて思い出す。それは先程、私の進路についてお父さんと論争を繰り広げた星華の姿だった。

 

『それは本当に……お前の望んでいる未来なのか?』

 

 私に問いかけられたその言葉を思い出す。それは現在私の抱える悩みの中核を指す言葉でもあった。

 

 だが、どうして星華はあんな事を突然言い出したのだろう?

 

 随分泣いたことで先程よりクリアになった頭の中、そんな疑問が湧き出した。

 

 仮に星華の言葉通り、私達の様子が変に思えても、それについて言及するのは正に地雷を踏みぬく行為だ。

 

 言い合いになることも想像に難くない。それなのに、どうして星華はその話題に触れたのか。

 

 いろいろ考えてみるが、納得のいく答えは出なかった。それと同時に、考えても意味がないと気づく。

 

 結局は、本人に聞くしかないのだ。だが、あんな風に突き放してしまったのだ、もう私が星華に会う機会も無いだろう。

 

 もう会う事は、ない。その言葉を頭の中で呟いた途端、心臓が締め付けられる様な感覚に陥る。

 

 自分から突き放したくせに、そんな被害者の様に振る舞う自分が嫌いになる。

 

 もう、考えれば考えるだけ暗い方へ進んでいきそうだった。なら、いっそ、考える事をやめてしまいたい……。

 

 そう思い、自分の膝に顔をうずめ、瞼を閉じようとした時だった。

 

 コンコン、と何かを叩く音が耳に入ってきた。また、扉の前にお母さんがやって来たのかと思ったが、音の方向は扉の方からではなく、その反対側から聞こえてきた。

 

 何事かと思い顔を上げた私は、信じられない光景を目の当たりにする。

 

 コンコン、再び音が響く。それは窓ガラスを叩く音だった。

 

 部屋に付けられた窓の向こう、深々と降る雪の中、黒いフードのついた外套に身を包む、小柄な人物。

 

 間違い無かった、恐らくは屋根の上に立っているのだろう。私の部屋の窓を叩くその人物は、幽川星華であった。

 

 私は幽霊か妖精か、とにかく信じられないものを見たような心地で、体が動かず、ただ瞬きをして窓の向こうの星華を見つめる。

 

 黒いフードを被った星華は、私が顔を向けると窓を叩くのを止め、口を開いたり閉じたりして窓ガラスの枠を指さす。

 

 どうやら私に何かを伝えたいらしい。口の形から察するに……恐らくは、「あけて」だろうか。

 

 私は何だか状況が読み込めなかったが、星華の被る黒いフードの上に、少しずつ積もりだした雪を見て、慌てて窓を開けるため、反対側の方へ歩き出す。

 

 窓の鍵を開け、窓ガラスを開く。ぶわりと冷えた空気が身体に吹き付けると同時に、一時間ぶりに星華と相対する。

 

「あー……えっとだなぁ……」

 

 開いた窓越しに、自分から開けるよう要求してきた星華は、そこから動くことなく、困った様な表情でフード越しに頭を掻く。

 

 その様子を見て、漸く現実に頭が追い付いてきた私はそんな星華に向かって口を開く。

 

「……入る?」

 

 私がそう言うと、言葉を受け取り、ポカンとした表情を浮かべた星華は、一拍置いてから返事を返した。

 

「……うん、入る」

 

 それから頭や肩についた雪を払ってから、星華は私の部屋へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 ■□■□■□■□

 

 

 

 

「…………」「…………」

 

 私はベットの上に二人並んで腰かける。会話もなく、なんとなくお互いに座れる場所を探したらここになった。

 

 互いに並んで、しかし言葉はない。星華が部屋に入ってから数分、この沈黙は破られずに保たれていた。

 

 玄関からではなく、屋根を上って不法侵入じみた会い方をしたのだ。きっとそれほどまでに話したい事があるのだろう。

 

 その証拠にか、隣に座る星華はさっきからチラチラと私の方を見ては正面を見つめて眉をひそめている。

 

 話す機会を伺っているのだろうか。それにしても一体何を話しに来たのだろうか?

