そういえば今日はホワイトデーでもあったっけ。
まだ寒さを残した風でも全く冷やされる事の無い
熱った体でそんな事を考えていた。
9回ウラツーアウトツーストライクのバッターボックスに立ちながら。
※
あの子の誕生日。
ある年の3月14日の昼前。
私はあの子から野球の試合を出る様に頼まれた。
「私の為にみんなが一緒に野球してくれるんだ!」
そんな事を先週あたりアパートで聞いた覚えはあった。
当然の様に「オベイも一緒にやろーよ!」と彼女が言うと
私は当然の様に「忙しいから無理」と答えた。
嘘は付いていない。
実際、私を含めた教官たちは来月から始まる
生徒たちの大舞台に備えるサポートに追われていた。
彼女もその一員であるはずなのは置いておくとして。
その当日。ありふれたトラブルが起きてしまった。
あの子の味方チームとして参加する予定の
タニノギムレットがいつもの事をしてしまった。
意図的では無かったとはいえ、彼女は責任をとる事になり
今日の野球の試合に出る時間を無くしたらしい。
そんな事情があってあの子は私に
ギムレットの代打をして欲しいと頼み込んできた。
『別に一人くらいいなくても草野球なら問題ないでしょ』
そう断ろうとしたけれど、彼女の後ろに連れた
生徒たちの弱った顔のせいで首を縦に振るしかなかった。
あの子はいつもの満面の笑みを浮かべると
生徒たちと同僚のシーフクローと共に
学園所有のマイクロバスへと私を詰め込んだ。
思ったよりも本格的な形式であると悟りだして
情に流された事に後悔していることも知らず
10分もしない内にバスは試合会場へとたどり着いていた。
簡素ではあるけれど
スコアボードやフェンスもある
ちゃんとした野球場だった。
グラウンドには既に相手チームが待ち構えている。
「ごめん!ごめん!おもたせー!」
「いえ、大丈夫ですよ。
こちらもウォーミングアップする時間がとれましたから」
あの子に応えたのは相手チームのリーダーのフジキセキだった。
彼女は学園で特別親しくているメンバーを連れていた。
「今回は敵同士ではあるが――
良い試合にしよう――ロブロイ――」
「は、はい!互いに健闘しあいましょう!」
「オマエにグラスの球が打てるかのう!」
「け、けっぱります……!」
「簡単には打たせませんからね~。特にスペちゃんには」
「お手柔らかにお願いします~……」
こっちのチームも相手チームも和気あいあいとしていた。
試合が始まる前までは。
※
予想していたよりも少し短く激しい攻防の末に
0対0のまま8回ウラが終わった。
あちらの打線はグラスの鋭い投球を
こちらの打線はカフェの特異な投球を
捉える事をできずにいた。
「グラス!このまま無失点で押し切ってやろうかのう!」
「はい!」
相手バッターの獰猛な気迫に長く晒されても
グラスとクローのバッテリーの迫力は衰えていない。
それでも肉体と思考の疲労は蓄積されていて――
「すまないね」
「しまった――!」
フルスイングと見せかけたタキオンの送りバントによって
ダイワスカーレットがホームベースを踏むことを許してしまった。
おそらくグラスかクローが万全の状態なら
タキオンの作戦は成功しなかった。
彼女は最高の好機を見抜いていたんだ。
その後、グラスは走者を出す事は無く終えたけれど
失点を許した悔しさを隠す事ができていなかった。
「申し訳ございません……」
「2点とりゃいい話だろう」
クローはそう励ますけれど
それは難しい話だった。
マンハッタンカフェの球速はそれほど速くない。
しかし、その球は弾道は自在に変化し予測がほぼ不可能。
それに加えてキャッチャーであるタキオンの洞察力により
バッターの一番嫌がる場所をこちらが理解できないサインで
ピッチャーであるカフェに送っているようだった。
最後の攻撃に入っても
誰も二人の連携を崩すことが出来なかった。
唯一ツーアウトを背負ったウオッカの破れかぶれが通り
彼女は2塁まで滑り込むことに成功した。
「火事場の力というモノは恐ろしいねぇ。
最後まで気を抜かずに終わらせようじゃないか」
「はい」
カフェとタキオンの冷静さは揺るがない。
この二人を出し抜くのはやはり難しいだろう。
「オベイー!かっとばせー!」
「無茶を言わないで」
「ミーは信じてるからねー!」
彼女の無責任なエールに背中を蹴られながら
私はバッターボックスへと入る。
いつも入っていたゲート中よりかは息苦しくはない。
私がバットを構えるとカフェの体が揺れ動く。
彼女の異様な投球フォームも
バッティングを狂わせる一因だった。
彼女の手からボールが離れる。
その弾道の変化する様を観察していると
ミットの裏側にボールが当たる音が聞えた。
決して遅くはないけど、簡単に打てる
何の変哲も無いストレート。
それを私は何もせずに見過ごしてしまった。
ストライクの宣言が耳を通り抜けると
タキオンがあの子とは正反対の笑い声を漏らしながら
ボールをカフェの元へと投げ返す。