 

 先程の食事中の会話の続きだろうか。私はその可能性を察し、若干身構える。

 

 しかし星華にこれと言った動きは見えず、変わらずこちらの動きをチラチラと伺ってくるだけだった。

 

 その様子を見て、何だかじれったい気持ちになった私は、私の方から会話を切り出す事にした。

 

「……寒くなかったの?」

「え……」

 

 私が話しかけると、星華は私の顔を見て固まる。

 

 その間抜けにも見える表情に、なんだか毒気を抜かれて、私は身体に入れていた力を緩め、言葉を続ける。

 

「外、雪降ってるし。それに、私の家と星華の家じゃ距離あるでしょ?自転車で来ても十数分かかるだろうし……」

 

 私が補足すると、星華は少し緊張した面持ちで返事を返す。

 

「い、いやー、別にそこまで……最初は寒かったけど、走ってたらあんまり気にならなくなって……」

「走って?まさかこんな時間帯、こんな天気の中走ってきたの?」

 

 私がそう問い詰めると、少し言い淀むように「う、うん……」と声を出す星華。

 

 普段はやれ深淵だの暗黒だのよく分からない言い回しをする星華だが、緊張をしているとその限りではないらしい。

 

 何だか普段より大人しく見えて、そんな普段とのギャップに私はクスリと笑みを漏らす。

 

「ど、どうした!?俺変なこと言ったか!?」

「ふふ……うん、変だよ。でも少し面白い」

 

 私が笑みと共にそう言うと、星華の方も少し緊張がほぐれたらしく、表情に柔らかさが戻っていた。

 

「……あのさ」

 

 それから少しだけ、お互いに笑いあうと、星華の方から別の話を切り出してきた。

 

 両手を膝の間に握り重ねて、真っすぐ正面を見て話を始める星華の表情は、何だか遠くを見ているようで、真剣だ。

 

 私はその横顔を静かに眺めながら、その言葉に耳を傾けた。

 

「オレ、飛彩にもう一回会いに来たの、さっきの事が謝りたくてさ」

 

 話し始めたのは、ここに来た動機、何故再び会いに来たのかと言う話だった。

 

「謝る?」

 

 私は聞こえたその言葉に、思わず聞き返す。

 

「うん、さっきの、建人さんと言い合いになった時、オレ、飛彩の事考えてるようで、なんにも考えられてなかった」

 

 星華は思い出すように話す。

 

「実はさ、オレ今日飛彩に会いに来たの、偶然じゃなくて、仁に頼まれて来たんだ」

 

 話の中出てきた人物は、私の幼馴染でもある仁だった。

 

「仁に?」

「うん。最近飛彩の元気がないから、オレの方で会ってみてくれないかってさ」

 

 星華のその話に私は驚く。仁とは小学校卒業以来、一方的に罪悪感のようなものを感じ、距離を取っていた。

 

 それから三年近く時間が経っているのに、どうやら仁は私の事を心配してくれているらしい。

 

 その事実に嬉しさと同時に苦しさを覚える。苦悶の根源は、罪悪感からだった。

 

「だからオレ、今日は飛彩を元気づけようと思ってたんだけど……結果、あぁなっちゃってさ」

 

 星華は視線を床へと落とし、悔やむように話の続きを語った。

 

「馬鹿だよな、オレ。話を聞いた気になって、勝手にお前の感情想像して、先走ってさ」

 

 そこまで言うと、星華は視線を上げ、私の方へ向き直ると真っすぐに此方を見て口を開いた。

 

「ごめん。俺、まだ何も飛彩の事知らなかった。もっと、飛彩の事知って、もっとそばに寄り添えるようにする。だから」

 

 ――飛彩の話を聞かせてくれないか?

 

 その言葉を受け取った私は気付いた。そう言えば、本音で自分の胸中を話したのは、ずっと昔だったな、と。

 

 星華の目は真っすぐに、私の目を見ていた。私と言う存在を見て、語りかけてくれていた。

 

「なんで……」

 

 言葉と同時に涙があふれ出してきた。さっき扉の前で流した涙とはまた別の、安堵の涙だった。

 

 見知らぬ場所で一人きり迷子になって、やっとの思いで再会できた時の様な、そんな涙。

 

「なんで、そんなに……私の事、助けようとしてくれるの?」

 

 それは心から漏れ出した疑問だった。

 

 仁から頼まれた事はもう聞いた。しかし、頼まれたからと言って他人の親と口論になってまで、更には凍える空気の中を走ってでも私に寄り添おうとしてくれるのか。

 

 私にはさっぱり分からなかった。もう最後に会ったのも何年も前なのに。

 

 私がそう問いかけると、星華は涙を流す私に戸惑いながらも、ゆっくりと答えた。

 

「……変な話に聞こえるかもしれないけど、俺にとってはさ、飛彩は、出会うずっと前から特別な存在だったんだ。でも出会ってからはもっと身近な、大切な友達に変わった。だから助けたいって、力になりたいって思うんだ……それが理由じゃダメか?」

 

 それは、確かに可笑しな話に聞こえた。出会う前から知っていたなんて、変な話だ。でも、それでも、呼んでくれた。

 

 大切な友達。その言葉に私の目から、更に涙があふれ出す。気づくと私はベットの上、星華の身体に抱き着くようにして寄りかかっていた。

 

「ダメじゃ、ない……全然っ、ダメじゃないよぉ!」

 

 まるで幼児の様に、外聞もなく泣き喚いた。星華は何も言わず、静かな手つきで受け止めてくれた。

 

 それから泣いて、泣いて、泣いて。それから話を始めた。

 

 いままでのすべてを、私の知る限り全部を話した。話して、笑って、また泣いて。それで…………。

 

 

 

 

 

 ■□■□■□■□

 

 

 

 

 

 遠くで、音が響く。規則的な、鈴の振動する音。

 

 私はゆっくりと意識を眠りの中から引きずり出すと、やがて瞼を開いた。

 

 耳元で鳴る、うるさい音を止めるため、目覚まし時計へと手を伸ばす。

 

 それから身体を起こし、まだぼんやりとする意識の中、思い出す。

 

 昨夜の事だ。あれから星華に私の悩みや考えを話した。それから星華の話もいろいろ聞いた。

 

 それから大事な事、他愛もない事両方話しながら、雪が止むまで話し合った。やがて雪が一時的に止んだ頃、星華は再び窓の外へと出た。

 

 そうだ、その時確か……。

 

 私はベットの上から降り、勉強机の方へと歩き出す。そして机の上に置いてあるスマホへを手に取り、電源を入れ、画面を確認する。

 

「……んふ」

 

 そしてその内容を確認した私は、笑い声なのかも分からない、我ながら気持ち悪い声を出す。

 

 それから部屋の中の時計を確認する。当然というか、いつも通りの起床の時間だ。

 

 昨日は疲れて制服のまま寝てしまったらしい。私は新しい制服に着替えて、学校鞄と昨日の制服を持って部屋の扉を開けた。

 

 廊下には誰もいなかった。階段の向こう、一階の方から音が聞こえる。お母さんもお父さんも下にいるのだろう。

 

 私は一呼吸置いて、それから階段を下ってリビングへと降りて行った。

 

 リビングは、いつも通りの光景だった。一足先に朝食を終えた二人は、お母さんが洗い物を、お父さんが新聞を読んでいる。

 

 しかしその表情はいつもとは異なっていた。硬い、と言うか険しい。それも当然の話で、昨日あんな出来事があったのだ。それは表情も険しくなる。

 