私はカフェの姿を睨みながら再び構える。
彼女の姿がまた震える水面に映ったかの様に揺れ動く。
今度のボールもそれなりに速いけど捉えられる。
私がバットを大げさに振るう。
その瞬間。
手に豆腐を乗せたような不可解な感触が走ると
またミットがボールを捕える音がした。
私の見間違いでなければ
ボールがバットに触れる寸前
その上を”滑り”抜けていた。
ツーストライクの宣言が聞えると
全身から汗がさらに噴き出て来た。
下がった頭から涙ように地面へ落ちる。
カフェがボールを再び受け取った音に反応して私は頭を上げる。
冷徹さを保つ彼女の向こう側で
二塁を踏むウオッカが不安そうな顔をしている。
私は彼女に『大丈夫』と表情で伝えたいけれど、できない。
今はまだ。
私は歯を剥き出しにしながらバットを三度構えると
カフェの姿が大きく揺れ動きだす。
あからさまに大きな変化球を放つ姿を見せた。
彼女が投げた球は――
人を食ったような超スローボールだった。
読み通りだ。
私が緊張しきって力を過剰に込めた姿を
タキオンが見せれば彼女はカフェに対して
不意打ちの超スローボールをする様にサインを送るだろう。
その予想は当たっていた。
最も彼女が本当に騙されたかは分からない。
それでもアグネスタキオンの性格を考えれば
例え私の作戦を見抜いていたとしても
その好奇心から、あえて私の作戦に乗って来ただろう。
教官として私は彼女の性質を信じ賭けに出た。
タイミング合わせて振ったバットから
今度こそ実像を捕えた感触が手に流れる。
私が賭けに勝った証拠。
ここからは私の純粋な力が試される。
ボールを救い上げるような形でバットを振り抜き
そして、ウオッカと同時に全力で駆け出した。
自分の脚によって巻き上がる土煙の中
私は視線を相手選手たちの動きに向ける。
誰もが空を見上げ、声を掛け合いながら後ろへ下がっていく。
「あっ――」
誰かの声とフェンスに軽く当たる音。
そして、ボールが地面に落ちる音が聞こえてきた。
「お見事。まんまとしてやられたねぇ」
タキオンの宣言を受けながら
ホームベースを通り抜けると
ベンチから歓声が上がった。
「やったー!やったー!
オベイが勝ったー!!」
あの子がみんなを引き連れて私を取り囲む。
「たまたま良く飛んだだけで――」
「胴上げだー!!」
「え?」
私が『やめて』という言葉を思い付く前に
無数の手が私を持ち上げて投げ離した。
「わっしょい!わっしょい!」
ようやく口に出した「やめて」という意味の言葉の数々は
あの子と釣られて興奮したみんなには届かない。
やっぱり、彼女の事は嫌いだ。
諦め気分で宙に放り出される中
ニヤニヤと笑うクローとタキオン。
呆れた顔を浮かべるブライアンとカフェ。
大量のスポーツドリンクを乗せたリアカーを
ひいてこっちに向かっているギムレットが横目に入る。
みんな日本の夕日に照らされている。
彼女も一緒に。
ふと、そう思うと、私の中に
一人で勝利を噛みしめた時とは
似ているけれど違う感情が芽生え始めていた。
※
「改めて今日はありがとうね。オベイ」
「お礼はもういいから、次から胴上げとかやめてよね」
「ごめん。ごめん。
オベイがミーの為にホームラン打ってくれたのがスッゴイ嬉しくて」
「だから貴女の為じゃない。私が意地になっただけ」
いつものアパートの一室で
みんなから貰ったケーキを食べ終えて
いつもみたいな他愛の無い会話をする。
一番嫌いな彼女と。
「オベイがどう思っていても
ミーにとっては最高の誕生日プレゼントだったよ!」
「……そもそも、なんで誕生日に野球するの?」
彼女は頬を赤らめ目を細める。
余り見た事が無い恥ずかしがっている顔。
「ホームシックみたいなもの……かな?」
「ホームシックで野球……?」
「うん。ミーが子どもの頃さ
けっこー有名な地元のレースクラブ入っていてさ」
彼女の口からその話は度々聞いた事がある。
クローとグラス、それにシンボリクリスエスも
そこでレースの基礎を学んだらしい。
「そこのリーダーが野球が大好きでさ。
よくみんなで野球もやってたんだ。クローも一緒にね」
「それが懐かしくてってこと?」
「うん。オベイも参加してくれから
子どもの頃よりもずっと楽しかったよ」
彼女はいつもの笑顔に戻る。
それにしても
いつだって笑う彼女が私に粘着する理由が分からない。
わざわざ聞くほどの情報では無いけれど。
「あ、そうだ。
私も一応プレゼント用意している」
「えー!?嬉しいな!
早くちょうだい!ちょうだい!」
「すぐ持ってくるから落ち着いて
もういい歳でしょ」
「はーい!」
学生の頃と何も変わらない彼女に
私はあるお酒をプレゼントする。
「わー!なにか入ってる!
なにこれ!?」
「リンゴ。カルヴァドスっていう
フランスのある地方で作らている果実酒。
偶然、近くのデパートで見つけた」
「ユニークだね!早く飲も!」
私は二つグラスを用意して
いつもの様に彼女と晩酌を共にした。