 私が降りてきた事に気づいたお父さんが新聞から目を離し、私の方を見る。

 

「飛彩!」

 

 それから、焦ったような声で私の名前を呼ぶと、椅子から立ち上がり、私の方へと歩いて近づいてくる。

 

「その、昨日は……すまなかった。父さんもあの時は……いや、言い訳のしようもない、本当にすまなかった」

 

 お父さんはそう言うと、腰を曲げ、頭を下げる。

 

「だ、大丈夫だから!あの、私も昨日は感情的になっちゃったし……」

 

 私がそう言うとお父さんは頭を上げ、少し不安そうな表情で私を見る。

 

「そ、そうか……本当にすまなかった……反省してる」

 

 そう言うと、お父さんは新聞を置いてあるテーブルの方へと踵を返す。

 

 私はその後姿を見て、昨夜の星華との会話を思い出す。そして、気付くと声を出していた。

 

「……ねぇ、お父さん」

 

 私が呼びかけると、お父さんは振り返り、私を見る。

 

 私は一呼吸置いてから、今度は洗い場の方にいるお母さんへと声を掛ける。

 

「それから、お母さんも」

 

 お母さんは、何も言わなかったが、さっきから心配そうな目で私とお父さんの方を見ていた。

 

 私はお母さんとお父さん、両方に声を掛けた後、ゆっくりと自分の中の言葉を口に出した。

 

「今日帰ったら、話があるの……特別な事じゃない、でも大事なことだから……だから、話し合おう。もう一回、家族全員で」

 

 

 

 

 

 

 ■□■□■□■□

 

 

 

 

 気をつけ、礼。

 

 日直の声で今日も学校の終わりが告げられる。皆一様に礼をし、教室内は放課後の空気へと切り替わる。

 

 担任教師が教室を抜けると同時に騒がしくなる教室内。私は鞄からスマホを取り出し、画面を見る。

 

 それから一度深呼吸をし、決意した私はスマホを鞄にしまうと、教室の後ろの方のへと向かった。

 

 そのまま扉の方へ、しかし教室を出る手前で私は立ち止まる。そして私はその名前を呼ぶ。

 

「小河さん」

 

 まさか私の方から声を掛ける事はないと思っていたのだろう。小河さんはピクリと体を揺らして私の顔を凝視する。

 

「な、なに……」

 

 小河さんは少し怯えを含んだ声でそう返事をする。

 

 小河さんは、少し素行が悪い、同じクラスの生徒。以前事故で怪我を負った彼女を魔法で治療した際、『化け物』と呼ばれ、それ以来その誹りを受け続けている。

 

 私が知っている小河さんと言う人物はこれだ。彼女は褒められたことはしてないし、むしろ非難されるべき行為をしているかもしれない。

 

「私、桜堂飛彩。好きな食べ物は和菓子全般、特技は料理、小さいころ好きだったのは『魔法(マジック)戦隊 マナレンジャー』っていう特撮戦隊をテレビで見る事」

「は、はぁ?」

 

 だが私はまだ、知らない。彼女が何が好きで、嫌いか。どういった幼少を過ごして今に至るのか。

 

「私、小河さんを助けて、『化け物』って言われて、傷ついた。どうして私は『化け物』って言われるのか、ずっと一人で悲しんでた」

 

 言われて傷ついて、私は自分を守るよう、もうそれ以上傷つかないよう、小河さんと言う存在に蓋をしていた。

 

「でも、私気付いたの、小河さんの事、何も知らないって。どうして『化け物』って言われたのか。何も知らないの」

 

 それは当たり前の事。だが私は、私たちは忘れていた。それを思い出せてくれたのは大切な友達だった。

 

 私は腰を折り、小河さんに向け頭を下げると、その言葉を発した。

 

「だから、お願い。私に小河さんの事、教えてほしい。もっと深く、ちゃんとあなたの事を知って、それからまた話し合って欲しい」

 

 全く間抜けな話だが、私たちはまだお互いの自己紹介すらしていないまま、お互いを決めつけていたらしい。

 

「ちょ、ちょっと!ま、待ち、わ、分かったから!頭、頭上げて!目立つから!」

 

 私の言葉を受けた小河さんは慌てた声色でそう言った。

 

 目立つ、という言葉に私はハッとして辺りを見渡す。私が小河さんに話しかけた場所は放課後直ぐの教室、当然辺りはクラスメイトだらけで、急に小河さんに向かって頭を下げて話す私は注目の的であった。

 

 その事を自覚した途端、クラスメイト達の注目が肌に刺さるようで、むず痒さと恥ずかしさが私を襲った。

 

 自分の頬が紅潮しているのが分かった。小河さんの顔を見てみると、私と同様に恥ずかしさに顔を伏せていた。

 

「ご、ごめんなさい。私、周りの事考えてなくて……」

 

 私はそう謝るが、小河さんは恥ずかしさからか、顔を伏せたままだった。

 

 これ以上話しかけても迷惑になるかもしれない、そう思った私は小河さんの席から離れようとした。

 

「……私」

 

 そんな時だった。机に伏せたままの小河さんの口から、確かに声が聞こえた。

 

 私はその声に足を止めて小河さんを見つめる。

 

 小河さんは伏せていた顔を少し上げ、紅潮した顔のまま、目線を少し横にずらして言葉を続けた。

 

「私……小河、仁菜……その、マナレンジャー……私も、前まで見てた…………」

 

 小さな声だったが、それは確かに私へと向けられていた。

 

 その言葉を聞き、私は自然と笑みが零れた。

 

 あぁ、やっぱり私は、私達は馬鹿だった。少し、ほんの少しでも歩み寄れれば、こんなにも簡単だったのに。

 

「……うん!私、グリーンが好きだった!小河さんは?」

 

 私はそう言うと、一歩、小河さんの方へと近づいて行った。

 

 

 

 

 ■□■□■□■□

 

 

 

 

 

 長い一日だったような気がする。だけど、今までのどんな日々よりずっと意味のある、色づいた日だったと思う。

 

 時刻は丁度昨日、星華が窓からやって来た頃。私は窓の外見るが、そこには誰もいなくて、少しだけ残念に思う。

 

 私は机の上に置いたままのスマホを取り出し、その画面を見る。

 

 開かれているのは、連絡交換アプリだった。スマホを買ってもらうと同時に、何を入れればいいかも分からなかった当時、取り合えず入れておいただけのアプリ。

 

 以来、ほとんど使っていなかったそのアプリの友達リストに、新しい名前が二つ載っていた。

 

 1人は、今日、あの後一通り話し、連絡先を交換した小河さんの名前。もう1人は……

 

「星華……」

 

 呟くように、自然とその名前を呼んでしまう。

 

『また何か困った事あったらさ、いやなくてもいいんだけど……』

 

 そう言って慣れない手つきで互いに連絡先を交換した、大事なその名前。

 

 私は星華のアイコンをタップすると、その言葉を打ち込んでいく。

 

『ありがとう』

 

 具体性のない、感謝の言葉だった。だが紛れもなく、私の心からの言葉だった。

 

 ほんとうに、私は助けられてもらってばっかりだ。きっとこれからもそうだろう。だからこれからは、それ以上に感謝を伝えられるよう、行動で示そう。

 

『どういたしまして?』

 

 少しして、星華からそう返事が返ってくる。その曖昧な返事が何だが、面白くて、愛らしくて。

 

 私はそっとスマホを胸に抱え持ち、心の中で再び告げた。

 

 ありがとう。言葉じゃ足りないけど、今は言葉でしか伝えられないから、許してね。

 

 私の世界に、再び灯りが燈る。そんな気がした。  

 

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